女神は鉄の夢を見るか
ガレージの電動シャッターが開き、R34スカイラインが入る。その表札の文字は稲葉となっている。
WRXとレビンが磨き上げられてそこに鎮座していた。その中央の空スペースに紫のR34が停止する。
「よっっと」ドアが開くとすらりと伸びた脚が見え美しい女神がその姿を現した。
雪乃は愛車のドアを閉めシャッターのリモコンを押す。
白いコンクリートの床を栗色に輝く美しい髪をなびかせながらコツコツと歩く。
室内に通じる扉を開けた時に丁度、電動シャッターが閉まりきった。
扉を閉めて雪乃の姿が消えた後、ガレージの証明が消える。
再びドアが開き雪乃が顔を出した。
「またねースカイラインちゃーん」
そう言うと彼女は愛車に投げキスを送った。
玄関でブーツを脱ぎ、廊下を歩きながら脱いでいた黒い上着をリビングのソファーに置いた。
「あーやば。早く寝なきゃ……」
ピアスやブレスレットを外してテーブルに放った。
シャワーを浴び終えた頃には新聞配達の原付の音が聞こえていた。
6時にアラームが鳴ってからもう既に5分以上鳴り続いている。やっとの事で布団から顔を出す雪乃。
「んぅん……ぐぅ」
雪乃は眠くて死ぬんじゃないかと思った。本気でそう思った。
「3時間も寝てないじゃん……」
今日は、今日こそは帰ったら早く寝ようとも思った。
ふらふらと立ち上がりトイレを済ませ、顔を洗いに彷徨っている時、スマホが鳴った。
アラームのスヌーズを切り忘れたようだ、思わず舌打ちが出る。
『今日行けば休みだ……』今の彼女を支えているのはそれだけだった。
「もう……ちゃんと消したでしょうに……」
重い足取りで携帯を取りにもどるとスヌーズではない。
着信だ。メモリーに無い見知らぬ番号。
「……誰よ」
面倒だから無視しようか一瞬迷ったが出てみる。
『おはようございます、森田ですが』
聞いたこともない名前を言われたのでつい彼女は言ってしまう。
「はぁ?」
眠気と戦う事で精一杯の雪乃だ。
「誰?」
それは怪訝そうな声にもなろう。
しかもこれは恐らく間違い電話だ。早朝からの眠い時に来る間違い電話はこの世で一番迷惑なんじゃないかと思う。
だが次に出た相手の言葉で彼女は一気に目が覚める事となった。
「教頭です。おはようございます、早乙女先生」
電話越しでペコペコ頭を下げたかと思うと少しだけ会話をしその通話を切った。そして両手を高々と上げる。
ボクシング映画のラストシーンの様に。オリンピックで金メダルを獲った選手のように。
「やった。寝よう」
本日は臨時休校になり自宅待機だそうだ。
理由は政府からとか県から通達とか言っていたがよく覚えていない。
……インフルエンザとか言ってたな……この時期に?
まあ、ない話ではない。過去に例もある。全国的にらしいので後でネットで調べればいいと思う。
「やっぱ神様っているのね」
心底嬉しそうにベッドに戻った。
今はただ神様に感謝してこの幸せを有難く受け取ろうと目を瞑った。
――—大型のキャンピングカーの後ろハッチを開き両サイドから何やらレールを出す。それは太く頑丈そうなパイプで出来ておりスロープ状になっている。折り畳み式のスロープにしてはコンパクトに出来ていてその上作りが丈夫そうに見える。
「よし、上出来だ」
長谷川はモトクロスバイクをキャンピングカーに収納した。
内壁の左右には燃料を入れるドラム缶が一本づつ固定されている。中央にはタイヤの幅の溝がありそこに単車は納まる仕組みだ。もちろんガッチリと固定さているのは言うまでもない。
車内には至る所に収納があり、デッドスペースはまったくない感じで構成されている。簡素なキッチンとトイレ。二階のロフトには寝具まで用意してある。
なかでも圧巻はボンネットとルーフに付いているソーラーパネル。これでバッテリーの心配なく電化製品が使える。
自前のキャンピングカーを改造したとは言え、よくも6日間でここまで作ったものだ。さすがは腕利き職人と言った所だろうか。
これで後は食料と生活雑貨を買い、燃料を確保すれば万事心配はない。夜にでも仕上げればいいだろうと思う。
そして人気のない山奥で事態が収拾するまでキャンプをしていればいい。
しかし……正直疲れた。何かに取り憑かれたように作業に打ち込んだ。迫りくるまだ見えぬ災いと戦うよう為に。無我夢中とはこの事かと思った。
夜通し作業を行っていた長谷川は、汗を流したい衝動に駆られ風呂を沸かした。短く刈り込んだ髪を洗い、逞しい体も洗った。
湯船に浸かるとお湯がざざーっと溺れ、疲れも流れて行くような気になる。
「ふぅ…」
思わず溜息が出てしまう。
風呂からあがり麦茶を片手にリモコンを押してTVを付ける。今朝から全国的にインフルエンザで臨時休校とニュースになっていた。どのチャンネルも同じニュース。これだって怪しいものだ。
全国同時にインフルエンザはあり得ない。恐らく真実は発表されていない。なんと疑い深い。つくづく自分は素直じゃないんだなと微笑んだ。
PCで情報を仕入れようと思いながらも瞼が鉄のように重くなっているのがわかる。
長谷川には少し休息が必要だった。




