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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
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接触

 ガンッ!


「し、しまった!」

長谷川はちゃぶ台に足をぶつけながら飛び起きた。


 辺りは暗い……すっかり寝てしまった。寝ぼけ眼で機械式腕時計を見る。

「まいったな」

そう呟くと同時に行動を開始し始める。


 作業服の上に茶色の革ブルゾンを羽織る。簡単に持ち物をまとめズボンのポケットにしまう。

 ふと作業中に出た鉄パイプの切れ端が目についた。

「これは丁度良いな……」手ごろな長さだった。姿勢を正し中段の構えを取る。

 同じ長さのパイプ二本を助手席に置きエンジンを掛けた。


 そしてすぐさま、シャッターを開けて大型のキャンピングカーを表に出した。常にエンジンの整備はしてある。良好だ。

 電気を消し、戸締りを確認するとシャッターを降ろして鍵を掛けた。


 車内のTV画面には緊急番組が映し出されアナウンサーは緊迫した顔でそれを放送している。

『本日午後より、全国各地で起きている同時多発暴行事件はいくつかの共通点がある事がわかりました』

『今回起きている一連の事件には凶器は使用されておらず、爪による外傷あるいは噛み付いての…』


 長谷川はここでボリュームを絞った。


 正面に不審な男が見えている。猫背で両手を前にだらしなくぶら下げのろのろとゆっくり歩いているように見える。

 その容姿は街灯の光で影になり確認は出来ないがシルエットで男性だと思った。

「まさか……あれが」

アドレナリンが脳内に広がっていくのを感じる気がした。

『猫背の男』はこちらには気付いていないようだ。

 ライトをつけて走り出すとその男はゆっくりとこちらを向いた。ハイビームで照らして長谷川は驚愕した。肝が縮む思いだった。


「う……これは」

 何という怪我だ、歩けるどころの騒ぎじゃない。顔色も尋常ではない色をしていた。

 その男がライトに浮かび近づく。思わず長谷川は車を止めてしまった。

 再び、徐行運転で近づくと男はボンネットに手を当ててきた。

 ぴたぴたと平手で叩いている。

「ソーラーパネルを壊されたら厄介だな」 

 長谷川は息を殺している。


 叩くたびにボンネットへ血が飛んでこびり付いた。その男は叩くのを止め、側面に回ろうと動きだす。

 この隙に長谷川は車を出して遠ざかった。サイドミラーに映る男の姿は次第に小さくなっていく。


「今の……」


 長谷川は深呼吸するとTVのボリュームを戻した。

『今回の事件に日本政府は各都市に緊急対策本部を設け今後の方針と見通しを発表しましたが未だ……』

 長谷川は今、自分が見たモノについて理解出来なかった。


「なんだ……なんなんだ」

 動揺を抑えきれないのが自分でわかる。

 どう見ても今のはゾンビだった。歩く死体。リビングデッドというやつだ。

『非常事態宣言は発令されてはいませんが出来る限り外出は避け戸締りを……』

 アナウンサーは緊急の原稿を読み上げている。

 あの動画で観たのはやはり本当だったのだ。

「……困ったな」

 これはどう解釈すればいいのかわからない。

 自分に納得のいく説明が出来ない。そもそも死体ではないだろう。生命活動が止まった生物が動ける訳がない。死後は必ず硬直する。必ずだ。


 しばらく考えてひとつの仮定が導き出された。

「まさか……それならば」

 キャンピングカーを走らせながら自分なりの結論が出た。


 ここを少し行くと店舗が集まったモールがある。そこで必要なものを確保しておこうと思った。大丈夫、そのためにこの車を作ったんだ。長谷川は走りながら何度も何度も自分に言い聞かせた。

『今回の日本国内における暴行事件と海外で起きている大規模な暴動との関連は現段階では…』

 TV画面のアナウンサーは興奮気味に原稿を読んでいた。



 午後まで爆睡した雪乃はブランチの後、紫の愛車を水を掛けていた。

「まだ今の季節はいいわ」

 ホースでボディに水を掛けながら呟いた。

「快適に洗車できる」

 

 雪乃は冬でも自分で愛車を洗うのだが、寒いとどうしてもこまめに洗えなくなる。ルーフを洗いボンネットを洗っている時に衝撃の事実が発覚した。


「ん?うああ!」


 ボンネットを爪で軽く擦りながら悲しみの表情を浮かべる雪乃。

「は、跳ね石喰らってたぁ」

 がっくりと首を垂れ全身で悲しみを醸し出している。

「あのNSXのせいだ」

 かなり深い傷だった。高速を走るからには多少の跳ね石傷は付く。それはわかっているし仕方ない事だ。しかしこれは下地まで見えてしまっている。これは早急に応急処置をしておかなければ錆びてしまう。

 洗車を済ませて早くリペアしなければならない。いつもより手早く洗車は終わった。けれど決して手は抜いていない。むしろ丁寧に慎重に他に傷はないか確認しながら行った。

 結果的に数か所の跳ね石の攻撃を受けている事が判明した。愛車にとって…否、雪乃にとってはとても深刻な被害だった。

 ふき取りを終え、ドアやトランク、ボンネットなど開く部分は全て開き乾燥させる。

「このガーニッシュの隙間、いつも後で垂れてくるのよね」

 不満を言いながらプロ顔負けの品揃えの工具棚で紫のタッチペンを探す。

「あった、あった」

 キャップの上部で色を確認し上下に振る。カチカチと音がするはずだった。しかし、まったく音がしない…

「……げっ!」

 中身がどうなっているかキャップを取らなくてもわかる。

「この色まだ売ってるよね」

 不覚だ。近くのカー用品店にでも買いに行くしかない。応急処置なので例え売り切れていても最悪は類似色でいい。

 ネットで買ってもいいが今、この場で使いたい。いつも愛用しているカスタムショップは来年まで改装工事。

「来年、ボンネット交換かな……まあ、でも買いに行くか」


 そうだ、そういえば本日の自宅待機はいったい何時までなのだろう。今、外出して買い物中に連絡があったら面倒な気がする。多分、定時の18時を過ぎればもう自由なのではなかろうか。

 

 こういう時は同僚に聞くことが一番手っ取り早いと考えた。スマホを取り出し職場で仲の良い同僚に電話してみる。

『お掛けになった電話は現在電波の入らない場所にあるか電源が…』

「…もう」

 軽い苛立ちを覚えつつSNSで連絡を入れておく。

 サイトを開いた時のタイムラインや投稿記事、写真。いつもなら気にもならないはずだが今日は目を引く記事が多い。ニュースサイトや関連サイトまで見てしまった。


 死体に襲われる。死体に噛みつかれる。果てには喰われる。


 こんな事ありえない。自分の知識の中では起きるはずのない事象。ドラッグやコスプレ、その辺であろう。

 ―――死んだ者が蘇えるわけがない。映画じゃあるまいし。死後、時間が経てば肉体は硬直していく。動けるはずはない。


 もう既に各地で生活用品や食料の買い占めが起き始めているようだった。こんな時の買い占め行為は、更に混乱を招く事を雪乃は知っていた。


 日頃から防災に余念のない雪乃の家にはかなりの備蓄はある。当面困る事はない。今、彼女がどうしても欲しいのはタッチアップの紫だった。生活用品や食料品ではない。

 服を着替えて髪を解き、軽く化粧をして身支度を整える。カチューシャ代わりにレンズの大きなサングラスを頭に載せた。

 黒いノースリーブのハイネックの上にスタンカラーでタン色の薄手のジャケット。下はビンテージジーンズに黒いスニーカー。

 雪乃は夕方まで待機したらもういいはずだと自己判断を下すことにした。

 連絡先を知っている同僚は皆電話に出ないか繋がらない。最近、言い寄って来る学年主任や、色目を使ってくる男性体育教師もいるがこの辺は面倒なので関わりたくない。

 もう自己責任でいい。自由行動をする事にした。


 この世に存在する青いボディ色ではスバルの青が一番だと雪乃は思っている。塗装の被膜は薄いらしいが発色は最高に美しいと思っている。

「さーて、出番よ。スバルちゃん」

 その青いWRX S4のエンジンを掛けて暖気運転している間、R34のドアやボンネットを閉める。

 アウターハンドル、サイドミラー、アウターモール、前後バンパーの隙間。水滴が流れ落ちるのを気に入らなそうに見ている雪乃だった。

 シートに座りベルトを締め、リモコンでシャッターを開ける。

 すると上昇するシャッターの隙間から足が見えた。向かいの家の前で後ろ向きに立っているように見える。

 別にこれと言ってどうという事はない光景。しかし、何故か雪乃は凝視してしまう。完全にシャッターが昇り切りその人影の全容が見えた時、目を離せない理由がわかった。

 男性だった。その男は向かいの家の門を揺すっている。身体を左右にゆっくりと振り、門を揺らしているように見える。酷く髪が乱れており着ているスーツも酷く汚れていた。

 その家の住人は知っている。もちろん家族構成も知っている。向かいの家ならば当然だろう。だからわかる。この汚れたスーツ姿の男性はこの家の者ではない。


「これが……今、世間を騒がせているのはこれか……」

 きっとこの人は酔っ払いか、はたまたSNSで話題になっているから面白がって真似ている悪戯なんだと思った。


 WRXを出して左にステアリングを切り、徐行しながらリモコンの閉めるボタンを押した。

 その酔っ払いは車の音に反応したようにこちらに振り返り、ゆっくりと近づいてくる。距離は20mもない。

 日は落ちて薄暗く顔までは見えないが服だけでなく顔も酷く汚れている感じがした。

 気だるい感じでゆっくりゆっくり歩いて来るのが停車した青いWRXのボディに映り込む。


「よっし、閉まった」

 シャッターの閉まるのを確認した雪乃はクラッチを踏んでギアを入れた。

「…ハロウィンじゃないわよね」

 そう言うとタイヤを鳴らし走り去る。


 その男は雪乃の車に両手を伸ばしながら物欲しそうに呻き声をあげた。



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