23話
僕は家族の輪に、おそるおそる加わっていった。みんな僕を受け入れてくれている。結局、心に壁を作っていたのは僕だけだった。
まだ心を許すことは難しいけれど、少しだけ、打ち解けることが出来ている気がした。
「みんな、そろそろお腹が空いたかな?」
お母さんが言った。時計を見ると、正午を少し過ぎている。
「お昼ご飯、持ってきたよ。持ち込み禁止だけど、今日だけ、特別に許可もらったの」
「そうだね。よし、食べよう!」
お父さんはそう言って、テーブルの下に置いてあった、青い発泡スチロールの箱を開けた。
「僕、今あまりご飯が食べられないんだけど」
「うん。ご飯、飲み込みずらいのよね? だから、今日は色んなスープを作って持ってきたのよ」
「これで全部かな」
お父さんの手により、5本の魔法瓶がテーブルの上に並べられた。
「ええと、まず、どれだっけ」
お母さんは迷いながらも、1本目の魔法瓶の蓋を開ける。その間にお父さんがプラスチック製の容器をテーブルに並べていく。
4人分。
確かに、4人分。
樹里がいる、ということが、このことで僕にも認識できる。
「じゃあ、まず、これね。これはカボチャのポタージュスープ」
眼の前のカップに注がれた、ほんのり乳白色の、黄色いスープは、たしかにカボチャの香りがする。
「昨日は、冬至でしょ」
「そうだったんだ」
「そう、冬至には、カボチャを食べるのよ」
「へぇ」
そういえばそうだった気がする。本でそんなことを読んだ覚えがある。
「冬至はお日様が出てる時間が一番短い日だからね。健康でいられるよう、風邪をひかないように、昔から栄養のあるものを食べてたんだって」
「カボチャは栄養たっぷりなのよ」
二人は、そう言った。
「これなら飲めそう」
僕は言った。お母さんの手で、すべてのカップにスープが注がれた。
「いただきます」
4人、みんな揃って、そう言った。
多分、4人で。
それは、僕の記憶にない、初めての、家族全員揃ってのいただきます、だった。
カボチャのスープを口に含んだ。人肌より少し暖かいくらいの、飲みやすい温度。口の中に芳醇な香りと甘さが広がる。どうやらカボチャだけではない、他の野菜の甘さと、しょっぱさと、さまざまなコクを感じとれる。
色々野菜が入っている感じがするのに、それはとてもなめらかで、すっと喉の奥まで流れ込んでいく。ごくり、と音をたててお腹の中に流し込むと、スープが通っていく僕の体の中の感覚が、得も言えぬ満足感を覚えていく。
「おいしい」
僕は言った。
「すごくおいしい」
おいしいことをちゃんと伝えたかったので、もう一度言った。
「よかった」
お母さんは、嬉しいと言うよりも、どこかほっとした笑顔を見せた。
僕は、ズズっという音を立てながら、もう一口スープを飲んだ。さらに、もう一口。僕は、夢中になっていた。
「はぁ」
僕は全部飲み干した後、一息ついた。
「うん、これはおいしいよ」
お父さんもそう言った。
「ありがとう」
「気合を入れたのがすごくわかるねえ」
「あら、私の料理はいつも美味しいわよ?」
お父さんとお母さんは、そう言って笑いあった。
「他にもスープがあるの?」
「そうよ」
お母さんは、次の魔法瓶を手にとった。
「全部飲めるかなぁ」
「どうかな? 飲んでみて」
新しいカップに、さっきとは違うスープが注いがれていく。鮮やかな赤いスープだった。
「じゃあ、このカップ洗ってくるよ」
お父さんが、さっきまでカボチャのスープの入っていた4つのカップを持って部屋の外に出ていこうとする。カップに少しくっついているスープが、ちょっとだけなごりおしい。
「お願いね、ありがとう」
「この赤いスープ、何?」
「これはね、トマトで作ったスープなの。日本ではあまり馴染みがない言葉だけど、トマトが赤くなると医者が青くなるってことわざがあるの」
「どういう意味?」
「トマトを食べていれば、医者にかからなくなるくらい健康になるって言われてたのよ。お医者さんのところに患者さんが来なくなるから、青くなっちゃうんだって」
「へぇ~」
「って、病院でこんなこと言ってたら怒られるかな? し~~~」
お母さんは口元に指先を立てながら、神妙に言った。
「あはは」
色々な本を読んでいても僕でも、全然知らないような言葉を、両親は知っている。
「だから、これ飲んで、がんばろう」
「そうだね」
そして、お父さんが、キレイになったカップを持って、部屋に戻ってきた。
僕のベッドの小さなテーブルには、カップの半分くらい注がれた赤いスープが、置かれている。
「いただきます」
家族揃って、もう一度、いただきます。
ほんのり酸味を感じた。おそらく、新鮮な生のトマトを煮込んでいる。濃厚なのに、それを感じさせない透明感。皮も全部取ったに違いない。今度ははっきりトマトの味を感じる。他は、トマトの味を殺さないアクセント程度の風味。僕は野菜としてのトマトは苦手なはずなのに、嫌な感じが全然しない。少しスパイシーで、ほんのり鶏肉っぽい味もした。
「うん」
僕は、注いでもらった量の半分程度を飲んで、そう言った。
「おいしい?」
「おいしいよ」
このおいしいさを、他の言葉で表現できなかったので、ただそう言った。
「よかった」
お母さんは、今度は、嬉しそうだった。
そして僕は全部飲み干した。もっと飲みたかったけど、おかわりしたら多分残りが飲めなくなるから我慢した。きっと他のスープも、同じくらい美味しいはず。
全員飲み終える。お父さんはまたカップを洗いに出ていった。部屋の近くに給湯室があるから、そこに行ってるのだと思う。
「樹里は、おいしかった? なんて言ってるかな」
僕は樹里に話しかけた。
「ふふ、とっても、おいしいって」
お母さんは嬉しそにそう言った。
「カボチャとトマト、どっちが好きだった?」
「う~ん、どっちもおいしいけど、カボチャかな。甘くてクリーミーなところが、すごいツボだった。そのままのカボチャと違って飲みやすいのもいいなぁ」
「うん、そっかぁ」
「お兄ちゃんは?」
「う~ん、質問しておいてアレだとは思うんだけど、比べられないくらいおいしい」
「えー、ちゃんとどっちか決めてよぉ」
「う、ごめん。どっちもおいしかった、じゃダメかな?」
「ダメ」
「うーん、じゃあ、僅差でカボチャ」
「じゃあ同じだね、やった、同じ同じ!」
そう通訳してくれたお母さんの笑顔は、さっきよりちょっと意地悪そうだった。
そして、お父さんが戻ってきた。
「じゃあ次ね」
カップには、すでにスープが注がれていた。
「今度のこれは、コンソメスープ」
「あれ、これ温かくないの?」
注がれた、薄い黄色の、透き通ったスープ。カップを手に取ると、冷たかった。
「そう、これは冷やして飲むスープよ」
見た目は薄いアイスティーみたい。一口、おそるおそる、口に含む。冷たいスープなんて、初めてで、そして鮮烈だった。肉なのか、野菜なのか、魚なのか、それとも別のなにかか。色々な味が、弾けた。わけがわからないけど、知っている色々な味が、知らない味を作り出していた。
「これも、おいしい」
僕はそう言って、少しずつゆっくり味わい、そして、最後の一滴まで飲み干した。
「すごいね」
「うん、ありがとう」
お母さんは微笑んだ。
「コンソメスープって、冷やすと固まっちゃうんでしょ? どうやって作ったの?」
「え、有希くん、よく知ってるね!」
コンソメの成分のお肉のダシにはゼラチン質が入っているから、コンソメスープを冷やすとゼリーになるって、本に書いてあった覚えがある。
「ふふ、スープからゼラチン質だけを取り除く方法があるの。退院したら教えてあげる。一緒に作らない?」
「……そうだね」
僕は、その誘い対して、曖昧な返事をした。