幕間 ”魔物の姫”のナノハ
『ファウテルの街』からわずかに南。1つ、群を抜いて大きな山がある。もう初夏になろうというこの季節であるというのに、山の頂点には未だ雪が積もり冬景色を覗くことが出来た。
そこに1つの兵団がいた。身に纏っている防具は軽量に絞られ、胴には大きくファウテル家の家紋が描かれている。つまり、彼らはファウテル家の私兵団だ。
「俺たちは今から伝説になる!」
その兵団の中で1人だけ明らかに恰好が違うものが、集団の先頭にたって大きく吠えた。顔は何とも美麗。鍛えあげられた身体が防具の外からでも見てとれるほどに筋骨隆々。しかし、彼を初見で恐ろしいと思う者はいない。
それは彼の顔ににじみ出るほどの人の良さ。誰からも厚い信頼をよせられ、またそれに応えれる高い能力の持ち主。『ファウテル家』当主より、此度の黒竜討伐の任を任せられた『ファウテル家』家督継承権第2位の英傑、ノフェス・ファウテル。“慈悲深き”ノフェスその人である。
「ファウテルの名に懸けて、我々は民草を守る義務がある! 相手が黒竜だろうが、神だろうが我らの後ろに民がいる限り、負けることは許されない!」
ノフェスの言葉を聞きながら、私兵団たちは心を引き締めた。彼らにはファウテルの街に残した子供たちや家族たちがいる。ここで黒竜を殺さねば、次は必ず街が犠牲になる。
黒竜はひどく気まぐれな存在だった。時折、ふらりと街に現れるとただあたりを蹂躙して去っていく。だが、住処が『最果て』の向こうということで犠牲になる街も必然的に『最果て』付近の街だった。
しかし、此度の黒竜は違った。彼はまっすぐこちらに飛んでくると、ファウテルの街の上空を威嚇するようにぐるりと回って、このヒャルマ山に降り立ったのだ。ファウテル家はすぐに黒竜に使者を出した。
どうしてファウテルの街に近づいたのか、と。
すると、黒竜は笑いながら答えた。『供物を欲する』と。供物の条件は健康的な10代後半の女性。それを1日に1人この山の麓まで寄越せというのだ。ファウテル家としては到底飲み込めるような条件では無かった。
そこで、ファウテル家は私兵団を動かして黒竜討伐を決意したのだ。歴史上、竜を屠った人間はこの世界に4人しか存在していない。だが1人は既に亡く、残り3人はこの国の国防の要所に配置されている。
ここで黒竜を屠らねばファウテル家に未来はない。
その事実を嫌というほど理解している兵士たちは気を引き締めてことに当たろうとしているのだが、それを破るように1人ののんきな欠伸の声が演説中のノフェスの声に混じった。
「ふぁあ~」
「おい! そこの狩人! 聞いているのか!!」
「聞いてるよ~」
「しっかり気合を入れろ! 相手はあの“輝ける”オリオンだぞ!」
少女の体躯は小さい。身長は140cmくらいしかないだろう。けれど少女は、1m90cmはあるノフェスを見下ろしていた。何故なら彼女は2mもあるゴーレム――白銀色に輝き、この世の汚れを一切受け付けないような煌めきを放っているゴーレム――の上に座っていたからだ。
「だいじょーぶ。だって私だよー」
「…………くっ」
いかにノフェスと言えども、彼女の言うことを聞き流すことは出来ない。何しろ、彼女は2週間前に突如としてファウテルの街にやってきた“稀人”だからだ。彼女はことごとく伝説を作り上げると、ファウテル家当主にひどく気に入られ今回の討伐作戦に同行することになったのだ。
【使役者】ナノハ。
彼女はモンスターを自分の仲間に出来る“スキル”を持っているのだという。彼女が乗っているゴーレムはファウテルの街の東にある超高難易度ダンジョン、それの最終ボスである『ミスリル・ゴーレム』だ。
他にもスライムやワイバーン、『骸骨の狂王』や『原初の古狼』なども配下にいるという噂を小耳にはさんだことがある。
ノフェスのいうことを聞かないということを除けば、ここにいる最高戦力の持ち主と言ってもおかしくない人間である。
「おばあ様が、君に期待していることは分かっている。だが、これは私たちの問題だ。私たちだけで何とかしてみせる」
「うん。それならそれで良いと思うよー。別に私はお金貰えるし」
「ありがとう」
ノフェスは彼女に一礼すると、部下たちに指示を出した。
「斥候部隊は模擬戦通り12に分かれて展開!」
「工兵部隊は屠竜砲の設置開始!」
「歩兵部隊は魔法狙撃部隊と共に位置につけ!」
今回、ファウテル家が用意出来た屠竜砲はたったの3つ。だが、直撃さえすれば黒竜の命すら脅かす必殺の兵器である。魔法工兵たちが重たい部品を魔法で持ち上げて組み立て開始。その周りでは偽装のために、屠竜砲に良く似せられた砲台が12も作り上げられていく。
それに伴って砲兵たちが観測手と共に屠竜砲の配置につく。それらが行われている間に、歩兵部隊は周囲に散開。竜の覇息によって、一度に壊滅することを避けるためである。ノフェスの指示から全ての工程が完了するまでわずかに5分。ノフェスが誇る鍛え抜かれた精鋭部隊だからこそなせる業。
黒竜の動向は気まぐれとしか言いようのない。ファウテルの街に現れる日もあれば、ヒャルマ山から姿を見せないこともある。だから、彼らはそこで待つ。ただひたすらに、敵となる竜が現れるのを待つのだ。
「ねー、大将。お菓子食べる?」
「要らん」
ナノハはどこからか取り出したイチゴのパフェを『ミスリル・ゴーレム』の上で食べ始めた。その隣では張り詰めた顔をしたノフェスが、緊張を隠そうとしながらも隠せていない顔で立っている。彼が取り乱せば、必ず部下が取り乱す。そのため、ノフェスに求められることは何よりも余裕を持って立っていることなのだが、竜殺しというのは若い彼にとってあまりにも抱えきれないことだった。
「ビビってる?」
「…………あぁ」
2人しか聞き取れないような小さな声でナノハはノフェスに話しかけた。
「やっぱり」
ナノハはそう言って最後のために残していたイチゴを口に放り込んでうっとりした顔を浮かべた。
「もっと気楽にやればいいのに」
「…………相手は、黒竜だ。油断すれば、やられる」
「私がいるからだいじょーぶだよ!」
「……そうだな」
ジリジリと時間だけが過ぎていく。ナノハは待ち疲れたのか『ミスリル・ゴーレム』の手の上で横になって眠り始めた。
ノフェスは初めてナノハの神経に戦慄を覚えた。“稀人”だから竜の恐ろしさが分からないのだろうか。それとも、それなりの自信の表れなのだろうか。ノフェスは目を伏せて、せめてもの緊張をほぐそうとした。
報せは突然に訪れた。
「第2歩兵班より報告! 黒竜の姿を捉えたということです!!」
「斥候はどうした!?」
ノフェスはその瞬間、弾かれたように振り返った。
「ぜ、全滅したと!」
「竜は北西から来ているんだな!?」
「は、はい! そのはずで……」
その瞬間、今まで眠っていたナノハが起きあがった。
「お願い! ゴーちゃん!!」
刹那、彼女の乗っていた『ミスリル・ゴーレム』が左手でノフェスを掴むと投げ飛ばしたッ!
「なッ!」
一瞬、遅れて光が作戦本部を包んだ。あまりに激しい光に思わずノフェスが目をつむる。空中を飛ぶ浮遊感が、やがて重力に引かれる不快感に変わった瞬間に目を開けた。光が流れさると同時に、そこにあった物が何一つとして残ってはいなかった。
作戦本部も、彼に忠誠を誓ってくれた専属従者たちも、何とか用意した屠竜砲も、散らばっていた兵士たちも、そしてナノハも何もかもが無くなっていた。
そして、ノフェスは見た。
かの黒竜は地面に触れるか触れないかという低空飛行によって私兵団に肉薄すると、そのまま低出力の覇息で兵士を炙ったのだ。
「ありえない……ッ!」
竜は誇り高き種族だ。地面から逃れられない人族を鼻で嗤い、天高くからこちらを見下す種族だ。だから、彼らが人間と同じ高さに降りてくることなどあるわけがない。何よりも、最も傲慢な竜と名高い輝きのオリオンがまさか人の高さに降りてくることなどあるはずが……。
「愚かだ」
ノフェスは地面に着地すると共に、最強種の声を聞いた。その声が聞こえるだけで生物としての根本が違うと思い知らされる。見上げると、そこには黒く煌めく鱗に身を包んだ竜がいた。
こんな状況じゃなければため息をつくほどに美しい光景だっただろう。だが、黒竜に見下ろされるというこの瞬間において、彼は竜という生き物に感激することは許されない。
愚かにも天に歯向かった羽虫の如き惨めさでもって罪を懺悔することしか、許されない。
「実に、愚かだ」
輝けるオリオンは、ノフェスを見下ろして笑った。
「将だけ残るか」
「…………っ!」
竜は人と同じ高さに降りてこない。それを前提に作られた兵器である屠竜砲は、地面と水平に射撃できるよう設計されていない。輝けるオリオンはそれを知っていたのだ。
いや、違う。その頭脳で推測したのだろう。彼は傲慢であるが、人という種族を侮ってはいなかった。時には神すら屠る人という種族を。竜は最強種。それは、何よりもその力だけを指すのではない。人を遥かに超える優れた知性と、高い魔法適性。そして、比類なき膂力でもって最強である。
「答えることを許す。この愚行は誰が意図した」
「……この、私だ」
ファウテル家に押し付けてしまえば、輝けるオリオンは決してファウテル家を許しはしないだろう。ならば、ファウテルの街で暮らす民たちは必ず犠牲になる。今まさにノフェスが竜を殺せるはずだと、英雄になってくれるはずだと期待してくれている民たちが、死ぬことになる。
それだけは、避けなければいけない。
「人の身で竜に抗うか」
黒竜は大きく笑った。
「その蛮勇に免じて名乗ることを許そう」
「私はノフェス! 慈悲深きノフェスだ!!」
ノフェスはそう宣言すると共に魔法を発動。すばやく腰から30cmはある鉄製のピンを抜くと、指で握った。
ジジジジッ!! 周囲に雷が走り、青白く弾ける。空中にはノフェスだけが見ることを許された電磁場が出現。指で握ったピンに電磁場が大きくかかり、そして発射。
比較的遅い初速は不可視のゲートを通ることにより加速。人の鎧では止めることの出来ぬ絶対の弾丸。直撃すれば苦しむことなく即死する。故に、“慈悲深き”ノフェス。
その術は多段式のコイルガン。彼が見つけた必殺の術式に、オリオンは合わせるようにふっと息を吐いた。それはわずかな覇息。直撃すれば竜の鱗にも届かんとする絶対の一撃は、しかし届かず空中で消し飛んだ。
「か弱きノフェスよ。せめてもの慈悲だ。受け取れ」
竜の口腔が大きく開かれた。……本物の覇息!
かつて竜の覇息は千の軍勢を熔かし、万の民草を消したという。その伝説がノフェスの前で開かれて、
「モルちゃん! いっけぇええええ!!!」
ぞっとするほどの根源的恐怖が世界を支配した。
「か、はっ……」
ノフェスの足がぶるぶると勝手に震える。背中に冷たくて熱いものが勝手に走った。肺と心臓が締め付けられたかのように息が出来ない。吸っても、吸っても、楽にならない。黒竜は恐怖が世界を支配すると共に空中に飛んでいた。
何とも賢明な判断だろう。自分の力を信じていながら決して油断していない。
その時、目の前に闇があることに気が付いた。闇はどぷん、と脈打つとざぁあぁああとあふれ出す。その闇がノフェスの足をなでていくのを彼はどこか他人事のように見ていた。
何故なら、天にも届かんとする巨大な骨の腕が黒竜を捕まえていたのだから。腕の高さは30mほど。だが、まだ腕の関節が見えない。腕の出現位置に近いノフェスは首が痛くなるほどに大きく上を見上げると、その腕は体長50m以上もある巨大なオリオンを握りしめていた。
――天を統べる最強種が竜であるのなら。
冥府を統べる最強種が、それだ――。
「好きにやっていいよ! モルちゃん!!」
“冥王”モルス。地の底の最強種である『骸骨の狂王』の腕が黒竜の身体を山の斜面に叩きつけると、そのまま地面にこすりつけて投げ飛ばした。そして、巨大な骨の腕はそのまま闇の底へと消えて行く。
「もー! 恥ずかしがりやなんだからー!!」
宙に浮く少女は、ワイバーンの背に乗って空を旋回していた。
「おー! 大将!! 生きてた?」
そして、ノフェスを見つけて近寄ってきた。
「き、君は覇息を受けたはずじゃ……」
「ん? ああ、ゴーちゃんがいるからだいじょーぶだよ!」
そういって、にかっと笑った。
「ご、ごーちゃん……」
ノフェスは閉口。彼の無事を確認したナノハは再び上空に飛び上がった。
「見損なったぞ、“冥王”。まさか人の軍門に下るとはな」
「ねえ、オリオンさん。君もどうかな? 私の仲間にならない?」
「人が我を愚弄するか」
それが返答。黒竜の覇息は空をかけるが、それよりも先にワイバーンは回避行動をとっている。
「今なら痛くなくてすむよ?」
ナノハはそう言うが、その返答とばかりに覇息が連続して放たれた。ジィイイイイン!!! 激しい重低音と共に黒竜の覇息が山を削っていく。
「そっか。じゃあ、分からせないとね。お願い、ミーくん!」
“天閃”のミチオールは、最速の種族であるワイバーンの中で誰よりも速いと自負する一匹である。ミチオールはナノハの言葉に軽く啼いて返すと、竜の雨の様な覇息を天の隙間を縫うようにして全て回避して、肉薄。
「ちょっとごめんね」
その時、ナノハの手元に莫大な魔力が集まるとそれ全てが形質変化。炎の魔大剣へと変化する。その刃が黒竜の鱗に触れた瞬間、どぷっと音を立てて最強種が誇る無敵の鎧が融解。そのままミチオールが駆け抜けると同時に、輝けるオリオンの身体に一本の熱線が刻み込まれた。
「……グレンの熔剣」
ぽつり、とノフェスは呟いた。それが贋作であると知っているのはミチオールとナノハの2名だけ。4分割された【創造魔法】はこの程度の創造までは可能にする。
「どう? 私の仲間にならない?」
「…………ッ!」
痛みに耐える様に輝けるオリオンは歯噛みした。
「大丈夫だよ! 仲間になってくれたら痛い思いはさせないから!」
「………………」
「それに、あなたの夢も手伝ってあげる!」
「…………それは」
1滴で一生暮らせると言われている竜の血が地面を汚していく。それは寄り集まって川になると、下へ下へと流れていった。
「それは、真か?」
「もっちろん!」
「…………」
オリオンはしばらく考え込むような仕草を見せていたが、大地に立っている『ミスリル・ゴーレム』と、そして先ほどからこちらを威嚇してくる大地の最強種の気配を常に読んでいた。そして、
「……負けだ。貴様の軍門に下ろう」
「やったぁ! じゃあ、名前がいるね! おー君でどう?」
「……構わない」
「じゃあ契約成立だ!」
ナノハがそう言うと、ぱあっと光が両者を包む。スキル【使役者】の成す、魔物との契約である。
「“……姫”」
ノフェスはその光景を見ながら、そう言った。
「“魔物の姫”……ッ!」
【使役者】はいかなるモンスターでも自らの配下となし、どこでも好きなタイミングで呼び出せるというスキルである。
それは確かに強い。ただの【使役者】では辿りつけない世界に、しかし【創造魔法】があればたどり着ける。だが、【使役者】の本来の能力はソレではない。
【使役者】は成長するにつれ、多くのモンスターを配下に出来る。故に、多くの者は考える。モンスターと戦うのではない。使役者を直接殺そうと。だから、神から与えられたスキルは有象無象を制するために通常の“使役者”スキルとは異なる能力が与えられている。
【使役者】は、使役するモンスターたちの力を自らの力に加算する。
少女が統べるは、冥府の最強種『骸骨の狂王』に、大地の最強種『原初の古狼』。そして、天の最強種『黒竜』。
故に、姫。
“魔物の姫”のナノハ。
――ユツキの最初の敵である。