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夢観の八葉

足枷と名前

作者: 穹向 水透

13作目です。よろしくお願いします。

       1


 ここには光はない。ましてや、救いもない。

 冷たい部屋には何もない。

 人間の尊厳なんてものは、とうの昔に死んでしまった。いや、そんなものは最初から存在していなかった。

 最後に太陽の光を浴びたのはいつだろう。産声を上げてから約十年、最後の空の記憶は一年ほど前。あの時は灰色の重い雲が何処までも何処までも広がっていた。

 その風景は色褪せることはない。この身体を、心臓を鳴らすのは、その風景をもう一度見たいという想いだからだ。

 ここには光はない。

 それでも、この心が暗闇に溶けないように、呼吸をして凌いでいる。

 遠くで怒号が聞こえる。

 それはどちらの声だろう。耳を澄ましてみると、それは酷い嗄れた声で、人間というより、獣の咆哮に似ていた。

 部屋の入り口から廊下を覗こうとした。強固なドアの上部に、丸い穴が空いている。そこから覗こうと、跳ねてみたり、よじ登ってみたりするのだが、巧くいかない。一メートルとちょっとの身長では届かなかった。

 咆哮の主が部屋の前を通り過ぎる。やはり、『商品』だ。「離せ」だとか、「殺すぞ」だとか、強い口調で叫ぶが、そんなもの無意味だ。

 足に枷が付いた時点で、人権は失われるのだ。

 咆哮の主は、少し離れた部屋に入れられたらしい。スタッフが蹴り飛ばしたのだろうか。大きな音と、断末魔にも似た声が一瞬聞こえたが、すぐに静かになった。鎮静剤が打たれたのだろう。鎮静剤を打たれると、どんなに獰猛な大男も獣も、悲しみに沈められたように部屋の隅で動かなくなる。商品を作る過程のひとつだ。



 僕は誰かって?

 えっと、僕は商品。名前は多分ない。

『枯れ枝』って揶揄されることがよくある。あと『シケモク』とも。

 髪の毛は灰色。ちょっと長め。瞳の色は……わかんない。歯は、前歯が一本欠けてる。

 得意なことは何だろう?

 歌うこと? いや、歌なんて知らない。

 絵を描くこと? 筆なんて持ったこともない。

 計算をすること? 足し算すら怪しい。

 媚びること? 下手だからここにいるんだ。

 じゃあ、苦手なことは?

 歌うこと。

 絵を描くこと。

 計算をすること。

 走ることも苦手。足がちょっと悪いんだ。

 遊びの相手も下手。ルールが飲み込めないから。

 生きてる価値は?

 多分ない。


       2


(らく)様、どちらへ行くのですか」

 低いゆったりとした声がする。

「また、賭博ですか? 確かに落様は強運ですが、それが永遠だなんて思ってるわけではありますまい」

「違うよ、春垣(はるがき)

「では、何処へ?」

「うーん、賭博でもいいんだけど、飽きちゃったからね。儲けた金で何か買おうかなって。いくら儲けたんだっけ?」

「ざっと二億程度ですかね」

「悪くない」

 細めの顎を撫でる。骨の感触がした。

「何かとは、何でしょう?」

「うーん、あんまり考えていないけど、どうしようか。別に物件とかは興味ないし」

「では、奴隷は如何でしょう?」

 春垣が変わらないテンポで言った。

「奴隷?」

「ええ。最近の流行のひとつですし、落様と同等クラスの方々は皆様、奴隷のひとつやふたつは持っている筈ですよ」

「えー、僕は奴隷なんてのは好かないな。自分の意思で従っていないやつなんて信用できないよ」

「ふむ、左様ですか。しかし、ある一定のステータスではありませんか。長安(ながやす)様をご存知でしょう? 彼は約百体の奴隷を従えているのですよ」

「長安みたいなやつも好かない。人は量じゃなくて質だろう。少なくとも僕はそう思うね」

「しかし……」

 春垣は尚も食い下がる。

「二億もあれば、質の高い奴隷も買えましょうぞ」

「春垣……、どうしてそんなに奴隷に拘る?」

「それは落様の地位を考えた時に、何も持っていないのでは貶されてしまうからですよ。あなたほどの地位で、高価な調度品も芸術作品も、物件のひとつも持っていないなんて奇人も同然です」

「そうなのか?」

「ええ。落様は影で『守銭奴』と呼ばれているのをご存じですか?」

「へぇ、それは知らなかった。それはきっと、僕が金を貯め込んでいるからだろう?」

「そうですな。長安様ほどとは言いませんが、少しは浪費することも大切だと思いますよ」

「ふぅん、それもそうだな。じゃあ、どうしようか。しかし、物や物件は足りているから要らないな。そうなると、奴隷って話になるのか?」

「そうなりますな」

「うーん」

 身体を少し反らし、藍色に移り行く空を見る。何処からか流れてくる煙が邪魔だ。

「そうだな。仕方ない。気は進まないが、取り敢えずは見てみよう。買うか否かは僕次第だ。それで構わないな、春垣?」

 春垣は何度も頷く。

「ええ、勿論ですとも。商品を選べるほど私は偉くありません」

 そう思うなら、金を使えなどと言えるほど偉くもないだろう、と思ったが口にはしなかった。

「そうとなれば、落様。奴隷の売買は二時開始でございます。この付近で、最も大きな店といえば、二丁目の『一美五宮(ひとみごくう)』でしょう」

「あの胡散臭い所だろう? うーん、ちょっと嫌だな」

「まぁまぁ、そう言わず。取り敢えずは行ってみましょう」

「うーん、仕方ない……」

 春垣には引き下がるつもりが全くとしてないようだった。埒が明かないので、一応、行くことにはしたが、依然として気は進まなかった。


       3


 そろそろ、時間だろうか。

 廊下も騒がしくなり始めた。足音に金属音、衝撃音、残響音。あとは泣き声や悲鳴。

 僕の部屋の前にも誰かが立ったようで、鍵穴を弄る音がした後、扉が勢いよく開いた。そこに立っていたのは屈強な男で、僕は掴まれ、抵抗する間もなく連れていかれた。

 男は薄暗い廊下をずんずん歩いて、やがて、広い空間に出て、僕を投げ捨てるように降ろした。

 打ち付けた腰を撫でていると女の声がした。

「大丈夫? こんな小さな子なのに可哀想……」

 僕が声の方を見ると、派手な装飾の服を着た若い女が心配そうな眼をしていた。恐らく、踊り子だろう。借金か何かで売り飛ばされてしまったんだろう。

「何処から来たの?」

 踊り子は優しく訊ねる。

「わかんない。生まれたときから、わかんない」

 精一杯の解答だった。

 自分が何処にいるのかなんて、わかったことはなかった。

「おい、商品ども、オークションが始まるからな。今回はデカい顧客が何人もいるんだ。粗相があったら、タダで引き渡すか、殺すぞ」

 低い声のスタッフがそう言って、僕らを脅す。口答えは出来ない。そんなことをしたら、鞭や棒で叩かれてしまう。今は仮にも売り物なので、頬を叩かれたりはしないと思うけれど。

 スタッフが痩せ細った老人を蹴り飛ばす。老人曰く、もうかれこれ三年は売れ残っているそうで、店側からしたらタダでもいいから売り飛ばしたい存在らしい。故に僕らよりも価値が低く扱われ、オークション前なのに蹴られたりしているのだ。僕は老人が可哀想だったけれど、ここで僕が関わったら、もっと酷いことになるだろう。

 奴隷の待機場の奥、ステージの方から拍手の音が聞こえた。

 ああ、また始まってしまったんだ。

 何も出来ない僕はみんなの前に出されるのが苦手だ。もしも売れ残ってしまったら、自分を肯定できなくなるから。



       4


「さぁさ、東西南北からお越しの老若男女の皆様、本日は人間デパートの一美五宮へようこそ! ここには皆様の長い旅路の鬱憤を吹き飛ばしてくれるような素晴らしい商品が用意してあります。きっと、皆様のお気に召す商品があるでしょう! 進行はこの私、浅草団士郎(あさくさ だんじろう)が務めさせていただきます」

 客席から拍手が雨のように鳴る。

 進行の浅草がシルクハットを取り、頭を下げる。その滑らかな動きは、流石にその道のプロと言える。

「では、ルールを説明致します。今から商品が運ばれてきますので、その商品がお気に召したら、受付で手渡された札を掲げて、金額を告げてください。それよりも上の金額が出なかったなら、その商品はあなたのものとなります。値段に関しては、一部の商品には上限金額が存在します。その場合は、最初に上限の金額を提示した方のものとなります。それでは、最初の商品と行きましょう!」

 彼がそう言うと同時に、ステージの脇から大男が運ばれてきた。顔には覆面、手足には頑丈そうな枷が付いている。

「本日最初の商品はこの男! 数ヶ月前、世間を賑わせたコイツだ!」

 浅草が覆面を剥ぎ取る。

「この顔を知らない人はいないでしょう! 十人を殴り殺した『殺人ゴリラ』です! 本名は……何でしたっけ? まぁ、そんなことはいいのです。彼を使えば、気に入らない奴に復讐なんて容易い! それに喋ることが出来ないようにしてあるので、警察に漏らす心配もない! え、入手ルート? それは企業秘密です」

 浅草が澱みない口調で言う。この浅草のトークも一美五宮の売りのひとつなのだそうだ。

「落様、あれはどうです?」

 春垣が訊いてくる。

「止めておくよ。というより、それは冗談だろう? あんな殺人鬼を買ってどうするんだ? 守銭奴の財宝の番人にでもするのかい?」

「いえいえ、冗談ですよ。流石に不安要素が多過ぎますな」

 金額を叫ぶ声が聞こえてくる。「五百だ」だとか、「千二百だ」だとか、最終的には三千で落とされた。あの殺人鬼の用途は不明だが、何処がそんなに魅力的なのかと疑問に思った。

「次の商品はこちらです!」と浅草が言う。運ばれてきたのは十ばかりの少年だった。異様なのは、背中から天使を模したような翼が生えていることだ。

「皆様、天使です、地上の天使でございます。今、このオークションのために舞い降りてきたのです。この献身的な天使くん、降臨した際のダメージで多少弱っていますので、上限金額は千五百にしておきましょう」

 少年は泣きそうな顔をしている。あの飾りの翼に慈悲などあるわけもなく、あるのは見栄えと苦痛だけだろう。

「悪趣味な……」

「可哀想な子ですが、これといった需要があるとは思えませんな。誰が買うのでしょう?」

「まぁ、見てなよ。僕は何となく買いそうな奴を知ってる」

 そう言い終わるや否や、前方に座っていた毛皮のコートを着た大柄な女が札を掲げ、「千五百」とだけ言った。

「ほらな」

「あれは、熊野御堂(くまのみどう)様でしょうか?」

「ああ、そう。春垣はあいつの評判を知らないのか?」

「すいません」

「あの女は少年少女を集めて、ハーレムを作ってるのさ。これは本当かどうか知らないけれど、死んだ子供の肉を食うらしいぞ」

「何と……悪魔でしょうか?」

「『鬼子母神』の異名は伊達じゃない」

 翼の少年は泣きそうな顔で連れて行かれる。同時に熊野御堂が立ち上がり、会場を出て行った。

「可哀想に」

「しかし、売り物だから仕方ないと言ったらそれまでですな」

「そういえば、ここって非合法なんだろう?」

「まぁ、非合法であることに間違いはないんですが、警察の上層部も利用しているそうなので、揉み消されている感じでしょうか」

「腐ってるなぁ」

 売店で買ったウイスキーを喉に流し込んだ。


       5


「なぁ、君は売られることは怖いかい?」

「え?」

 痩せ細った老人が訊ねてきた。

「売られることは怖いかい?」

「怖いですけど、ここにいるよりはいいかなって」

「そうとは限らないよ。子供好きの暴力男にでも買われたらどうする? 君は殺されるかもしれない」

「だとしたら、殺してくれて大丈夫。死ねば、この足の枷だってなくなるでしょ? 僕が死んだところで損する人なんていないんだし、僕も何も失わないんだから大丈夫」

「そうか。君は偉いな。おれは売られるのが怖くて怖くて堪らない。そんなこと考えてるか知らんが、いつも売れ残ってしまうんだ」

「そんなのみんな怖いわよ」と踊り子。

「こんな人生、前を向いてないとやってられないわ。お爺さんも、ボクも、諦めちゃダメなのよ」

「うん」

「良いことを言うじゃないか」

 老人は微笑みながら、涙を流している。

「次はおれの番だ。売れても売れなくても、これが最後だ」

「頑張って」

 老人は手を振って、ステージへ歩いていった。


       6


「次の商品は、あぁ、すいません。不良品でしょうか? もうずっと売れ残りのボロ雑巾! 用途は様々。私のオススメは玄関マットとして使うことでしょうか。上限は五百!」

 客席から失笑が漏れる。

 現れたのは痩せ細った小柄な老人だった。紹介の内容と差異がないくらいの姿だった。

「さて、引き取ってくれる慈悲深い方はいませんか?」

 誰も札を掲げない。当然と言えば当然だろう。

「春垣、札を掲げるぞ」

「えっ」

 唖然としている春垣を横目に、札を大きく掲げ、上限金額を言う。会場がどよめき、浅草も驚いた顔をしていた。

「えっと、失礼ですが、天無(そらなし)落様ですよね? 本当にこの商品をお買い上げになるのですか?」

「ああ、買う」

「わ、わかりました。では、このボロ雑巾も遂に売れました! 天無様に大きな拍手をどうぞ!」

「落様、どうするおつもりなんですか?」

「うん? これで商品は買ったぞ」

「それはそうなんですが、いくらなんでも、あんなのを買わなくてもいいじゃありませんか」

「何だ、春垣? 僕の眼を疑うのか?」

「いえ、そういうわけではありませんが……」

「僕はあの老人に光る何かを見出だした。それだけだよ。大丈夫さ。使えなかったら、その時はその時だ。さて、一度、引き取りに行こう」

「まだ見るのですか? あんなに嫌がっていたのに」

「来たからには最後まで見ていくのが道理だと思ったまでさ」

 引き取り所に向かうと、落とした老人が必死に頭を下げていた。

「頭を上げてくれ」

「本当にありがとうございます。本当に、本当に」

「ああ、そう思ってくれるなら嬉しいよ。先に訊くが、名前は?」

「はい、一応、播磨双作(はりま そうさく)という名があります」

「わかった。じゃあ、播磨、お前は何ができる?」

「炊事選択は一通りできます。あとは、こう見えてバイオリンが弾けるんですよ」

「バイオリンか、面白いな。僕は笛もろくに吹けないから尊敬するよ」

 そう言うと、播磨はあからさまに照れ始めた。

「落様、手続きが終わりました」

「はいよ。じゃあ、客席に戻ろうか」

「まだ買いなさるのですか?」

「いや、わからない。最後まで見届けるだけさ。特に狙っているのもないし、時間ならいくらでも空いているんだ」

「播磨、忠告しておきますが、落様の行動は非常に予測し難いので、早めに慣れることを推奨しますよ」

「ええ、おれに出来ることなら、精一杯やりますよ」

 三人で客席に戻ると、丁度、誰かが落札された瞬間だった。

「いやぁ、凄まじい熱量の競りでしたね。異国出身の屈強な戦士は二千四百で落札です!」

 ステージでは鎖に繋がれた白人の大男が引き摺られて脇に消えていった。浅草が彼に向かって英語で罵倒をする。

「まさに巨人ですな」と春垣。

「あいつはすぐ暴れるんで、ずっと薬浸けでしたねぇ」と播磨。

「そんな危なっかしいのに需要があるのか?」

「わかりませんが、やっぱり、ガタイが良いやつから買われていきますね。おれみたいなのは大抵、売れ残ってしまうんです」

 播磨という解説役ができたことで、幾分か暇が潰れた。買いもしないのに商品だけ見ていても面白味はない。

「次の商品はこちら!」

 浅草の調子のいい声が聞こえてきた。


       7


「お爺さん、何とか買ってもらったみたいね」

 踊り子が感動したように言う。

「でも、それって幸せ?」

「わからない。買ってくれた人によると思うけど、天無落って名前、何処かで聞いたことがあるんだけどなぁ」

「有名な人?」

「まぁ、そうだね。私みたいなのが名前を聞いたことがあるんだから」

「優しい人だといいね」

「そうね。労ってくれる人だといいね」

 僕たちから少し離れたところにいた派手な服を着た男がスタッフに連れていかれた。彼は暴れたようだったが、薬を打たれたのだろう。すぐに大人しくなった。スタッフが「手間かけさせやがって」と男の足を蹴りつけた。

「……痛そう。可哀想だね」

「可哀想だけど、あの男の人もダメね。名前を呼ばれたら、潔く諦めないと。そして、優しい人に買ってもらえますように、ってお祈りしないと。結局、私たちは商品としての人生が染み付いてるのね」

 踊り子が溜め息を吐く。

「君は何番?」

「二十番」

「あら。私のひとつ後なのね」

「そうみたい」

 ステージから拍手が聞こえた。

 さっきの男が買われたのだろう。

「次、十四番、準備しやがれ!」

 スタッフが怒鳴り散らす。

 すると、隅に座っていた肥満気味の少年が気怠そうに立ち上がった。僕は少年のことを知っていた。ずっと、腹ぺこらしいから、僕は『ナマズ』って呼んでいる。

「彼は売れるのかしら?」

「売れるとは思う」

「どうしてわかるの?」

「前、あの子が買われたの見たことあるから」

「買われたけど、また売られたのね……」

 ステージから「残飯処理班」という言葉が聞こえた。前回は「不潔なぬいぐるみ」と紹介されていたことを憶えている。

 段々と不安が募っていく。

 優しい人じゃなかったらどうしよう。

 それ以上に、僕なんかみたいなやつを誰が買うのだろう。

「大丈夫? 落ち着いて」

 踊り子が僕の背中を優しく撫でる。

「うん、大丈夫」

「怖くなった?」

「少し。やっぱり、優しい人がいいなぁって考えてた」

 ステージから拍手が聞こえた。恐らく、『ナマズ』が買われたのだろう。彼を買うような客に、僕を買って欲しくないと思う。選べる立場ではないけれど、埃みたいにちっぽけなプライドがある。

「ああ、もうじきね。もうじき、空が見られるのね。こんな洞窟みたいな場所はもううんざり」

「空、見たいね」

「うん。自由って感じがするもの」

「僕は太陽の光を浴びたい」

「大丈夫よ、きっと。すぐに浴びられるわ」

 踊り子が僕の右手を握る。

 ほんのりと暖かい。

 僕は冷たい床に左手を当てた。


       8


 ステージでは派手な服の男が落札されたばかりだった。昔、何処かのパーティーの余興で芸を披露している姿を見たことがあるようなないような、曖昧な記憶を探ったが、どうでもいいことに気付いてやめた。

「あと、五人です」と春垣が教えてくれた。

「おや、誰かと思えば天無の落さんじゃあないですか」

「久方ぶりだな、長安」

「あんたも奴隷に興味があるんだね」

「いや、春垣が奴隷は持っておくものだって宣うんでね。聞くところによると、あんたは百体近い奴隷を持ってるんだって?」

「いやはや、噂というものは怖いですな。確かにそれは事実ですよ。持っておいて損はないでしょう? それに熊野御堂のような悪趣味な使い方はしていないから、その分は良心的だと思いますよ」

「僕は量より質だ。百人の愚者より、ひとりの賢者を選ぶよ」

「まぁ、あんたならそうでしょう。春垣も大変ですな。変わり者の主人なんかに仕えて」

「長安様、それは余計な世話というものです」

「おうおう、執事まで変わり者かね? やはり、上に立つ者は私のように真っ当でなければなりませんな。上は下に影響を及ぼすのですから」

「ふむ、そうかもしれないな。じゃあ、変わり者の主人から、変わり者の執事に命令するよ。この『人を騙る猿』を追い出せ」

「了解しました」

 春垣が立ち上がり、長安の服を掴んで、引き摺っていく。長安が何かを喚いているが、そんなものは無視するべきだ。

「大丈夫なんですかい?」と播磨が心配そうに訊ねる。

「問題ないさ。うちの執事は武術の嗜みがあるからね」

 ステージを見ると、襤褸布を纏った僧侶らしき三人が並んでいた。たった今、落札されたようだ。

「ありゃ、東の方で僧侶を騙って人々を欺いてた連中ですよ。あれらは酷い目にあっても文句は言えないですね」

「播磨、今のが十七番目か?」

「いえ、今ので十六番から十八番です。なので、あとふたりですね」

「ふぅん。あとふたりね……」

 ステージの灯りが落ち、暗闇から浅草の声が聞こえる。

「さて、次の商品は本日のメインと言っても過言ではありません。さぁ、商品を運んできてください!」


       9


「まさに金の逸材! 世界を渡り歩いてきた彼女の技術は本物です! 技術もさることながら、その美貌は世界を魅了する! この機会を逃したら一生後悔するでしょう! さぁ、上限はなしの早い者勝ちですよ!」

 浅草が今までのどれよりも勢いのある口調で言った。彼の言葉が終わると、ひとりの女が運ばれてきた。随分と派手な服装をしていた。

「彼女は踊り子! ひとつ前の名前はレーナで、某有名劇場で踊っていましたが、金をくすねたことで売り飛ばされました! 手癖が悪いようなので、そこだけはお気を付けを!」

 浅草が踊り子に向かって何かを囁き、彼女は踊りを披露した。その艶美な様は世界を渡り歩いてきたという経歴を裏付けるのに充分に思えた。骨を抜かれたように、自在に酸素を泳ぐ白い手は光を反射し、彼女の姿を女神に似せる。

「八千!」

「一万五千!」

「三万!」

 どんどん声が上がり、値段も爆発的に上がっていく。

「あの子はいいんですかい?」と播磨が訊ねる。

「うーん。踊り子は別に必要としていないかな」

「しかし、美しいですぞ」

 戻ってきた春垣の第一声はそれであった。

「それは春垣の好みだろう? 僕はあんな風に強そうな女は割に合わないと思ってる」

「そうですか……」

 春垣があからさまに落胆した表情をする。

「十二万!」

「十二万が出ました! さて、まだ張り合える方は?」

 会場が静まり返る。

「はい、落札です! 十二万で落札です!」

 落としたのは黒い外套の細い男だった。

「あれは有名な劇場の支配人ですよ」

 春垣が説明する。

「十二万って言ったら、普通の人の生涯に稼げる金を軽々と超えてるじゃないですか。ああ、恐ろしい人々だ……」

 播磨は小刻みに震えながら言った。

「さて、これで商品も出揃い……うん? まだ、ひとつ残ってるって? おいおい、順番でも取り違えたのか?」

 浅草が態とらしく言う。

「ああ、ひとつ残ってしまってるんですが、どうしましょう。締まりませんね。売ってもいいのですが、何せみすぼらしい子供なんです。しかし、この際、売ってしまいましょう!」

 浅草が合図し、子供が手を引かれて現れた。確かにみすぼらしい風体の子供だった。あちこちで播磨の時より零れた失笑は多かった。

「さて、用途はなし、穀潰しの子供です! 引き取ってくれる親切な方は果たしているのでしょうか! 上限は三百! はい、スタート!」


       10


 ああ、遂に売られるんだ。

 自分の腕を眺めてみる。この細い枯れ枝のような腕で何ができるのだろうか? 誰が必要とするだろう。僕なんかを。僕なんかを。

「行くぞ」

 スタッフが僕の手を掴む。

 踊り子のお姉さんは良い人の所へ行けただろうか。

 僕は大半の糸を失ったマリオネットのように歩かされる。

 ステージの光が眩しい。

 けれど、あれは作られた光だ。

 拍手が疎らに聞こえる。

 司会者の耳障りな声が煩い。

 何を言っているのか、よくわからなかったけど、僕は格安で売られるらしい。

「あ!」と司会者の声。

 僕は顔を上げる。

「え、本当にいいんですか? 私がこう言うのもなんですが、この買い物は損になると思いますよ」

「構わないさ」

 どうやら、僕は売れたらしい。誰が買ったのだろう。優しい人だといいな。殴らない人がいいな。撫でてくれる人がいい。

 僕は拍手を背に、引き取り所まで連れていかれた。心臓の音で周りが聞こえない。このまま、止まればいいのに、なんて思った。

「よし、行け」とスタッフに強く押されて、僕は買い手に渡された。

「あっ」

 僕は小さく声を漏らした。そこには、さっきの痩せ細った老人が手を振っている姿があった。

「初めまして、お嬢さん」

 それは気品の漂う青年だった。

 それに良い眼をしているようだ。僕の性別も一目で判別した。

「えっ、女の子なんですか?」と老人は眼を丸くしていた。

「僕は、天無楽。呼び方は何でもいいよ」

「は、はい」

「それで、君にはどうしてもらおうかな。うーん、別に強制労働させようとかって魂胆じゃないんだよね。何だか、この播磨が君を買って欲しいって眼で見てたからさ」

「……そうなんですか」

「うーんと、君は、僕の伴侶にでもなるかい?」

「え?」

「楽様! それはいかがなものでしょうか? 仮にも奴隷……」

 青年が執事らしき老人の口を塞ぐ。

「さぁ、君の望みを教えて。僕に叶えられるなら叶えてみせる」

 僕は少し黙ってしまった。

 そして、言った。

「太陽の光を浴びたい」

 彼は言った。

「よしわかった。じゃあ、早く外に出よう。太陽なら溢れるほどあるからさ。さぁ、自由を謳歌しよう」

「……うん」

「そうだ、名前は……、じゃあ、天無(よう)にしよう。いい?」

 僕は頷いた。僕は泣いていた。

 足枷が外れ、名前を得た。

 僕は幸せになれるんだ。

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