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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
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心の扉、絶望の扉

 長谷川の後ろに雪乃が回り込んで言う。

「ちょっと長谷川ちゃん、屈んでくれる?」

「おや。どうかしましたか」

 そう言いながら大柄の男は膝を曲げて屈みながら振り返る。

「うふふ。タオルを借りてるお礼にこれをしてて。プレゼントよ」

 コインペンダントを首に巻き、止め金を嵌めると彼の正面に回り全体像を眺める。

「うん!思った通り。似合うわ」

 長谷川は胸元に光るコインを手に取って言う。

「ありがとう雪乃さん。こういう物は付けた事がないから新鮮だ」

「お店にはメモを残して来たから窃盗品ではないという事で、一応は正式なプレゼントよ」

「ははは。この混乱が収まったら代金を支払いに参りましょう」

「うん。そん時は一緒に来てよ、長谷川ちゃん」

「えーと、お取込み中悪いね。さっきから微かに叫び声が聞こえてるけど、下の人たちを助けに行かなくていいの?」

 神田が二人の世界に割って入る。

「先ほどの自警団か。苦戦しているようなら加勢を」

「そうね。行きましょう」

 二人は表情を引き締めると防火戸の扉を開けて階段を下った。


 ――笑顔の雨宮と嬉しそうな凛子が並んでソファーに座っている。

「緋色さんに伝染(うつ)してなくて本当に良かった」

「ああ。けど自分の事も喜んでおけよ。助かったんだし」

 雨宮が笑顔で言う。

「うん。自分もだけどさ、あなたに迷惑を掛けなかった事が嬉しくて」

 凛子は瞳を潤ませて雨宮を見つめそう言った。

「お人好しは損す……んっ!」

 雨宮の言葉は彼女の唇が塞いで最後まで言えない。驚きの眼を静かに伏せて彼はそれを受け入れる。

「んん……」

 凛子にとってそれは今までで一番長く情熱的な口付けだった――。


 唇を離すと凛子が言った。


「ちょっと聞いて欲しい話があるの」

「ん、どうした?まさか、今のキスが駄目だったとか言うなよ」

 軽く冗談でも言うつもりの雨宮だったが凛子の真剣な眼差しでそれを止める。

「ふふ。違うわよ。あたし、学生時代、演劇しててね。脇役を演じる事が多かったんだ。主役やヒロイン役は決まって柚っていう親友が演じるのが当たり前だった。彼女、綺麗で演技も上手かったから」

 雨宮は優しい顔をして黙って聞いている。

「でも、一度だけあたしがヒロイン役を演じた事があるの。その時の主役はあたしがずっと好きだった『彼』だった。嬉しかったなぁ……。あ、でね、それがきっかけで『彼』と交際が始まって卒業しても付き合ってたんだ」

 少し遠い目をして話す凛子に雨宮が頷きながら言う。

「良かったじゃん。ヒロインも演じられて彼氏も出来てさ」

 ほんの少しだけ笑みを浮かべた様に見えた凛子が続ける。

「けど『彼』に想いを寄せていたのは、あたしだけじゃなく柚もだったの。彼女は事あるごとに『彼』を誘っていた。それはあたしも見たしサークル仲間からも聞いていたの」

 雨宮は顔をしかめて目を細めて聞いている。

「ある日ね、あたしが『彼』に口づけをしようとした時、避けられた気がしたのよ。初めは偶然だと思ったんだけど二度目にキスを拒まれた時に『彼』から突然、別れたいと言われた」

「辛いな」

「うん。それで別れた後、ひと月もしないうちに柚から連絡あってさ『彼』と付き合う事になったと知らされたの。でもあたし知ってた。彼女があたしから奪い取った事を。柚があたしの事を自分の脇役だと思っている事を。『彼』に相応しいのは柚自身だと思っていた事をね」

「……妬まれたか。で、なんで俺にそんな話を突然するんだ?」

 頬を少し赤らめた凛子が言った。


「好きだから」


 真っ直ぐに雨宮を見つめて続ける。

「自分からキスなんて、もう絶対出来ないと思ってた。もう二度と人を好きになれないと思ってた」

 そして意を決したように凛子は言う。

「緋色さんが好きなの。あなたに出会ってもう一度、人を好きになれたの」

「ありがとう、凛子」

 雨宮が真剣な顔をして言った。


「俺も好きだ」


 甘く穏やかな雰囲気の中、見つめ合う二人の微笑みが同時に消える。下のフロアが騒がしい。

「行こう、緋色さん!さっきの人達なら手伝ってあげなきゃ」

 そう言って走り出す凛子を見て雨宮が微笑んで言った。

「同じか。俺と」


 エスカレーターを降りると違和感を感じた。想像していたよりも感染者が多い気がする。

「こ、こんなにいるの……」

「いや、増えてる。新たに入って来ている」

 雨宮は正面シャッター横の扉を指差した。

「開いちゃってるじゃない!?」

「凛子、俺はどうすると思う?」

「たぶん……あそこまで閉めに行くとか?」

「ああ。正解。行くぞ」

 二人は脱兎の如く駆けだしていた。


 ――雲に隠れた月のせいで不穏な暗闇の駐車場。

 車両の中で助けを乞う人々の目にシャッター脇の扉から光が零れるのが見え、そこが開かれた事に気付く。先ほど屋上のヘリを見ているだけに彼らは口々に希望の声をあげた。

「おい、シャッターの横、見ろ」

「入れてくれるんだ!」

 店舗に一番近い位置に陣取っていたトラックの運転手が身を乗り出し叫んだ。

「俺が様子を見てくる!皆はここで待っていてくれ!」

 各車両からパッシングで合図が発せらていた。

「気をつけて。危なかったらすぐ戻れよ!」

「無理するなよ!」

 中年の逞しい運転手は窓から手を上げてそれに応える。

 トラックは勢い良くモールへと近づいて行く。焦りは禁物だとわかっていても、早く確認したくてつい速度が上がってしまう。

 だが、近づくと感染者が続々に店内へ入って行く姿が見えた。

「おいおい……こりゃあ」

 トラックはスピードを緩め、徐行しながら注意深くそれを観察する。

 コツン……

 更に近づいて中の様子を見たい。どうしても見る必要がある。

 ゴットン……トン

 トラックを店の手前10メートルまで近づけると、中から叫び声が聞こえた気がした。少し窓を下げて耳を澄ますと悲鳴が聞こえる。かなりの数の感染者が入ってしまっているようだった。

 運転手は辺りを見た。近くには感染者はいない。一瞬、降りて確認しようか考える。

「駄目だ。ここで油断してはいけない」

 降りる事は危険だと判断し窓を開け広げ、顔を出して店内を覗く。

「もう少しで中が良く見えるのに……」

 窓を全開にして出来るだけ身を乗り出す。不意に感染者が現れてもトラックの窓は高さもあるので奴らには届くはずがない。

 コツン……コンコン

 先ほどから聞こえていた音が今も後ろから聞こえる。店内を確認したい一心で気にも止めていなかった音。

 ボン……コン、カリカリ……

 背筋が凍るような感覚だった。とてつもなく嫌な予感がした。振り返っている時間はないと直感し、瞬時に身を引っ込めようとした時だった。

「ガァ……アァァア」

 感染者独特の嫌悪感を抱くあの唸り声が耳元で聞こえた。トラックと荷台の隙間に感染者が潜んでいたのだろう。

「ひっ……!」

 思わず身を竦める。噛まれる事は避けられたようだ。しかし安堵の間もなく感染者の腕が後ろから伸びる。頬から耳と首筋に鋭く熱い痛みが走った。

「いっ、うわあ!」

 急いでアクセルを吹かしながら窓を閉めようとした時には感染者の腕は車内に伸び、そのおぞましい顔を覗かせていた。

「うっ、うわぁぁ!やめろっ!」

 運転手が正面を向いた時には正面入り口のシャッターが目の前に見えていた。

 ガシャーンという物凄い衝撃音と共にトラックが店内に突っ込んで来た。割れたガラスが飛び散り、棚が吹き飛び、商品も勢い良く吹き飛んだ。

 感染者とそれに対峙する人々を区別なくなぎ倒し、商品棚をいくつも引きずり倒してトラックは停まった。

 それによりテラスモールは外界との口を大きく開ける事になる。


 それは暗闇の中に目映い光を放ち感染者を招き入れる。

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