1話
15:30になったら、外へ出る時間だ。
いつも5分前には看護師さんが来る。
読みかけのハードカバーに紐状の栞をはさんで、車椅子へ乗る準備を始めた。
外出は今着ているパジャマ姿のままでする。
一人で着替えるのは難しいし、時間がかかる。
他の人がきちんとした服を着ているのを見ると、気恥ずかしいけれど、今ではそういうものなんだとあきらめている。
正直にいうと、外出はめんどくさい。ずっと病室で本を読んでいたい。
看護師さんが僕のためだと言ってるし、毎日陽の光に当たることが大事なことなのも知っている。だけど中庭を散歩している間、栞をはさんだ本の続きが気になって仕方がなかった。
すれ違う人は気の毒そうにしたり、視線をそらしたり。
よく顔を合わせるお婆ちゃんが笑顔で「こんにちは」、と声を掛けるので、僕も笑顔で「こんにちは」と返す。
車椅子を押している看護師さんが時たま声をかけてくるけど、会話はあまり続かない。
病室に戻ってくるとすぐにベッドに移り、サイドテーブルのハードカバーを手に取る。夢中で読んでいると、看護師さんはいつの間にかいなくなっていた。
陽が落ち、夜になってもずっと本を読み続けていた。
いつしか看護師さんがやってきて、食事を持ってきた。本を置き、手を拭いてもらう。
最近はフォークがうまく使えなくなったので、もどかしい。口に入れてもうまく咀嚼できない。
半分以上残してしまうが仕方がない。 足りない栄養は、点滴を1パック腕に流し込むことで補われる。
ゆっくり歯を磨き、そして本の続きを読む。
そのうち消灯の時間が来たので、本をサイドテーブルに置いて、ゆっくり目を閉じた。
学校に行けないから実感がまるでないけれど、学年でいえば僕は小学4年生なのだろう。
僕は本が好きだ。
本を読めば卑劣な犯罪者を、名推理で追い詰める探偵になることも出来るし、偉大な発明家にもなれる。冒険家やヒーローにも哲学者にもなれるし、素敵な恋愛だって出来る。世界は、この本の中なのだ。
どこへだって行けるし、すべてを知ることが出来る。
ただ、最近、本を読んでいると目がかすむようになった。お医者さんは、病気が進行していからだよ、と言った。
また目がよく見えるようにするため、今度、視神経を移植する手術を行うらしい。
培養した視神経のiPS細胞を、僕の目に移植するという。
成功例はあるから安心して、というが、僕の場合も成功するとは限らない。失敗したらどうなるのだろう。
死ぬまでの間、本の読めない暗闇の中で過ごすのだろうか。
それだけがただ、怖かった。