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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
33/50

 月の消えた夜の空は暗く、街に幕が降りた様だ。


 金網の向こうでは、まだ数人の人影が絶えず動いていて何かを用意をしている様にも見える。


「すまない、後で必ず下に行くから、少しだけ二人にしてくれないか」

 雨宮は二人に頼んだ。

「うん。わかったわ」

「野暮な詮索はしません」

 雪乃は真っすぐ雨宮と凛子を見つめ、長谷川は目を伏せて頷く。

「ごめんなさい……」

 凛子が深々と頭を下げた。その謝罪はすべての元凶が自分であると思い詰めたようだった。

「ありがと、二人とも」

 雨宮の声に雪乃は振り返る。今の言葉はどちらの意味なのだろう。もしも『今までありがとう』だとしたらそれは切なすぎる。

 彼女の長い髪が柔らかな風にふわりとなびいて、美しくも悲しげな顔を覆う。

 そして、その優しく吹く風は外にいる感染者たちの呻き声も屋上に運んでくる。この声の主たちも昨日までは普通に暮らしていたのだろう。雨宮と凛子も明日には変わってしまうのだろうか。

 共に行動し、生き延びようと約束した仲間との別れが近いのかと思うと心が酷く痛んだ。


「雨宮さん!待ってますよ」

 長谷川はそう言うと静かに扉を閉めた。

 外からの音が遮断され、静まり返った階段で雪乃を見ると彼女は泣いていた。

「仲良くなれたのに……大切な友達になれると思ったのに。大切な人を失うのはもうたくさん……」

 階段を下りながら涙を流す雪乃に長谷川が声を掛ける。

「ハンカチでも持っていれば良かった」

「優しいのね、長谷川ちゃんって」

 泣きながら雪乃がクスッとか笑う。

「少しだけ、少しだけでいいから泣かせて」

 座り込んだ雪乃の足元に涙が零れ落ちて、灰色の階段に滴で色を付けた。


 涙ぐむ凛子の腕を取り、雨宮は彼女を引き寄せる。

「ちょっ……なに」

 驚く凛子の声は雨宮の唇に塞がれて、それ以上聞こえる事はなかった。互いの舌が求め合い、交わり絡まる。本能で動くまま、二人は深い口づけを交わした。

 お互いが満たされ、自然と静かに唇が離れるまでそれは続いた。


「こんな時にこんな事してていいのかと思う……」

 少し顔を赤らめた凛子が下を向く。

「多分、こんな時だからこそかもな」

「ごめんなさい。巻き込んだ形にさせてしまって」

「いや、もう謝るなよ。またキスされたいか」

 雨宮の感触はまだ口の中に残っていて心地良い。

「まだいい」

「まだ?」

 雨宮が笑うと凛子も笑った。

「それでどうするの?」

「この後、最後までやっちゃうかって事か?」

「あたしが『まとも』なうちに抱いて欲しいけど、今のは違う意味よ」

「ああ、知ってる。どうすっかな」

 煙草に火を付けて煙を吐くと雨宮は凛子に手渡して言う。

「せめて、あの二人を無事に逃がしたいだろ?」

「うん。それ」

 渡された煙草を一口吸うと凛子は言う。

「何があろうと……絶対にね」

「ああ。ここから脱出させよう」


 薄暗い階段でしゃがみ込んですすり泣く雪乃。

「これで良ければ……」

 長谷川が横に座り首に巻いていたタオルを差し出す。

「えっぐ……ありがどお」

 彼の逞しい肩と鍛えられた腕に寄りかかって雪乃は泣いた。

 彼女は泣きながら懐かしい安心感に似た感覚に気が付く。なぜか心地良い気持ち。泣いているのにこれほど落ち着く気分が存在する事なんて信じられない。

 そして何より長谷川には拒絶感がまったく沸かない。それどころか大きな安らぎを覚える事に驚いた。

 ずっと、こうしていて欲しい。素直にそう思う。


 しかし、それは長くは続かない。


 二階へ続く扉の向こうが何やら騒がしい。怒鳴り声と激しい足音が扉を挟んだこちらにも聞こえてきている。

「ぐす……。何かあったみたいね」

 雪乃は長谷川のタオルで鼻水を拭いながら言う。

「後で洗っておくわ。これ貸しといて長谷川ちゃん」

「はい。いつでも結構ですよ」

 優しい表情の長谷川が言う。

「落ち着いたら向かいましょう。厄介な事でなければいいが……」

「うん、もう大丈夫よ、ありがとう。でさ、後で長谷川ちゃんに聞きたい事があるの」

 雪乃は腰を上げながら言う。

「今でも構いませんよ。その質問」

 長谷川も腰を上げた。

「あらそう。じゃあ、一つだけいいかしら」

 雪乃が売り場へと続く扉に手をやる。

「犬好き?」

 長谷川も扉に手をやり力を込める。

「……正直、あまり好きではないかな」

 開け放った扉から目映い光が雪乃と長谷川を指す。

「うふふ。そう」


 そこには美しい女神の様な雪乃がいた。

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