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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
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韋駄天

 韋駄天が勢い良く駆けて来る。腰のチェーンは激しく鳴っていた。曲がり角さえ器用に旋回しそのスピードは落ちる事はない。それどころか走る速さは更に上がり銀のチェーンも激しさを増して鳴っていた。

 雨宮は通路中央付近でピタリと立ち止まると耳を澄まして声を探す。静まり返ったフロアに微かに長谷川の声が聞こえた。

「こっちか」

 雨宮はチェーンを手で押さえ音を消して走り出した。


 薬局内では、駆け付けた長谷川が自分ほどの身の丈の男と対峙していた。

「その人を離せ!」鬼の形相の長谷川が言う。

「お前バカか?離せと言われて離す奴いるか?」

 大柄な黒岩が挑発気味にそう言った。

 雪乃のカートに轢かれた水村は激高しながら立ち上がる。

「このくそアマめぇっ!痛えじゃねえか!」

「……!」

 雪乃は驚きのあまり目を見開いた。彼はポケットからナイフを取り出している。

「もう頭きたぞ、くそ女……」

 バタフライ。折り畳みナイフだ。私をナイフで脅すつもりか、否、刺すつもりなのか。この男、ここまで腐ってるとは思わなかった。

 見知らぬ男性に抱きつかれ羽交い絞めにされた上に刃物を向けられる恐怖。

 雪乃は何とか押さえ込んでいたはずの過去の記憶が蘇りそうだった。抱きつかれている感覚とナイフの鋭利な感覚。雪乃は必死にそのトラウマを押し殺そうと目を瞑り呼吸を整える。お兄ちゃん助けて……闇の中で雪乃は呟く。


 ――ほんの数秒の後。雪乃は目を開き「おっし……」と声に出した。


「おいおい水村、殴るだけだろ?」仲間の大男は困ったように言う。

「うるせえっ!顔に傷をつけてやる!」

「おい。だったら俺が犯った後にしろよ」

「黙ってろ黒岩、指図すんな!」

「あぁ、お前こそ勘違いするなよ、水村」

 水村と黒岩は些細ないざこざを起こしている。どちらも引く気はないようだった。


 この時、雪乃は至って冷静にそして(つぶさ)に相手を観察し周りの状況を把握していた。自分に注意が向かれていないと判断するや否やひょいと大男の腕からいとも簡単にすり抜ける。

 以前、校内で防犯について実演講義した事があった。その時に生活安全課の婦警からレクチャーされていた抱きつかれてしまった時のすり抜け術がここで役に立った。

「あっ!こら待て!」

 雪乃は待てと言われて待つ奴いるか?と言いたかったがやめておいた。彼女を逃がしてしまった黒岩は慌てて取り乱している。

 その一瞬の隙を長谷川は見逃さなかった。

 対峙する相手との距離を一気に詰め、大きく振りがぶった渾身の掌底を男の顎に叩き込んだ。雪乃にはバコン!と言う衝撃音が聞こえた。まるで交通事故の様な音で雪乃は相手を心配してしまう。

 緑のTシャツの大男、黒岩は膝から崩れ落ち前のめりで床を舐める事になった。


「ちっ!こうなったら……!!」

 仲間の黒岩が倒され一人きりになってしまった水村は文字通り窮鼠となる。目を血走らせナイフを振り上げて雪乃へ駆け寄る。猫を噛むつもりだ。イタチの最後っ屁かもしれない。


「むっ!!」長谷川は焦った。不覚を取ってしまった。ここからだと間に合わないかもしれない。

 水村は今まさに雪乃に襲い掛かかる寸前だ。彼の持つナイフの先はその美しい顔を狙っていた。


 その刹那、水村の真横から黒き韋駄天が飛び込んで来る。

 雨宮は十分な加速を付けたまま床を蹴り渾身の飛び蹴りを水村に喰らわせた。あまりの勢いで二人共もんどり打って棚に衝突し大きな音を轟かせた。棚は大きく揺れ上から商品がバラバラと降って来る。


 鼠は猫を噛めなかった。


 ――長谷川の張り手で吹き飛んだピアスの男は落とした鉈を再び手に取った。

「なんだよ、あのおっさん……強すぎるだろ」

 阿部は慎重に辺りを伺う。あいつがまだ近くにいたら堪らない。

 耳が良く聞こえない。頬が痺れて麻酔が掛かったようだった。それでも近くで争いが起こっている事はわかる。

「もう俺は勝手にやらせてもらう」

「俺は女を頂くぜ」頬に手を当てて摩りながら阿部は呟いた。

「こうなったら絶対やってやる」

 片方の頬を赤く染めた彼は腰に鉈を差すと凛子のいるエリアへ向かった。


 ――轟音の後、商品が散乱した中に伸びている男がいた。あの卑劣なナイフの男、水村だった。その横で雨宮は肩を押さえ蹲っていた.


「ぐ……。いってえぇ……」


「緋色ちゃん!!」

「雨宮さん!」

 雪乃と長谷川は同時に叫んでいた。

「大丈夫っ!?」

「大丈夫か!!」

 雨宮は首を横に振りながら言う。

「大丈夫じゃない。すごい痛い」

 雪乃は駆け寄り肩を触る。

「ぐあ!いってえ」

「どうこれは痛い?」

「痛い……」

 雪乃は続けて触診する。

「これは?」

「……痛いって」

「頭は打ってない?」

「ない。大丈夫」

「よし。良かった、骨折も脱臼もしてない。頭も打ってはいない」

 そう言った矢先、突然雪乃が驚きの声をあげる。

「うわわぁっ!!」

「ちょっと!緋色ちゃんっ!あなた危なかったわねぇ……」

 雪乃の視線のその先には大型のバタフライナイフが突き刺さっていた。革製の黒いライダースの脇腹辺りを見事に突き破っている。

「うおっ!あぶねえ!」

 雨宮は驚きそして騒いでいる。

「なんか中でちょっと掠ってるぞ!あっ!ちょっと切れてる!」

「一歩間違えたらヤバかったわよ、それ」

「幸運でしたねぇ、雨宮さん」

「あーっ!血出てるよーっ」

 未だに騒ぐ雨宮を尻目に雪乃が改まる。

「長谷川ちゃん……緋色ちゃん……二人ともありがとう!」

 彼女は涙を浮かべて礼を言った。

「雪乃さんを一人にさせた私の責任だ。すまない」

 長谷川は後悔してもしきれない思いだった。

 雨宮はその言葉でスッと立ち上がり真顔で問う。

「…こいつら何人だった?…二人か?」

 長谷川は青ざめた表情で言った。

「しまった…三人だ」

 その言葉を最後まで聞かないまま雨宮は駆け出す。

 雨宮の行動の意味を察した雪乃は彼の後を追うように走りながら言った。


「凛ちゃんが危ない」




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