本編 ロデウス視点 ⑥
レティは病院に運ばれた。あの後、息を吹き返したものの、すぐにまた気を失ってしまったらしい。
僕とレギはずぶぬれだったため、病院の好意に甘え、シャワーを浴びて着替えた。
そして、二人だけで話をすることにした。
「ロディ」
「ごめん。こんなことになるなんて、思わなかった。僕は最低の人間だ。レティのことはレギに任せるといったのに、それなのに、レティが僕のことを想ってくれているなんて思わなかったから……混乱してしまった」
「俺は怒りを感じている。だが、お前にではない。自分自身に」
レギは言った。
「俺はレティがずっと俺のことを愛してくれていると信じて疑わなかった。お前もそう言った。まだ、レティが俺を愛していると。だからこそ、余計に疑わなかった。だが、冷静になれば、死んだ人間をいつまでも想い続けている者ばかりではない。新しい人生を歩こうと考える者もいる。優しく頼りになる者がいれば、余計だ」
「僕は立派な人間じゃない。弱い。ただ、レティのそばにいるしかなかった。悲しみを埋めることなんて、全然できなかったよ。レティはずっとレギのことを話していた。そして、泣いていた。失ってしまったと」
「お前がそう思っていただけだ。実際は違った。レティはお前に励まされた。一緒に生きて行こうと思った。時間はかかったが、過去と決別し、お前と本当の夫婦として歩くことを選んだ」
「あれはレティが優しいからだ。僕に同情しただけだよ。それに、一緒に頑張ると約束したからだ。約束を破ることになる。素直になれないだけだ」
「素直になれずに、死を選ぼうとしたのか? ずっとしていた指輪を捨ててまで」
僕は言葉に詰まった。
「俺もお前もレティに捨てられた。あの指輪がその証拠だ」
僕は呻いた。レギの言葉が正しいように感じたからだ。
「俺はずっと考えていた。レティに会いに行かない方がいいのではないかと。レティは新しい人生を歩き始めている。その人生は豊かだ。光が溢れ、希望も夢も残っている。時間がかかったとしても、いつかは心も癒され、幸せだと感じることができる。だが、俺との人生は、豊かとはいえない。素性を隠して生きる人生だ。苦労させ、我慢させることになる。一生、俺は監視される。レティも一緒にいれば、同じだ。いつ、囚人に戻るかもわからない」
「大丈夫だよ。名前も身分も新しくなる。普通に暮らせる。年金も出る」
「多くはない。本当に普通の生活だ」
「いいじゃないか。愛する者と一緒に生きることができれば」
「レティが愛しているのは、もう俺じゃない。お前だ」
僕はまた言葉を失った。本当なのだろうか。僕はそれを信じてもいいのだろうか。
「約束したはずだ。レティがどちらを選んでも恨まない。祝福すると」
レギは遠い昔にした約束を口にした。
「俺が守る番だ。レティはお前を選んだ。守って欲しい。そして、幸せにして欲しい。俺はお前達の幸せを願い、遠くから見守る」
「レギ……」
「レティは優しい。土下座して許しを乞えば、許してくれる。そして、もう一度、やり直したいと懇願しろ。お前達はこれまで多くの試練を共に乗り越えて来た。これも試練だ。共に乗り越えることができる。お前達は夫婦だ」
レギは更に言った。
「レティも言っただろう? 恋人に選んだのは俺だが、夫に選んだのはお前だ。俺はその時、レティが俺との未来はないと思っていたことを理解した。元々、王子と平民の侍女だ。結ばれるわけがなかった。俺は政略結婚し、レティもまた、別の者と結婚しただろう。俺はレティを愛人として囲い、一生縛りつける気はなかった。もしかすると、お前がレティと結婚していたかもしれない。戦争が起きたせいで状況が変わった。甘い夢を見た。だが、甘いだけで、夢は夢だ。現実ではない。現実から逃げ切ることはできなかった。その時、何もかも終わった」
レギは大きく深いため息をついた。
「俺は去る。後はお前に任せる。いいな?」
「わかった」
「絶対に幸せにしろ。不自由はさせるな。レティがお前を拒んだら、どこか静かな場所を用意してやれ。死なせるな」
「約束する」
「約束を破ったら、お前を殺しに来る」
レギはそういうと立ち上がり、部屋を出て行った。
僕は脱力感を感じた。重い話が終わったせいだと思った。でも、違った。凄く熱があったらしい。僕はレティと共に入院することになった。
ふと気づいた。物音がしたからだ。
「レティ」
ずっと眠っていたレティが目を覚ましていた。
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
僕はすぐにレティの元に行こうとした。その時、足がつった。痛みをこらえて平静を装う。
「看護婦を呼んで。ベッドのそばにある紐を引けばいい」
レティはベッドのそばにある紐を引いた。すぐに看護婦が来て、水を飲ませ、医者を呼んで診察をしてくれた。
医者と看護婦は忙しいらしく、すぐに去ってしまったため、僕は足がつったと伝えるタイミングを逃してしまった。
病室に二人だけになった。
「ロディ、これから、どうなるの?」
足がつったから後で、といえるわけもない。僕は大きなため息の後、言葉を発した。
「レギは去った。レティはレギを選ばなかったし、僕と生きることも選ばなかった。死ぬという選択をした。でも、レギはレティに生きていて欲しいらしい。生活に不自由することなく、静かに暮らせるように、僕に頼んできた。自分は邪魔にならないよう、遠くから見守るといっていたよ」
僕はもう一度大きく息を吸って吐いた。覚悟する。。
「医者は僕が海に飛び込んで、レティを助けたといったよね。でも、事実は違う。レギが海に飛び込んで、レティを助けた」
「ロディが助けてくれたわけじゃないの?」
「そうだよ。僕は泳げるけど、あまり得意じゃない。レティのドレスは水を吸うと凄く重くなって、身動きもしにくくなるから、一人で助けるのは無理だよ。レギがいなかったら、絶対に助けることはできなかった。僕も手伝ったけど、あんまり役には立たなかった。レギは今も君を心から愛している。でも、平民として生きていくのは大変だと知っている。だから、君を助けたのに、すぐ手放した。自分の気持ちよりも、君の気持ちを優先した」
レティの目に涙が溢れだした。
「レティ、君は生きている。となると、僕は妻が死んだということにはできない。離婚するか、それともこのまま夫婦として生活していくかだ。レティはどうしたい? 本当の気持ちを教えて欲しい」
「私……離婚して修道院に入るわ。命を助けてくれた神に仕えたくなったとすれば、離婚しても、あまりおかしくないと思うの。私が子供を産めないということでもいいわ。そうすれば、ロディも困らないでしょう? 最後まで迷惑をかけてしまって申し訳ないけど、貴方にとって都合のよさそうな、遠く離れた場所にある修道院を探してくれないかしら?」
僕は大きなため息をまたついた。レティは怒っている。酷い言葉を発した僕を、簡単に許せるわけがない。軽蔑されている。嘘をついた報いだ。
「夫がいるのに、神に仕えるために修道院に入る女性は少ないよ。大抵は未亡人とか、未婚の女性だよ。酷い夫だという理由もあるかもしれない。でも、いきなり信仰心に目覚める女性は少ない。裕福な女性であれば、尚更ね。それから、子供がいないっていうけど、結婚してから一年しか経っていない。諦めるのは早過ぎる。何か別の理由があると思われるよ」
「貴方の不貞でもいいのよ」
レティはやや意地悪な口調でそう言った。
「沢山の愛人を持つ夫に愛想をつかして、修道院に入ったの。それでどうかしら?」
「確かにその方がいいかもね。でも、僕には当てはまらないよ。不貞はしてないから」
「嘘よ!」
レティが叫んだ。
「メレディスと口づけしていたわ! 私、見たのよ!」
「あれはメレディスが勝手にしてきただけだ!」
「受け入れているように見えたわ!」
「レティにメレディスと親しくしているのを見せて、嫉妬させる気だった。でも、口づけまでされるとは思っていなかった。あの後、メレディスと凄い喧嘩になったよ。メレディスは僕達が白い結婚で、唇への口づけが一回だけというのも知らない。だから、口づけがいかに重い意味を持つか、全くわかってなかった。絶交したよ。サイモンにも伝えた」
「朝帰りや昼帰りもしていたわ! タバコと香水の匂いも凄かった!」
「男性同士の付き合いもある。女性を側に置いて、お酒を飲むような場所に行くこともあったのは認める」
「ディックが教えてくれたのよ。貴方が他の青騎士と一緒に高級娼館に行っていることをね! いつも娼婦を二人買っているって言っていたわ!」
「ディックのやつ!」
僕は舌打ちした。
「ごめん。謝るよ。嘘をついた。高級娼館には行った。でも、仕方がなかった。さすがに僕だけ何もしないわけにはいかない。王太子も一緒だった。誰か買えと言われれば、買うしかない」
「王太子が一緒だったの?」
レティは驚いた。
僕は秘密事項を話すことにした。本来は不味い。でも、ここで説明しないわけにはいかない。そもそも、ディックが秘密事項を話したのがいけない。
「そうだよ。王太子は時々、お忍びで出かける。でも、さすがに一人じゃ危ないから、誰かがついていく。いかにも護衛って感じの者を連れて行くと、素性がわかってしまいかねない。だから、青騎士とかも数人ついていく。それで、僕も一緒に同行することになった。前に、王太子を襲撃者から守ったから、それなりに心得があるって知られている。朝帰りも、王太子を置いて、帰るわけにはいかないからだよ。だから、朝どころか、昼まで帰れないこともあった。王太子は朝に弱い。なかなか起きない。起きても、帰りたくないと言い出すこともある。これは極秘にして欲しい。絶対にね。じゃないと、死罪になりかねない。物凄く不味い秘密だよ」
「でも、妻を愛する夫で知られているはずよ! だったら、妻を裏切れないって、断ることもできたはずよ!」
「勿論、そうしたよ。でも、王太子に言われた。妻と忠誠、どちらを優先するのか。後者じゃないと不味いのはわかるよね?」
「忠誠を取るから、娼婦を買ったというの?」
「そうだよ。神に誓う。僕は自分から娼婦を買ったわけじゃない。王太子に従い、忠誠心を見せろと言われたからだよ。でも、買っただけだ。何もしなかった。朝までベッドで寝ていたけど、一人だった。娼婦は別の部屋で寝て貰うため、もう一人買って、娼婦同士で寝て貰うことにした。それだけで大金は貰えないというから、朝になったら起こしてくれることと、王太子が起きた時も、教えてくれるように頼んだ。朝食も無料で用意してくれたよ。王太子が買った女性にもお金を払った。王太子が帰りたくないと言った時、早く帰るよう味方をして貰うためだ。王太子の部下になって給料は増えたけど、無駄な出費も増えて困った。他の青騎士達も、そのことで愚痴を言っている」
そうだ。僕は困っている。上司の王太子のせいで。しかし、何でもする気だった。レティとレギのために。仕方がないと思った。なのに、それがこんなことになるとは思わなかった。
「私、王太子に抗議の手紙を送りたいわ!」
「駄目だよ! 秘密だって言ったよね?」
「そういう気分だってことよ。本当には送らないわ。でも、王太子が嫌いになったわ」
「レティ、それも絶対に言わないで。不敬罪で投獄されてしまうし、最悪、処刑されてしまうよ」
「言わないわよ。でも、凄くムカついたの。妻を大事にしている夫にわざわざ命令して、忠誠心を試すなんて、馬鹿げているわ!」
「ごめん。許して欲しいけど、許されないのもわかっている。僕はずっと嘘をついてきた。一つや二つじゃない。沢山の嘘を」
レティの表情が曇った。
「ずっと、愛されていると思っていたわ。でも、それが嘘だなんて思わなかった。今も信じられないわ」
「信じなくていいよ」
僕はそういった。
「僕がレティを愛しているのは、本当のことだから」
レティは信じられないというような顔をした。
「今、なんていったの?」
「君を愛しているって言った」
「嘘だっていったじゃないの!」
「ずっと一緒にいれば、愛着がわく。レティは優しい。僕に気を遣ってしまって、自分の幸せを犠牲にすることを選択するかもしれない。だから、レティが僕のことを気にしないで、レギと一緒に行けるようにした。夜遊びが酷い王太子のせいで、あまり苦労はしなかった。社交界でも、僕の周囲に女性が来ることをやっかむ者達が、好き放題に言っていたしね。妻を愛しているといいながら、女性関係が派手な男だと君が思うように仕向けた。本当はそんなことはしたくなかった。でも、僕の片思いは実らない。せめて、レティが何の負担もなく、僕の元を去って、レギと行けるようにすべきだと思った」
「ロディのことを優秀だと思っていたけど、本当は凄く馬鹿だったのね! 私の気持ちに気付かず、そんなことをわざわざするなんて!」
「……君がどんな墓地がいいかを僕に言った時、凄く動揺したよ。なぜ、愛してもいない僕に、愛の言葉を刻むよう求めるのか、わからなかった。自分に都合よく解釈してしまいそうだった。必死でそれを抑えようとしたのに、君は永遠にという言葉をつけるとも言った。あの時、僕がどれほど嬉しかったか。そして、あの後、レギに会わせ、手放さなければならないことに、どれほどの苦しみを感じたか、きっと君にはわからないと思う」
「わかりたくもないわ。何も教えてくれないなんて……レギの姿を見たとき、どれほど驚いたと思っているの?」
「教えられないことだったからだよ。レギが生きていることは、王太子の部下になって知った。それまでは僕も知らなかった。死んだと思っていた」
「私のことで、約束したって言ったわ」
「王太子の許しを得て、幽閉されているレギに会いに行った。その時に約束した。レティを迎えに行くまで守るって。僕の妻にしたことを、すぐには言えなかった。打ち明けたのは二度目に会いに言った時だ。レギに思いっきり殴られた」
「もしかして、頬に凄いアザを作って帰って来た時?」
「うん。喧嘩した者達を止めようとしたって言ったけど、あれも嘘。レギに殴られた」
レティはため息をついた。
「嘘つき」
「ごめん」
僕はすぐに謝罪した。
「でも、もし、レティが……僕の妻でいてくれるというなら、一生をかけて、レティを守るよ。本当の夫婦になりたい。子供を作って、温かい家庭を築いて、幸せになりたいよ。嘘つきの夫なんか嫌だと思うかもしれないけど、経済的な不自由はさせないよ」
「私がお金に目がくらむような女だと思っているの? レギにも言ったわね。私が今の生活を捨てたくないから、一緒に行かないって」
「その方が、レギが諦めてくれるかなって思った。レギだって 相当の覚悟で迎えに来た。嫌だと言われて、すぐにわかったと言えるわけがない」
「また嘘を言ったのね」
「ごめん」
謝るしかない。僕は嘘をついてばかりだ。レティを愛しているのに。酷い男だ。でも、レティを守るためについてきた嘘だ。傷つけたくはなかった。
「レティ、もう一度チャンスが欲しい。一緒にこの大きな試練を乗り越えて行こう」
僕はレティを見た。ベッドに横たわったまま。不味い。余計に足が痛くなってきた気がする。放って置けば、治る感じじゃない。
「ロディ、凄く大事な言葉を言っている割には、ベッドから出ないのね。寝たままだし」
「ごめん」
「どうして、そばに来て言わないの? 本当は抱きしめて欲しいのに」
僕は呻いた。これはもう、駄目かもしれない。隠しきれない。
「理由を言わないといけないよね?」
「当たり前でしょう?」
「凄くかっこ悪いけど、できるだけ嘘をつきたくないからいうよ。さっきから、足がつっている。動けない。凄く痛い。でも、こんな大事な話をしているのに、言えるわけない」
本当はレティを抱きしめにいきたかった。男らしく、かっこよく。
こんなことを言わないといけないなんて。最悪過ぎる。痛みと悔しさで涙が出そうだ。
「馬鹿じゃないの! 私たちは夫婦よ! そんなことも言えないでどうするのよ!」
レティは起き上がると、もう一度紐を引っ張った。看護婦を呼ぶためだ。
看護婦が来ると、レティは僕の足がつったことを伝えた。看護婦はすぐに僕の足の状態を確認し、つった足を直すべく、手当をしてくれた。




