3.Jeune Fille
現代、日本。
とある都市の学校。
その屋上に一人の少女が立っていた。
この世界から逃げ出したい。
あいつらの居ない世界へと逃げ出したい。
今この状況から楽になりたい。
そう思って少女はそびえ立つコンクリートの建造物から飛び降りた。
髪がなびき、ふわりと宙に浮く感覚が体を襲う。
先程まで自分がいた校舎の屋上がどんどん離れて行き、地面が迫って来る。
あぁ。
これでさようなら出来る。
そう思い地面に追突した瞬間、少女の体は何処かに消えて無くなっていた。
リンレットはスプリングフィールドに戻るために馬で森の中を歩いていた。
ダークエルフの本能だろうか。こういう森の中にいると何故か心が落ち着くので、彼はクエストの帰りは遠回りをしてでもなるべく森の中の街道を通るようにしている。
しばらくすると遠くから水が流れる音が聞こえてきた。この近くにはそこそこの規模の沢があったはずなので、その音だろう。水袋の水も切れてきたし、馬にも水を飲ませてやりたい。そう思ったリンレットは、音の鳴る方へと馬を向かわせた。
沢は結構大きく、もはや川と言ってもいい規模だった。
早速馬から降り水袋の水を取り替え、自分も顔を洗った。すると馬が沢に入り、気持ちよさそうに水を飲みはじめた。
リンレットは水袋に水を貯めると朝食の代わりにカロリーバーを齧った。
ふと横を見ると少し離れた岩場に何やら白いものが横たわっているのを視界の隅に捉えた。
「……人?」
目を凝らしてみると人のようにも見えなくない。もしかしたら魔物の類いに襲われたのかもしれない。リンレットは急いで駆け寄った。
近づいてみるとそれは少女だった。
髪は真っ黒で腰まで伸びていて、前髪は切りそろえられている。服は白いワイシャツと赤のスカートで、シャツの襟元は細いリボンで締められている。靴は皮で出来たローファーだった。もしかしたら何処かの貴族の娘とかかも知れない。
みたところ脈と息はあるようだが、ここは岩場だ。何かの拍子で滑って落ちてしまっては大怪我になりかねない。
リンレットはその少女を抱えて先程自分がいた場所に向かった。
リンレットは取り敢えず起こすことにした。幸い目立った外傷や熱は無いようだ。
「おい、大丈夫か?」
呼びかけながら肩を揺さぶるが起きる気配はない。
リンレットは馬の背中から桶を取り出すと、沢で水を汲みその少女の顔に一気に掛けた。
「ぷはッ!」
「お、生きてたか」
少女は上半身を起こすと周りを見渡し、再び口を開いた。
「ここは?」
「サルム公爵領南の森だ。連れはいるのか?」
「サル……分かりません……」
少女はそう言うと俯いてしまった。
リンレットは妙だと思った。
いくらなんでも森の中に入るには服装がおかしい。仮に馬車などに乗っていたとしてもそれらしき残骸が見当たらない。
「お前、この辺の国の出身ではないな。どこ出身だ?」
すると彼女は不思議そうにこちらを向いて
「日本ですけど」
と言った。
その単語を聞いた瞬間、脳裏に昔の記憶がフラッシュバックする。
間違いない。
彼は確信した。
彼女は転移者だと。
「突然で驚くかもしれないが、お前はこの世界の住人ではない。お前はこちらの世界では“転移者”と呼ばれている存在だ」
「転移者?」
彼女はいまいちピンと来ないといった顔をして聞き返した。
「そう。大昔よりお前たちのような何らかの拍子に別の世界から来てしまった者をそう呼んでいる。お前はどうやってこちらの世界に来た? 召喚か? 事故死か?」
すると彼女は俯き、暗い声で
「……自殺です」
と吐き捨てるように言った。
「……ほう」
「2年前くらいから数人からいじめを受けていて……耐え切れなかったんです」
「悪いことを聞いてしまった。だがこの世界にはお前に悪いことをしていた輩はもういない。自己紹介が遅れた。俺の名はリンレット。種族はダークエルフ、ただの冒険者だ」
「千尋。南部 千尋です」
「ふふ、チヒロか。よろしく」
そう言ってリンレットは微笑を浮かべた。
リンレットは一通りの片付けを終えると、チヒロと名乗るその少女を馬に乗せ、自分はその後ろに乗っかり手綱を操り道の方へと向かった。
途中で何回か休憩を挟みつつ移動し続けて数時間後。高さ20mはあろう、とても大きい壁が見えてきた。
「リンレットさん、あれはなんですか?」
「あれは王都の防壁だ。敵国からの防御もそうだが魔物の侵入を防ぐというのが一番の理由であろう。上空も防御魔法で結界を張っている」
チヒロは感心したような顔をして見渡した。
しばらくすると衛兵が寄ってきて、リンレットとチヒロに身分証明書の提示を求めた。リンレットは自分のを衛兵に渡すと、チヒロが転移者である事を伝え、身分証の発行を頼んだ。衛兵は意外にもすんなり許可してくれた。
リンレット達が案内された場所は事務所の様な場所だった。
中に入るとカウンターがあり、その上に装飾の施された皿の様な物が置かれていた。その中には透明な液体が注がれており、衛兵はそこに名刺程の大きさの紙を入れ、チヒロに小さなナイフを渡した。
「そいつで指先とか、どこでもいいから傷つけて血をここに垂らしてくれ」
チヒロは少々躊躇ったが、左手の人差し指にナイフを突き立てた。少しすると彼女の指から血がポタポタと垂れてきて、皿の液体に混ざった。すると紙に綺麗な模様と沢山の文字が浮かび上がってきた。
「出来上がりだ嬢ちゃん。こいつでこの町に入れる。10日以内に町の役場でこいつを渡すと正式な身分証明が受けられる。あ、それと失くすと発行するのに銀貨十枚掛かるから気をつけな」
そう言って衛兵は紙を液体から出すとチヒロに渡した。チヒロはそれを受け取ると胸ポケットに仕舞った。
「うわぁ! 大きい町なんですね!」
チヒロは門を潜るとそう言ってはしゃいだ。
「この国、オードナンス王国の首都だからな。国中から人、物が集まって出来ている」
「そういえばこの街の名前はなんて言うんですか?」
「スプリングフィールド。俺は大昔からここに住んでいる」
そんな他愛もない会話をしながら馬を歩かせていると国営ギルドの立派な建物が見えてきた。
「ここがリンレットさんの家ですか?」
「ふふ、こんなところに住んでみたいものだな」
すると、中から一人の青年が現れた。彼は行きにリンレットの荷物を用意してくれたあの青年だった。
彼はリンレットの姿を見つけると大きく手を振ってきた。
「リンレットさん、よくぞご無事で」
「ありがとう。お陰でこの通り、無事で帰ってきた」
「……ところでこのお嬢さんは? 見たところあなたの娘さんという訳でもなさそうですが」
「ふふふ、まぁ後で話すとしよう」
リンレットは彼に馬を託すと、チヒロと一緒に建物の中に入っていった。
数分後。
リンレットは煙草くさいギルドマスター室にいた。
「……となるとあの少女はこの世界の人間ではないのか」
「ああ。しかもただの転移者ではない。魔力量が異常なほどに高い。おまけに体力も並大抵ではない。ひょっとすると彼女は数百年に一度レベルの特異性質者かもしれない」
「ほう」
特異性質者とは、普通では手に入れることの出来ないような技やスキル、魔力、体力等々の異常な力を持って転移してきたものを指す言葉である。
彼らはその力に大あれ小あれ、力を使って人々を魔族の脅威から度々守ってきた。そして彼らは次第に民衆から、勇者として崇められるようになっていた。
「それで、あの娘をどうする? まさか本当に勇者として育てるか?」
「そうするつもりだ。それに妙に引っかかる事があってね」
「何だ?」
リンレットは煙草を灰皿に押し付けて言った。
「今回のクエストで討伐した吸血鬼、戦闘能力は並以下なのに魔力が異常なほどに強かった。二階建ての小さな宿屋の幻影をずっと維持できる魔力など、普通に出来る芸当ではない」
「すると?」
「俺が懸念しているのは、魔王の復活だ」
「……ほう」
ガーランディアの顔が少々暗くなる。
「奴はこの世の魔族の長。そして魔力の根源。もし奴が復活していたとしたら。そしてもし彼女……チヒロが最初から勇者になる事を前提としてこの世界に召喚されていたとしたら!」
「……不味いな。今の話、私の方から女王陛下に報告するとしよう。直に閣僚級会議が召集されるだろう。その時は彼女も一緒だ」
「了解した。取り敢えず彼女をこのギルドに入れたい」
「わかった。すぐ手配しよう」
「よろしく頼む」
そしてリンレットはガーランディアと握手を交わすと部屋を出て行った。