蓋開く時
自警団の攻防が繰り広げられている一階フロア。
バットを持った男性が感染者二名を相手にしている。
「くっ、何でだよ!!」
フルスイングで殴ってもその者たちには効いていない。
バットで顔を殴れば倒れはするも、奴らはすぐに起き上がり執拗に追いかけてくる。
少しづつではあるが徐々に追い詰められていく恐怖。いずれ逃げ場を失うのも時間の問題だった。
「来るな、来るなあぁっ!」
疲労からだろう、感染者の肩口を殴った拍子に自警団の男の手からバットが抜け飛んでしまう。
「しまっ……」
焦るあまり足がもつれ、彼は転んでしまった。
無防備になった男へ感染者の血に汚れた爪が今にも掴みかかろうとしている。
万事休す。
煌めく明るい栗色の長い髪が一瞬見えた気がした。実際は頭を抱え丸くなって目を瞑っているので肉眼では確認出来ないはずだが確かに見えた気がする。
左側でバゴンと鈍い金属音が聞こえるのと同時に右側でゴンと力強い音が聞こえた。
恐る恐る顔を上げると目の前に美しい女神が手に宝杖を持って立っているのが見えた。
その横では両手に刀を持った鬼神が二名の感染者を床に転がしている。
鉄パイプを二刀流に構えた長谷川が倒れこんで尻餅をつく自警団の男に声を掛けた。
「怪我はないか」
その鬼の声は予想以上に優しく温かい。
「ここは数が多い、退くことを薦める」
雪乃はスコップでコン!と床を鳴らした。
「ほら、立って。早く逃げなさい!まだ来るわよ」
自警団の男は礼を言うと仲間と合流するべくその場を離れた。
バコーンと起き上がる感染者をスコップで叩き倒すと雪乃は言った。
「ちょっと!何してんのよっ!あんたも戦いなさいよっ!!」
神田の眼鏡は例によってずり下がっている。
「いや、僕は戦闘が得意じゃないんだ。やろうと思えばやれるんだけど」
「ならば、これを使うといい」
長谷川は神田に鉄パイプを差し出した。
「あ、ありがとう」
二刀流から一刀流に構えを変えて長谷川は新たに迫る感染者へ向き直る。
「ふんっ!」
ズン!と感染者の首の後ろに一太刀入れ、長谷川が雪乃に声を掛ける。
「そこに転がっているバットの方が良いかもしれない」
先ほどの自警団の男性が置いて行った木製の野球バットを雪乃は拾い上げるとひと振りして言う。
「うん。こっちの方が軽くていいわ。スコップは地味に重くて……」
雪乃は女神の微笑みでそう言った。
――雨宮が感染者の背中に飛び蹴りを放つ。
「よっ!」
ドン!と音がして感染者は勢いよく飛んだ。その前にいる青白い顔をした血まみれの者を巻き込んで結果二名の感染者が床に水掫打って倒れ込む形になる。
「大丈夫か」
ヘルメットを被りバイク用手袋を嵌めた小柄な自警団の青年は振り返って雨宮を見た。
「ありがとうございます」
「今、お前さん危なかったぞ」
少し微笑んだ雨宮が自警団の彼に言う。
「はい、助かりました」
「命を助けたお礼に一つ頼みがあるんだが」
そう言いながら起き上がる感染者を再度、蹴り倒して雨宮が小柄な彼に言う。
「背中のリュックから覗いているその新品を譲って欲しい」
悪魔の微笑みで彼は強請る。
雨宮の後方で構えていた凛子が柔らかな風が流れる様に前に出て起き上がるもう一体の感染者に前蹴りを入れ再び倒した。
「緋色さん、急ごう。どんどん入ってくる」
「ああ、ちょっと待って」
背中のリュックからパッケージのままのバイク用革グローブを取り出すと青年が言う。
「これでしたらどうぞ」
「ありがとう。恩にきる」
雨宮はパッケージを開けると先を急ぐ凛子を呼び止めた。
「凛子、これを」
素直にそれを受け取り礼を言う。
「ありがと。緋色さん」
立ち止まった真上にスポットライトの照明があり、それに照らされた彼女は正に光り輝く天使に見えた。
――凛子が革の手袋を嵌めた瞬間だった。地獄の窯の蓋を閉じようとする雨宮たちを運命は許さない。
地響きのような衝撃音と地震かと思うような振動がモールを襲う。白いトラックがシャッターを突き破り、感染者たちを巻き込み商品棚をも薙ぎ倒して店舗内に入って来た。
「うおぁっ!!」
「きゃっ!!」
雨宮は咄嗟に凛子を自分の後ろに引っ張り彼女を庇う。
有志で集まった自警団も巻き込まれ、彼らの身体は鈍い音を立てて次々と跳ね上げられていった。そのトラックのフロント部分は既に潰れ白いボディは血で赤く染まっていた。ガラス窓は砕けて半分無くなり内側からの血飛沫が運転手の生存を否定している。
すべてがスローモーションのように見えゆっくりと時間が流れている感覚だった。
シャッターの鉄板部分が飛び、空中をくるくる回って感染者の胸へ突き刺さる。
棚から様々な商品が飛散したかと思うと棚自体が浮かび上がり、いくつもの棚を巻き込んで倒れた。
トラックのタイヤに弾かれた感染者が円の軌道を描き勢い良く転がり自警団の一人と激しくぶつかる。
雨宮と凛子はあまりの光景に声を出す事すら出来ない。
店舗内の太く大きな壁の様な柱にドカンと凄まじい轟音で衝突して暴走トラックは停まった。
ラジエーター周りからはシューと白煙が上り、床にはオイルが広がる。更には燃料タンクからも液体が溢れ出していた。
――この混乱を喜び笑う者がいる。
「ふう……危なかったがこれで手間が省けたな」
間一髪、巻き込まれずに済んだ水村は口元を緩め下品な笑みを浮かべてそう言った。
「……お、おぉ……い、痛てえよ……助けてくれ……水村……」
倒れた棚に完全に挟まれた阿部が息も絶え絶えに助けを求める。その傍らには黒岩の大きな足が見えて上半身は棚に潰されてしまっていると思える位、おびただしい血が床に広がっていた。
水村は挟まれた阿部に近寄ると屈みこんで手を伸ばした。
「悪りい……助けてくれ、折れてる……」
水村は黙ったまま、彼の横に落ちている白い紐の付いたニューナンブを拾い上げると立ち上がる。
「……使えない野郎だ」
蔑んだ目でそう言うと彼はその場を離れた。
「おい……ちょっと……待ってくれっ!!おい水村ぁぁっ!」
最後の悲痛な叫び声も彼には届かない。




