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彼岸の彼方  作者: 八智
捨子花
3/7

(1.2)

私の勘は当たっていた。

さっきの傘に何か見覚えがあると思っていたら、やっぱりそれは私のものだったのだ。

せっかくこの雨の中、置き忘れてきた傘を取りに来たというのに、肝心の傘がないなんて。

一体、誰の仕業かーー考える必要すらないほど明らかだった。

ある意味自明の理ですらあるかもしれない。

「私の傘、勝手に使わせないでよね」

わざとらしく低い声で、目の前にふんぞり返る女に不満の気持ちを露わにする。

でも。

「お、居たのか」

窓際に置かれたデスクに座るこの事務所の主、

未巫冬姫(ミカナギ カズキ)はそんな私の気持ちなど考えもせず、

悠々自適にコーヒーを飲んでいた。

片手には数枚のコピー用紙を握り、先月買い替えたばかりの椅子をぎいぎい鳴らしながら、

ぎっしりと詰められた文字を、レンズ越しに細めた近視の眼で読み進めている。

印刷機の電源が入っているのを見るに、どうやらついさっき印刷したばかりのものらしい。

これまた最近買ったパソコンやら何やらをさっそく活用しているのを見るとこの女の適応力の高さを思い知らずにはいられない。

だがしまったぞ、こういう時こそこの女は人の話に聞く耳を持たない。

新しいおもちゃを手に入れた子供のように、自分の世界に閉じこもってしまうのだ。


 ……だから何だと言うのだ、そんなことはどうでもいいのだ。

いい加減人のものを勝手に使ったり、ぞんざいに扱ったりされるのはたまらない。

幾ら下っ端だと自認しているとはいえ、この扱いにはうんざりしてきた。

だから今日こそはガツンと言ってやろう。

「私の物、勝手に使わないでよ。大体私がどう思うかちゃんと考えてるの?

人の嫌がることはやったら駄目って、教わらなかったのかしら」

「仕方ないだろう。急に雨が降ってきたんだ。傘の一つや二つ貸してやらないと、可哀想じゃないか。

お前は馬鹿だから風邪をひかないが、彼女はそうはいかなかっただろう。

そら、ちゃんと私だって人の気遣いぐらい出来る」

ーーそういう意味じゃない。

「だったら、車で送ってあげればよかったじゃない」

「そこまでする義理はない」

ーーもういい呆れた。

だったら自分の傘を貸せばいいだろうし、そもそも貸出用の傘を一つぐらい用意すればいいだけの話だ。

……まあ、そんな気遣いが出来るほどこの女が可愛く無い事は、

彼女と少しでも話していれば薄々気付くことなのだが。

諦めた私は来賓セットのソファーにもたれかかり、

机の上に残されていた一口も飲まれていないコーヒーに気付く。

「あの人、これ飲まなかったの?」

「ああ、せっかく出してやったのに、口一つ付けなかったよ。勿体無いから飲んでしまえ」

「要らないし、捨ててくるし」

こんな生ぬるい飲み物なんて飲めたもんじゃない。

たしかに勿体無いが、まあ、バチは当たらないだろう。

洗面台にコーヒーを流す。

はあ、結局、何しにここに来たんだろう。

コーヒーカップを洗いながらしみじみと思う。

仕事があればこんな場所にも喜んで毎日来るのに。

………大抵の仕事はいつも彼女一人で済ませてしまうが、そのどれもが世間一般からは想像できないようなシロモノばかりだ。

確か、つい三日前は脱走した『使い魔』ーーというか、

完全に人を殺すためだけに生きてるみたいなケダモノの捕獲とかなんとか、まあ色々やっていたらしい。


 私はまだこの世界を知って日も浅い。

見習い以下の様な腕だし、当然知識もない。

だからこそそう言った事件を興味深い、いや、面白いと思える。

彼女いわく、慣れてしまえばただの雑務らしい。

変わらない日常の一部に神秘が貶されてしまうということだ。

だからまだ染まりきらない今の内に、楽しめる分だけ楽しんじゃえと思っている。

だけどここ最近は何も仕事を寄越してくれない。

だったら自分から取りにいかなければ。

「何か無いの?」

濡れた手を服で拭って、卯月の持っている書類を手に取り、さっと目を通すと、

太字のゴシック体とその横の写真がすぐに私の関心を引き寄せた。

「クドウ……ナミカ」

「工藤南花。さっきの客の名前だよ」

見出し文字から目をはなし、印刷された細かな文字を見れば、

そこには一人の女性の経歴や、身体的特徴、性格、一日の行動パターンなど、

ありとあらゆる個人情報が事細かに記されていた。

どうやらそれは工藤南花と言う女性のものらしい。

「依頼者のこと調べてどうするのよ。まさか彼女、何かヤバイ奴なの」

「無論、必要があるから調べているんだ。

彼女、言ってることが結構支離滅裂だったんで、嘘でも言ってるのかと疑いたくなってな。

だから信用できるか出来ないかを見極めたかったんだ」

「じゃあさっきまでここにいた人が、その工藤南花さんってこと?」

「そうだ。あっちから電話を寄越しておいて、話を聞こうにも電話越しだと心配だ、の一点張りでね。

結局直接向こうから会いに来たんだ。

しかも突然、連絡もなしにやって来るものだったし、仕方なくここで話を聞いてたんだ。

確か一週間ほど前だったかな」

「で、彼女、なんて言ってたの?」

「ああそれがイマイチ話の筋が見えなくてなぁ……。

突拍子もなく『私はやっていない!』とか『殺された』とか『許して』なんて叫びだすし、

相当顔色も悪かった。だからその日は帰らせて別の日、というか今日会う約束をしたんだ。

結局、今日も脅迫されてるみたいに怯えてて、なんというか、うーん、よく分からん」

「玲子が根を上げるってことは相当ね、その人。で、それで?」

「まあ、曲がりなりにも彼女は私達を頼って来たんだ、無下にも出来まい。

ただ彼女の口を信用できるかは別だ。

だからこうやって情報を集め、それを一つ一つ彼女と確認しあって、

そこから少しずつ彼女が求めていることを聞き出したんだ」

「それは大変ね」

「大変だったさ」

はぁ、と玲子は小さなため息を零した。

「で、出来るの?信用とかなんとか。支離滅裂なことって言うのも気になるし」

「まあ、断言とまではいかないが、怪しむ必要はないだろう。

だがそうなると、彼女は相当厄介なことに巻き込まれていることになる」

ヘラヘラとした口調を改め、深刻な眼差しで私を見つめてくる。

私はそれを見て、ただ事ではない事をすぐに理解した。

「驚くなよ、玲華。彼女はな、赤ん坊を盗られたと言っているんだ。

しかも、生まれてすらいない胎児を、だ」

「へぇ、面白そうじゃん」

絵に書いた通りの奇っ怪な事件。

産声すら上げること無く忽然と胎内から消失した胎児の行方、そしてその原因の調査、解決。

冬姫が私に期待していることはざっとこんなものだろう。

聞く必要もない。

いつも通りなのだから。

「今回はいつもより慎重に事を運ぶ必要がある。

何しろ、もしこれが事実だとしたら、それは相当な技量を持った魔術師か、

或いはバケモノが関わっているだろうからな。だから玲華、気を抜くなよ」

先程までの緩んだ表情からは考えられない、気迫に満ちた言葉と眼差しが私を戒めるように向けられる。

わかってる。人は反省できる動物だ。この前の様なヘマは犯さない。

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