長谷川 宣雄
筋骨逞しい男がドラム缶を持ち上げてバスの様な車の後ろに置いた。積んだのではなく、ただドスンと置いた。
それを横倒しにして寸法を測るとまたドラム缶を戻して首を捻っている。アルミ製のパイプを手に取り、膝をつくと作業ズボンのポケットからペンを取り出した。
何かを書いたかと思えば、今度は隣に停めてある単車の寸法を測り始める。その『KAWASAKI』と記されている緑色のタンクに光が差し、跳ね返って煌く。眩しさからか目を細めているので嬉しそうに見える。
大きな手書きの製図用紙を何度も見ては現物合わせをして調整している。この男がマイクロバスの様な大型キャンピングカーを改造し始めて今日で丸二日経つ。
ウィンドウ部分には格子が付けられ不要な窓には鉄板が張り付けてあった。さながらそれはまるで装甲車の様な佇まいである。
間違いなく車検は通らない。
長年愛用しているハミルトンの機械式腕時計を見た。11時30分を少し回っている。首に巻いていたタオルで額の汗を拭いた。
「さて、蕎麦でも茹でるか」
シャワーを10分で済ませ台所に立つと手際よく昼食の準備に取り掛かる。あっという間に蕎麦屋の盛り付けのような綺麗な蕎麦が出来上がった。欲を言えば生わさびを切らしていた事が彼にとっては不服だった。
一口蕎麦をすすると「うむ、旨い」と昼食に舌鼓を打つ。すべて平らげ彼は蕎麦湯まで堪能した。
長谷川宣雄はここ鎌倉で小さな鉄工所を経営している。街道から少し入った所にある町工場と言ったほうが良いかもしれない。
絶版になってしまった自動車やバイクのパーツ製作。はたまた大型機械の部品製作や修理など。材料さえあればどんな物でも造る自信が彼にはあった。
腕っこきの職人としてその世界では有名な彼の元への依頼は常に絶えない。以前、某巨大企業から試作機の部品を依頼された時は数千万円の報酬を受け取った。他の人間なら、こんなにおいしい商売はないと思うだろう。
しかし長谷川はなんだか悪い気がして、そのような依頼は今後一切やらないと心に決めた。食べていけるお金があればいいというのが信条らしい。それに金銭の為に休みは潰されたくない。普段、鉄と暮らしている分、休日ぐらいは土や水といった自然と触れ合いたい。彼がアウトドアの好きな理由はそれだった。
毎週のように一人で各地を周りキャンプしている。とても気に入っている自慢の趣味だ。だが、今週は行けそうにない気がする。
他の人が聞いたら頭がおかしなったと思うかもしれないが、良くない事がすぐそこまで迫って来ている気がしてならない。何故かとても嫌な予感がしてならない。
数週間前から毎日報道されているアフリカの暴動。海外動画サイトで観た南米や中東、アジア各国での不可思議な人々の映像。
真実、真相は未だ不明だが腹の底から恐怖のような不安が込み上げる。その不安こそが嫌な予感であった。
その災いに備える為に今出来ることをしたい。そのために普段は決してしない臨時休業をしたのだった。
———もしも自分が思っている事が当たっていたら……。
燃料は高騰するだろう。いや、燃料どころか物価すべて高騰するはずだ。高騰ですめばいい。恐らく入手出来ない。あの映像が本物なら逃げる手段を考えておく必要がある。場合によっては戦う手段も必要かもしれない。
兎に角、直感を信じて今は備えるべきだと思った。
……生まれて初めての非常事態になるのだろうか。緊急事態なのかもしれない。そう考えているうちに『もしなにも起きなかったら』と思った。
「それだったらそれでいいじゃないか」
声に出してそう言うと長谷川はドラム缶を再び担ぎ上げた。