本編 レティシア視点 ①
私達の国は隣国の侵略にあった。隣国は大国であり、軍事国家でもある。その侵攻は早く、王都も包囲された。
私はひたすら走った。逃げるために。私の手を握る人を信じて。共にいる未来を願って。でも。無理だった。
追手に追いつかれ、銃を向けられる。レギは私を庇った。銃声がとどろき、覆いかぶさったレギの重さで私も倒れる。頭を打ち付けた私はそのまま気を失った。
気が付いた時、私は病室らしきところにいた。隣に男性がいる。偶然にも、知っている者だった。
「レティ、大丈夫?」
「ロディ、ここは?」
「病院。敵のだけど」
私は黙り込んだ。私は捕まってしまったのだ。
「レギは?」
「それは僕が聞きたい。レギと一緒に逃げたはずだ。レギは?」
「レギは……撃たれたの」
私の瞳から涙が溢れた。
「私を庇って……私は倒れた時に、頭を打って、気を失ったみたい」
「そうか」
「レギはここにいないの?」
「わからない。もし、レギが生きて捕虜になっていれば、別の所で治療を受けている可能性がある」
「見てくるわ!」
私はそういって起き上がった。でも、それは阻まれた。警備兵がいたからだ。
私は部屋の外に出ることができなかった。
私たちは、様子を見に来た医者と看護婦に、レギのことを聞くことにした。心当たりがないというものの、他の者にも聞いてくれるという。そして、しばらくした後でわかったことは、死亡者リストの中にレギの名前が載っているという事実だった。
私はどうしようもない事実に打ちのめされるしかない。レギは死んでしまった。もうこれ以上生きていても仕方がない。そんな私を必要としてくれた者がいた。ロディだ。
「レティ、僕の恋人になって。でないと、こうやって一緒にいれないし、この先も守っていけない」
ロディは言った。
「捕虜になった僕達がどうなるのかわからない。あまりいい状況ではないけど、僕が君を守る。レギが自分の命をかけて、君を守ってくれたということを忘れてはいけない。レギの行為を無駄にするようなことはしちゃいけない。レギも望まない」
「でも、レギがいない世界なんて」
「レギはいる。君の心の中に。君はレギと一緒に生きていく。そして、この国がどうなるか、見届けよう。僕が側にいる。君とレギを守るから」
「ロディ……」
私とロディは負傷者扱いで病院にずっといた。健康だとなると、病院を出なくてはいけないからだ。
捕虜の行先は監獄だ。男女別になる。しかし、病院は男女関係なく、空き室に詰め込まれている状態だった。
敵であっても、この病院に勤務する医者や看護婦は、ただの負傷者として接し、人道的立場から、治療に専念していた。優しく接してくれる。食事も三食提供された。早く怪我を直すためだ。監獄に行けば、食事は一日に一回だけになるらしい。
ロディは足を撃たれていた。私は頭を打っただけであるため、軽傷で、すぐに動ける状態だった。しかし、精神的なショックも重なり、めまいや頭痛がするという症状が続くとして、脳に何か影響があるかもしれない、最悪手術という理由で、病院にいることができた。
医者も看護婦も無理をしてはいけないといい、むしろ、治っても、治っていないふりをして、ここにいたほうがいいと薦めてくれた。
元々、この侵攻は戦争の好きな隣国の王が勝手に決めたことだ。国民全員が戦争を望んだわけではない。
ある日突然、上の方にいる者達が決めたからといって、隣国が敵になったことを、国民全てが簡単に受け入れるのはともかく、心から相手を敵視するのは難しい。
戦争が終わった。
私達の国の王と王妃、重臣の一部は処刑された。抵抗する者には厳しい処遇となったものの、隣国に降伏し、支配を受け入れるのであれば、寛容な処分にするということから、多くの者達が降伏していた。そのため、予想よりも処刑者の数は少なく、戦争をした割には犠牲者が少ない方だったらしい。
ロディの父親は大貴族だった。そして、その母親、つまりロディの祖母が隣国の出身だった。降伏し、支配を受け入れ、祖母の実家のコネを駆使した結果、大きな処罰はされなかった。
それどころか、併合された私達の国を王に代わって統治する総督の補佐に選ばれた。爵位が降格されたものの、併合後に権勢が強まった。そのため、裏切り者、売国奴と陰で悪く言う者達もいた。
「凄い人だな」
私とロディは列車に乗っていた。特別列車にも関わらず、中は通路までぎゅうぎゅう詰めだ。
併合されて一年が過ぎた。
私とロディは病院内にある聖堂で結婚した。この聖堂は病院で死んだ者を弔うためにあるのだが、重傷者が死ぬ前に婚姻したいと希望することもあるため、婚姻にも使用できた。
どうなるかわからない状況であるため、私は結婚の申し込みを断ったが、ロディは譲らなかった。私はその熱意に負け、結婚を了承した。
終戦から一年になる今日は、戦争で失われた命全ての冥福を祈る日となった。私とロディは、ロディが養子入りしたクライスター家の墓参りに同行することになった。一族の中に、この戦争で命を落とした者がいたのだ。
クライスター公爵家の墓地は領地にある。列車に乗り、馬車で向かうことになる。日帰りするのは辛い距離となるため、ちょっとした小旅行になる。
ロディはすっかり変わった。優しく温和な性格はそのままだが、はるかに強くなった。
次男であるロディは、父親や跡継ぎの兄とは別の道を歩むことにした。
祖母の実家に養子に入り、本国民としての戸籍を手に入れることにしたのだ。
隣国は戦争で領土を広げて来た歴史がある。そのため、ロディのように元他国の者であっても、血族を頼り、本国民の戸籍を手に入れる者も多くいた。その方が差別されない。
養子であっても、本国民の資格を得る審査は非常に厳しい。しかし、血族であれば、かなり難易度が下がる。ロディは本国民の孫であるため、問題ないとみなされ、本国民の戸籍を手に入れることができた。
元故国に関する仕事に就く者が多い中、ロディは全く別の仕事を選んだ。本国民の戸籍を利用し、臨時採用の官僚試験を受けた。そして、見事に合格し、本国の官僚になった。
ロディが養子入りしたのは本国貴族の公爵家だ。出自が非常にいいとなった。また、ロディは能力がある。あっという間に出世し、王太子の側近の部下になった。そして、王太子の視察に同行した際、襲撃者を倒して気に入られ、王太子の部下になった。大出世だった。
王太子はロディの大出世をねたむ者が、その出自や経歴を調べ、養子に来た他国民だと陰口を叩くことを気にした。自分に忠誠を誓う有能な者が、不当に扱われるのを許すわけにはいかない、ロディは本国民、しかも公爵家の者だとし、ロディを青騎士団に入団させ、青騎士の称号を与えた。
青騎団は、王族が自ら選んだ者だけが入団できる親衛隊ともいえる組織だ。そのため、青騎士の称号を持つ者を軽視することは許されない。
ロディのことを、それだけ王太子が気に入り、重用している、配慮せよという警告だ。それを無視する愚かな者はいない。
ロディは他の王子や王女達にも気に入られている。王女達はロディが妻帯者であるにも関わらず、自分のものになれ、早く離婚するよう迫る王女もいる。王女達は未成年だ。ロディも周囲も苦笑するだけで相手にしていないが、本人達はいたって本気だ。
ロディは王女達だけでなく、貴族の令嬢達にも人気がある。成人の女性ということだ。
公爵家の者で青騎士となれば、将来的な展望がいいのは明らかだ。妻帯者であっても、優良物件とみなす者達が殺到する。
しかも、妻は平民。元他国の。
出世コースを歩くロディにとって、私は足手まといどころではない。完全に必要のない、邪魔な存在だと思う者達が多い。さっさと離婚し、元々本国民である身分の高い女性と婚姻すべきだと口々に言われているが、ロディは頷かない。
自分が今の立場を築けたのは、私という妻がいるからこそだと主張し、例え王女が相手であっても離婚はしない、愛する妻を守り抜くという立場を貫いている。それが一層ロディの人気を高める結果につながってもいる。
ぎゅうぎゅうの列車が停車した。駅についたのだ。そこからは馬車に乗り換え、墓地に向かう。
「レティ、もう少しだから」
ロディは私を気遣うようにそういうと、優しく引き寄せ、抱きしめた。
温かい。このぬくもりに私は安らぎを覚えてしまった。手放したくない。もし、ロディがいなければ、私は絶望し、レギの元へ行こうとしていたに違いない。
私はレギを愛していた。でも、それは無謀なことでもあった。レギが王子だったからだ。
戦争に紛れて逃げ、どこかで静かに暮らそうという希望も絶たれた。
それでも私は生きている。
ロディは私を愛してくれている。親友だったレギの恋人だったからこそ、守ってくれているだけではなかった。
ロディはレギと話をした。二人とも、私に好意を感じていた。そこで、互いに告白し、受け入れられた方を祝福するという約束をしていたのだ。最初にレギが私に告白し、恋人になるように言った。私がそれを受け入れたため、ロディは自分の気持ちを隠し、ただの友人として側にいた。
ロディは私がレギを想い続けていることを知っている。それでもいいと言ってくれた。私と一緒に、親友のレギのことも受け入れたい、命は守れなかったが、レギが守ろうとした心を受け継ぎたい、それは自分の心とずっと同じだった、これからも一緒だということだと。私はロディと結婚することを了承した。
馬車が墓地についた。
墓地につくと、もう一度、死者の冥福を祈り、花を捧げる儀式が始まった。
その後は、少しだけ墓地や聖堂、その周囲を散策して過ごす。
墓地に眠る先祖と語らい、いずれはここに自分も眠るということを自然に受け入れるための風習であるらしい。
私はロディに手を引かれ、クライスター家の聖堂を案内された。クライスター家は公爵家だけに、非常に大きな領地を持っている。元々は王族が臣籍降下して設立された家であるため、その血筋は王家につながってもいる。紋章などにも、それが表されていた。
私はクライスター家の墓地に来るのは初めてだった。様々に説明はされるものの、頭の中に入らない。すり抜けていく。
ロディと結婚したものの、自分が公爵家の一族だという実感が全然ない。婚姻によるもので、私自身が血族でもなく、血族であるロディも養子だ。何よりも、私達が元他国の出自であるからかもしれない。
ロディは養子になったが、跡継ぎではない。祖母がこのクライスター公爵家の者であるため、血族ではあるが、現在の当主は祖母の兄ではなく、その息子だ。祖母の甥となる。
クライスター公爵にとって、ロディは叔母の孫になるため、血族としてはやや遠くなるのだが、ロディの実家に何かあっても、次男であるロディが生き残れば、血筋が絶えることがないということから、ロディを受け入れた。その際、ロディには祖母から受け継いだ財産など、この国を始め、他国にある財産が全て分与された。かなりの財産らしい。
そのため、養子になっても、戸籍上、血縁上のつながりだけで、クライスター公爵家に経済的な援助を受けているわけではない。
住んでいる場所も、この国に来たばかりの時は世話になったものの、結婚していることもあり、早々に別の家を探して引っ越した。
出世するごとに家も変わったが、ロディが青騎士団に入団を許されたため、現在は王宮のすぐ側にある青騎士団の宿舎で暮らしている。
青騎士団は特殊な騎士団であるため、騎士だけでなく、その家族も一緒に宿舎に入ることができる。部屋は広いものと狭い部屋があるが、身分ではなく、役職によって、あるいは家族の人数によって割り振りがされている。
私とロディには子供がいない。二人きりだ。そのため、居間と寝室のだけの二部屋だけだが、住むには十分だった。食堂や応接間、大居室、図書室などの共用部分が多くある。そこで過ごせば、全く問題ない。青騎士団の宿舎に住む者達は、全員が大きな家族のような雰囲気だ。そのため、身分や出自に関係なく、暖かく迎え、守ってくれる。
私が平民出自だと知っても、そのことを問題視する者はいなかった。むしろ、苦労をしてきたと同情し、これからは平穏に暮らせると慰めてくれた。
青騎士団の家族には、幼い子供や老人の世話などで困っている者達もいた。王宮で侍女として働いていた経験や、平民としての知識を活かし、困っている者達を少しでも支えるように手伝ったことがきっかけで、親しくなった者達も多い。身分が違うというのに、私のことを友人だといってくれる者もいる。とても嬉しかった。
終戦から一年しか経っていないというのに、私の生きる環境はすっかり変わってしまった。驚くべきことに、戦争前よりもずっといい暮らしをしている。
王宮の片隅で身分差の恋に苦しむ侍女としての慎ましい生活は、遠い過去になってしまったかのように思われた。
「レティ、ここの聖堂や墓地はどう? 嫌じゃない?」
人気がないところに来ると、ロディがそう尋ねて来た。
「養子だけど、公爵の息子だからね。何もなければ、ここの墓地に葬られることになる。夫婦共にね。でも、レティが嫌だったら、別の場所に墓地を購入して、そこに埋葬するよう遺書を書いておくよ。そうすれば、公爵家の墓地に埋葬されることはない。レギと同じ場所は無理だけど」
ロディの言葉に私の胸が痛みを感じる。
レギは王子だ。そのため、遺体は王家の墓地に埋葬されたらしい。現在は元王家だが、当然、元王家の者でなければ、そこに埋葬されることはない。レギと同じ墓地で眠りたいというのは完全に不可能だった。墓参りもできない。
「ここでいいわ。とても立派な聖堂と墓地ね。手入れがきちんとされていて、木や花が沢山あるわ。とても雰囲気がよくて、あまり墓地らしくないわね。庭園や公園みたい」
「墓地に来るのは今日のように祈りを捧げるか、死者が出た時だけだ。あまり多くはない。生きているのに死んだ時の話をするのは微妙だけど、聞いておきたかった」
「そう。大丈夫よ」
私は答えた。
「どんな墓地がいい?」
ロディは更に質問してきた。
「理想をいえば、イリス様のような墓地がいいわ」
イリス様というのは、前クライスター公爵夫人だ。非常に有名な人物だったらしく、死んでも尚、多くの人に慕われ、供えられる花が絶えないということだった。
ただの生花では枯れやすいため、墓地の周囲に季節に応じて種を撒いている。いずれその種が芽吹くため、墓地の周囲は花畑になっていた。
「花に囲まれた墓地ってこと?」
「クライスター公爵家の者の墓は、必ず花のレリーフが刻まれるのでしょう? 永遠に枯れない花として」
「そうだよ」
「イリス様の墓標には、愛の言葉も刻まれていたわ。永遠の愛を捧げる妻、ここに眠るって。女性はああいうのに憧れるのよ。ちょっと恥ずかしいけど、素敵だなって思ったわ」
「永遠の愛を捧げる妻、ここに眠るって刻んで欲しいの?」
「そうよ。駄目?」
ロディはすぐには答えなかった。顔を真っ赤にしていた。そして、もごもごとしながら答えた。
「……わかった。必ず愛の言葉を刻むよ。僕が先に死んでいた場合は、遺言で刻ませる」
「ロディが死ぬなんて、嫌だわ」
「人はいつか死ぬよ」
私はその通りだと思った。人は死ぬ。だからこそ、死ぬ前に伝えておかなければならないことがある。後悔はしたくない。
「永遠の命はない。でも、永遠の愛はあると思う。石に刻んだ愛の言葉は、時を超えて存在する。永遠の愛の言葉といってもいいと思うよ」
「ロディはどんなお墓がいいの?」
「普通の墓でいいよ」
ロディは苦笑した。
「クライスター公爵家の者が、相応なのを見繕ってくれる。葬儀もね。レティは任せておけばいいよ」
「未亡人になるようなことを言わないで欲しいわ」
「女性の平均寿命の方が長い。この国は戦争が多いから、男性は従軍で死ぬことが多い」
「ロディは軍人じゃないわ。王太子の部下なのでしょう? それでも戦争に行く可能性はあるの?」
「あるよ。王太子の部下だからこそ、わからない。王太子に命じられれば、行くしかない」
「行かないで欲しいわ」
「僕だって、できれば行きたくはない。レティといたいよ。でも、そうだな……もし僕が先に死んだら、愛する夫、ここに眠るって、レティも刻んでくれる?」
「わかったわ。永遠もつけてあげる」
「愛する夫、永遠に眠るってこと?」
「死んだら、永遠に眠るしかないわ。当たり前過ぎるでしょう? つけるのは最初のところよ」
「……永遠に愛する夫ってこと?」
「そうよ」
私は胸がドキドキするのを隠すように、顔を背けて肯定した。
ロディに愛の告白をしてしまったみたいに感じた。実際、そうなのかもしれない。
ロディは無言だった。
だからこそ、私は余計にドキドキした。ロディがどんな反応をするかが気になった。
ロディはようやく言葉を口にした。
「……嬉しいよ。じゃあ、約束だよ。本当にいい?」
「勿論よ。約束するわ」
ロディは私を抱きしめると、髪に口づけた。
「特別な場所に案内するよ」
ロディは私の手をぎゅっと握ると、聖堂の地下に連れて行った。




