(1.1)
夏の雨ほど焦れったい物は無いと思う。
ついさっきまで晴れていた空から、急に降りだした雨。
しかも小雨なんて生易しい物じゃない。
それはもう台風でも来たんじゃないかって錯覚するぐらいのどしゃ降り。
最初は通り雨だと見くびっていた人々も、今は雨に追われて駆け回っている。
そんな私たちをあざ笑うかのように、冷たい豪雨は瞬く間に街を水浸しにする。
行き場を失いアスファルトを右往左往する水を踏んで、
ぐしょぐしょになってしまったスニーカーや靴下は重く、そして足に纏わりついて気色が悪い。
もちろん、傘など持ってないのだから上もびしょ濡れ。
吹き荒れる風に晒された肌は相まって、一気に私の体温を奪い指先は赤く悴んでいる。
屋根を求めて走り回るこのごろ、ぎしゃぎしゃと気持ちの悪い音を立てるスニーカー、
肌に纏わりつくシャツ。
いっそのこと脱いでしまいたいが、小学生でもあるまいし公道で裸足になることは流石に無理だ。
痛いぐらいに勢いが強いシャワーを浴びるように、
大粒の雨を受け続けていると、知らず知らずの内に体力は奪われていく。
走り始めてから五分ほどたったはずなのに、一向に目的の場所は姿を見せない。
わりかし体力には自信があったのだが、
今の状態だとたった十メートルほどを走っただけで、私の体はすぐに音を上げてしまう。
ヘトヘトに成りつつもこのまま雨に打たれ続けるわけにもいかず、休むことも急ぐことも辛い現状に、
嫌でも私は今日という日を恨んでしまう。
ああ、なんて災難な日なんだろう。
私は、恨もうにも恨めない自然の偉大さにただ辟易とするだけだった。
降り始めから三十分ほど。勢い増すばかりだった雨は、ようやく落ち着きを見せるようになった。
同時に私はやっとのことで事務所にまで到着した。
いつ見てもここはお化け屋敷か、といいたくなるほど劣化の進んだ古い貸ビル。
時代に取り残された遺跡のような建物。
そんなビルの二階に事務所はあるから、
私はわざわざ田舎の納屋みたいに急で段差の高い階段を上がらないといけない。
しかも無駄に縦に長い階段。
ビル自体が縦長なのだから仕方のないことだろう。
それでもこの設計の不親切さは否めない。
エレベーターなどあるはずもないのだから、疲れきった体に鞭を打ち、この苦行に耐えるしか無いのだ。
しかも壁から漏れ出ている雨水に段は濡れ、滑りやすくなっている。
だから、足を踏み外さないように、自分でも馬鹿みたいに慎重になりながら
階段を上がろうとしたその時、
躊躇なく階段を駆け降りてくる女性がいた。
見れば、どうしてだろうか階段の中頃に差し掛かかり私の気配に気付くと同時に、狭い階段で傘を開き始めた。
無論、こんな幅で開ききるわけもなく、傘は辛うじて体を隠せる程度にすぼまったまま。
明らかに顔を隠したがっている彼女に自然と関心が行く。
それと何か引っかかるモノがあるような、ないような。
最後の一段。案の定、彼女は濡れた足元にすくわれ、転けそうになる。
すれ違うとき、傘の先が私の肘に当たった。
すいませんと、雨音にかき消されそうな声。
彼女はこちらが返事をする間もなく、足早に立ち去っていく。
すれ違いざまに見えた顔はやけに衰えた、いやーー何かに怯えた顔をしていた。