第18話 洞窟の魔獣
洞窟に近付くにつれて悪臭が漂ってきた。
「この臭い…死臭だけじゃないわ。なにか腐った臭いも混ざっているわ。」
フーシャは鼻が敏感なのか、臭いの違いを嗅ぎ分けると、脇の茂みに人間の死体が転がっていた。
「これは…間違いない。先月から行方不明で捜索していた子よ」
死体は腐っていて原型が分からなかったが、身につけていたネックレスを見てテンタは行方不明の子と判断した。
「ここ数ヶ月に渡る行方不明は全部アイツらのせいだったのか…」
アヌールの街では半年前程から行方不明者が低頻度だが報告されていたそうだ。頻度が少ない為、人さらいの可能性も低く、事件性が低いということでギルドに任せて大陸は動いてくれなかった。ギルドで捜索もしたが、メンバーの人数が少ないこともあり、大した事は分からなかった。
テンタは今回の洞窟が発見された事で、この頃起きている行方不明となにか関係があるのではないかと睨んでいた。
もちろん死体を見慣れていない俺は、すぐに気分が悪くなった。吐き気が襲ってくると、フーシャがドゥルームの魔法を使ってくれた。効果はすぐに出始めると、俺は死体を見ても耐えることが出来た。洞窟に近付くと、俺とフーシャはテンタをいつでも援護出来る為に近くの物陰に潜んだ。
「慣れろ…とは言わないけど、ドゥルームも使いすぎると効果が薄れてくるから、気をつけるのよ」
フーシャは妙に優しく微笑むと、両手で俺の頬をパチンと叩き気合いを入れてくれた。
「あ、ありがとう…」
優しいフーシャの気遣いに心臓のドキドキが止まらなかった。なんだか体もポカポカしてきた気がする。俺はフーシャに見蕩れていると、はっ!と我を取り戻した。
「今は駄目だ!」
俺は冷静になるとテンタの後をつけた。
「マスター、到着しました」
「ここが洞窟か…」
アイサはメンバーを洞窟まで案内し、全員が洞窟の入口に集まった。道中、魔物に遭遇するとこなく到着した為、洞窟の中に目的の魔獣がいると結論づけ作戦を開始した。テンタは先行部隊として、騎士と魔法使いを2名ずつ計5名で洞窟の中に入っていった。
「灯りを頼む」
テンタが洞窟に入るとすぐ魔法使いに指示をする。辺りが見渡せる程度に明るくなると、騎士を先頭にして進行した。
「本当に魔物の気配すらないですね」
「もしかして敵側に気配を消せる者がいるのかもしれないな」
何が起こるか分からない洞窟の中を進んでいると、問題の大きな扉の前に着いた。扉はアイサが来た時同様、開いていた。恐る恐る扉の中に入るとランタンが光を灯した。小さな闘技場のような広場には大きな魔獣が寝そべっていた。全長3mぐらいはあるのだろうか、寝ている巨体の横には大きな斧が地面に突き刺さっていた。地面を見渡すと、仲間の首がはねられたと思われるところには、大量の血が溜まっていた。しかし、何処を見ても死体が落ちていることはなかった。
「臭うわね」
「悪臭ってレベルじゃないですね」
「多分、あの奥にも死体が転がっているのだろう…」
何とも言えない悪臭が漂う中、先行部隊は魔獣を外におびき出す準備を開始した。爆弾を設置して生き埋めにする事も出来るが、未発見の洞窟を易々と壊すのは好ましくない。中に眠っている宝が埋もれるのは問題ないのだが、魔王に繋がる情報や、古代の遺産を失うのは後々大きな損失となる。テンタは魔獣が眠っている奥にもう1枚扉がある事を確認すると、特定の条件で毒ガスを放つ石[ポイズンストーン]を設置した。この石は毒を持つ魔物の胃袋と、吸収に優れた天然石を合成することで作られる珍しいアイテムだ。水を含むと毒が辺り一面に放出される。成人男性の拳ほどの大きさの石は毒の殺傷性が極めて高く、1つあれば城を丸ごと毒の海にする事も可能だ。この石を魔獣の眠る広場の入口辺りに2つ設置した。やり方は単純、水の入ったケースの上に薄い板を1枚乗せて、その上に石を乗せた。板は数分あれば石の重さに耐えきれず壊れ、水に落ちた石は毒ガスを出すという仕組みになっている。メンバーは洞窟から出る際に、扉の所に毒ガスが漏れ出さないように、騎士が魔法の壁を張った。出口に近付くと、騎士の張った扉が壊された時の為に毒ガスを洞窟内に押し戻す風魔法と、魔法の障壁を設置して地上に上がった。洞窟の出口には毒を分解する魔法を施し準備は完了だ。
「地上の空気が美味しいわ」
「それにしてもあの地下は異常ですよ…」
深呼吸をするメンバーは普段感じられない空気の美味しさを堪能していた。
数分が経過した。毒ガスが発生したのか、洞窟の奥底から魔獣の声であると思われる叫び声が俺達のいる洞窟の入口まで響き渡った。声が聞こえるとメンバーは全員、臨戦態勢に入った。テンタが先陣となって洞窟の前に立つと、他のメンバーは自分の持ち場へと走っていった。フーシャには魔法が暴走するといけないから、魔法の使用を抑えるように言うと、10分も経たずに魔獣が出てきた。
「来たわね。仲間の仇…覚悟してもらうわよ!」
二本足で立つ魔獣は、身の丈ほどの大きな斧を両手で構えた。巨体とそれに見合う筋肉を持つ魔獣は2本の角を生やし、牛のような顔をしていた。目が赤く光ると天を見上げ叫んだ。辺りの木々が強風に当てられたかのように激しく揺れ、多くの葉が大地を舞った。
「あれは、ミノタウロスなのか?」
魔獣の見た目は俺の知識の中にあるミノタウロスと言う生き物にそっくりだった。
「ミノタウロス…その名の魔獣がここに居るとは思えないわ」
フーシャは険しい顔をしてミノタウロスである事を否定する。
魔獣の叫びで揺れた木々が落ち着き、舞い散る葉が地面に落ちると、テンタが動いた。腰に携えた刀はそのままで、特殊能力を使い異空間から小さな短剣を5本ほど指に挟んだ。両手で挟んだ短剣をすぐさま交互に魔獣へ投げつけた。狙い所は良かった。2本は両目に向かって、1本は心臓部分に、残りの2本は両足に向かって飛んだ。
魔獣に向かって一直線に飛ぶ短剣は、刺さるかと思われたその時、魔獣は見た目に反して敏捷な動きを見せた。目に向かって飛ぶ2本を斧で叩き落とすと、ジャンプをして足に向う2本を躱す。上方に高く飛躍すると、心臓部分に向かっていた短剣は軌道を変えて、上方の魔獣に向かって飛び舞う。魔獣に刺さったかと思われた短剣は、肉体の筋肉に負け、弾き返された。無傷の魔獣は両足でずっしりと着地した。地面が揺れると地割れが起きた。
ここで事前に仕掛けた罠が発動する。地面のひびが魔獣の周りを囲み大きな落とし穴が空いた。穴の底には湯気の立つ熱湯が溜まっており、熱湯の中には多くの槍が穂先を上に向けて設置してある。体勢を崩した魔獣は背中から落ちていく。熱湯に触れると同時に複数の槍が背中に刺さる。しかし、魔獣の肉体は非常に硬く、槍は次々と折れていった。それでも傷口から入る熱湯は魔獣に多少のダメージを負わせた。足がつかず藻掻く魔獣はそのまま沈んでいくと、体全体が熱湯に浸かるとこを確認すると、木陰に隠れていた魔法使いが姿を現し、氷魔法を使い熱湯を凍らせて魔獣を氷の中に閉じ込めた。
「やったか?」
「氷攻めから抜け出せる魔獣など数が知れとるけどな…」
「この魔獣が数少ない事例の一匹に当てはまるのなら、小細工は通じないぞ…」
テンタと魔法使いが氷漬けになった魔獣を見ながら考察していると、氷にひびが入った。氷のひびは瞬く間に全体へ行き渡り、割れたと同時に魔獣は大きく飛躍した。飛び散る氷のつぶてを腕で防ぐと、敏捷な魔獣は一瞬で魔法使いの後ろに立った。
「え、ちょっと…」
横っ腹に向かって振りかざされた斧は、魔法使いが体勢を整える暇もなく当たる。幸い斧は杖に当たったが、勢いが想像以上に強く、大きく後方へ吹き飛ばされた。一直線に飛ばされた魔法使いは全身を木に打ち付けると、むち打ちの状態になり意識を無くして倒れた。
命に別状はないのだろうか?多分骨の何本かはいっているはずだ…助けに行きたいが、今ここを動くと殺られるという空気が漂っていた。毒も熱湯も氷漬けも効かない魔獣は鋭い眼光で飛ばされた魔法使いを睨んでいた。
「こっちよ!バケモン!」
テンタは再び短剣を投げ魔獣の注意を引きつけると、森の奥に走っていった。魔獣は雄叫びを上げると、地面を踏みしめ後を追った。邪魔な木々を次々と切り倒していく魔獣は次第に動きが鈍くなり、テンタの目の前、あと一歩で攻撃出来る所まで追い詰めると動きが止まった。振りかざすであろう斧を構えたまま止まった魔獣の周りには、無数の糸が張り巡らされていた。光が反射して視認できた糸はとても硬く、抵抗する魔獣の肉体に捻り込んでいく。肉を切り骨まで達した糸はブチブチと切れていく。
「流石に骨までは無理か…」
魔獣がもがいていると魔法使いと弓使いが遠方から攻撃を始めた。攻撃は当たっているがダメージはあるのだろうか…と言うほど魔獣の暴れる動きは収まらない。やがて体の糸が全て切れると、激怒している魔獣は斧を大きく振りかざすと、大きな声を上げながら大きく振り切った。モーションの大きい魔獣の攻撃をメンバー全員躱したが、辺り一面の木々が綺麗に全部切り倒され隠れていたメンバーも全員姿が顕になった。
「ここからは総攻撃だー!」
「よっしゃ!待ってました!!」
テンタは咄嗟に叫ぶと、大きめの太刀を両手で持ち切りかかると、魔獣の斧と鍔迫り合いを始めた。隙を見て戦士、騎士が背後から攻撃をする。体勢を崩す為に足を狙うが、魔獣の肉体は硬く剣が通らない。
ちなみに俺は、テンタの援護という名目でフーシャと一緒に魔獣の死角で様子を伺っていた。決してビビっている訳では無い!!
魔獣は斧を振り回すと、近くにいたメンバーは全員後ろに下がる。それと同時に遠方から魔法使いが援護する。火の玉や氷の塊が魔獣目掛けて襲うが、耐性を持っているのだろうか、全く効いていないように見えた。
「こいつ硬すぎねぇか?」
「斬りかかっても体は硬いし、魔法もたいしてダメージなさそうだし。どうするマスター?」
「まさかワイヤートラップまで壊すとは思わんかったな…」
メンバーの連携は完璧に近かった。隙を見つけては次々と攻撃を繰り返し魔獣に休む暇を与えていなかった。しかし、魔獣の防御力はそれを遥かに上回り、決め手というものが掛けていた。
「闇雲に攻撃しても駄目だね。弱点らしい弱点も無いし…あれをやるか」
接近戦で戦っている騎士と、戦士に魔獣の足止めの指示を出すとテンタは魔法使いの所まで下がった。
「攻撃と速度、あと貫通の補助魔法を掛けて頂戴」
魔法使いはそれぞれ自分が得意とする補助魔法をテンタに掛けた。体から赤、緑、黄、青色のオーラが次々と溢れると、両手を握るテンタは身体能力の向上を感じている様子だった。補助魔法が掛け終わると、テンタは空を見て口を開いた。
「はぁぁ、本当はこれ使いたくなかったんだけどな…」
テンタはため息と一緒に小言を挟むと、魔法使いにお礼を済ませ最後尾まで下がるように指示を出した。魔獣に向かって優雅に近付くテンタは白兵戦メンバーに大声で指示を出した。