Vol.10:メイドおさわがせします(2)
紀伊國さん的にはミミミはそこまで可愛くないそうでござる。
週末になりハント実施の日がやって来た。ミミミとシドは朝っぱらから中央本線に乗り込み小金井市まで向かっていた。この時間帯だと乗客はまだまばらであった。
「ふわ~あ……何で僕もいるんですかねえ……」
シドは欠伸をかきながら隣に座る少女に話しかける。眠くて頭が回らない。
「メイド体験会なんだろ? 今回はさすがに僕の出る幕はねーだろ……おい聞いてんのかよミミミ」
返事が無いためミミミを見てみると、彼女はこっくりこっくりと首を左右に揺らしていた。がっつり寝ている。その小さな頭は今にも彼の肩に落ちてきそうである。
こっくり、こっくり、こっ……。
「!」
彼はとっさに体をスライドさせてミミミから離れた。直後、彼女の頭はごんと勢いよくシートに打ち付けられる。
「ふぐっ!」
ミミミの頭は一度軽快に跳ねた後再び落下し、そのままぴたりと安定した。何だか一瞬呻き声が聞こえた気がするが、彼女は相変わらずそのまますやすやと眠っていた。
「あっ、危ねえ……! 肩に預けちまうとこだった……! こんな女に僕の肩は貸さねえ……! 貸してなるものか……! そんなリア充プレイをこんな奴としてたまるか……!」
しかしそのままにしておくのも可哀想だったので、しかたなくリュックを頭に敷いて枕代わりにしてやった。
「何かめっちゃ頭が痛い」
武蔵小金井駅のホームに降り立つと開口一番にミミミはそう言った。そらあんな勢いでシートに打ち付けたら痛めるわ、と思いながらシドはリュックに染み込んだ彼女のよだれを拭く。
「僕はわざわざこんなとこまでお前を見送りに来る必要はあるのか」
「……は?」
ミミミが目を丸くして振り向いた。あれ、僕何かおかしな事言いましたかね。
「せっかくの休みに、お前を送り届けるためだけに早起きして小金井まで電車で来る必要はあったのかって聞いてんの」
「…………は?」
もう一度大仰に驚く顔を見せた後(煽りレベル高)彼女は持っていた紙袋を掲げて示した。
「……」
何だかこういうの、前にもあったぞ……。
「なあシド、トイレ行きたくない?」
「別に」
「トイレ行こうか」
「何だかこういうの前にもあったぞ!」
逃げようとするも腕をがしりと掴まれ、シドはそのままミミミによって男子トイレへと連行されていった。
北之上の屋敷の前ではメイド体験講座の受け付けが行われていた。人数制限は五十人であり定員に達し次第受け付け終了であるが、この辺りの地区にひっそりとしか告知を出していないのでこれまでにそれほどたくさんの受講者が来た事は無い。今年も受け付けを始めて三十分、来たのはたった七人であった。
「おはようございまーす!」
土田が暇を持て余していた頃、とびきり元気な声と共に黒髪の少女が現れた。
「おはようございます。受講をご希望ですか?」
「はい!」
「それではこちらにお名前とご住所と連絡先をお書き下さい」
「はーい!」
元気があっていい。素直そうな娘だな、と彼は思った。ミミミという名前らしい。珍しい名前だ。
「あのー! もうひとりいるんですけど!」
ミミミは後ろを振り返った。土田もそちらに目をやると、電信柱の陰にこっそりと隠れている誰かがいる。
「ああ、お友達と参加ですね。どうz……」
次の瞬間彼は固まった。
ゆっくりと姿を見せたその人物はどこからどう見ても男であった。肩幅もあるし、肉の付き方が明らかに男なのである。顔も若干角張っている。髪もつんつんしているし……もう一度言うがどっからどう見ても男である。
「ほらー! 何やってるのよエロ子? 早く受け付け済ませちゃいなよ!」
「エッ! エエエ、ソソウネ……」
…………裏声じゃね?
戸惑う土田をよそにミミミの友人は名簿に名前を書いていく。絵呂子という名前の様だが……。
君、男だよね?
という言葉が喉まで出てギリギリで止めた。いやいや落ち着け土田。もしかしたら女の子かもしれないぞ。見た目が男っぽいだけで、正真正銘の女の子かもしれない。もしそんな言葉をかけてしまったら彼女(?)の心を傷付けてしまうに違いない。
「……ミ、ミミミさんにエロ子さん……ですね……ど、どうぞ中へ……」
「はい! よろしくお願いしまーす!」
「ヨ、ヨロシクオナシャス……」
やっぱ裏声じゃね?
しかし、そう言い出せる勇気が彼には無かった。
「お前の目は節穴かああああああああっ!」
「うるさい」
受け付けを無事に済ませたふたりは順路に従って指定された場所へと向かっていた。この北之上邸は広大な敷地を持っており、全部で四つの館がある。周りは壁で囲まれており外への出入口は先ほど通ってきた正門と、二ヶ所の裏門のみである事は既に調べがついていた。
「何でだよ! 何でそのままスルーなんだよ! 明らかに不審者だろ僕! 明らかに女装した男だろ! 何で止めねーんだよ! 何で止めてくれなかったんだよ……!」
「ボクのコーディネートが完璧だった証拠だろ」
「レディース着てウィッグ被ってチーク塗っただけだろうが! 何だあいつ童貞か! 童貞だな! 本物の女の子を知らねーんだな!」
エロ子というのはもちろん仮の姿で、その正体は武蔵小金井駅の男子トイレの個室で五分で女装を施したシドである。バレバレだから受け付けで引っかかって終わりだと思っていたのであるが……。
「これでハントに付き合わなきゃいけなくなっちまった……」
「はっはっは、逃げられると思ったのかお前」
ナチュラルにそんな台詞を吐けるほどには目の前の少女は薄汚い人間である。ちなみに土田は童貞ではない。
「はあ……もう通っちまったんじゃしょうがねえか……逆に考えるんだ。周りはメイド女子だらけ。こうなったら思う存分メイドさんをこの目に焼き付けて帰ってやる……!」
「引くわ」
「で、とりあえず第一関門は突破した訳だがどうすんだ。めちゃめちゃ広いぞこの屋敷。探すのに苦労しそうだが」
「敷地が広い所で本がある場所はどうせ限られてるよ。あるのは持ち主の私室かあるいはコレクション・ルームか。その部屋がどこにあるのかさえわかれば7割は終わった様なもんでしょ」
「部屋の場所がわかっても、今度はどうやって忍び込むかだぞ。私室ならなおさらめんどそうだ」
「それは見付けてから考えればいい事。私室でも不在にする時間は必ずあるはずだよ。食事とか風呂とかね」
「なるほど、それはそうか」
目的の館に到着し中へ入る。靴脱ぎは無く土足で入館してよさそうだった。貼り紙に従って大広間へ行くとそこにはメイドがふたり待っていた。
「おお~、本物のメイドさん……」
女装している事などすっかり忘れシドは感嘆の声を漏らす。
「おはようございます。こちらをお取り下さい」
長机の上には紙袋が用意されていた。ふたりがそれを手に取った後、メイドのひとりが話しかけてきた。紙袋の持ち手に付けられているタグに書かれた番号が今夜の宿泊用の部屋の番号との事である。礼を言いふたりは宿泊部屋へと歩き出す。
「ってエロ子って何だよ!」
「遅っ!」
初めてその名前を呼ばれてから十分ほど経った今ようやくシドはツッコんだ。
「それにしても全く考えてなかったが寝室は個室なんだな。ひとりひと部屋とはまた豪勢な」
「よかったね、外にならなくて」
どうやら相部屋だった場合は半野宿させられる所だったらしい。
寝室はミミミと隣同士だった。彼女と一旦別れ部屋でしばらくゆっくりした後、集合時間が近くなったのでシドは渋々メイド服に着替え始めた。
「……まさかこんなもんを着る日が来ようとはな……はあ……」
着替えが終わりミミミを呼びに行くかと廊下に出たら彼女も全く同じタイミングで隣の部屋から出てきた。なるほどやはりこいつは腐っても女子。似合わないと言えば嘘になるほどには様になっている……背中のバットさえ無ければ。別れる前まで結んでいた髪は今は解いていた。
「ぶははははははあーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃうへうへうへぷくくくくくくくくぶっほほほほほほほほほぶっしょおおおおおお! げほっ! おえーっぷぐふふふふぐははははははは!」
彼女はシドのメイド服姿を見た途端腹を抱えてげらげらと大笑いを始めた。そうか、これが殺意か。
「どっ! どうしたのシド君!? と、とっても似合ってるよ! はっはっはわーははははははははは!」
「指を差すな指を! 誰のせいでこんな格好する羽目になったと思ってんだよ!」
笑い過ぎてミミミの目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「あーはははは引くわ! 超引くわ! かつてないほどの引き際だわこれは!」
「いーからさっさと行くぞ! 集合時間に遅れちまうだろ! くそっ!」
この恨み忘れねえぞ……。
その後おかしさに耐え切れず床を転がり回ったミミミが落ち着くのを待ったせいでふたりは集合時刻に遅れるのだった。
神田神保町から小金井って結構遠いみたいですね。