着ぐるみの憂鬱
「おーい、バイト君、その箱を全部店内に運んでくれ!」
「はい」
一つが30kgもあるような段ボール箱約20箱を、二人掛かりで運送車から下ろして運び入れる。かなりの重さに腕と腰が悲鳴を揚げそうになる。
俺は23歳フリーター。ちょうど金に困っている時に友人の紹介で、とあるスーパーの開店準備のバイトをしていた。開店セールが終わるまでの約二週間の短期バイトで、既に開店前日を迎えていた。毎日毎日重たい物を運ばされ、雑用は押し付けられ、時給1200円は決して高くないと思える重労働であった。
今日の仕事もこの運び入れで終わりだった。いや「終わり」というには多少の語弊がある。仕事そのものはまだまだ残っていたからだ。にもかかわらず、俺達の働く時間が終わろうとしていたのだ。俺達は一応「時間」で働くプロのようなもの、金を貰えない限りは残業するつもりなどさらさらない。
雇う側もそれを了解しているようで、終了時刻の六時になると社員の一人から
「バイト君達、ご苦労様!今日は上がっていいよ」
とお声が掛かった。俺達四名は緊張感から解放され、一斉に力の抜けた状態になる。俺は
「あーあ…」
と言って伸びをしたり、腕をぶるんぶるんと振り回す動作をした。
「明日、九時オープンなので、皆さんは八時からです。よろしくお願いします」
「はーい」
「仕事は交通整理、まあ旗振りです。あ、それから一人、お客さんの子供の相手するのにウサギの着ぐるみに入ってもらいたいんだけど…」
そう言って俺達の方をじろじろと見回す社員。誰に着せてやろうかな、といういやらしい目付きだ。バイト中にも意識していたこの男の感じの悪さがここに集約されていた。そして、
「うん、キミ頼むよ。背丈がちょうどいいし」
イヤな予感がしたと思っていたら、案の定指名を受けたのは俺だった。
「えっ?マジっすか?俺、そんなの一回もやった事ないんですが…」
「大丈夫、誰でも出来るから。着て動き回ってくれればいいだけなんだ。キミが一番背丈が合っているみたいだし」
言われて横を見てみると、確かに他の奴らはノッポやデブで、着ぐるみに入るには不適当な体格をしていた。背の高さも普通だし横幅もない俺は確かに適任と言えた。
「はい…」
釈然としない思いはあったが、「プロ」である以上依頼された仕事はこなさねばならない。俺は渋々承諾した。
「よーし、んじゃ解散!また明日頼みますよお!」
という社員の声を背に俺達(達と言っても皆知り合いではなく、バラバラ集まった者達だが)はスーパーを後にした。
そして翌日。八時からだというので、六時には目覚まし時計を使って無理矢理起きた。開店日に眠たげな顔をさらさないというだけでも、着ぐるみに入る意味はあるかもしれない。俺の眠そうな仏頂面に比べ、ウサギはいつもにっこりしているのだろうから。
自転車を漕いで進んで行くと、「スーパーネオス」のカラフルな看板が見えてきた。開店日だけあって、たくさんの花飾りが店頭を彩っていた。「お一人様一本限りケチャップ30円」「ペットボトル詰め放題300円」などという貼り紙に紛れて、社員の多くが派手な柄のハッピを着て、既に店先に出ていた。
「おっ、ウサギ君おはよう!今日は頼むよ!」
例の俺を指名した社員が、早速声を掛けてきた。何となく不遜な感じがして苛立たしかったが、
「おはようございまーす…」
と挨拶しておいた。
「早速、着てもらえるかな?バックルームの奥に着ぐるみがあるから、ちょっと付いて来てよ」
俺は店に着いて早々、この店員に連れられ食料品在庫がたくさん置いてあるバックルームへと案内された。種々雑多な商品の群れを過ぎて行くと、やがて物置き小屋のような場所が姿を現わした。
「ここにあったハズ…」
社員は一人で中に入って、段ボールの山を物色し出した。本日開店する店の割には何が何処にあるのかわからないような感じで、その物置きは汚かった。俺は何処をどう探して良いのかわからず、欠伸をしてぼーっと突っ立っていた。
「あったあった!」
と声がしたかと思うと、社員は大きな箱を一つ持って出てきた。「ウサギぬいぐるみ」と黒マジックで書かれたその段ボール箱は、間違いなく本日の目玉品のようであった。
「じゃあここで着てみてくれる?ボクが見立ててあげるから」
まだ店に着いたばかりで全然働くスイッチが入ってないというのに、彼はウサギになるように命じる。かったるさを覚えながらも俺は渋々とそれに従った。箱を開いてみると、ピンク色の物体が目に飛び込んできた。
「は、派手ですね…」
耳を箱から引きずりだすと、ギョロっとした目と間抜けた出っ歯の顔が現われた。それは、こんな顔のウサギでいいのだろうか?と思われる程、情けない表情であった。
「早く着てみたまえ」
店員にせかされて、仕方なく衣装を身に着ける。ピンクの毛皮のようなスーツを身にまとい、白いデッキシューズを履く。そして例の間抜け面の顔を被る。すると一気に視界が狭くなった。さらに首がぐらぐらとして安定しない。それによって着ぐるみ内の目の部分からしか見えない視界も定まらないのであった。
「ん、まあいいだろう。ウサギさんらしいよ。特に動きとかは注文ないので、子供さんの近くに行って、パフォーマンスしてくれればいいから」
「はい」
「それと、言っておくけど喋っちゃダメだからね。子供の夢を壊しちゃいけないからね」
「はい」
「ほら、喋っちゃダメなんだって!」
まったく、こうるさい社員だ。こんな所でそんな引っ掛けをしなくても良かろうに。少々頭にきたが、そんな事よりも息苦しさと視界の悪さが気になって仕方ない。
「じゃあ頼むよ。入り口付近で子供を楽しませてやってくれ」
言われるままに、彼に誘導されて入り口の辺りまで行くと、既に開店特売品を狙った客がたくさん並んでいた。俺は早速子供連れの客に近付いた。
「うえーん!」
突然、子供が泣きだした。まだ父親に抱っこされているような幼子だが、俺の(といってもウサギの)顔を見た途端に泣き叫んだのだ。無理もない、このウサギの顔はかわいらしさのカケラもない。
「おいおい、止めてくれよ!ウチの子が恐がっているじゃないか!あっち行け!」
父親が罵声を浴びせてくる。たまらず俺は他の客の元へ向かった。
「あっウサギさん!ウサギさんだあ!」
五歳前後の女の子の声に気付いて、俺はそちらへ歩み寄った。ウサギに喜んで反応してくれている。こういうのは嬉しいし、やり甲斐もあるというものだ。俺はあらん限りのパフォーマンスを駆使して、彼女を楽しませようとした。ジャンプ、手を叩き跳ねる、おどける、動きを見せる度に少女は笑顔を見せた。
「あくしゅ…」
と言う彼女の小さな手を偽りの両手で包み込んであげた。
「ウサギさん、ありがとう!」
お礼を言われると、何だかむず痒くなる。着ぐるみもまんざらでもないかな、と思っていたその時、
「おっ、ウサギがいるぞ!」
そこへ坊主頭のガキが三名登場した。
「おーい、ウサギ!」
ガキの一人の挨拶に俺は手を振って応えた。少女にしたのと同様、動き回って楽しませようとした。
「あーっはっは!面白いウサギだな」
ガキは笑って喜んでいる。だが、その内の一人が衝撃の発言をした。
「俺、知ってるぞ!こういうのって人間が中に入っているんだぞ!」
「えーっ、そうなのか?そういえばこんなにデッカいウサギなんて見た事ないもんな」
「おい、お前人間なのか?」
ガキの一人が尋ねてきた。俺は首を振って「違う」という意思表示をした。しかし、その時首が動いてしまい、顔と身体の角度がおかしくなってしまった。
「あーっ!やっぱり変だ!」
「中に人が入ってるんだ!」
ガキの追求が厳しくなる。悲しい事に、あの少女まで疑わしい表情でこちらを見ているではないか。俺は必死におどけて誤魔化した。だが、追求は止まない。
「にーんげん!にーんげん!」
ついにはガキの一人が人間コールを始めた。すると周りにいた子供全員が(何時の間にか十人程に膨れ上がっていた)、追随し出した。ショックな事にあの少女までもが、一緒に叫んでいた。
「にーんげん、にーんげん!」
何と冷めた子供達だろう。こんなウサギ、偽物なのは当たり前じゃないか。どうしてそれを楽しもうとしないのだろう。いたいけな少女の夢まで奪って腹立たしい。
「おい、ウサギ!もしも人間じゃないなら『違う』って言ってみろ!」
間抜けな質問が俺を襲う。「違う」なんて喋ったら、それこそ人間である証ではないか。今出来るのは精一杯おどける事だけだ。
「このニセウサギ!正体を見せろ!」
ついには蹴ってくるガキが現われた。何名かはまとわりついて、毛皮の材質まで調べる始末。
「あーっ、こんな毛おかしい!絶対偽物だ!」
「首が怪しいぞ!首を取るんだ!」
鋭いガキの一人がそう言うと、皆、首を目指して飛び掛かってきた。視界が悪い分、背後に回られると何も見えない。ただ幸いにも子供が届く程、俺の背は低くなかった。何とか飛び付いてくるガキの攻撃をかわす。
「このーっ!」
ガキもムキになって襲い掛かってくる。頭のキレるガキが、足を壊して屈ませる気か、ローキックを連発し始めた。子供と言えど、トーキックで蹴ってくるので結構な威力があり、痛みが足に走る。
奴らの無法ぶりに、俺の堪忍袋の緒は切れかかっていた。とりあえずローキックのガキの頭を軽くこづく。すると奴はさらにムキになって蹴ってきた。これで俺はキレた。
「ンナロー!」
と叫ぶと、そのガキを蹴り付けた。
「ぎゃっ…」
と言ってガキは3mも吹っ飛んだ。そして一瞬にしてその場は静まりかえった。皆、鬼でも見るかのような顔で俺を見ていた。明らかに恐れを為している。
「こいつ…、喋ったぞ!やっぱり人間が入ってるんだ!」
何名かはそれでも正体を暴く意志を見せていた。ファイティングポーズを取り、身構えている。俺は半分ヤケになっていたので、そいつらに向かって駆け出した。
「わああっ」
慌てて逃げる子供の首根っ子を掴み、持ち上げる。そして見せしめとばかりに尻から地面に叩きつけた。
「ぎゃああっ…」
高所からケツを打ったガキは痛みにのたうち回る。そして何か買ったばかりのような袋を持って構えている別な一人を、ズボンごと引っ張って投げ捨てた。これがマズかった。そのガキは袋の中身をぶちまけ、さらに顔面からアスファルトの地面に突っ込んで、血塗れになってしまったのた。ガキ共は一気に戦意喪失して、その場は静寂に包まれた。俺も「見たかこのくそガキ共!」なんて心境で得意になっていた。しかし、当然タダで済む筈がない。
「まあ、なんて乱暴なウサギかしら…」
「ちょっと店員さん呼んでこなくちゃ」
周囲にいた大人共が騒ぎ出した。その声を聞き、やっと俺は正気に戻った。「やばい、なんて事をしでかしてしまったのだ」と今になって実感した。このままチクられたら元も子もないと判断した俺は、その場を逃げ出した。勿論、逃げたって状況は何も変わらないのだけれども。
とりあえず顔を見られてはならないという意識があったので、俺はウサギの格好のまま逃げた。とにかく必死だったので、顔が揺れて視界が定まらないのも何のその、一心に駆けた。よくは見えなかったが、自転車に乗ってる奴にぶつかり、相手を転ばせたりもしたようだった。
しばらく走っていて、恐ろしい事に気が付いた。何処へ行っても、人の気配がなくならないのだ。それもその筈、訳のわからないウサギが全力で歩道を走っていたら、誰もが何かしらの興味を持つだろう。落ち着いてよく周りを見ていると、手を振っている子供までいた。ウサギになっている以上、人の目に入らない存在ではいられないのであった。
「いたぞ!」
突如、背後から大きな声が響いた。振り向くと、警察官がこちらへ向かってくる。ターゲットは俺のようだ。こんな所まで追っ手が来るなんて。俺はビビり、ひたすら逃げた。
もう警察が出動する程の騒ぎになっているのかと、俺は驚いていた。顔面流血の少年の容態はそんなにひどいのだろうか。警官は二名、狭い通りを警棒片手に追い掛けてくる。俺は全力ダッシュしている上、着ぐるみの中が暑いので、全身汗まみれになっていた。それも熱い汗だけではなく、背後から迫る警官の恐怖による冷汗も混じっていた。そして、一気に身体が冷たくなるような事態が起こった。
バキューン…、と銃声が轟いたのだ。信じられない事に警官の一人が俺に発砲したらしい。本気なのか威嚇なのか、それにしても銃を撃たれる程の事を俺はしでかしたのだろうか?ひょっとしてあのガキが死んでしまったのか。そんな事を考える間もなく、もう一発破裂音が響いた。明らかに俺を撃とうとしている。もう頭がパニック状態になって、とにかく走った。
幸運は訪れた。偶然、自転車を止めようとしている奴が視界に入ったのだ。俺は死に物狂いでそいつに襲い掛かり、自転車を奪った。
「待てーっ…」
警官の声が段々と遠ざかっていく。首が回らないので背後をよく見る事は出来ないが、距離を広げたのは間違いなかった。少しホッとした俺は、一つだけ最前の逃げ場を思い浮べていた。
隣町にあるY鍾乳洞。そこは熊が出るという奥深い山中にあり、証明設備が一切引かれていない完全な暗所である。以前友人と興味本位で行った時、見物人も少なく、隠れるには絶好の場所に思えた。食物は山菜を取れば何とかなるだろう。俺はそこへ行くつもりだった…
それから一年が経った。俺は山奥で山菜を主食としてまだ生き残っていた。鍾乳洞の奥に寝床を作り、暮らしている。幸い、ウサギの毛皮は暖かくて凍える事もない。そういえば、一度鍾乳洞で見物客が俺を発見して「怪物が出た!」と必死に逃げて行った事もあった。そりゃ真っ暗な鍾乳洞の中にピンクの巨大な生き物が現われたら、誰だって恐ろしくなる。捜索隊でも来るかと警戒はしたけど、一向に現われる気配がない。どうやらこのまま逃げ切れそうで、最近は安心している。やっぱり捕まりたくないし、死にたくもないからね。もう少しここで頑張るつもりだよ。
同じ頃、テレビのニュースは伝えていた。
「ちょうど一年前、ウサギの被り物をして中央信用銀行を襲った三十八歳の無職の男が本日逮捕されました…。なお同日ウサギの着ぐるみを着たままスーパーネオスから行方不明になったフリーターは未だ見つかっておりません」
「ハハハ、あの日は変わった一日でしたな。ウサギ関係の事件が同時に起こるなんて。しかしフリーターの彼はまだ生きているんですかねえ…。なんでも、開店日のスーパーで子供にイタズラされた挙句の失踪ですからな…」
「一人一本限りの特売品のケチャップを買わせられた子供が、中身をぶちまけ顔面が流血したように見えたらしいですね…。親御さんは謝りたいと言っているみたいですが、見つかりますかねえ…」
半分くらいは実話です。フリーター時代に書いた懐かしい作品です。オチが自分でも気に食わないですね。