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パンデミックは秋風に  作者: 千弘
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夢遊

 NSXの助手席で凛子はこの悪夢が覚めるのを今や遅しと待っていた。

 ベランダでこれは夢だとわかってから、ずっと待っているのだが一向に覚める気配がない。

 焦点の合わない目で流れる夜の風景をただ見つめていた。正確に言うと見ているのではなく、夜の風景が瞳に反射しているだけかもしれない。

 運転する小太りの男は気を使っているのか、先ほどから何かを何度も話しかけている。しかし彼女の耳にはまったく届いてはいない。

「どこに向かっているの?」細く擦れた声で凛子が問いかけた。

 彼は突然彼女が口を開いた事に少し動揺している様だった。その動揺の理由は彼女の服装にもある。一切の下着を着けていない事をベランダから降りる時に確認している。更に角度によっては丸見えになってしまう。

「す、少しは、お、落ちつきました?」凛子は返事をしない。無表情で正面の闇をじっと見つめている。

 夢というのはよく深層心理とか暗示とか記憶の整理とか言う事を思い出していた。だとしたらこれってなんなんだろう。もういいから早く覚めて欲しい。きっと起きたら汗びっしょりでまたお風呂に入るようだろう。そんな事を凛子は考えていた。

「し、知り合いの所へ行きます」

「そう……」


 どれくらい走ったのだろうか……。今の凛子は時間の流れる感覚が上手く掴めない。

 闇を見つめていたはずだがいつの間にか車のテールランプの赤い光を見つめている事に気が付いた。

 前方を走る車の数が多くなっていて道路が混んできているのがわかった。

 ずらりと並ぶ赤いランプの光を見て綺麗だと思いながらも閉塞感のような焦慮感が湧きあがってくる。

「さっき……」凛子が口を開く。囁くような小さな声だった。

「さっき助けてくれてありがとう」

「いえ、監し……いや当然なので気にしないで下さい」

「自己紹介しますか僕の名ま……」そう言いかけた時異変に気付き男は口を閉ざした。

 それは丁度、凛子を助手席に乗せたスポーツカーが、どこかの駐車場の入り口に差し掛かった時それは起こった。

 この先の国道で何かが起きているらしく通りは渋滞し始めていた。事故だろうか。

 NSXの二台先にいる路線バスが何やら揺れている。何だろうとバス後部の様子をハンドルを握る彼は眼鏡を指で上げて目を凝らした。

 バスの後部座席に若い女性が乗っているのが見えるのだがどうも様子がおかしい。何かを嫌がる仕草が見えたかと思うと二人の人影がその女性に覆いかぶさった。三人で争っているためにバスは不自然に揺れていたようだ。

 いや、この揺れは車内で逃げ惑う人々のせいかもしれない。明らかな異常事態だった。後部のガラスに女性の手や足がバタついて当たる。

「やっばい」凛子を助けた小太り男はハンドルを左に切り、赤いスポーツカーは商業モールの駐車場に入った。

 NSXを駐車線にピタリと停めながら男は言う。

「や、やばいですね、なな、中へ逃げてここ閉鎖できないかな。しかたないので、こ、ここで篭城して助けを待ちますか」彼は早口で捲し立てる。

「……」凛子はバスでの騒ぎも見ていなければ男の話も聞いてはいなかった。

 男は指出し手袋を脱ぎインパネの上へ放り投げるとPDAと呼ばれる携帯情報端末機を自慢げに取り出し何かを打ち込んだ。

「でで、では、いきましょう」男はドアを開け外に出る。

 開いたドアから夜の空気が入り込み、彼女の顔を優しく撫で少し気持ちいい。早く夢が覚めればいいのにと思いながらある事に気付く。右の足首付近が少し痛い。

 さっき、女の顔を蹴った時に歯が当たって切れたくるぶしが痛む。そういえば、夢なら痛くないとよく聞くな……。

 凛子はそう思いながら、残念そうな表情で赤い車から降りた。グレーのタンクトップに黒いハーフパンツ。

 そして素足にベランダに置いてあるサンダルという格好のままだ。

 先ほど縄ばしごで降りる時に、壁で肘や膝を擦ってしまい生傷が出来てしまっている。気持ち良かった秋風は今では何だか少し肌寒く上着が欲しい感じだ。

「な、中に。店内に入ってみましょうか」男の声に凛子は黙って頷いた。

 遠くで鳴るサイレンが肌寒い秋風に乗って聞こえる。


 店舗内に入ると予想以上に人が少なく、PDAを持った小太りの男はなんだか拍子抜けしてしまった。

「阿鼻叫喚だったらど、ど、どうしようと思ったですよ」彼は海外のニュースの様な略奪やこの人を襲う者達がごった返している事を想像していた。

「あの君!ちょっといいかな」PDAの男は店員を呼びつけ責任者と話がしたいと申し出た。

 しかしたった今、店内でトラブルがあったらしく手が離せないとまるで相手にされていない。首を振る従業員にポケットから何かを見せて話を続けている。従業員はインカムで上司を呼んだらしく、すぐに責任者らしきワイシャツ姿の男性がやってきた。

「直ちに従業員出入り口や商品搬入口、全ての出入り口を封鎖してください」

「すべてです。正面入り口やサブ入り口もすべて!」

 困った顔でワイシャツは答える。

「そう言われましても、現在来店しているお客様にご退場頂かなければなりませんし…守衛の許可も本社の許可も必要になります。閉店後ではいかがでしょうか?」

「何を呑気な事を言っているんです!手遅れになりますよ!」凛子を助けた男は非常に強い口調だ。

 その時―――離れた所で悲鳴が聞こえた。

 ワイシャツ姿の責任者はインカムに手を当て何か話している。

「申し訳ありません、何かあったようなので、そちらに行って参ります」走り出す責任者が陳列棚の角に差し掛かった時、誰かとぶつかった。いくら緊急事態だといえ、お客様を突き飛ばしてしまっては言い訳できない。

 責任者は倒れ込むお客様に平謝りで手を差し出して起き上がらせようとした。しかし、事もあろうかその男は責任者の腕を自分の顔へ近づけそのまま当たり前の様に口を開いた。剥きだした歯が異様だった。

「痛っ!何を!」ワイシャツ姿の責任者は腕を噛まれ、思わず本能的に男性客を突き放してしまう。

 顔を歪め、ワイシャツの腕の部分を赤く染めながら後退した時、背中に何かが当たる。振り返った瞬間。

 後ろから血まみれの女性に首筋を噛みつかれ血飛沫があがった。まさに一瞬の出来事である。

 責任者は悲鳴を上げながら、その血まみれの女性客に押し倒される形になった。

「うっうわぁぁあっ!!痛いっ!や、やめてくださ……っ!!」

 男女二人が責任者に覆いかぶさりワイシャツは真っ赤になっていく。責任者の絶叫と共に棚に並んでいる商品も磨かれた床も赤く染まっていった。

「きゃぁぁぁぁっ!!」

 目に映るホラー映画さながらの光景に凛子は悲鳴を上げてしまい、どうやら彼らの次なる標的になってしまったようだ。その者達はワイシャツの責任者の肉を噛み切りグチャグチャと咀嚼音を発しながらゆっくりと凛子を見定めた様に立ち上がる。

 PDAの男は後ろに逃げようとするがなんと後ろにも血まみれの若者が立っている。

「ひぃぃ…」情けない声をあげて彼はどうする事も出来ない。

 凛子達は通路で挟まれた格好で完全に行き場がなくなってしまっている。


 さすがにこの辺で目が覚めるはずよと凛子は思っていた。だってこれはどう考えても夢だもの。





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