明けの明星
水村の持つニューナンブM60は長谷川に狙いを定めていた。
『どんなに強くても拳銃には敵わねえだろ……?』
しかし、彼は構えていた銃を降ろすとズボンの腰へと仕舞う。
「ちっ……化け物どもめ」
感染者たちが邪魔でここからでは無理がある事と判断を下した。
『五発しかない。もっと確実に撃ってやる』
売り場の曲がり角から血まみれの女がこちらへ向かって来る。どうやら感染者に気付かれたようだ。
「マジうぜえ」
水村は腰の銃を右手で確認するとその場を後にした。
シャリンと銀細工が音を鳴らす。
「そりゃっ!」
雨宮がフルスイングで鉄パイプを振るい感染者の足を払った。ゴキッと鈍い音がして対象の骨が折れた事がわかる。足を折られ頭から床に叩きつけられても、相手は何事も無かったかの様に平然と立ち上がろうとする。しかし折れた足では自重を支えきれずバランスを崩し再び倒れ込んだ。
「いくら死んでるとはいえ」
這いつくばる感染者の真上から首へ鉄パイプを叩き込みながら言う。
「どうも気が引けるな……」
雪乃がバットで感染者の首の後ろをゴンと殴る。
「ここよね!」
だが力不足のためか相手は倒れるには至らなかった。ゆっくりと振り返ると、歯を剥き出して腕を伸ばし彼女へ襲い掛かろうと迫って来る。
「あ。やば……」
走り込んできた長谷川が一閃、鉄パイプの太刀を振るうと、感染者は糸の切れた人形の様にガクリと崩れ落ちた。
「大丈夫か!雪乃さん」
「ありがと、平気よ」
「傍にいなさい。離れてはいけない」
「長谷川ちゃん」
雪乃は続ける。
「素敵ね」
一瞬、雪乃を見て少し笑顔を見せた長谷川はすぐに鬼神の形相に戻り、周りにいた感染者たちを薙ぎ払い蹴散らした。
「ほんと凄いわね、この数分でどれだけ倒したのよ……」
感染者数人が倒れる人を取り囲み貪り喰っている。鮮やかなピンク色の内臓が目に飛び込んで来てしまい、神田は初めて見るその光景に目を離すことができなかった。
「ぐえ……モロ見てしまった」
顔を伏せて見ないようにしている彼の背後から感染者が迫っている。それに気が付いた凛子が助走をつけた前蹴りを放ち感染者を吹き飛した。
「どうしたの!?神田さん!」
後、数秒遅かったらと思うと凛子はゾッとした。
「……え?」
神田はまったく理解出来ていない。今、何が起きたかわかっていなかった。
「あ!あれ見て如月さん」
マイペースな神田が指した先には内臓を露出しながらも動き出す人の姿があった。起き上がろうと動く度にずるりずるりと内臓が床に零れ落ちる。
「うっ……」
凛子は咄嗟に目を反らした。スプラッター映画ですらまともに観た事のない彼女にとってはグロテスク過ぎる。
「やっぱり死んるでしょ?あれ……」
「見てとか言わないでよ……もう」
途中にいた感染者の襟を掴み後ろへ引き倒して、神田と凛子の元へ銀細工の金属音をさせて雨宮が走ってきた。
「感染者はだいぶ減った、次はあのシャッターの穴を塞ぎたいんだ。二人の知恵を貸してくれ」
雨宮が起き上がる青白い顔をした者へ鉄パイプを振るった。
「まあ、あれ塞がないとキリがないからね」
神田の眼鏡はまたもずり下がっていた。まだ指で上げるのは早いらしく下がったままだ。
通路の死角から現れた感染者がこちらへ歩み寄って来る。凛子と雨宮がほぼ同時にそれに気付き、共に動き出していた。
「緋色さん、いきますっ!」
回り込んだ凛子が感染者の背中を思い切り蹴り、その遅い歩みに勢いをつける。
「任せろ。来い!」
半ば吹き飛ばされながら走り込んで来るその喉を雨宮が思い切り鉄パイプで振り抜いた。感染者は空中で半回転して頭からグシャリと地面に落ちる。
「入り口をトラックか何かで塞ぐしかないかな。隙間は棚で埋める感じ」
神田の提案を聞きながら、雨宮が倒れている感染者の後頭部へ鉄パイプを振り下ろした。
「鍵はどうするよ?最近の車は鍵が無いと開かないし直結も難しいぞ」
最善だとは思う。しかし実行するには色々と手間が掛かり過ぎる。
「駐車場の奥に重機あったよね」
神田の眼鏡がキラリと光った気がした。
「重機?見てないな。雪乃!見たか重機なんて?」
雨宮は数メートル先でバットを振っている雪乃へ声を掛けた。
「わかんない。記憶にないわ」
その横にいる長谷川もすぐ隣にいる凛子も首を横に振っている。
「その中のどれかに鍵が付いてれば、他の重機にも合うから使えるよ。基本、重機の鍵は共通だって聞いたことがあるんだ」
下がる眼鏡を指で直して得意げに話す。
「案として悪くはないが……」
長谷川がまるで時代劇の殺陣の様に感染者たちを倒しながら口籠る。
「離れた場所にある重機に乗ってここまで来るって大変じゃない?」
雪乃が素直で的確な意見を言った。確かにその通りだ。
「いっそ車で取りに行くとか」
これぞ名案という意見を凛子が発した。
「良いかもしれん。だが、外の駐車場にどれだけの感染者がいるか把握しなければならん」
長谷川が感染者を足で押して距離を取り首筋へ鉄パイプの重い一撃を見舞った。
「シャッターまで移動しよう。外の現状を見たい」
雨宮の号令とも言える声で全員が揃って入口へ向かった。
物陰からそれを見ていた水村が思わず呟く。
「まさか、やつら逃げる気か……?」
少なくなった感染者たちを巧みに躱して水村も後を追う。腰に差した拳銃を抜き、暴発を防ぐために付いている引き金の後ろのゴムを外した。
『あの女の足を撃って歩けなくさせてやるのもいい。喰われる所を見てやるのも面白い……』
歪んだ心は怨みによって更に歪み、狂気に近いものへ変貌を遂げようとしていた。
雨宮が先頭を走り、凛子、雪乃と続く。少し間が開き神田が必死に走っていた。最後尾は長谷川が守りながら走っている。
「ハァハァ……皆、速いよ」
「鍛えておきなさい。神田さん」
長谷川が微笑んで窘めた。
出入口付近で雨宮が侵入してくる感染者と交戦を始めた。遅れて凛子と雪乃が加勢に入る。
「先に行きますよ、神田さん」
長谷川はそう言うと全力で駆け出して前線に加わった。
「皆、凄いな……」
神田が出入口に到着した頃には感染者たちは残らず床に伏せ、立っている者はいなかった。
「それほど外にはいない」
外には数十体はいるであろうが駐車場自体が広いため走り抜ける事は可能な数だった。
「この時間が幸いしたのでしょう。だが油断は出来ない」
「どこよ?重機って」
雪乃が駐車場全体を見回している。
「あれ!?」
凛子が数百メートル離れた所にある工事車両を見つけた。
「あれは……ちょっと遠すぎる」
雪乃は苦笑いしながらそう言った。
ジリリリリリリリリリリ――――!!!
突然店内からけたたましい非常ベルの音が鳴り響いた。
「ハァハァ……え、ちょっと何この音」
神田の息はまだ上がったままだ。
「何?火災報知器?」
凛子の誰に聞くでもない問いかけに雪乃が答えた。
「でもトラック燃えてなかったわよ」
「なら、上で何かあったか……」
雨宮がそう言った時だった。
パンッ!
乾いた発砲音とほぼ同時に雪乃の耳元でヒュンという風きり音が聞こえ長い髪が揺れた。
「わ!?」
「むっ!」
驚く雪乃を守る様に長谷川が立ちはだかった。
「きゃ!」
「なんだ!?」
雨宮は凛子を後ろ手に庇い銃声の位置を探している。
神田は声を殺し身を低くして様子を覗っていた。
パン!
再び同じ音がした。長谷川は雪乃を庇う盾となり彼女を守った。
「ぐっ!」
雪乃の目には長谷川の大きな背中しか見えない。そしてそれは肩を押さえる姿に変わる。
「長谷川ちゃんっ!!」
店舗内の照明で逆光ながらも、拳銃を構える人物があの男だとわかった。
「……!」
パン!
水村は自分の獲物を庇う忌々しい長谷川へ向けて三発目を撃った。邪魔者から先に始末つもりなのだろう。
弾丸は非情にも長谷川の胸に命中し、彼は後方へ倒れる。
「あっ……あぁ」
凛子は声にならない声をあげ、雨宮は銃声のする方向を睨む。神田は身を竦ませて撃った相手を観察していた。
「やだ、長谷川ちゃんっ!!」
雪乃は自分の横に倒れこんだ長谷川を抱える。
「大丈夫!ちょっと、長谷川ちゃんっ!」
この現状が受け入れられない。長谷川が銃で撃たれるなどと想定してもいない。しているわけがない。
拳を握りしめた雨宮が拳銃を向ける水村へ猛然と駆け出した。
「てっめえっ!そんなもん撃ちやがって」
パンッ!
乾いた銃音が響き、雨宮はアスファルトに転がってしまった。
「……。お前らが悪いんだ。お前らが……」
水村はそう言いながら後ずさり、そのまま闇に紛れた。
「いやぁ……いやぁぁぁ!」
秋にしてはやけに肌寒い、夜明け前の暗い空に、凛子の悲痛な叫びが響いた。




