なろうの小説を読んで思ったこと
前置きとして、
突然ですが、皆さんは、『指輪物語』を読んだことがありますか?
概要は省きますが、私はこの小説を初めて読んだとき、登場人物の 『サム』 の考え方がいまいち理解出来ませんでした。サムはちょっと忠誠心の高いだけのただのホビットです。そして、このホビットはとても陽気な種族で、彼らの考え方はまあ理解出来ました (単純だから、というのもありますが) し、サムの主人である 『フロド』 が段々と指輪に独占欲を持っていくのも分かります。
ではなぜ、サムの思考が分からなかったのかというと、彼の持つ感情のうち、重要な要素である 『忠誠心』 や 『主従愛』 というのが分からなかったからです。まあ、小学校だった自分に分かれ、というのは酷かもしれませんが。
何が原因でサムの考え方が理解出来ないのかは二回三回と繰り返し読むことで分かりました。
その時、なんとなしに、「小説とはこういう未知との出会いなんだ」 と思ったのを覚えています。
さて、前置きはここまで。
自慢ではありませんが、自分は結構なろうの小説を読んでいます。ランキングから探したり、新着から読んだり、レビューから入ることもあります。
その中で、特にファンタジーにおいて多くのものに共通していると思ったのは、登場人物の思考が日本人的、さらに言うと筆者的で、そうで無いものは突飛な思考として描かれていることです。
日本人的だと言うのは、例えば、食の好み。
異世界転移ものなら良く出てくるカレーライスですが、同じ日本人でも辛さの好みが違うのに、そんなに味のバリエーションが無くても現地の人に受けたり。
他には、ライスについて。
大体が日本人好みのジャポニカ米が出てきます。ですが、同じライスを食べるベトナム人曰く、ジャポニカ米はネバネバして気持ち悪いし、腹持ちが良すぎるから嫌だそうです。
同じ地球出身ですら評価が良くないことがあるのに、これまた異世界の人に受けたり。
突飛な思考として描かれることが多いのは、盗賊や闘争趣味者などとして。よく考えれば、盗賊と言っても大体は食い詰めた 『普通の』 人物がなると描かれておきながら、殺しや盗みを平然と行う。現実にいる盗賊のうち、そこまで吹っ切れている盗賊は少数派だというのに、そんな盗賊の方が多かったり。
闘争趣味者 (戦いが好きな人) は、三度の飯や下準備より戦いが重要、と描かれていることが多いですが、少し考えればそんな人ほど戦いの為に体の調子に気を使うから戦いと同等に事前準備に気をつける筈です。
現実的に分かりやすく書こうとしているのか、それとも完全な空想を書こうとしているのか、区別がつかないです。詩的に言えば、微妙なリアリティ、想像出来る未知とも言え、個人的に小説を読む楽しさも半減です。
ではなぜそんな小説が多いのか?
分からなかったので、そういった未知として、根本的に常識が異なっている人物だけが出てくる小説を私的に書いてみている所 (一種の実験なので、投稿していません) なのですが、これがとても難しい。ちょっと油断すると自分の思考になってしまって、何度も書き直す羽目になってます。この難しさに挫折したのかな、と邪推している所です。
でも、反面、「こんな考え方があったのか!」 と新たな発見が書くたび出てきて、とても楽しいです。世の小説家達がこんな面白いことをしていると思うと、ずるいと思う程です。
何を伝えたいのか良く分からない文章ですが、言いたいことは、『創造は難しく、又楽しい』 ということです。
長々と書きましたが、ここまで。
読んでくださりありがとうございます。