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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
25/50

冷たく暗い水の底

 南側フロア。食料品売り場。

「最近、治まってたのに……」

 雪乃がカートを押しながら弁当や惣菜を籠に入れている。これ美味しそう!あれ食べたい!などと言うわけでもなくどこかうわの空に見える。


「でも何でだろう……あの二人だと平気って」


 先ほどの大柄の男に羽交い絞めにされた時、そしてあの男にナイフを突きつけられた時。一瞬、彼女の思考は止まってしまっていた。忌わしい過去が頭の中で暴れる感じで、例えるなら映画館に一人きりで最前列に座り、真っ暗な中で見たくもない過去をスライドで何枚も無理やり連続で見せ付けられる様な感覚。


 15歳。桜が咲いている。友達と遊んだ帰り道。ミニバンが停まっている。辺りは薄暗く人気は少ない。二人の若い男が降りてきて声を掛けてくる。口を塞がれ無理矢理車に乗せられた。携帯が落ちて割れた。車内はトルエンの匂い。後部座席に二人の男。一人はナイフを持っている。押さえつけられた。制服は乱暴に剥ぎ取られた。車は既に走り出している。今ここは何処だかわからない。絶望感。唇を奪われる。悍ましい舌が口内で蠢く。噛む。顔を殴られた。痛み。涙。ナイフを突き付けられた。また殴られた。震え。恐怖。声が出ない。下着を引き裂かれる。痛み。苦痛。痛み。暗闇。寒さ。白い天井。看護師。医師。母親。涙。


 このフラッシュバックが起きると、溺れて水を飲んでしまった様に呼吸が苦しく息が詰まり動けなくなってしまう。だが、暗い心の傷が蘇ってしまっても幼い頃いつも一緒遊んでくれていた『お兄ちゃん』を思い浮かべれば冷たく暗い水の底から戻って来られた。

 今回もし、あそこで動けなくなっていたらお仕舞いだったかもしれない……。

 あの時、刃物を向けられた時、お兄ちゃんの声が聴こえた気がして身体が軽くなり息が吸え動けた。

『お兄ちゃん、ありがとう。守ってくれたんだね』雪乃は素直にそう思えた。


「あ。ミニカー……」


 雪乃は当然思い出したように呟く。


「取りに帰らなきゃ……」


「おーい。雪乃さん」雨宮が声を掛けて来た。

 カートを勢い良く押し足を上げて身体を浮かせ子供の様にそれに乗ってやって来る。そして彼女の前で丁度止まった。

「何してんのよ、緋色ちゃん」

「皆は何食うと思う?」

「うーん。女子はサラダとか欲しいわね」

「おっけーい。取って来る」

 雨宮はまた勢いよくカートに乗ってサラダを探しに行った。

「あ……そうだ」

 私たち四人以外の人は食事どうするんだろう。恐らくはこの施設から善意の配布提供はあるとは思う。だがそれは一階フロアの救護所が最優先になるはずだ。二階フロアに避難した人々はやはり後回しだろう。この状況下でそこまで出来るはずない。

 そうだ!ここに置いていても痛んでしまうだけだ、いっそ持って行ってあげよう。

 雪乃はカートに弁当類を詰め込んでいく。この場に陳列してある全ての惣菜や弁当を持っていくつもりで片っ端から籠に入れ始める。

「随分、食べるんだな雪乃さん。はい、これサラダ」

 黒い化繊のハイネック姿の雨宮が山盛りのカートに気づき笑いながらサラダをその籠に入れた。

 弁当と総菜の山脈から女神の微笑みが覗く。

「ありがとう。ええ、そうよ。大食いクィーンなの、あたし」

 雪乃が礼を言いサラダを受け取ると雨宮が言う。

「それ、上に届けてやるんだろ?」

「あらま。よくわかったわね」

「女心がわかるのさ」

「あら。そう」

 この男前は見抜いているのか偶然なのかさっぱり読めない。でもなぜだろう?雨宮には不思議と恐怖症は起きない。長谷川も同様にその兆候は微塵も感じる事がない。

「手伝うぜ」

 よく見ると引き締まった雨宮のウエスト横が切れて肌が覗いている。そして微かに血が滲んでいた。

「あら、ありがとう。じゃあ、お礼に後でそこ手当してあげるわ」

「お。ああ、ここか。それはありがたい。頼むよ」

 雨宮は切れて穴が開いている部分をヒラヒラと指で詰まんでそう言った。


 ――長谷川はナイフで自ら断ち切った凛子の髪を見て思い切って言ってみた。

「もし良かったら」

「はい?どうしました?長谷川さん」

 凛子は長谷川の声に振り返る。

 長谷川は天使の微笑みを間近で見て心が浄化された気持ちになった。なるほど癒されるとはこういう事かと心底思ってしまう。

「いえ、もし良かったら……その髪を整えましょうか?」

「えっ!」

 天使の美しさを持つ女性がアンバランスな散切り頭ではあんまりだ。しかしこの髪型でも美を感じさせるほどの凛子に長谷川は改めて驚く。

「ぜひっ!お願いします!」

 凛子は笑顔でお願いした。

「はい。ではハサミを探しましょうか。さっきその辺で見かけた気がする」

 黒いライダースを着た凛子が嬉しそうに声をあげた。

「やったぁっ!ホントは自分で切ってしまったものの……」

 凛子は続ける。

「どうしようかと思っていたんです。実は困ってました」

「多少、散髪は自信があります。任せて下さい」

 長谷川の言葉に待ちきれない様子で凛子は言う。

「ありがとう!長谷川さん!早くハサミをさがしましょう!」

 喜ぶ凛子に長谷川は彼女から視線を逸らして付け加えた。

「あと、コホン。……シャツも探しましょう。今のままでは目のやり場に困る」

 先ほどの一件で凛子のシャツのボタンは千切れてしまい胸元が深く開いていた。

「あっ……すみませんっ!」凛子は慌ててライダースのジッパーを首元まで閉めた。


 ――雨宮と雪乃は途方に暮れていた。

 エレベーター前で山盛りのカート二台を前に頭を抱えて考えている。

「なんで動かないのよっ!」

「これ、手で運ぶの大変だぜ……」

 エレベーターは電源が落ちているらしく動いていない。緊急停止させているのだろう。

「緋色ちゃん。出番よ」

「…‥こいつ動くようにして来いと?」

 雪乃は少し笑って頷いた。

「わかった。でも」

「でも?」

 雨宮の言葉に雪乃が問い返す。

「一緒にいくぞ、雪乃さん」

「あ、なんかちょっと嬉しいわ、今の。でも呼び捨てでいいわよ」 

 雪乃は笑顔でそう言った。

「じゃあ、雪乃。行くぞ」雨宮は呼び捨てる。

「え。どうすればいいか、わかるの?」

 この男はいい加減なのか本気なのかわからない。

「たぶんな」

 ニヤリとしながら雨宮はエレベーター横の階段を降り始めた。故障の場合は管理会社だろうが今回は故障ではない。店側で停めたはずだ。ならば店側で解除できるはず。

「本当にわかる?」雪乃が念を押す。


「たぶんな」


 ――首元にバスタオルを巻いた凛子が座っている。

 足を肩幅以上開き、中腰の長谷川が髪を梳かしながら器用に切っている。

「手鏡を持ってくれば良かった」

 微笑みながら長谷川が言うと凛子も笑顔で言った。

「いえ。楽しみは残しておきます」

 長谷川は開いた足を戻し凛子から距離を取る。少し離れた位置から凛子を眺めて眉をひそめてからまた少し切った。

 彼は美容師さながらに指で髪を挟み毛先を少しずつ揃えるようにカットしている。この一連の流れを何回か繰り返し丁寧に凛子の髪を切っていく。

 満足そうに手を止めるとまた距離を取り凛子を眺める。

「我ながら上手くカット出来た。完成です」

 自信に満ち溢れる笑顔で長谷川は言った。

「ありがとう!長谷川さん」

「きっと素材がいいからです」


 凛子は嬉しそうに小走りで近くの柱に備え付けてある鏡に向かう。長谷川も嬉しそうにその姿を見つめて目を細めた。







最後まで読んで下さりありがとうございます。

初投稿で拙い文章ではありますが生暖かく見守って下さい。

これからもよろしくお願い申し上げます。

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