infernos
「助かったぜ!神田ちゃん」
「ありがとうございます、神田さんっ!」
凛子の声と同時に老人と少年もお礼を言った。
「ありがとうございます」
「おにいちゃん、ありがとう」
真剣な眼差しで前方を見据えながら神田がポツリと言う。
「こんなにお礼を言われたのは生まれて初めてかも」
真っ直ぐな目線の先には多数の感染者がこちらを向いて呻き声をあげていた。
内臓がはみ出ていて引き摺っている者、片腕が欠損し神経や血管をブラブラと揺らしながら歩いている者、足の肉がない為歩く事が出来ず地面を這う者。
皆、呻きながらこちらにゆっくりと向かってくる。
正に地獄を絵に描いた様な光景だった。
「そいつは良かったな。いい事すると気持ちいいだろ?」
同じく前方を確認した雨宮も神田の顔を見てそう言った。
「さて、ラジオはどうだ?やってるか?」
そしてすぐさまカーラジオに目をやった。
神田は前を見ながら首を振る。それとほぼ同時にギアを入れた。
「いや。ダメっぽいね.緊急放送もやってない」
「FMもAMも?スキャンは……こうか?」
雨宮が選局ボタンを長押ししながら尋ねる。
「まだFMしか触ってない。と言うかAMはアースの関係でやられやすいから弄ってもない。自動緊急放送の対応でもないし」
「ん?何だかよくわからないけど、そうなのか。……せめて国営だけでもやってりゃな」
「AMアンテナ局ってねアースを地面に差してるんだよ。だから……って、今はこの話必要ないね」
神田が感染者の群れを巧みなハンドル捌きで躱し続けながら言った。
「凄いな、お見事だ。しかも今、話の空気読んだな」
雨宮が悪戯な笑みを浮かべて言う。だが、その顔色は悪く、額には汗も浮かんでいる。
「緋色さん、大丈夫?……痛むんでしょう?」
後部座席に座っている凛子が前を覗き込んで言った。
「正直、ジンジンして感覚はあまりない。でもまあ大丈夫、心配無用さ。それよ……」
『……ガーガー…ザザッ……今回の世界規……プップ……キュル……リカ政府での対応に伴い…ザザッ…府での……キュル…部による……』
「あっ」
少年が思わず声を上げた。
老人は嬉しそうに少年と目を合わせている。
「よし、何とか入った」
雨宮は全神経を聴覚に集中しているようだった。
「入ったね。皆静かに」
神田はそう言って腕を伸ばしラジオのボリュームを上げる。
『緊急事態宣言から既…ザザッ…時間が経ったガガッ……ントンでは、大規模なデモ隊との衝突により多数の死傷者が出ております』
「え……今さら、これがデモとか……?」
「どうだろうな、感染者の事かもしれないし……意外とホントにデモ隊かもしれないしな」
凛子の問いかけに半信半疑で雨宮は答えた。
神田がアクセルを踏み込んで言う。
「兎に角、早く合流しよう。こっちだよね?早乙女さん達」
「ああ。この先にある街宣車みたいなデカいヤツだ」
雨宮は駐車場で見たキャンピングカーと思われる大きなカスタムカーを思い出していた。
「雪乃さんに……早く手当をしてもらわないと」
出血している腕を見つめて凛子が心配を口にする。
「ああ。でも長谷川さんのが俺より重傷っぽいぜ」
「うん。そうね、でも早く看てもらわないと」
凛子はそう言うとスカートの裾を破り、雨宮の腕に結んで止血した。
『こ…ガガ…で再度、政府からの特別……ザッザー…をお伝え致し…す。昨日より各地で発生しております暴動ガーガーッ……国民の皆さまは不要な外出を控え、戸締りを確認し不用意に外部からキュル…ビービ…き入れない事を徹底して下さい。……在、避難所として設定してある施設へは無理に向かう必要はありません。自宅にて待機をお願いしております。尚、警察や消防、救急は非常に繋がりにくくなっており暫く待ってからの通報のご協力をお願いしております。』
「ミニスカートにする気だな」
「……」
凛子は無言のまま、チラリと横目で雨宮を見た。
「……ありがと」
「無理にしゃべらないでいいから安静にしてて緋色さん」
類稀な運転技術で群れの中を縫うように走っていた神田が声を上げた。
「おっと」
その声と同時に車体が思い切り左に揺れ車内全員が傾く。
「ぐっ……!」
「きゃ!」
ドンという鈍い音と共に感染者がボンネットに乗り上げ後方へ弾かれて転がる。
「やっちゃった……」
「あーあ。前、へこんじゃったぞ」
「早乙女さん、怒るよね……」
眼鏡がズレたままで神田が言った。
「あ!あれ!あれでしょ?」
「ああ、あれだ」
神田の表情が明るくなり眼鏡を押し上げている。
『ここで再度、政府からの特別非常事態宣言をお伝え致します。昨日より各地で発生しております暴動ガーガーッ……国民の皆さまは不要な外出を控え、戸締りを確認し不用意に外部から他者を入れない事を徹底して下さい。……在、避難所として設定してある施設へは無理に向かう必要はありません。自宅にて待機をお願いしております。許可のない外出は法律により禁じられています。尚、警察や消防、救急は現在、非常に繋がりにくくなっており暫く待ってからの通報のご協力をお願いしております。』
「法律とは災害対策基本法か……これは災害という訳か……自衛隊の要請」
長谷川がカスタムカーの座席で呟く。合わせたラジオから情報と同時に絶望感が飛び込んで来た。
「感染者の駆逐、そうか……もうヒトではない何かと認めた訳か」
ますます、一人外で感染者を引き付けてくれていた雪乃の安否が気になる。
「ぐぐっ……」
体制を変え窓から外の様子を伺おうといた長谷川が呻く。
「こ、これしきで……情けない」
長谷川は薄れゆく意識の中で雪乃の悲鳴が聞こえた様な気がした。
「わ……」
車外の感染者を引き付けながら走る雪乃が不意に立ち止まる。
「……ごめんね。」
中学生を思われる少女の前から雪乃が走り去る。その少女は必死に腕を伸ばし、すがる様に雪乃を求めている。
「ガアァァ!ウウウッ!」
少女の顔半分は食い千切られており、胸部は肋骨まで見える。つま先はあり得ない方向へ曲がり上手く歩けない様だった。
「ごめんね。もう……どうする事も出来ないの」
雪乃はこみ上げる悲しみを振り払うように全力で長谷川の車の元へ走った。




