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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
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マスタング

 ギャロッピングホースのエンブレムがフロントに光るマッシブな車。V6のほうのGTだがインパネのファンデーションにナビをインストール化してある。雨宮の自慢の宝物のひとつだ。

 もちろん色は黄色だった。ド派手だがこれぐらいがこいつには丁度いいと思っている。

 雨宮はブレーキを踏み込みエンジンの始動ボタンを押す。ドルルン!と重低音が響く。マンションの地下駐車場から黄色いマスタングが現れ32号線を目指す。

「先ずはガス入れないとな」

 この先にスタンドがあったなと思った時には既に左車線が列を成していた。この程度の順番待ちなら許容範囲という所か。

「まあ、いいか。あとは食料と生活必需品」煙草に火をつけて気長に待つかと腰を据える。

 ウィンドウを少し下げると煙が外へゆっくりと流れていく。

 雨宮はその紫煙を見つめる。


 ――それは23歳の時、雨宮は大切な婚約者を失う。所謂(いわゆる)不慮の事故というやつだった。

 ある日、仕事がどうしても休めず雨宮はデートをキャンセルし結果、彼女を一人にしてしまった事がある。

 彼女の名は美麻 麗。年齢は雨宮より2歳上。二人の挙式は6月に決まっていた。デートをキャンセルされた彼女は一人で式場に向かったらしい。

 後日、式場の担当者から聞いた話では新郎を喜ばすサプライズ話だったそうだ。それを思いつき担当者とアポを取り式場へ向かう途中の事故だった。

 彼女の姉から連絡があり雨宮は病院へ駆けつけた。その時、道路が渋滞していた事が脳裏に焼き付いている。進まない車内で彼女を一人にさせてしまった後悔の念が大きく増大し声をあげて泣いた。


 何とか一命を取留めて欲しい。


 神よ、いるのならこの俺の命と引き換えでもいい、彼女を麗を助けてくれ!何度も祈ったが願いは叶う事はなかった。

 息を引き取るときに彼女は小さな声でこう言った。

「私の分まで絶対生きて緋色……」

「お願い……私の分まで幸せに……」

 この言葉でこの言葉の力だけで今まで生きてこれた。

 自分の愚かさ無力さに嫌気が差し自暴自棄になって何度も生涯の幕を降ろそうとした。

 けれど、いつもあの時の言葉が心の奥にあり思い留まった。だから今でもこうして生きているのだと思う。

 生きる意味を失くした時に生きる意味を貰ってしまった。彼女の願い。

 あれから十年以上経ったが今でも渋滞が嫌いで仕方ない。あの時の感情を思い出す。

 雨宮は煙草を消しながら想いに耽っていた事に気が付いた。

「いっそこの世が壊れてしまえば」雨宮は言いかけて止める。

『いや、やるだけの事はやってから』そう思いながら現実に目を戻す。


 あの映像を最初に見たのが10日前ぐらいか。

 それ以来、ネット上では話題騒然となり、いくつもの似たような映像、画像がアップされ続けている。ブログや掲示板でも、あれは本物の歩く死体だ!いや、ニセモノ作り物だと毎日論争をしている。世界各地からも同じような映像が次々に投稿されてきていた。

 そして決定打。

 昨日、横浜で起きた通り魔事件。これは報道と目撃情報が食い違っているようだった。報道では白昼に起きた犠牲者12人という通り魔事件として伝えられている。普通、これだけの犠牲者が出た通り魔事件なら各放送局は挙って報道するだろう。

 しかし、今回はあまり取り上げていない。確かに各国でのテロや暴動騒ぎがあるにしても腑に落ちない感じがする。現場での目撃者やその時の動画等がweb上で上がっているが報道とは決定的な相違点がある。

 実際は次々と首を嚙み千切られたのだという。その動画も数々ある。刃物ではなく噛みつくという異常性。狂気を感じてならない。

 同じ県内だと緊張感が違う。これは画面の中の出来事ではないごく身近な出来事だった。

 ここ最近の世界規模の暴動と言うのも、もしや暴動なんかではなく『人が襲われている』のならば説明できるのではないだろうか。

 ――あの動画で観た呻く者が襲っている。そう考えると辻褄がピタリと合ってしまう気がしてならない。暴動の鎮圧と言うのは、すなわち呻く者達の殲滅。排除。

 しかし、まさか本当にそんな事は起きるはずない。馬鹿を言うにもほどがある、どう考えてもありえる話じゃない。漫画や映画の観すぎだ。そう思いながら車載モニターに視線を向ける。

 TV画面では緊急特別番組が放送されていた。世界同時多発での暴動の理由についてだった。

 集団ヒステリーだと力説しているコメンテーターのお偉いさんが映っている。彼が熱弁を奮う中、臨時速報がチャイムと共にテロップで流れた。

 アメリカ大統領がまもなく会見を開くらしい。どうやら非常事態宣言が発令されるようだった。暴動での鎮圧で500人以上が死亡したと抗議団体がデモを行なっている映像が流れている。

「これって只事じゃないよな……」

 どのくらい考え込んだろうか。途中、煙草を二本吸った。30分も掛かっていないかもしれないし一時間経っているかもしれない。

 しかし、雨宮の黄色いマスタングはこれでやっと給油口を開く事が出来た。満タンまで給油し吹き零れる寸前まで入れた。

「さて次は食料…か」

 この先の大型モールに行けばまだ売り切れもないだろう。買い占めは気が進まないがそうは言っていられない状況だ。

 俗物的な自分が嫌になるが今はそれを考えない事にする。悪い予感が勝っていると言った方が正解かもしれない。

 雨宮は給油キャップをカチカチと回し静かにフューエルリッドを閉じた。




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