第14話 精霊魔法
荷馬車に揺られながら外を眺めているといつの間にか眠っていた。何時間寝ていたのだろうか、ふと目を覚ますと荷馬車が揺れていないことに気付き外を確認した。荷馬車は道の端で止まっている。俺は馬の手網を引いていた男に声をかけるとこちらを振り返った。
「すみません、少し休憩しておりました」
そう言うと男は再び荷馬車を動かした。寝起きで頭がぼんやりしているせいか男の目が赤く光ったような気がしたが、女王の用意してくれた荷馬車が何か企んでいるとは考えにくい。それよりも眠気が強くこの状況を軽く捉えていた。念の為少し警戒して座ると再び睡魔が襲ってきた。耐えきれない俺はそのまま目を閉じると、フーシャの肩に頭を預けた。気持ちよく寝ていたのだが、10分か20分位だろうか、馬が大きな叫び声を上げると俺は一気に目が覚めた。慌てて外を確認すると馬は荷馬車を置き去りにして走り去っていた。こんな状況でもスヤスヤ寝ているフーシャを叩き起すと俺は外の異変に気付いた。
「ゴブリンの群れだ」
周りが木で囲まれた広場のようなところに目視できるだけでも100匹以上のゴブリンがいた。棍棒を持つものがほとんどだが、中には杖や剣を持つものやゴブリンとは思えないほど大柄で筋肉質なゴブリンもいた。この状況はやばいと思い、俺は荷馬車を動かしていた男の肩を叩いた。
おかしいとは思っていた。そもそも荷馬車を引く人間が簡単に馬を野放しにするわけが無い。抵抗が強ければ俺達の乗っていた荷台に衝撃がくるはずだが、特に揺れることもなかった。荷馬車の男がどれだけの仕事歴なのかは分からないが、女王が用意した人間なので安全な道を知っていてもおかしくはない。夜は特に魔物や盗賊の類が多いので尚更だ。それなのに荷馬車の男は声を上げることもなくただ座っているだけだった。
予感は的中。俺が男の肩を軽く叩くとそのまま置物のように崩れ落ちていった。仰向けに落ちた男は既に死んでいた。腹部と喉の辺りに複数の刺傷があり、大量の血が流れたのだろう、服が赤く染っていた。人の死という慣れない光景を見た瞬間俺は気分が悪くなった。怒りの感情もあるがそれよりも吐き気の方が上回る。
「落ち着いて、大丈夫よ。その男はもう助からないけど、あれぐらいのゴブリンなら何とかなるわ」
正気を失っていた俺をフーシャは後ろから抱きしめ勇気づけてくれた。落ち着いた俺はこの事態を脱するために状況の把握を始めた。
ゴブリンは一見無造作に散らばっているように見えるが、全員が真ん中の木で作られた大きな十字架に注目していた。十字架の両脇には鎧を着た大きいゴブリンが2匹立っている。付近を杖の持ったゴブリンが10匹程。さらにその周りを囲むように棍棒を持つゴブリンや狼のような獣に乗ったゴブリンも目視できた。
「種類も量も多いな。一体あいつらの目的はなんなんだ?」
「夜に大規模で集まるゴブリン達がやることは決まっているわ。戴冠式よ。今から上位個体のゴブリンが出てくるはずよ」
フーシャの予想は見事に的中した。有象無象のゴブリン達を押し退け一際大きいゴブリンが姿を現した。2mぐらいあるのだろうか、一般の冒険者より大きいゴブリンは拳を振り上げると雄叫びをあげた。それと同時に周りのゴブリン達も次々と吠えだした。お祭り騒ぎの広場を囲うように設置している松明の火もゴブリン同様に激しく揺れている。
「俺達これからどうしようか?」
逃げようにもここは森の中だ。現在地が分からない上に大量のゴブリンに追いかけられたらすぐに捕まってしまうことは簡単に予想出来た。
「そうね〜…ゴブリンの戴冠式には人の贄を使うって聞いたことあるわよ」
「人の贄って………もしかして俺達のこと!?」
「荷馬車の人は死んでるし、ここに生きて居るのは私達だけみたいだからね。十中八九狙われると思うわ」
「そういえば御者の人は…」
俺は先程崩れ落ちていった男の方を見ると、男の姿は綺麗さっぱり無くなっていた。暗くてわかりにくいが、よく目を凝らして見るとゴブリンに引きずられた血の跡があった。血の跡は中央まで伸びていくと、男は十字架に貼り付けられた。どうやら大きいゴブリンに気を取られていた間に動いていたみたいだ。
「なにをするんだろう?」
「血を抜くのよ。あそこの杖を持ったゴブリンが魔法で体内の血一気に抜き、血の雨を降らせることで儀式が始まるはずよ」
「詳しいのだな…」
「常識よ」
「それで、黙って見ているのか?」
「あの人はもう死んでいるからね。駆琉はどうしたいの?」
「亡くなった人を無闇に乱暴するのは男としては黙っていられない!それ以前に人間である俺はあいつらの生き方が許せない!」
「優しいのね…いいよ。私が全員焼き払ってあげるわ」
フーシャはいきなり荷馬車から飛び降りると、杖を構え魔法を唱えた。
「大気に飛び舞う火の精霊よ敵に縋り付き焼き払え」
暗闇の中、魔法を唱えたフーシャの体には赤くぼんやりとした光が無数に飛び回っていた。赤い光がフーシャの姿を照らすと、それに気付いたゴブリン達が奇声を発しながら襲ってきた。棍棒を持つゴブリンが1番にこちらへ向かってきた。切り込み隊といったとこだろうか、その後ろには弓を構えたゴブリンもいた。しかしフーシャはゴブリンの接近を無視して遠くを見つめていた。その場を動こうとしないフーシャの周りをぼんやりと漂う無数の赤い光は、やがてフーシャの周りに壁を作るように囲い、ゴブリンがすぐ目の前まで近付いた時には矢が通る隙間がないほど密集していた。
「ガッハッガッハッ!」
「グッワッワワ」
笑っているようにも聞こえる奇声を上げながらこちらに向かってくるゴブリン。先頭の一匹が赤い光に触れると、その瞬間
「ヴォッ!」
一瞬の出来事だった。棍棒を振り上げながら走ってきたゴブリンは肘が赤い光に触れた。そこから1秒も立たない速さで全身に火が回ると、壁にぶつかって押し返されたようにひっくり返るゴブリンは火を振りほどこうとしていた。しかし、その動きは数秒で止まった。先頭のゴブリンと一緒に何匹かは丸焦げになったが、野生の勘が働いたのか、他のゴブリンは無策に突っ込むことはなく躊躇していた。後方で弓を構えるゴブリンが矢を放つ。意志を持っているのだろうか、赤い光の間を通り抜けそうな矢を自ら当たり燃やして落とした。
「凄いでしょ?これが精霊魔法よ。体内の魔力を放出して使うのじゃなくて大気中の精霊に魔力を与えて使うのよ。そして、これをこうして…」
フーシャの周りに浮いている赤い光は火の精霊だった。通常、精霊は触れても特に害は無いのだが、魔力を与えると精霊の持つ属性に沿った反応を起こすそうだ。今回の精霊は文字通り火の属性を持っており、触れた相手を燃やす特性を持つ。精霊に魔法を注ぐのは誰にでもできることではなく素質のある者しかできない。素質があっても基本は一種類の精霊にしか干渉する事はできない。
フーシャは両腕を大きく広げると、そよ風程度の風魔法を使った。魔力を持った精霊は風に乗ってゴブリンの集団に向かってヒラヒラと飛んで行った。精霊がゴブリンに触れると一瞬で体を包み燃やした。無数に舞い浮かぶ精霊はゴブリンを次々と仕留めていく。やがて精霊は奥のゴブリンの所にまで届いた。精霊は鎧を着ていようがお構いなく全てを燃やした。1番大きなゴブリンは頑丈な肉体を持っており2、3発は何とか耐えていたが、すぐに多くの精霊に囲まれ焼き尽くされた。フーシャが風魔法で精霊を飛ばしてからものの数分で100匹以上いたゴブリンの群れは全滅した。ゴブリンが全滅してからも精霊は無数に群がっていた。これは誰がどう見ても完全勝利と言える光景だった。
「凄いな!あのゴブリンの群れをこんな短時間で壊滅させるとは」
「どうよ?これが攻防を兼ね備えた私のオリジナル秘術、蛍火よ」
フーシャは自慢げに技の名前を紹介すると、それと同時に悪びれた表情をした。
「駆琉さん…」
フーシャが俺の名前を呟きながらこちらに近づいてくると笑顔でこう言った。
「この蛍火ね、燃やさない限り消えないの!」
俺は初め何を言っているのか分からなかった。
「蛍火をって、この精霊を燃やすってことか?」
「そうじゃなくてね…私の魔力に反応した精霊は何かに取り付いて燃やすまで消えないってことよ」
「……。」
沈黙の時間が流れた。俺の頭が今の状況を理解するのに時間はかからなかった。何かに取り付いて燃える無数の精霊と、周りを木に囲まれたこの場所。俺は両手を合わせ神に祈った。
「あぁ、神よ。どうかこの精霊達を全て使ってこの馬鹿を焼いてください。」
「あら〜、酷いこと言うのね。そんなこと言うと自分に燃え移るわよ」
「えぇー!?これ俺に触れても燃えるのか?」
「そりゃ、炎が浮いているようなもんだからね。私は触れないように風の加護を付けてるから問題ないけどね」
「ちょっ、ちょっと!それは駄目でしょ」
ゴブリンを焼き尽くした無数に漂う希望の光が一瞬にして絶望の光に変わった気がした。俺は咄嗟にフーシャに抱きつく。
「あぁ、フーシャのいい香りが…違う違う。これで風の加護が俺にも付くか?」
「抱きついてくれるのは嬉しいけど、加護が欲しいのなら手を握るだけで大丈夫よ。」
精霊が燃え移ることがなくなったと安心した俺は、はっと我に返ると目と鼻の先にフーシャの顔があった。
こうして改めて近くで見ると本当美人だな〜。色白の顔に艶やかな肌。おっとりとした大きな瞳に頬が少し赤らめていた。
フーシャに見惚れる俺の視線の奥では一本の木が燃えていた。強引に現実に引き戻された俺は何とか火を消した。火が燃え移ることはなかったがまだ安心はできない。火が周りに燃え広がってしまってはこの森林一帯が焼け野原になってしまう。ここが何処かは分からないが森は基本、街か国が管理をしているのでタダで済まないとこは分かっていた。俺はどうにかこの無数の精霊を消す手段を考えた。
「時間が経ったら消えるとかないのか?」
「精霊は対象を燃やす時にだけ魔力を使うからこの状態だと半永久的に飛び続けるわね」
「じゃ、水魔法で消すとか…」
「私、水魔法は得意じゃないのよ。ここら一帯が湖になってもいいのなら…」
「それは駄目だ!」
「暴走すると海になっちゃうかもね」
「もっと駄目だぁー!!」
中々良い案が見つからずそわそわしていると近くの木に精霊が触れ火が燃え広がり始めた。徐々に火は広がり2本、3本と木が燃えていく。
「やばいぞ、フーシャなんか良い案はないのか?」
「そうねぇ、風魔法を応用すれば何とかなるかな」
フーシャは草木がこれ以上燃え広がらないように燃えている所と燃えていない所の境目に風魔法を使い、下から上に向かって風の壁を作るようにした。四方に張り巡らされた風魔法は次第に箱のように燃えている木々を囲った。
「これで一先ず燃え広がるのは止まったわね」
「ちゃんと処理方法あったのか…」
「放置すれば駆琉が近付いてくると思ったからね。まさか抱きついてくれるなんて思ってなかったけど!」
「確信犯め…さて、これからどうするか…」
燃え広がるの草木と舞い散る精霊、いくらフーシャの魔力が底知れないからと言っても長々と維持してもらう訳にもいかないと俺は考えた。
「そうだ!落ちてる枝を投げて燃え広がってもらおう!」
俺は近くに落ちている枝や石を投げた。しかし、効率がとても悪い事に俺はすぐ気付いた。そうしていると燃え尽きた火は消えて風の檻の中には俺達と精霊だけになった。
「この風の檻は小さくできるのか?」
「大丈夫よ。精霊同士がぶつかっても燃えることはないから問題もないわ」
「それじゃ頼む」
フーシャは風の檻を徐々に小さくしていった。風の檻は俺たちの体を通り抜けるとぶつかる精霊を跳ね返しながら1辺10cm程の箱になった。
「この位の大きさなら魔力の消費は限りなく少ないから何時間でも持つわよ」
フーシャは得意げに風の箱を手の上で転がした。




