2.Gun Slinger
途中途中で休憩を挟みながら移動すること数時間、ようやくサルム公爵領の南の森に辿り着いた。リンレットは半日掛けてその周辺の様子を調査し、とても驚いた。
至って普通、何の問題も見られないのである。
リンレットもガーランディアと同じように、飛龍や突然変異した魔物などを考えていたのだが、それらしき姿が見当たらない。いや、それらが生息している証拠らしき物すら見当たらないのである。
大型の魔物であれば足跡、食われた家畜や他のモンスターの死骸、更にはその地方の人間の証言などが残っている筈だ。そう思った彼はありとあらゆるものを調査したのだが、その証拠すら見当たらない。
彼はすっかりお手上げ状態になってしまい、行く当てもなく馬に跨った。
「はて」
リンレットは首を傾げた。三年前にここを訪れた時には見かけなかった小さな宿屋が街道沿いに建っていたのである。
リンレットは一瞬中に入ろうとして躊躇した。何か、何故か、何処からか得体の知れない、底知れぬ不安が頭の中に過ぎったのだ。
しかし空を見上げてみると太陽は沈みかけ、反対には月とそれに続いて輝く星々が登り始めている。
「……仕方がないか」
そう言うと馬から降り、宿屋に入っていった。
「いらっしゃい」
店主と思わしき男が恭しくリンレットを出迎えた。営業スマイルを浮かべたその顔は少し痩せこけているが顔色が悪いというわけではなく、むしろ健康そうだ。一人で宿をやっているという訳では無いだろうが、どうも他の店員が見当たらない。リンレットは少し不安になって来た。
「明日の朝には出る。一泊幾らだ?」
「銅貨10枚になります」
「わかった。馬小屋は?」
「裏手でございます」
「……どうも」
そう言ってリンレットは金を渡すと入り口を出、馬の手綱を引いて裏手へと誘導した。
裏に出ると馬が2頭ほど入りそうな小さな馬小屋があった。リンレットはそこに手綱を括り付け、馬に餌をやった。
ふと彼は後ろを向いた。そこには鍵がかかった錆びた小さな扉があった。
「……」
近づいてみるとそれは南京錠で閉ざされた魔法焼却炉だった。魔法焼却炉とは魔法石などを用いて普通の焼却炉よりも高温で物を焼却する事のできる炉のことである。
リンレットは南京錠を握ると一気に魔力を込めてそれを砕いた。キイと音を立てて扉が開くと、中に何か光るものが見える。何だろうと思い手に取ると、それは金属製の指輪だった。熱で溶けかけているが、間違いなくそれは輪の形をしていた。
彼の心の中で燻っていた不安が確信へと変わった。
二階に上がると客室は2つ並んでおり、リンレットは手前の部屋を案内された。中は木組みに藁を敷き、上に布を敷いただけの簡素なベットが1つ、テーブルが窓際に1つ。それに椅子が1つと小さいクローゼットが1つと大変質素なものだった。
しかしリンレットは特に荷物があるわけでもないのでこれで十分だった。
晩飯を案内されたがこういう所はパンと水程度しか出ない上に金が掛かるのが分かっている為断り、部屋で自前のカロリーバーをいくつか食べた。
そしてその夜中。
リンレットが部屋で寝ていると部屋に音もなく人影が入ってきた。それは彼のベッドに近寄ると、不敵な笑みをこぼした。
「哀れな奴め……エルフは初めてだがどんな味がするのだか……」
そう言うと大きく口を開け、その鋭く尖った八重歯でリンレットの首筋に噛み付こうとした。
瞬間、乾いた破裂音と共に人影は後ろに吹き飛んだ。そしてベットで寝ているはずのリンレットが口を開いた。
「この地方に派遣された冒険者が消える噂なんてこんなところだろうと思っていたよ。なぁ、店主。いや吸血鬼と言うべきか」
ベットから起き上がった彼の手には、月明かりを反射して黒光りする、一丁の拳銃が握られていた。店主は壁にもたれかかり、血が滝のように吹き出している脇腹を必死に抑えていた。
「馬鹿な……拳銃など私の前では無力な物のはず」
「ただの拳銃ならな。スプリングフィールド大聖堂の錬金術師どもが作った聖銀製.45口径特殊弾だ。コイツを食らってアンデッドのお前が無事なはずが無かろう」
「……! このガキィ!」
そう言い放ち、店主はヤケクソ気味にリンレットに飛びかかった。リンレットの首筋に店主の牙が食い込む。そして店主は全力を込めてリンレットの首を食い千切った。リンレットの首が落ち、頭を失った胴体はバタリと力なく倒れこみ、周辺を文字通り血の海にした。
店主は額に滲んだ汗を拭きながら息を整え、口を開いた。
「危ねぇ危ねぇ……さて早くこいつの血を頂くとするか……」
店主が血を飲もうと屈み込んだその時。
「無駄だ。俺には生半可な攻撃は通じん」
死んだはずの、胴体から切り離されたはずの、殺したはずのリンレットの口が動き、店主に向かって語りかけたのだ。
「なっ……!」
店主が驚いて目を見開いたその刹那、足元の血が切り離された、切り離したその傷口に逆流して行くではないか。そしてそこに集まり、赤黒い影を形成したかと思うとリンレットの首が繋がり、傷口は消え、彼は立ち上がった。
「さては貴様、俺のことを誰だか分からずに攻撃したな。そうだ、そうに違いないだろう。じゃなきゃお前は必ず俺の胸、心臓を狙っていた筈だから」
「お前! まさかあの!」
「通り名など知らない。お前らが何と呼ぶかは知らない。ただお前では俺を倒せない」
「白髪の悪魔、回復狂戦士、龍殺し、 生ける屍、不死の王! まさかお前とは……!」
「俺は眠いんだ。眠りを邪魔されて苛立っているんだ」
倒れこんだ店主の元に、ゆっくりとした足取りでリンレットが近づいていく。その距離が縮まっていくにつれて店主の顔は強張っていく。
「止めろ! 止めてくれ! 頼む! 命だけは!」
「黙れ」
泣きそうな顔をして店主は叫んだ。しかしリンレットは足を止めず、苛立ったように口を開いた。
「今まで何人の命を喰ってきた! 今まで何人を干物にしてきた! 罪もない人間を欲の為だけに散々殺しておいて出る言葉がそれか!」
そしてリンレットは店主を足で押さえつけ、銃口を胸の中心に突き立てた。
「あんまり人間を舐めるなよ化け物。自分の欲の為だけに罪なき人を殺しまくるような奴に未来などない」
「……ッ! この!」
破裂音と閃光の後、店主の体はパンと破裂した。その途端、宿屋だった筈の建物がズズズと、砂の様に崩れ落ちた。
「幻術……しかしあの程度のヴァンパイアが? それ程の魔力使いには見えなかったが……?」
彼が突っ立っていると馬が駆け寄って来て隣に座り込んだ。リンレットは馬の背中から結界用の呪文と魔法陣が書かれた紙を数枚と釘を数本取り出して周りの木々や地面に突き刺した。
「……眠い」
彼はそう言って馬に寄り掛かり、夢の世界に落ちていった。