Vol.8:ブックマーク・アヘッド
シンおじさんは何やら過去に切ない恋愛を経験した様ですね……。
「うげえっぷ!」
「お前下品だな……」
食後のげっぷをしたミミミに対してアプリコットが不快そうに呟いた。
「は~食べた食べた。シーハーシーハー」
そんな彼女に構わずミミミは爪楊枝で歯の間をいじり始める。
「お前よくそれで人の事をおっさん呼ばわり出来るな……」
シンが一言漏らす。
「こちら伝票になります」
ウェイトレスがテーブルの上に裏返した紙を置いていった。ミミミはそれを静かに手に取って一瞥すると、すぐに隣に座るシドの前に差し出した。
「いやあ、ほんと美味しかったですね」
彼はそれに目もくれずにそのままとなりのアプリコットに回す。
「ファミレスなんて久し振りだった」
そしてアプリコットは伝票をさらに窓際のシンへと流した。
「……お前ら何ナチュラルに俺に払わせようとしてるんだよ」
「あ、すいませんシンさんありがとうございます」
「こういう時だけ礼儀正しくなるんじゃねえよ眼鏡君」
「ゴチ! よろ~!」
「フランクに言ってもイラつくだけだわクソJK!」
「おっさん正気? ボクら弱小学生風情から金取るつもりなの」
「お前女に払わせるのか。しかも年下の」
「うっ! ……」
納得がいかずシンは歯ぎしりを始める。
「ああ大丈夫ですよ、ここは私が出しますから。お手伝いをして頂いてるんですから当然です」
「ほっ」
と安堵の表情を見せていたシンだったが、数十分後には再びいらいらとしながら不規則に指先でハンドルを打っていた。
「全然進まないな」
どうやらこの先で交通事故が起こったらしく、渋滞が発生していた。休日の昼下がり、これからどこかへ出かけようとする人も多いだろう。
もう十分以上はこの辺りに停滞していた。
「確か次は2時……だったよな」
シドが携帯で時刻を確認する。午後一時五十分。ここからだと次の訪問場所である老人ホームまではまだ距離があり、明らかにあと十分では間に合わないだろう。
「……しゃーない、行くか」
そう言ってミミミは立ち上がりシドの手を取った。
「は? どこに」
「いいから書架に行け」
言われるがまま彼は補助席を畳み、後ろの書架部へと移動した。ミミミも後に続く。疑問に思ったシンが振り向いて尋ねてきた。
「おい、何をする気だ?」
「いくつか本持って先に行くよ。電車使う」
ミミミは適当に目星を付けた本を棚から抜き出しカゴの中身と入れ換え始めた。
「お前も適当に本選べ。次の相手はじーさんばーさんだからな、そこら辺考えてね」
「ちょっと待てカゴ抱えてくのかよ」
「つべこべ言わず働け童貞」
「給料くれねーくせに……」
「馬鹿野郎おおおお!」
ポカーンッ、と唐突に彼はバットで頭を叩かれた。
「いってえ!」
「老人ホームのジジイババアはなあ! 今か今かとボクらが来るのを待ってるんだよ! 本を読めるのを楽しみにしてるんだよ! だったらボクらは一刻も早く本をジジイババアの元に届けてあげないといけないだろお!」
「お前の情熱は伝わったけどもうちょい年寄りに敬意を表せよ!」
こいつ、古臭い熱血ドラマでも見たのか? そういや最近再放送してた気がする……渋々シドも本を選び始めた。
それからしばらくして、ふたりは長い坂を上っていた。両手には本がぎっしり詰まったカゴ。息を切らして道を歩いて行く。
「はあっ! はあっ! ……もう少しだぞシド!」
「ぜいっ、ぜいっ……老人ホーム着いたら水もらおうぜ……」
うねる坂道の途中に目的の老人ホームが現れた。ようやくゴールだ。先ほど高橋から連絡が入り、渋滞を抜けた彼らもあと少しで追い付くらしい。
「よ、よし、着いた……さっさと中に入ろうぜ……はあ……はあ……」
「待っててねじーさんばーさん! 楽しい楽しい本達を今届けてあげるからね!」
「いどう、としょかん……? そんな話あったかの」
「忘れられとるうううううッ!!」
「す、すいません……何回か告知はしてきたんですけど、皆さん結構物忘れがあるので……」
老人ホームの職員の女性が申し訳無さそうにふたりに謝った。頑張って重たいカゴを抱えて坂道を上ってきたというのに、まさかあおぞら号が来る事を覚えていなかったとは……。
「い、いやあしょうがないですよ……ウチのじいちゃんも結構ありますもん」
「そーそー、ふんっ! ちょっと一発ぽかんとかませられたら、ふんっ! それでいいですから、ふんっ!」
「素振りやめい」
そのバットで何をする気だこいつは。
「もう少しで高橋さん達も来るんだろ? 休ませてもらっとこうぜ」
「そうだな、時間あるしコントでもしとくか」
「コンテクストが迷子!?」
十五分ほどが経った頃高橋の車とあおぞら号も無事に老人ホームに到着した。ミミミ達はお年寄りの介助をしながら一緒に本を選んだり、話し相手になったりしていた。
「歴史小説か……興味のある時代は? ……鎌倉……なら……! きゃっ! なっ! 何尻触ってる突き殺すぞじじい!」
「ゴリ子さん言葉が乱暴です……」
「きゃっ! だってきゃっ! 聞いたかシド、きゃっ! だって! ゴリ子きゃっ! って。かーわーいーいー」
「うっ、うるさい馬鹿にするなクソガキ!」
「でも可愛かったですゴリ子さん」
「キモいんだよ童貞!」
「うっ!」
「きゃっ! ゴリ子こわーい!」
「しつこいぞ!」
「大丈夫じゃよお嬢ちゃん」
荒れ狂うアプリコットをおじいさんがなだめる。ていうかお前のセクハラが原因や……。
「いざとなったらワシが(嫁に)貰ってやるからの」
「誰がお前みたいなじじいにヴァージンやるか!」
「えっ」
「えっ」
「あっ」
四人の周りだけ時間がぴたりと止まった様な感覚になった。少しの間沈黙が流れた後、アプリコットの顔面が見る見る内に赤くなっていく。まさしく林檎の様だ。
「~~~~~~~~っ!!!! ト、トトトトトイレに行ってくる!」
彼女はそのまま屋内へと逃げる様に走り去ってしまった。
「……ゴ、ゴリ子さん……ごくり」
たまらずシドは唾を飲み込む。今の彼は酷く不快感を与える笑顔だった。
「いやお前のその反応引くわ。何あいつ、ギャップ萌えって奴? あざとー」
「少なくともお前よりは可愛いんじゃないかな」
「何お前眼鏡壊れた? 直してやろうか?」
バコンッ、とミミミはシドの頭をバットで打つ。
「なぜに頭!」
「お兄ちゃん、私にも本選んでくれんかの」
「え」
彼がひりひりする後頭部を撫でていた所におばあさんが声をかけてくる。
「えーと、僕はブックハンターじゃないからそういうのは……」
「あら、お兄ちゃんよく見たらいい男じゃないか」
「え、そうですか?」
キリッ。
「よかったじゃんシド、童貞貰ってもらえよ」
「相手くらい選ばせてくれ」
お前のその発言は失礼だぞシド。いや失礼ではないか……いや失礼だぞ。いや失礼では……。
わいのわいのと老人ホームの駐車場は賑やかになった。
「今日はありがとうございました。皆さんとても楽しそうでした。また来月もよろしくお願いします」
別れ際に女性職員が笑顔で話してきたのが印象に残った。
日は既に傾いていた。あおぞら号はまたも渋滞につかまってしまったせいで予定より一時間も遅れて本日最後の訪問地であるとある大型病院に来ていた。さすがに病院だけあってか、前二ヶ所とは対照的にここでは静かな時間が流れていた。疲れが溜まってきていたブックハンター達にはちょうどよかった。
シドはあおぞら号に入っていく人々をベンチに座りぼんやりと眺めていた。主な客は通院、入院患者だ。様々な年代の人達が利用していた。
こうして見てみると、色んな人達が本を読みたがっているんだな、と彼は改めて思った。目的も様々だろう。暇潰しに読む人、勉強するために読む人、現実逃避のために読む人……。
隣で髪を結い直したミミミがふと館内へと歩き出した。トイレにでも行くのだろうか。
「んじゃ、ちょっくらよろしく」
後ろ手で手を振って彼女は自動ドアの奥へと姿を消した。
こんこん、と軽くノックをするとミミミは院長室の扉を勢いよく開いた。
「ちはーっす!」
「! おお、これはこれはミミミさん」
びくりと反応した大柄な男は彼女を見るなりすぐさま椅子から立ち上がりお辞儀をする。ミミミも適当に礼をしてあいさつを交わす。
「いやいや、その節はどうもお世話をしました」
「は、はい、それはそれは……助かりました」
「で、例の件で伺ったんですが」
「はい、こちらです」
院長である男は机の上にあったクリアファイルを彼女に渡した。
「……ふむふむ。ありがとうございます。助かりました。ではまた何かありましたらお気兼ね無くご相談を~……まあ、来ない事を祈っときますよん」
ご機嫌な様子で彼女は院長室を後にした。院長は苦笑いしながらその背中を見送っていた。
「今日は本当にありがとうございました」
事務所の前で高橋と同僚のふたりは深々と頭を下げた。日はすっかり暮れてしまっている。
「皆さんのおかげでいいスタートが切れました。これから頑張っていきます」
「いえいえ、ボクらも楽しかったからいいですよ」
「運転手はさっさと見付けるんだな。俺はもう代行はしないぞ」
「はい。運転お疲れ様でした」
「また蔵書換えの時とかにでも気が向いたら依頼して下さい。リピーターだと割安にしますんで」
「はい、是非」
「それでは。あ、今回の報酬は期日までに入金お願いしますね」
敷地を出てミミミ達四人が角を曲がるまで、高橋達はずっと道端で頭を下げていた。
「今日は疲れたが、まあ、何だかんだで楽しかったよ。また何かあったら呼んでくれ」
「スケジュール真っ白だしね」
「あのなあっ! ちらっと言ったが今俺は別の仕事に……ごほんっ! まあいい。俺はこっちだから」
駅に向かって歩いている途中でミミミ達三人はシンと別れた。
やがて駅に着き、電車に揺られる事しばらく。御茶ノ水駅を発車した所でアプリコットがミミミとシドに名刺を差し出してきた。
「原宿で傘屋をやってるんだ。一応お前達にも渡しておく。こっちが本職だしな」
「ありがとう処女子」
「てめえも処女だろうが!」
「あの、ここ電車なんですけど」
乗客の視線は彼女らに注がれていた。
二ヶ月が経った頃、あおぞら号はとある幼稚園を訪問していた。代わりの運転手は何とか見付かり、運行は無事に出来ていた。高橋がいつもの様にあおぞら号の前で利用者に目を配っていると、男の子を連れた女性が声をかけてきた。見た所、彼と同世代の様だ。
「すみません、小説を探しているんですけど、あるかどうかわかりますか」
「はい、タイトルは何ですか」
彼女から書名を聞いた彼は、思わず目を見開いた。そのタイトルに聞き覚えがあったからだ。目の前の女性はさらに言い足す。
「……最終巻だけ、読めてないんです」
「……!」
どくん、と高橋の心臓が高鳴った。微かに体が震え始める。意識が茫然としながら彼は二ヶ月前のブックハンターの少女との会話を思い出していた。
「高橋さん、さっき自己満足って言ってましたよね。差し支え無ければどういう事か教えて欲しいんですど」
商談を終えた後古書店を出た彼に彼女は質問をしてきた。
「……ああ、それはですね……」
高橋は語り始めた。
「高校生の頃、祖母が入院していた病院に見舞いに行っていた時期があったんです。そこである入院患者の女の子と出会ってですね……すっかり仲良くなって。その娘は大きな病気を抱えてて、自由に外を出歩けない生活を送っていたんです。ずっとベッドの上で退屈だって言うから、私が小説を持っていってあげたんですよ」
それを読んだ彼女はすっかりその小説に夢中になってしまったため、その後高橋は定期的に彼女の病室を訪れ、続きの巻を貸していった。
「祖母が死んで、その病院に行く理由が無くなっても彼女に会いにずっと通ってました。正直な話、好きだったんですよ、彼女の事が」
だが、ある日些細な事でけんかをしてしまい、貸すはずだった最終巻をその場で取り上げ持ち帰ってしまった。
「なかなか素直になれなくてですね……意地を張ってるのが馬鹿らしく思えてやっと彼女に謝ろうとまた病室を訪ねた時にはもう遅かったんです。彼女は治療のためにもっと大きな病院に転院してしまってました」
「……」
「それからずっと心残りだったんです。あの娘に物語の結末を読ませてあげられなかった事が」
「……だから移動図書館を……?」
「はい。それで少しでも心が救われる気がして」
「……ちなみに、転院した後、その人は……? 何か聞いてます?」
「生きてますよ、今もきっと」
「……」
「あ、ああ……!」
高橋の瞳から、涙がつうと垂れた。目の前にいる彼女も同じ様に涙を浮かべていた。面影が残る。その柔らかな笑顔に見覚えがある。二十年前と、同じだ。
「? ママ? おじさん泣いてるよ? あれ? ママも泣いてるの?」
男の子が母親の手を引く。この子は彼女の子供だ。顔が似ている。あの頃一日をずっとベッドの上で過ごしていた彼女が、今はこんなに立派な子供を産んで、育てている。
「……でも、読んだのはもうずっと前で……もしあるのなら、また貸してもらえませんか?」
かつての病室での一時が、高橋の脳裏に鮮やかに蘇ってきた。
「また柄にも無い事してんなお前」
「は? どこが? めちゃくちゃ柄ありだろ。似合い過ぎだろ。あ、でも今日のパンツは無地だっけ」
「聞いてねえよ」
ふたりのおよそ二十年振りの再会をこっそりと見届けていたミミミとシドはその後遅い登校をしていた。今は平日の午前なので、彼らはがっつりサボっている事になる。
「ま、本当の意味で救われてもいいんじゃないかって思っただけだよ。20年間の無念がひとつの事を成し遂げた訳だしさ。栞を挟んだまんまで20年分のページを捲ってった訳だ。そろそろ栞を抜いてもいいんじゃないかってね」
二十年前の事を聞いた時高橋から少女の名前を聞き出した彼女は、その入院していた病院の院長に記録からその少女が当時どこへ転院したのかを調べる様に頼み込んだ。というのも、偶然にもその少女が当時入院していた病院の現在の院長が以前彼女にハントの依頼をしてきた事があったのだ。カルテを紛失したから探して欲しい、という決して表には出せない事情から。院長は彼女の頼みをしょうがなく聞き入れ、転院先を突き止めた。それが載っていたのが先日のあおぞら号開館初日の最後に訪れた病院で受け取った資料である。そう、あそこは少女がかつて入院していた場所だったのだ。高橋は思い入れの強いあの病院を訪問場所として真っ先に選んでいたのである。
院長の口利きもあり、転院後の病院の職員からその後の少女の行方を聞いたミミミは、あとは地道に聞き込みを続けていった。そして該当する女性に辿り着いたのである。高橋の言っていた通り、彼女は今も生きており、都内に住んでいた。結婚もし、子供も産んでいた。そこで彼女の子供が通っている幼稚園をあおぞら号が訪問する様に高橋に連絡を入れたのである。もちろん彼女の事は内緒にして。
「特別にアフター・アフター・サービスだね……これにて2000冊ハント完遂。またのご依頼をお待ちしておりまーす」
どんよりとした梅雨の曇り空に、一筋の光が差し込んでいた。
この「ブックハンターミミミ」というシリーズを通してこういうお話、久し振りに書いた気がします。ふざけながらも締める時はしっかり締める彼女達が僕は大好きです。