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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
16/50

encounter

 ――数分前。

 雨宮はポケットから煙草を取り出し火を点けた。一口吸いながら凛子に尋ねる。

「煙草吸うかい」

「うん、ありがとう」

 黄緑のパッケージの煙草と銀細工のジッポライターを凛子に手渡した。それと同時にポケットからスマートフォンを取り出して119を押す。嫌な予感はしたがどうやら当たったようだ。まったく繋がらない。

「初めて見た、これ」凛子はまじまじと煙草のパッケージを見ている。

「あ、それメンソールだよ、平気?」咥え煙草で雨宮が言う。

「大丈夫、逆にありがたいかも。私もメンソールだから」

 二人は段ボールに並んで腰掛けながら実に美味しそうに煙草を吸っている。


「その跡、どうしたんだ?」雨宮は凛子の太ももを見ながら興味深く聞いた。

 凛子は手で太ももを慌てて隠しながら

「ちょっと、見ないでよ」この人は意外とデリカシーがないのだろうかと凛子は思う。

「帯状疱疹よ」と続けた。そして凛子はある重大な事を思い出して顔が赤くなってしまった。

 下着だ。上どころか今は下も穿いていない。

「へぇ。そんなとこにもできるんだ?俺も昔なったけどあばら骨のとこだったぜ?」

 雨宮の言葉にそんなの知らないわよと言う表情で凛子が応える。

「神経に沿って柔らかい場所にならどこにでも出るらしいよ」

「さっきのオタクっぽい彼は誰なんだ?」

 雨宮は思い出したように言う。今の帯状疱疹の話はもういいらしい。意外に身勝手かもしれない。

「あぁ。あの人は……うぅん。あたしを助けてくれた人かな」

「ほう。命の恩人って訳か。なのに随分と冷めた言い方なんだな」雨宮は笑いながらそう言った。

「マンションで襲われてね、ベランダ出たら上の階から梯子で来てくれたって感じ。もしかしたら、一人で降りる途中だったのかも知れないなぁ、偶然」

 そう続けて言いながら凛子はある疑問を抱く。

 退院した日、あの男とマンションの四階で会っている。私がエレベータから降りるときにあの男は四階から乗ってきた。上の階の人間ならばあの階で何をしていたんだろう。

「名前も知ら……」


 凛子がそう言い掛けたとき、雨宮は手の平を凛子に向けて唇に指を立て当てている。

 奥にあるコンクリートの通路から足音とこだまする声が聞こえる―――。

「!」

 二人の表情から笑みが消え、一気に緊張感が漂い出した。

 雨宮はポケットから携帯灰皿を取り出すと凛子と自分の煙草を入れる。

 灰皿を仕舞いながら小声で凛子にそっと耳打ちした。

「俺、結構真面目だろ?」

 凛子はクスっと吹きだして小声で言った。

「もう。鼻水出ちゃったじゃん」

 この男の、相手をリラックスさせる話術は何なのだろう。

 ――話し声が次第にはっきり聞こえてきた。男の声だ。しかし二人ではない。足音はひとつだ。

 ……となると電話でもしているのだろうか。

「はい、該当者A03、A09は…はい…二日前に病院で……」

「担当医からA09の採尿は…はい血液も…」

「検査結果…S3クラスに……」

 奴らではないのは確かであった。雨宮達は揃って気を抜いた顔になる。

「あれ。……聞いたことあるような声」

「あれ。……今、電話つながるのか」

 二人が同時に別々の事を呟いた。

 互いに顔を見合わせ、無言で通路を指差しながら、そっと歩き出す。通路の影にいる声の主の姿を見れば二人の疑問は解消されるであろう。

 慎重に曲がり角を覗くとそこにはPDAで話すあの男がいた。ハッとした表情で雨宮をいや、凛子を見つめて固まっている。

「あ。この人……」凛子は小声で言った後、普通の声で続ける。

「誰と話してるの?」その声を聴いた途端、フリーズしていた彼はハッと驚いた表情で凛子を見て、逃げるように元の道へ引き返そうとする。

「服装で……はい…白い……はい……そうです」

「ちょっと!待って……」


 ――凛子が彼を引き留めようとしたその時。


『ザー…ガー…ガッ…あー、あー、これは緊急放送です。

 現在当店は不審者集団による暴動が発生しております』


『ご来店中のお客様の安全を第一に考え、この事態を終息させるべく、

 当店規定第四条三項に基き、一時的に全ての出入り口を封鎖させて頂きます』


『これは外部からの更なる侵入を防ぐ為の処置であり、お客様を監禁、軟禁する目的ではありません。

 何卒、ご理解ご協力をお願い申し上げます』


『繰り返します。これは緊急放送です……』


 PDAで話す男は既に姿は見えない。再度自分の携帯電話を耳に当て、通話できないのを確認すると雨宮は言う。

「あいつ、衛星電話なのかな?まさか特別回線とかか……」

「それより、ここ閉まっちゃうって。どうするの?」

「これで奴らはこれ以上入って来ないよ」

「安全になるって事?」

「中で暴れるやつを何とかすれば少しなら安全に立て篭もれる……かな」

「ん?少し?でも、危なくない?」

「確かにちょっと危ないな。けど」雨宮は続ける。

「それで一時(いっとき)でも安心できるようになれば」

「他のお客さん達はどうするのかな?」白いコートを羽織った美しい天使は他の人達を気にする。

「この状況で全員を助けるのは不可能だぜ」黒尽くめの悪魔は冷酷な言葉を吐いた。

「わかるけど、わかるけど可能な限り弱者は助けてあげようよ」

 凛子の言葉に雨宮はニコリと微笑んで頷いた。

「よし、じゃあ助けが必要な人がいたら……」雨宮は壁際に立て掛けてある脚立を指してこう言った。

「脚立持って女性、老人、子供を見つけ次第、上に登らせるか。棚の上なら襲われない」

「わかった、やってみる」天使は嬉しそうだ。

「俺は雨宮。雨宮 緋色」悪魔は自己紹介をした。

「え?ヒーロー?」

「いや、ひいろ。赤い色の名前さ」

 優しい天使から優しい悪魔に変った人の名前はヒーロー。いくらなんでも出来すぎでしょうと凛子は笑ってしまう。

 しかしどうしてだろう。この男を直感的に信用してもいいと思った。あの日以来、人を信じる事が苦手な凛子は自分で驚いた。

「緋色さんか。あたしは凛子、如月 凛子」天使の自己紹介も済んだ。

「じゃあ、いくぜ。凛子ちゃん」

「凛子でいいよ」

 脚立を担ぎながら雨宮は提案する。

「では、凛子。事態が収まるまで一緒に行動しようぜ」

「うん、そうね。ありがとう」


 雨宮は勢いよく、一気に売り場へ続くドアを開け放った。

 しかし、奥のほうに怪しい影がひとつしか見えない。

 予想以上に奴らの数が少なく拍子抜けしてしまう。


「あ…あれ。意外に少ない。気合入れてたのにな」雨宮は苦笑いした。

「うふふ。なんか可愛い」凛子はこんな状況で自分が笑ってしまっている事が不思議だった。

「よし。ちょっと上から見てみるか」棚を見上げながら雨宮は言う。

「うん。登ろう」

 二人は脚立で棚に登り中腰で最上段を歩く。

「凄い綿ぼこりだろ。ここ」

「ああ……さっき、これが付いてたのね。ゴホッ」なるほどという表情で頷いている凛子。

 前方で茶色の革ジャンの男性が鉄パイプを振るい暴徒と戦っている。その傍らには髪の長い女性の姿も見える。

「強いな。あの男…‥でもなんか少し疲れて見えないか?手伝いに行くか」

「うんっ!助けよう。助太刀、助太刀!」

 棚の最上段を早足で歩きながら雨宮はあることに気づいた。

「あの男、奴らを気絶させたいのかな」

「そうなの?何でわかるの?」

「なんとなく、殺したくないって感じで戦ってるように見えない?」

「そう?あたしにはよくわからないかな」

 雨宮と凛子は棚の上を伝いその二人組の近くまで寄って声を掛けた。


「首の後ろ。後頭部の下を思いっきり殴ってみ」雨宮は革ジャンの男に言った。更に続ける。

「ほら、猪木が延髄切りで蹴るとこさ」

「よくわからない例えねぇ…」凛子は笑いながら彼に言った。

 その声に振り返って凛子を見た雨宮は思わず自分の目を疑ってしまう。

 そこには天使がいた。紛れもなく美しい天使がいた。


 自分達が走って来た時に舞い上げた綿ぼこりが抜け落ちる羽に見え、貸した白いコートは降ろした翼に見える。そして、照明に距離が近いせいなのだろうか。胸まである栗色の髪は後光を放つように美しく輝く。

 その天使は笑顔でこちらを見つめていた。その瞳は美しく吸い込まれそうになる。

「ん。なに?どうしたのよ」


 雨宮はなんでもないと言いながら棚からひょいと飛び降りた。



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