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天使とすごした10月4日  作者: 直木 新
21/28

21話

「どうしても、思ってしまうんです。樹里が見えない今の僕がおかしいんじゃなくて、樹里が見えたあの時の僕がおかしかったんじゃないか、って」

 長居さんは何も言わない。

 樹里の言いたいことは、分からない。


「あれは幻覚だったんじゃないか。あの女の子は、何かにすがりたくて僕が生み出した妄想だったんじゃないか。樹里は、僕が生きていたい理由が欲しくって生み出してしまった、何か、なんじゃないか。ずっとそんなことを考えています」


「……うん」


「そして、我に返ったあとも、樹里を探し求める僕を、居もしない人を好きになった僕を、哀れんだ先生や長居さんが、他のみんなと口裏を合わせて、そんな子が存在してるかのように見せかけてるって」


 そこでいったん言葉が切れてしまった。浅くなっている呼吸を整える。

 もう全て言ってしまうしかない。


「どうしてもそう考えてしまうんです。毎日、毎晩。そんなこと、考えたくないのに!僕は樹里と一緒にいたいだけなのに!」


 感情が暴発した。叫び声なんかあげたくない。周りのみんなに迷惑かけたくない。だけど、もう堰がきれてしまった。自分の意思で止めることが出来なくなってしまった。


「うん」


 長居さんは、僕をぎゅっと抱きしめた。それだけだった。


「何で答えてくれないんですか!? やっぱりそうなんですか!?」


「落ち着いたら、話す」


「今言って、ください」

「樹里ちゃんはいるよ」


「じゃあ、何で僕は、もう樹里に会えないんですか!? そのまま僕は死んじゃうんですか!?」

「信じてよ」

「じゃあ、信じさせてよ!」

「うん」

 僕を抱きしめる手の力が強くなった。


 僕は、苦しかった。

 本当の気持ちを人に伝えることって、こんなにも苦しいものなのだろうか。

 抱きしめられた体は、痛かった。

 だけど、この痛みが、心の苦しさをいくらか、和らげてくれた。

 僕がずっと嗚咽を鳴らしている間、長居さんはずっと強い力で抱きしめていてくれた。

 僕の嗚咽は、時間とともに緩やかになった。

 そして今となっては、僕は、小さな声で、えぐっ、えぐっ、という声を発しているだけだった。


「このあと樹里ちゃんの言葉を全部伝えるから。私、長居さんは、ここからいなくなったと思って。有希くんは、私を疑うのか、樹里ちゃんを信じるのか。人を疑えば、何も失わないかもしれない。人を信じたら、何かを失うかもしれない。でもね。人を信じなければ、人は何も手に入れられないの。樹里ちゃんを信じて欲しいから、樹里ちゃんと話して、決めて」


 長居さんは、僕を、抱きしめるその腕の中から解放した。

 そして目を閉じて、また開けた。


 しばらく僕は待った。長居さんの口が開くのを。

 だけど、黙ったままだ。長居さんも、僕も。


 今の長居さんは、樹里だ。

 まっすぐ僕の目を見て、僕が話しかけるのを待っている。

 ゆっくり、言うべきことを整理しようとしても、心の中はぐちゃぐちゃのままだ。

 いくら待っても、いうべき言葉が浮かばない。

 それでも樹里は待っていた。僕が先に話しかけなければいけない。それは、樹里の心の声だ。


「僕を、騙して、ないよね?」

 ひどい第一声だ。

「騙したことも、騙したいと思ったことも、ないよ」

 樹里は、言った。


「私はね、明日がすごく楽しみなんだ。物心ついて、初めて祝ったクリスマスは、5歳のときかな。そのとき有希くんは、もうおうちにいなかったね」

「うん、そのころにはずっと病院で過ごしてた」

「そのとき私、うきうきしてたんだ。ごめんね。町中が何だか浮かれてたし、テレビも特番ばっかりになって、みんな待ち遠しそうで、幼稚園で前日にやったクリスマス会が、楽しかったから」

「そうなんだ」


「でもね、おうちでやったクリスマス会は、楽しくなかった」

「……なんで?」

「お父さんと、お母さんが、お祝いをすることに負い目を感じていたから。有希くんが1人でいるのに、私たちが楽しんでいいのだろうかって。言葉で聞いたわけじゃないから、何考えたかなんて、わからないけどね」


 一呼吸後、樹里は言った。

「そのとき、私は決意したの。いつか、必ず、家族4人で楽しいクリスマス会をしてやるって」


 今僕は、さっきとは違う、嫌な心の苦しさを覚えている。


「有希くんは私がわからないから、一緒に喜びを分かち合うことは出来ないけど、楽しんでる私たち2人を見れば、お父さんとお母さんも喜んでくれるって思った。そして、ようやく明日、その夢が叶うんだ」


「……うん」


「しかも、有希くんは、私という妹がいることをわかってくれた。なんと、私が見えないのに会話もできるようになっている。明日はお母さんとお父さんに通訳してもらおう。そうすれば、兄も、私を本当に認めてくれるかな?」


 僕は、何も口を挟むことが、出来なかった。


「ねぇ、私のこの夢は、幻かな? 本当にそんなことを思っている人は、実はどこにもいないのかな。わたしにも、わからなくなっちゃった」


 樹里は、語り続けた。


「私はあなたのために、生まれてきた。だけど、この世界に生まれたことで、私を思ってくれる、大切な両親が出来た。2人が海外で仕事をするようになってからは、おじいちゃんの家に預けられたけど、おじいちゃんも、おばあちゃんも、叔父さん夫妻も、従姉妹も、みんな私に良くしてくれた。学校に行けば、体調を壊しやすい私を、友達が、クラスメートが、先生たちが、気づかってくれた」


「だから、私はこの世界が好きになった」


「だけど、この世界は暖かさで満ちていたわけじゃなかった。この世界を壊れるほど憎んだ、有希くんがいた。君を毎日見ていて、とても、とても、悲しかった。目の前に誰にも心を開けず、誰にも心を許せない双子の兄がいるのに、何で私はなにもしてあげられないんだろう、って。私は何をやってるんだろうって。やるせなくなった」


 樹里はいったん、言葉を止めた。だけど僕は、続きを待っているだけだった。


「この世界で、大切なものが沢山出来た私だけど、だけど、私はあなたのために生まれてきたんです。あなたがいなければ、私がここにいる意味は何もないんです。何も価値がなくなっちゃうんです。この世界も、私自身も」


「それでも君が、私がここにいることを疑うのだとしたら」


「私のこの気持ちは、一体どうしたらいいんだろう」


 樹里は、笑った。長居さんの顔を借りて。

 わかりやすい、悲しさを覆い隠す笑顔だった。


「有希くんが素直に自分の気持ちを伝えてくれたから、私も思いの丈を話すことが出来たよ」


「信じる」


 僕は、言った。


「樹里を信じる」


 他の言葉は、何も言えなかった。

 何もいらなかった。

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