Vol.1:ムムムとメメメ
東京都千代田区神田神保町。神保町すずらん通りから道を一本入った所にひっそりと佇む古書店、古詠堂書館。店内のレジカウンターの内側に座って読書をするひとりの少年がいた。つんつんした髪型で、眼鏡をかけている。彼の名は志度。この店の主の孫である。彼は用事でしばしば店を空ける祖父の代わりに今日の様によく店番をしているのだった。
静かな店内はまるで時が止まっているかの様だ。加えて今は客がひとりもいない。何者にも邪魔をされずに思う存分読書に集中出来る環境だった。静寂の中にページを捲る音だけが聞こえるというのもなかなか心地いい物である。
しかし店内に突如鈴が鳴り響いた。客人が来たのである。
「いらっしゃーい」
彼は視線を本から入口へと移した。だがそこには誰の姿も見当たらない。
「? 何だ悪戯か?」
舌打ちをして再び活字を読み始めたが、その途中で突然視界がぼやける。
「!? なっ、何だよ!」
背後から誰かに眼鏡を外されたのである。これでは読書どころかまともに物を見る事さえ出来ない。
「だ~れだっ!」
続けて可愛らしい声が聞こえてくると共にシドの目の前が今度は暗転した。手で目を覆われているのだ。全く、下らない事を……。
「ま~たお前らか……ムムムにメメメ」
「当ったり~!」
シドが振り返ると髪を両側で結んだ小さな少女がにこにことした笑顔で立っていた。隣には彼女と瓜二つの少年もいる。といってもその顔立ちと耳まで隠している髪型から彼も女の子と思われてもおかしくはない見た目だ。
少女の名は愛萌芽、少年の名は舞武夢といった。双子の幼稚園児だ。彼女らはシドの同級生の弟妹であり、ふたりが赤ん坊の頃からシドは面識があった。
「ったく、バレない様にこそこそ後ろまで回って来やがって。眼鏡返せ」
シドはすかさずムムムが持っていた彼の眼鏡を取り返してかけ直した。
「遊びに来たよ~! シド兄ちゃん」
メメメが万歳の様に両腕を上げて元気よく言った。
「見ればわかるよ」
「お姉ちゃんは?」
今度はムムムである。
「ん? あいつは今ハントに行ってるよ」
「すご~い!」
「さすがお姉ちゃん!」
「今度はどんなお仕事なの?」
「ああ、10年前に読んだ小説を探して欲しいって依頼だ。いくつか目星が付いたから今狩りに行ってる。てか何であいつがここにいる前提で会いに来てるんだよお前ら」
「え? だってシド兄ちゃんとお姉ちゃん、いっつも一緒にいるじゃん」
「いるじゃん」
「……あのなあ、いくら何でも四六時中一緒にいる訳じゃ……いや、いるわ……どっかから湧いてくるわあいつ……引くわ……」
「ねえ遊ぼうよ~シド兄ちゃん!」
「遊ぼうよ~!」
ふたりは彼の腕をぐいぐいと引っ張り始めた。
「あ~待て待て。僕は店番やってるんだ。悪いけどお前らの相手は出来ない」
「え~。けちんぼ」
「はいはい」
メメメの文句を聞き流す。
「いじわる」
ムムムも不満を漏らした。
「そうね」
「人でなし!」
「ああああ人じゃないよ」
「ろくでなし!」
「ほうほう」
「どーてー」
「へいへ……っておい! メメメお前今何つった!」
「童貞」
「おいいいいいっ! そんな言葉どこで覚えた! お前みたいな女の子が使っていい言葉じゃねえよ!」
「お姉ちゃんがいつも言ってるよ」
「あいつっ! 幼稚園児に何つー言葉覚えさせてんだ! そんな汚ねー言葉は使うな!」
「じゃあぼくはいいの?」
「お前も駄目だ!」
「でもお姉ちゃんは……」
「お姉ちゃんの事は忘れよう! な!? メメメはメメメじゃないか! 間違ってもお姉ちゃんみたいになるんじゃねえぞ!」
「うん、わかった」
「メメメが約束したから遊ぼうよ~、シドーてー兄ちゃん」
「童貞言うなっつってんだろっ!」
その時再び来客を告げる鈴が鳴った。
「あ、いらっしゃいませー……おい、お客さん来たからお前らはとりあえず僕の部屋にでも行ってろ。な? 適当にゲームしといていいから」
「うん!」
「わかった~!」
ムムムとメメメは居住部へと繋がるカウンター奥の通路に入っていった。嵐が去り店内にはまた静けさが戻る。シドは読書を再開した。
ところが、ある考えが彼の頭をよぎる。
……ん? 待てよ。僕の部屋に上げたのはまずかったんじゃないか? あいつらの事だから部屋中好き放題に物色したっておかしくないぞ……押し入れの奥には……み、見られてはいけない物が……てかお子様は見ちゃいけないエロ本が!
高校三年生、彼も男である。部屋の中には何冊かその手の本が隠されているのだった。これは、非常にまずい予感である。
「……!」
客はいるがやむを得まい、シドは席を外し自室へと急いだ。
「遅かったか……!」
悲しい事にシドの予想は的中していた。ムムムとメメメは彼の部屋の至る所を漁っていたのである。押し入れは勝手に開けられ、服やしばらく遊んでいなかったゲームソフト、漫画の単行本や幼い頃に流行ったおもちゃなど中から引っ張り出したあらゆる物が床に散らかっていた。
「お前ら……何やってんだ!」
「あっ、シド兄ちゃん! シド兄ちゃんも一緒にやる?」
「何で僕が進んで自分の部屋を散らかさないといけないんだよ!」
「違うよ兄ちゃん、これはハントだよ」
「ハントォ?」
「ブックハンターメメメ、これよりハントを開始します!」
「ブックハンタームムム、開始します!」
「だからやめえい!」
メメメは押し入れの奥に入り込んでいく。あ、ヤバいそっちには……!
「しゅぴーん! 早速本を発見しましたあっ!」
奥に仕舞ってあった段ボール箱の中から彼女は見事にいやらしい本を見付け出していた。ていうか早過ぎだろ。さすが血筋か。
って感心してる場合ではなく。
「お~、何の本?」
「開いてみるであります!」
安心して頂きたい、シドはこんな事もあろうかとカモフラージュのために本にはブックカバーを付けていたのだ。そのためふたりはぱっと見ただけではそれが見てはいけない本だという事に気が付かない。「MYMIMI:2016」は幼児の心理に害を与えない健全な作品なのである。
「よせっ! それはリアルにお前らが見ちゃ駄目な奴だから!」
ふたりが中を見るのを阻止しようとシドはメメメに飛びかかった。
「うわっ! ムムム、パス!」
「りょーかい!」
しかし奪われまいと彼女は素早く本を兄に投げ渡す。
「にっひっひ~。これはシド兄ちゃんの大切な本なんだね?」
「ああ、だからさっさと……」
「むっふっふ、返して欲しかったら捕まえてみろ~~~~!」
「わ~~~~~!」
彼は本を持ったまま部屋から出て行った。続いてメメメもシドの脇をするりと抜けて逃げていく。もはや兄妹はブックハンターごっこなど忘れているのであった。
「おいっ! ブックハンターが人の大切な本を奪ってどうすんだよ! 待ちやがれっ!」
彼らは店の方に戻った。棚に収められている書物をじっくりと吟味していた客の男が突然の騒ぎに驚き目をぱちぱちとさせている。
「だ~~~~っ! ちょこまかと逃げ回りやがって! ……あっ、すいませんねえ、すぐに静かにするんで」
小さな双子は狭い店内をどたどたとしばらく駆け回った後、出入口へと向かってからドアを開けた。
「シド兄ちゃん、こっちだよ!」
「んなっ! 待て! 外へは行くな! お願いだから行くな!」
「や~だよっ!」
シドの願いも空しくムムムとメメメは禁書を抱えたまま外へと飛び出していってしまった。
「あいつらあああっ……! 僕の大切な物をっ……! すっ、すいません今日はもう閉店! 臨時休業です!」
慌てて客を店から追い出し戸締まりをした彼は双子の後を追った。
ちくしょー! やっぱり血筋か……!
この作品は「MYMIMI:2015」の続編ですが、前作を読まれていない方でも楽しめる様にしようと思っています。少しだけ広がるミミミ達の世界を楽しんで頂けたらと思います。今回ミミミ出てませんけど。