八話 魔女の巣の二人
このアルカという国は、北西と南東に山があり、その間にゆったりと抱かれるようにして存在していた。
南東の山はミリーク山と呼ばれ、そこから北上すると円を描いて抉り取られたような海岸があり、そこには大きな港町があった。
その港町から真西へ向かえば北西のエルムル山がある。
エルムル山はビルリィ教の総本山であり、中腹にはビルリィ教の大神殿が建っている。
エルムル山から南東の方角に王都があり、そこから南下して行けば一本の街道によって都市が数珠繋ぎに連なって存在する。
国の境にはヒーリトンがあり、そこから街道を外れて東にいくと、総本山と王都を挟んで向かい合う形でミリーク山があった。
そして、ミリーク山はカオルコが居を構えたアジトの所在地だった。
山は何の事件もないかのように、ただ静けさを湛えていた。
音があるとすれば、梢を通り過ぎて鳴る涼しげな風だけである。
その風が、山の林中を歩む女性達の汗に濡れた頬を撫でた。
しかし一抹の心地良い涼を受けてなお、その六人の女性達は置かれる状況もあってか、その心地良さに気付く事はなかった。
それほど、彼女達の心に余裕はなかった。
彼女達は森林の緑へ紛れるために、一身を迷彩柄の服装で統一していた。
ただし手にする銃に統一感はなく、それぞれ自分に合う物を持っていた。
UZIもあれば、イングラムもあり、MP5まであった。
五人はサブマシンガンであるが、一人だけアサルトライフルを持っている。M16だ。
その混交としたていが正規の軍隊でなく、彼女達のゲリラ兵という立場を象徴的に明示しているようだった。
現在、この山に隠れる魔女達の総数は正確に237名である。
内、52名は重度の負傷者であり、クローフの管理する病院で療養している。
残りの185名はカオルコ率いる戦闘班86名、クローフ率いる医療班56名、エルネスト率いる魔法班43名に振り分けられる。
戦闘班86名の内、実戦に出る事のできない訓練生は半数以上いて、今山中にある彼女達はいくつかの実戦を経験した比較的古参の魔女達だった。
そんな彼女達であったが堂々とした様子はなく、むしろ辺りを探りながらの歩みは慎重であり鈍重に過ぎた。
生まれたての小鹿よろしく一歩一歩に躊躇いを生じさせ、遅々としていた。
なのに、緊張から息は荒く、頬は汗に濡れている。
流れる風は涼やかだが、体はそれを感じる暇もない程に発熱していた。
まるで、激しい運動を行っている最中のようだ。
そんな折、緊張に耐えられなくなったのか、一人の魔女が不用意に視線を動かした。
互いに視界を補い合う形を呈していた陣形が一瞬だけ崩れ、隊にわずかな死角ができる。
それを見計らい、ブッシュより小柄な人影が飛び出し、死角が生じてできたスペースへ身を滑り込ませた。
そのまま一人の魔女の背後に詰める。
人影はカオルコであった。
カオルコは自分よりも身長の高い魔女の膝裏を強かに蹴って膝をガクリと落とさせると、驚きに悲鳴を上げようとする魔女の口元に後ろから左手を被せて黙らせた。
ナイフの横合いで首筋を軽く叩くと、魔女は観念したように黙ってその場でうつ伏せになる。
無音のまま、速やかに行われたそのやり取りに、他の五名は誰一人として気付かなかった。
一人の魔女が脱落した事により死角は増え、カオルコはさらに能動的な足運びで次に右側の魔女へ向けてそろりと近付いていく。
その魔女は、さきほど視線をずらして死角を作った張本人である。
ゆっくりと慎重に、しかし魔女達と違ってその足取りに躊躇いは無い。
相手に気付かれないかぎりは極力緩やかに近付き、気付かれた時だけ速く動く。
動くと決めれば躊躇わない。
それはかつて、仲間から教わったサイレントキリングの方法だ。
しっかりと一歩一歩を踏みしめながら着々と距離を詰める。
そして、彼女が手を出そうとした時だった。
また膝を蹴り落とそうとした時、不意に魔女は振り返った。
背後のカオルコに気付いたかのような挙動である。
互いに顔を向き合わせて驚愕する二人。
しかし、次の行動へ移るのはカオルコの方が断然に早かった。
緩やかな動きを止め、素早く動き、ハンドガードへやろうとした魔女の左手を取った。
くるりと魔女の背後へ回って捻りあげる。
流石に口を塞ぐ暇がなく、魔女の口から悲鳴が上がった。
悲鳴を聞きつけ、他の四人の魔女達は一斉にそちらを向く。
今まで訓練と実戦で経験を積んできた彼女達はすぐに小銃をカオルコへ向けた。
が、彼女達はすぐにトリガーを引けなかった。
そして、その一瞬の逡巡だけでカオルコには事足りた。
魔女を盾代わりに拘束したカオルコは、魔女が右手に持っていたサブマシンガンへ手をやってトリガーを引く。
満足に射撃体勢の取れないままにフルオートで連射され、イングラムが射撃の反動によって手の中で暴れる。
狙いが定まらないなりにカオルコの手によって制御されながらばら撒かれた銃弾は、魔女達のシャツに赤い染料を点々と彩色した。
「きゃあぁっ!」
四人の魔女は悲鳴を上げ、わざとらしくその場に倒れた。
それを見届け、カオルコは盾にしていた魔女の首筋をナイフで軽く叩く。
魔女は観念して体の力を抜いた。
カオルコが彼女を解放すると、最初の魔女と同じようにうつ伏せになった。
「起きろ」
その場に倒れ臥した魔女達にカオルコが厳しい声音で言うと、魔女達はよろよろと起き上がってその場で座り込んだ。
全員を一望して仁王立ちするカオルコは、目つきを吊り上げて魔女達を見やる。
魔女達は不安そうに上目遣いでカオルコを見上げて、彼女の言葉をじっと待った。
この一連の攻防は、カオルコが定期的に実施する実戦形式の野戦訓練だった。
内容としては、ナイフ一本で山中に隠れるカオルコを数チームで探し、射殺あるいは捕えるというものだ。
捕らえた場合、そのチームにはカオルコからご褒美がある。
しかし彼女達は逆に、狩られる立場のカオルコから返り討ちとなった次第である。
「まず、お前」
指差しで文字通り指名されたのは、最初にやられた魔女だった。
「やる気があるのか?」
というカオルコの問いに魔女は怯えを表情に映しながらも「はい」と声を張り上げた。
返事の際に少しでも声が小さいと思われれば、叱咤されてしまうからだ。
「そんなはずはない。やる気があるのなら、ナイフ一本だけの相手にこうも容易く倒されはしないからな」
カオルコは全員に言い含める意図を以って、視線を行渡らせながら皮肉っぽく告げた。
魔女達はその意図を理解し、一様に身を竦ませる。
「わかっているのか? お前達の持っている物は――」
言いながら、カオルコは魔女達の持つ銃を示す。
「近接武器相手なら圧倒的に有利なんだ。それがどうした? 私の使うナイフは、ビルリィ教徒の振り回す剣よりも長いか?」
訊ねると、魔女は「……いいえ」と答えた。
答えを聞くと、次にカオルコは最初に死角を作った魔女の鼻先へ人差し指を突きつける。
「いいか、お前一人が注意を怠れば、仲間が危険にさらされる。お前のような役立たず一人が死ぬのは構わんが、仲間を殺す事だけは許されない。それを胆に命じろ!」
カオルコは厳しい口調でまくし立てた。
「いいな?」
「はいっ!」
叱咤された魔女が声を張り上げる。
カオルコは次に部隊の隊長へ矛先を向けた。
「隊長のお前が隊員に気を配らないのはどういうわけだ? お前は一人で戦っているつもりなのか?」
「滅相もございません!」
その調子で各々の至らぬ所を「馬鹿」「カス」などと罵詈雑言を駆使しつつあらかた叱咤していく。
全員分の叱咤を終えると、最後にカオルコは改まって魔女達へ言葉を発した。
「まぁ、目に余る所は多々あるが、人質ごと銃撃しなかったのだけは褒めてやる。あの躊躇いには、仲間の生存を願う意思があった。仲間の命を諦める事だけは許されない。いいな?」
笑みを浮べて言うと、暗く沈んでいた魔女達の表情がほんのりと和らいだ。
それを最後に、カオルコは別のチームを探すため再びブッシュへと身をひるがえした。
「で? どうだった?」
クローフは並んで歩くカオルコに質問を投げ掛けた。
「よくないな。ナイフで全滅させられるようじゃ論外だ」
カオルコは渋い顔で答える。
それは、先ほど終わった訓練の結果に関してのものである。
あれからカオルコは自分が標的になるという訓練の主旨に反し、チームを強襲し続けた。
結果、全てのチームを殲滅するという大戦果をあげる事になったのである。
兵力の育成という目的を考えれば、あまり喜ばしい結果ではない。
カオルコが渋い顔をするのも当然だ。
ただし、悪い結果ばかりではなかった。
例外もあった。
「ウーノ以外は」
「ウーノ? あの暗殺者か?」
クローフは訊ね返す。
ウーノは、前にカオルコを暗殺しようと自室に侵入し、カオルコ自身がスカウトした元暗殺者の少女である。
ウーノとはカオルコが名づけたものだ。
イタリア語で「1」という意味であるが、何故名付けたかといえば彼女が名前を持っておらず、暗殺集団の中で「一番」と呼ばれていたからだった。
一番優秀な殺手であった事からそう呼ばれていたらしい。
名前がないのが不便という事もあったが、カオルコが名を贈ったのは彼女にこれからの人生を自分の物にしてほしいという思いもあったからだ。
一番という記号ではなく、ウーノという個人として生きて欲しいという願いからだった。
「訓練中に、最後まで生き残ったのはウーノだけだ」
一応、ウーノも一つのチームに配属していたが、他のチームメイトがやられる中でまともに戦えば勝てないと判断し、一人だけ姿を消した。
それからは、身を隠してカオルコの隙を探りながら襲ってくるようになった。
隠れながらの戦いにおいて、どうやらウーノはカオルコ以上の能力を持っているらしかった。
カオルコに気配を悟らせず、そのくせカオルコの居場所はばっちり把握している。
そして他のチームに襲いかかる時などの隙をついて襲いかかってくる。
ウーノの攻撃をかわしながら他のチームを全滅させると、ウーノは勝ち目がないと悟って降参した。
「人を戦士に変える事は難しい。それも女性ばかりなうえに、お前は人に教える事も初めてだ。そうそう上手くはいかないさ。ただ、初めてにしては人の心を掴む事がうまいようだがな」
クローフはフォローのつもりで言うが、カオルコは実感がわかないらしい。
「そうなのか?」と懐疑的に訊ね返した。
「良い所を褒め、悪い所を叱責する。お前は人を観察する事が上手なようだ」
「私は、父さんがやっていたようにしているだけだ」
「そもそもそれだって、お前がビヤンコの事をよく観察していなければできない。才能だよ。それは」
クローフが褒めると、「そうなのか」とカオルコはかすかに嬉しそうな笑みを作った。
そんな彼女の表情を見て、クローフも笑みを浮べる。
「あと、あんな密集隊形の訓練でいいのか?」
「銃を使う奴がそもそも敵にいない。掃射される事もないさ。それに、あいつらは勇敢な戦士じゃない。一人きりじゃまともに戦えないだろうさ」
カオルコの言葉に、「なるほどな」とクローフは返した。
「ところで、武器庫にミニミとFNMAGがあったんだが?」
「ああ、あれか……」
クローフはカオルコからあからさまに視線を外して言葉を濁す。
「私の記憶に無いって事は、前にドクターが向こうへ行った時に取ってきたやつだな?」
「そうだな」
「あんなごついの誰が使うんだ?」
どれも大きな銃で、威力も高いがその反動も強い。
少なくとも、カオルコでは扱い切れない代物だ。
そして、銃の使用経験の多い彼女が扱えないという事は、他の魔女達にも使用不可能である。
そんな物をここへ持ってくるのは明らかに無駄だ。
「結構な大所帯だ。一人ぐらい、使える奴もいるだろう」
相変わらず視線は合わせないまま答えるクローフ。
その言葉が詭弁であると明確に自覚している様子だった。
「あんた一人だよ。あとはほとんど女なんだぞ」
「いや、俺の国の人間なら、女性でもそれくらいは使える。ストーカーが護身用の機関砲でミンチにされるなんて事件は、日常茶飯事だからな」
「恐ろしすぎる。行きたくないな、そんな国は……」
どう考えても冗談としか思えない話に、カオルコは呆れた調子で答えた。
「少女がでかい銃を持つアンバランスさにはロマンがあると思わないか?」
「現実的に撃てない。戦場にロマンを持ち込まないでくれ」
「お前だって、AKにこだわりがあるだろ?」
「そりゃ……まぁ」
カオルコは思案するように俯いた。
「それにしても、いい場所に本拠を構えたな」
クローフは言いながら、広く辺りを見渡した。
追求を逃れるための強引な話題変更である。
事前にAKへ意識をそらした事もあり、それが功を奏した。
カオルコも周囲に意識を向けた。
有事の際に動きを取りやすくするため、道を広く意識して建築された小屋と小屋の合間から、森林を通り抜けて流れる風が木々の匂いを運んでくる。
生い茂る葉に陽光が程よく遮られ、風によって空気が換気される。
暑くも寒くもなく、空気も淀まない。
一定の湿度を保っている。
近くには小川が流れ、水質も飲料水として利用できるほどに綺麗だ。
恐らくここは、一般的な村や都市などよりも人間にとって健康的な場所だろう。
だから、クローフはそのように感想を述べたのだが、カオルコはお気に召さなかったらしい。
あからさまに顔を顰めた。
「あくまでもここはバラック《仮設兵舎》だ。ホーム《本拠》じゃない」
不機嫌そうに、こだわった物言いをするカオルコ。
そんな彼女の態度にクローフは思い当たる事があった。
クローフは精神科医ではないが、彼なりに彼女の内包する心の傷について懸念していた。
その懸念に至る背景は、この世界に召喚される寸前の光景が原因として上がる。
それは仲間を失う光景であり、ホーム《家》を失う光景でもあった。
カオルコはまだ、精神的に成熟しきっていない。
いや、成熟した大人であっても、ショックは免れない光景だった。
それが心の傷になっているのではないか、とクローフは心配していた。
今しがたの彼女の言動も、もしホームを持ってしまえばまた壊れてしまうのではないか? という懸念があるからなのかもしれない、とクローフは診ていた。
「しかし、確かにいい場所だ。蒸し暑くもないし、人の目をはばからずにトップレスになる必要もない」
不意に、カオルコは笑みを取り戻し、冗談じみた調子で返す。
「誰も気にしちゃいなかったろう。そんな小枝みたいな細っこい体を見ても喜べない」
クローフもそれに付き合って、笑みを返しながら答える。
「カシムは目のやり場に困ると言っていたぞ?」
「あいつはロ……」
クローフはつい言いかけて、失言したというふうにハッと言葉を止める。
「ロ?」
カオルコはその不自然に止められた言葉を不思議そうな顔で反復した。
「いや、ロゼにも同じ事言ってたはずだ」
慌てたふうにクローフは返す。
「そうだっけ? ロゼのはあんまり気にしてなかったと思うけど」
「いやいやそんな事はない。それに……そう、あいつは人一倍親切だったからな。ロゼみたいにならないように、恥じらいを持った方がいいと注意してくれたんだ」
「確かに、私には親切だったけど……」
釈然としないふうだったが、カオルコは一応の納得を見せる。
「まぁ、そういう事なんだ」
「?」
念を押すように強く言うクローフへ、カオルコは怪訝な顔を返した。
「クローフせんせーい」
不意に、クローフを呼ぶ声がかけられた。
目を向けると、ナースキャップを頭に付け、改造された看護服に身を包むアレニアが遠くから手を振っていた。
クローフが手を振り返すと、アレニアは小走りに六つの足をワシャワシャと動かしながら近付いてくる。
彼女がそばまで来て、カオルコは始めて彼女が自分の背に少女を座らせている事に気付いた。
アレニアと少女の胴体にはベルトが巻かれ、落ちないように配慮がなされている。
カオルコはその少女に見覚えがあった。
彼女は、ヒーリトンの裁定場で保護された目と膝を潰された少女だった。
しかし少女は、しっかりとカオルコに視線をくれてニコリと可愛らしい笑みを向けた。
彼女が笑顔を取り戻せたのは、エルネストの手柄だ。
彼女の魔法によって、彼女の視力は回復した。
とはいえぼんやりと見えるだけで、あまりはっきりとは見えない。
それでも、失明から回復したと思えばたいしたものだ。
膝は手当てが早かった事もあり切断は免れた。
しかし膝の皿が砕けているために、将来的に立つ事はできても走れるようになる見込みはないそうだ。
あまり手放しに喜べる状態ではないが、それでも彼女は笑顔を向けられるようになっている。
それはきっと、クローフの存在があるからだ。
「おはようございます、せんせい」
少女は焦点が微妙にずれた目でクローフに向いて挨拶した。
「おはよう。今日も調子は良さそうだな」
クローフは挨拶を返しながら、彼女のベルトを外して小さな体を抱きかかえた。
「探しましたよ、ドクター。診察の時間にも戻ってこないんですもの」
たしなめるようにアレニアが言う。
「ああ、すまない。行こう。じゃあな、カオルコ」
「ん、ああ。また後で」
挨拶を交し合い、二人は別れる。
この隠れ処には、ログハウスの簡素な病院がある。
中は広く、多くのベッドが並べられている。
空きのないベッドの間を数人の医療魔女と共に、治療のために忙しなく動き回るのが彼のここでの仕事だった。
カオルコは仕事場へ向かう彼の背中を見送った。