プロローグ
薄暗い空間。
地面は石畳で、壁は規則正しく揃った石煉瓦だが所々崩れ、そこから赤紫の水晶の様なものが伸びている。少し高くなった所に黒いローブに身を包んだ男が、そしてそれに対峙する様な形で四人の少年少女が立っていた。しかし彼らはもう満身創痍といった身なりをしていた。
その男はローブを取った。中から現れたのはほぼほぼ白骨化した醜い顔だった。
彼の名はない。
敢えて名前を付けるとしたら、「魔王」と言うべき存在。
魔物の統率者であり、この世に溢れている魔力の根源。
「クソ……強すぎる」
中央に立っている少年が手に持った直剣を杖の様にして屈み込んだ。
「あれが魔王の力……」
隣に座り込んでいる少女が力なくこぼした。
「もうダメなのかしら……」
頭から血を流して手に弓を持った少女がだらりと壁に寄りかかった。
そしてその三人から少し離れたところに立っている……身体中から血を流し、双剣を持った白髪の少年は諦め気味な三人とは違う表情を浮かべていた。
笑っているのだ。
貧血でフラフラになって、血の味を楽しみながら大笑いしているのだ。
「ははっ、ははは! アンタ強いな! 百何年と生きていたけれどアンタみたいなの初めてだ!」
彼は指に付いた血を舐めながら言った。そしてその様子を見てローブの男──魔王も微笑を浮かべた。
「ふふ……面白いやつもいるものだな」
「魔力も強い、力も強い、次々繰り出す使い魔たちも強い! こんなに……こんなに楽しいのは初めてだ!」
そう言い終わるとその少年の体から赤黒いオーラが浮かび上がった。それを見て直剣の少年が慌てて制止した。
「よせ、リンレット! 今のお前は本能に……ダークエルフとしての本能に支配されている! 理性を取り戻せ! 正気に戻らないと死ぬぞ!」
「理性を取り戻せ? 正気に戻れ? はっ、俺は至って正気さ。ただ、あまりにも楽しくて少々興奮気味なだけさ!」
リンレットは駆け出し、魔王の後ろに付いた。しかし魔王はまるで見えているかの様に裏拳を突き出した。リンレットは吹き飛ばされ、後ろの壁に大穴を開けた。しかしまだ、さらに傷を増やしながらもまだ笑っていた。
「ははは! そう、そうだ魔王! もっと痛みを! もっと血を!」
目を見開き、口角を釣り上げ、異常な顔をした彼はまた魔王に斬りかかる。
「リンレット! 戻ってこい!」
「そうよリン! そうじゃないと貴方の体が持たない!」
仲間が彼に声をかけるが耳に届かない。いや、聞いていないのかもしれない。
魔王はリンレットに向かって魔力を圧縮したエネルギー弾を放った。しかしリンレットはそれを双剣で弾き、さらに加速してもう一度斬りかかった。
「その技は見飽きた」
魔王はそう言って突っ込んで来たリンレットの頭を掴み、地面に叩きつけた。次の瞬間、叩きつけたリンレットだったものは霧のように散って無くなった。
「掛かったな!」
「幻術!」
彼は自分の幻影を身代わりにして、魔王の背後に回り込んでいたのだ。
「クッ」
魔王は先程と同じ様に裏拳を突き出した。しかしリンレットの双剣がそれを止めた。
「こっちも見飽きたんだよ。それは」
「リンレット!」
すると、横から直剣の少年……人々やパーティの仲間から「勇者」として崇められていた少年が突っ込んで来た。
「竜の爪!」
彼は魔法を発動させ、魔王の腕を切り裂く。魔王は一瞬戸惑ったが、すぐに腕を復活させた。
「リンレット! 大丈夫か!?」
「ははっ、お前こそ血だらけじゃないか。俺は痛みを、苦しみを、血の味を快く感じる事ができる。しかしお前は俺とは違う、お前は人間じゃないか」
「そりゃ痛いさ。苦しいさ。それくらい我慢出来なきゃ勇者としてはやっていけない」
「ははは、俺も狂ってるけどアンタも相当狂ってる!」
「それじゃあ、行くよ」
そう言うと二人はほぼ同時に駆け出した。
魔王はそれを見て距離を取ると腕を伸ばし、グリフォンの様な黒い影を出現させた。しかし二人はそれを難なく切り裂くと、魔王へと肉薄した。
すると魔王は空中に赤黒い短剣の影を数本浮かばせた。そして腕を振るうとそれらは二人に向かって飛んで行った。
しかし、どこからか飛んで来た矢によって防がれた。
「何!?」
振り返ると壁に寄りかかっていた短髪の少女が弓を構えていた。
「レン! お前」
「援護はしっかりやってやるから、しっかり倒してよね!」
すると地面にへたり込んでいたもう一人のローブの少女が立ち上がり、杖を掲げ呪文を唱え始めた。
「神よ、我が願いを聞き、我の仲間と主に貴方のご加護を……祝福儀礼!」
すると二人の体がぼんやりと光り、傷が修復された。
「セル!」
「これでこちらの魔力は尽きました……二人とも、あとは頼み……ます……」
セルと呼ばれた少女はそのまま倒れこみ、深い眠りについた。
「セル!!」
リンレットが呼びかけるが彼女は答えない。
「死ねっ!!」
リンレットが腕を伸ばすと空中に大量の短剣が浮かんだ。
「流星剣!」
そう言って腕を振るうと魔王に向かって一気に飛んで行った。
「小癪な」
魔王は防御魔法を唱え、空中に魔力のシールドを貼ったがリンレットの剣は難なく破った。
「何!」
「はあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
リンレットは構えた双剣にありったけの魔力を注いだ。刀身の2、3倍ある魔力のオーラが双剣を包む。
「狼牙剣!」
振り下ろされた剣は魔王の体を切り裂いた。
「やった!」
リンレットは勝利を確信した。しかし倒したはずの魔王が、真っ二つになった魔王が左腕を槍のように変化させ、リンレットに向かって突き出してきた。
「リンレットォ!!」
突然、何者かに横から蹴り飛ばされた。そして自分を捉えていた槍は勇者の体を貫いていた。
リンレットは思わず彼の名前を呼んだが、勇者は答えない。
「お前も道連れだ! 魔王!」
そして勇者の剣が魔王の心臓を貫いた。
そこで彼、リンレットは夢から目を覚ました。
赤く透き通った目は見開かれ、額に脂汗を滲ませた彼は、激しい動悸と呼吸を収めるために深く深呼吸をした。
「夢……か」
ふと、窓の方を見ると巻いた紙を脚に括り付けたフクロウがいた。
「手紙……?」
リンレットはむくりと起き上がり、窓を開けてフクロウの脚から紙を取るとそれを広げた。彼はそれを読み終わると、ぼさぼさの白髪を整えることもなく黒のロングコートを着て玄関に向かった。