剣ヶ峰
駐車場にいる感染者の大半は音に釣られるようにモールを目指していた。
しかし、その動線上に獲物がいるとなれば貪欲に襲いに掛かる。これは感染拡大を目論む寄生体の自己複製や増殖と言った、自らを繁栄させる当然な本能なのかもしれない。
迫る血まみれの感染者を目前に雨宮はそんな事を思っていた。
「緋色さんは動かないで!」
向かってくる感染者を迎え撃つべく身構えた雨宮に凛子が声を掛ける。
「血が出てる時に動くのは良いはずないわ」
走り込んで勢いを付けた凛子が感染者を蹴り倒す。
「あ、ありがと」
凛子の判断力と行動力に雨宮は驚いた。それと同時に頼もしいと感じる。
そして何より、腰を落とし流れるように一撃を放つ姿は、その美しい容姿と相まって大変見栄えがいい。
ガンッ!と起き上がろうとする感染者の側頭部に回し蹴りを放つ。相手はその勢いのまま地面に頭を打ち、跳ね上がる。
「おねえちゃん、つよいね」
「ああ、まるで天使が戦ってくれているようだ……」
老人と少年もその強さと美しさに見惚れ、今、自分の置かれている現状を忘れそうになっていた。
倒れた感染者の首を雨宮が踏みつけて止めを討つ。ゴキッともパキンッともとれる嫌な音が聞こえた。
「凛子、疲れてないか?大丈夫か」
「うん。まだ大丈夫。緋色さんこそ大丈夫?」
「ああ。俺はまったく余裕だ」
雨宮の片手はだらんとして血が伝っている。打撲もあるのだろう、以前より動きが鈍いのが凛子にはわかった。
「うそつき」
「お互い様だ」
凛子自身も疲労の色は隠せない。踏ん張りが効かない感じで一撃が軽い。
正直、疲れているのだろうが今は動き続けるしかない。今、この人達を緋色を守れるのは自分しかいない。
「はっ!」
正拳で感染者の顎を撃ち抜く。呻き声を上げながら膝からガクリと崩れる感染者の首を、またも雨宮が踏みつけて折る。
「緋色さんっ!動かないでって、もう」
「平気だ、これくらい」
凛子に叱られた雨宮は先ほど自分が首を折った感染者を見つめている。
「わかった事がある。首を折ると奴ら中々起き上がれない。ただ動きは止まらないな、まだ起き上がろうとしてる」
首があり得ない方向に曲がりながら何度も起き上ろうとするが、感染者はその都度バランスを崩し倒れ込む。
「あれだけ首が曲がってちゃな。平衡感覚が掴めるわけがない」
「でも首が折れてるのに動くって……やっぱりこの人達って……」
「ああ、通常の生き物ではないな。動く死体だと思って間違いない」
「あっ!」
凛子が老人と子供の背後に迫る感染者に気が付いて走った。
そのままの勢いで右足を前に出し感染者の胸元へ前蹴りを放つ。きっと生前は大人しかったと思われるスーツ姿の中年男性は堪らずもんどり打って後方へと転がって行く。
「グェ……ガガ!」
ゴロゴロと転がったサラリーマン感染者が黒い高級車にドスンとぶつかった。
――キュキュキュキュキュ!ファーン!ファーン!ファーン!ファーン!
けたたましい音が鳴り響く。車に付いているセキュリティーセンサーがその衝撃で作動してしまった。
「ヤバい!やっちゃった」
「ああ、これはヤバいな」
モールを目指していた感染者たちが一斉にこちらを振り返って、まるで値踏みをするように凝視している。
「おじいちゃん!こっち見てるよ!」
「大丈夫、お爺ちゃんの傍にいなさい」
こちらへ向かって来る数十体の感染者。
「やるしかないな」
身構えながら雨宮が言う。
「ごめんなさい……私のせいで」
「凛子のせいじゃない。寧ろ助けて貰ってありがとな」
戦闘態勢の二人は嫌な気配を感じた。いや雑音、騒めきと言った方が当てはまるかもしれない。
この悪夢のような現実は更に最悪の状況を突き付けて来る。
国道沿いから一斉に数十体の感染者が雪崩れ込んで来るのが見えた。
まるで何かのイベントへ向かう群衆の様だった。
「グウウゥヴァ……」
「アァ……ガガガァ……」
気味の悪い呻き声を上げながら感染者の数は次第に増していく。
「参ったな、こりゃ」
緋色は辺りを見回した。何か武器にでもなる物はないかと思ったが生憎、目ぼしい物はこの駐車場にはない。強いて言えば数メートル先にショッピングカートが転がっているぐらいだった。
「緋色さん!どんどん来る」
「だな。ここは最優先で子供とお爺さん、守るぞ」
「うん」
凛子は感染者達を真っ直ぐ見つめながら頷く。
「剣ヶ峰」
孫を後ろ手に庇いながら老人がポツリと言った。
「けんがみね?」
「気にする事はないよ。大丈夫じゃよ」
不思議そうに祖父の顔を見上げる少年に雨宮が声を掛けた。
「土俵際ってわかるかい?お相撲の周りの丸い枠」
「うん。おじいちゃんとよく見るよ、おすもう」
「あそこまで追い詰められてもまだ終わりじゃない。負けではないんだ」
「うん。でも負けそうであぶないよ」
「相撲ってのは土俵際からが面白いんだよ」
雨宮は自らを奮い立たせようと言った。
感染者の数はもう数える事が出来ないぐらいに膨れ上がっている。
「でも、さっすがにこれじゃなぁ……」
「正面、来るわよ」
じりじりと後退しながらも二人は老人と子供を庇い続けていた。
「まずい。後ろからも来てる」
退路を断たれ、立ち止まる四人の前には無数の感染者が呻き声を上げ、手を伸ばして迫って来る。
「お二方、この子をお願い出来ますでしょうか。ここは私に任せて逃げて下さい」
老人が少年の肩に手を置いて言った。
「なっ」
「無茶ですよ」
「おじいちゃん!何するの!?」
間違いなく自分自身を囮にして時間を稼ぐ事が明白だった。




