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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
30/50

秋風

 通路の奥にある非常口に数人の警備員と白いコート姿の栗毛の女性が見えた気がした。

「今のは凛子さん……」

 凛子が警備員数人に連れて行かれているのが見えた長谷川は即座に走り出す。雪乃も釣られて走り出したがすぐに立ち止まり長谷川を呼び止める。

 あれは凛子ではなく雨宮がコートを掛けてやった女性。栗色で長い髪の腕に痛々しい包帯を巻いていた女性だ。

「手当てでもするのかしら」

 結構な傷だったので当然だろうと雪乃は思っていた。


 屋上では煙草を吹かしながら金網越しに外を見ている雨宮がいた。途中でくすねてきたホットの紅茶を片手に持っている。感染者のうめき声が下のほうから微かに聞こえ、遠くのサイレンが風に乗って聞こえてくる。

 空には月が出ておらず、中秋の名月どころか星さえも見る事はできない。街灯は付いてはいるが街の明かりはほとんど消えて自動販売機の明かりだけが浮かんで見える。これは停電はしていないが住民が警戒し自ら消灯させているのだろう。

 そんな中、このモールだけは明るくライティングされて浮かび上がっている事がどれほど危険な事か雨宮は考えていた。そして時折、銃声のような乾いた音も遠くで聞こえる事が尚一層、彼の危機感を煽る。

 しかし、まったく現実味がない為か、夢を見ているような不思議な感覚だ。


 持っていた紅茶を一口飲んだ時、後方に気配を感じて振り返るとそこには何者かが立っていた。

「よう、凛子。暗くて誰かわからなかったよ。どうし……」

 そう言いかけた時に彼女が今にも泣きだしそうな顔をしている事に気付いた。

「どうかしたのか?」

 雨宮は近寄って今一度問いかける。

「何があった?」

 凛子は首を振りながら言う。

「ごめ……さい…」

 潤んだ瞳から涙が零れ落ちた。

「ごめんなさい……あたし」

 雨宮は優しい目で凛子を見ている。

「どうしたんだ。泣いてちゃわかんないぜ」

 凛子は止め処なく溢れる涙を必死に堪えている。

「あたし……多分、感染してる」

「……噛まれたのか?」

「マンションで襲われた時、感染者の歯が足に当たって切れたの」

 声を絞り出すように凛子は言った。

「……でも絶対に伝染るってわけじゃないだろ」

 凛子は首を振り言葉を続けた。

「今テレビで言ってたの。感染は唾液や体液からだって」

「……そうか」

「あなたに……緋色さんに、伝染したと思う」

 凛子は溢れる涙をもう止める事は出来なかった。

「だから泣いてるのか?」

「だって、あたしのせいだもん……」

 自分の感染よりも人へ伝染してしまった事が辛い。そんな様子だ。

「あれは俺の独断だぜ、間接キス。あの事だろ?」

 雨宮は優しく笑いながら言う。

「泣いてちゃ折角の美人が台無しだ」

 そう言うと凛子の顔を覗き込む。

「ほら。涙で顔がぐちゃぐちゃだ」

 凛子の顔に優しく手を当てると指で涙を拭う。そして唇を重ねた。

「!」

 離れようとする凛子の腰と背中に優しく手を回しそれを制した後、ゆっくり唇を離すとこう言った。

「これでお前さん一人で奴らの仲間入りはないさ、奴らの所には一緒に行こうぜ。間接キスじゃ感染しないかもしれないし」

 更に雨宮は言葉を続ける。

「念には念を入れたほうがいい」

 凛子の腰を引き寄せ密着させる。

「バカじゃないの……」

「よく言われる」

 雨宮は真っ直ぐ凛子を見つめ、彼女の唇に再び触れた。当たり前のように入ってくる舌を凛子は自然に受け入れた。二人は互いの動きに合わせ、先ほどより長い口付けをする。凛子は紅茶の香りを感じ、雨宮は涙の味を感じていた。

 いつの間にか雲の合間に覗いた月が優しく二人を照らし、少し冷たい柔らかな秋の風が凛子のカーディガンの裾をふわりと揺らす。

 そして風は遠くで鳴るサイレンの音も相変わらず運んで来ていた。それはどこか悲鳴に似て、この世の終わりを告げるような気がする。秋風が髪を揺らす月明りの下、雨宮は強く彼女を抱きしめた。


 凛子を探す二人の前に白髪頭に褐色の肌、目元と口元に深いシワが刻まれた初老の警備員の姿が映る。雪乃と長谷川は妙な違和感を抱く。

「あれ?何かさ、制服違うよね。あの人の」

 雪乃が違和感の正体に気が付いた。今まで会ってきた警備員とは制服の色とデザインが微妙に違う。そして胸には警備会社のロゴが刺繍してあった。彼らにはロゴが無かったはずだ。

「お忙しい所すみません。少しお話させて貰って構いませんか」長谷川が初老の警備員に声を掛ける。

「はい。どうされました?」

「ここは、この施設はいつもこんなにも警備員の方が多いのですか」

 単刀直入に長谷川が切り出した。

「あぁ、私も正直驚いています。今日の夕方ぐらいから突然、何十人も現れて。軽く挨拶もされましたが会社からは聞いていなかったので戸惑ってまして、ええ。その後、この騒ぎになったので我々も助かったのですが……」

 そうですか、ありがとうございましたと礼を言う長谷川と雪乃。初老の警備員は巡回に戻る。

「ねえ、長谷川ちゃん。これってどう思う?」

「うぅむ、あの警備員たちは恐らく外部の者なんだろうけれど、素性も理由がわからない」

 長谷川は神妙な面持ちで続ける。

「その外部の者が何を警備しているのかは見当つかない。それにそもそも彼らは警備員ではないかもしれない」

「うん、わかんないわね。何者かすらわからないわ。でも何かを守るからいるんでしょう?」

「守るものか……」

 雪乃は相づちを打ちながら言う。

「仮定よ。もちろん。理由なんかわからないわ」

「しかし彼らがいなかったらここは当初から壊滅していたはず」

「あの屈強な警備員がいなかったらと思うとゾッとするわ」

「ひとたまりもなく全滅でしょう」

「彼らはここにずっといてくれないと困るわね」


 雨宮と凛子は金網前の柵に腰掛け煙草を吹かしている。

「ねえ、どうしてあたしにあんな事したの?」

「さあなぁ、なんでかなぁ」

 咥え煙草で他人事のように雨宮は答えた。

「付き合ってるわけでもない。今日逢ったばかりなんだよ?」

「不思議だな。昔から知ってる気がするよ」

 確かにもそんな気がしないでもない。彼の言う通り不思議だった。

「馬鹿よ、あなた」

「な。俺も思う」少年のような目で微笑みながら言う。

「でも……」凛子は口篭る。

「でも?」

 数秒の沈黙のあと意を決したように凛子は言った。

「……ありがとね」

「なんだよ、てっきりキスを褒められるのかと思ったぜ」

 この男は本気なのか軽いだけなのかまったく理解に苦しむ。

「誰にでも、すぐあんな事するんでしょう?」

「うんって言ったらどうするんだ?」

「別にどうもしないわよ」

「でも、ま…」


 雨宮の軽口は突然止まる。


「なに?どうしたの?」凛子は彼の視線の先を見た。

 この屋上は大きく二つに隔たれていて境界には格子と金網が張られている。こちら側には子供の遊具が集まるキッズランド、反対側には屋上庭園の様な緑のエリアが広がっている。そのエリアに警備員が数人集まりだしている。

「なんだろうな」

「なんだろね」


 二人は同時に互いに問い掛けていた。

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