七話 黒の暗殺者
面接が終わった頃には日が傾き、今にも夜へ転じようとする絶妙な時刻となっていた。
「明日は新人に銃の分解と組み立てをさせるつもりだ。場合によっては射撃までするかもしれないから、その時は呼びに行く」
別れ際、カオルコは自室に居ながら入り口の敷居を挟んで、外のクローフに告げる。
「わかった」
クローフが返事をすると、カオルコは笑みを返して自室のドアを閉じた。
「じゃあ、エルネスト。送っていこう」
「あ、どうも。ありがとうございます」
エルネストは礼を述べて頭を下げた。
自室に向けて二人は歩き出す。
「あの、ドクターさん。カオルコさんは、魔法使いじゃないんですか?」
歩き出し、程なくしてエルネストはそんな問いをクローフへ投げた。
「違うが。あと、クローフでいい」
クローフが言い、エルネストは「わかりました」と返事をする。
「そもそも、魔法という物が俺達の世界にはなかった」
質問の意図を判じかねながらも、クローフは先程の質問に答えた。
「どうして、そんな事を聞く?」
「いえ、それにしては、カオルコさんの魔力放出量が多い気がして……」
「そうなのか?」
聞きなれぬ単語に、クローフは再び訊ね返す。
クローフがそもそもその単語の意味を解していないと察し、エルネストは補足するように語りだす。
「人間は食物より得た力を魔力に変換する方法と、空気中の魔素を吸い込み、体内で魔力に返還する方法によって魔力を得ています。
そうして体への貯蓄量を超えた魔力は体外に排出するのですが、放出する魔力量が多いという事は返還される魔力量が多いという事なんですよ。
貯蓄量と返還量の多さは個人差により、生涯増減しない生まれ付きの才覚なんです。
それなのに、魔力量の多いカオルコさんが魔法を使わないのは勿体無いな、と」
自分の感想を締めくくりに告げると、クローフは理解したふうに「なるほど」と返した。
「多分、そもそも魔素というものが俺達の世界にはないのだろう。しかし、その説明からするに、普通の人間でもある程度魔力は持ってるという事か?」
「持ってない方が異常ですよ。使い方を知らないだけで、人間は誰でも体に魔力を貯蓄できるんです。ただ、カオルコさんの魔力放出量は逆の意味で異常なので……」
魔力というのは、何物にも変質する白紙のエネルギーである。
それに指向性を持たせて、エネルギーの変質を促したものが魔法なのだ。
そして無地のエネルギーに意思を伝え、そのように変質する事を命じる事ができる者を魔法使いと呼ぶ。
つまり魔力は精神に感応して変質する性質があるのだ。
そのため、命じられずとも意思によって変質を行う場合もある。
「カオルコさんは自身の魔力放出によって、常に濃い魔力を纏っています。本来なら、呼気によって魔力は放出されるのですが、カオルコさんの場合は魔力量が多すぎて肌からも放出されています。
結果、彼女の周りには魔力が飽和した状態になっている。使われずに魔力が濃くなり続ければ、もしかしたらその影響を受けるかもしれません」
エルネストは目を伏せて懸念を口に出した。
「悪い事があると?」
クローフは心配そうに訊ねる。
「いいえ。そうとは限りません。そうなると決まったわけでもないし、良い方に転ぶ事もありますから。それに、何かあっても私が何とかしますよ」
エルネストがガラにもなく薄い胸を張って豪語すると、クローフは険しくした表情を解して「それは頼もしいな」と返した。
「それに、使い魔である限り、そんな事はないと思います」
「ん、どうして?」
「不純物の混じった魔力で魔法を使う事は難しいんです。人間は、自分の体で生成した魔力以外を使えませんから。同じ理屈で、カオルコさんの魔力が暴発する事もないかと」
「ほう、そうなのか」
ガソリンに水が混じった状態、みたいなものかな。と、クローフは解釈する。
「ああそうだ」
思い出したようにクローフは声を上げる。
「さっきの話なんだが、誰しもが魔力を持っているなら、俺にも魔法が使えるのか?」
期待に満ちた表情と声音で、クローフは言い寄る。
「ええ。でも、ドクター……クローフさんはちょっと……」
自分の身長を優に超える巨体に迫られた事もあって、エルネストは言い難そうに言葉を濁した。
「なんだ?」
要領を得ない彼女の言葉に、クローフはなおも詰め寄る。
すると観念したように続く言葉を紡いだ。
「魔力放出量が、えと、少なくて……」
エルネストが言い難そうに告げる。
「つまり才能が無いって事か?」
と気にしたふうでもなく、直接的にクローフは訊ね返した。
「あ、えー、はい。魔法使いには向かないかもしれません。一応、簡単な魔法なら覚えられると思いますけど」
言いづらそうにエルネストは答える。
「さっきも言ったように、私の魔力のせいで使いにくいというのもあるんですけどね」
「だったらそれでもいい。全く使えなくはないんだろ?」
「はい」
「一応、教えてくれ。治癒関係の物を」
それでも、とりあえず魔法が使える事が確認できてクローフは嬉しそうに教えを乞うた。
残念そうじゃなかったので、エルネストは安心して笑みを返した。
「わかりました。また今度」
「おお、ありがたい」
クローフは嬉しそうに快活な笑みを向け、感謝の言葉を告げた。
そして、もう一つ。ある事を考える。
彼女は言っていた。
魔力は空気中の魔力と食事から得る、と。
食事から魔力を生成する器官が人間にあるというのなら、もしかして向こうの世界でも人間は魔力だけを内包していたのだろうか、と?
それでも魔法が使えなかったのは、食事から得られる魔力は微々たる物であるからなのかもしれない。
実際、魔女や魔法使いのような存在の伝説はあの世界にもあったのだ。
たまたま、魔力変換の才能が有る人間は魔法が使えたのかもしれない。
現代で言うなら、超能力者と呼ばれるような人物がそれにあたるのかもしれない。
考えてみると少しばかりロマンのある話だった。
「結局、救護班に取られたな。ただでさえ、ヒヨッコばかりで戦力が心許無いってのに」
ベッドに寝そべり、カオルコは瞳を閉じて誰にともなく愚痴を漏らした。
「お嬢さんだって、昔は目も当てられなかったじゃないですか」
どこからともなく、落ち着いた男性の声が聞こえた。
「言わないでくれ、ハサン。恥ずかしい」
カオルコは声の主に言葉を返す。
「そうよ。この年頃の女の子は繊細なんだから。そこは察してあげなくちゃ」
別の女性の声が語る。
「大丈夫だよ。ロゼ。ハサンにデリカシーがないのは知ってるから」
笑みを混じえた声で、カオルコは答える。
「酷いじゃないですか、お嬢さん」
「ははは、違いないじゃないか、ハサン」
抗議するハサンに、ロゼは言いながら笑う。
そのやり取りはまるで、かつての日々を思い起こさせ……。
カオルコはハッと瞳を開け、思わず起き上がる。
すぐに室内を見渡す。
しかし、そこには誰もいなかった。
溜息が漏れる。
妙に心細い気がして、抱いて眠っていたAKをぎゅっと強く抱き直した。
「またか……」
この世界に来てから、カオルコはこの手の幻聴を聞くようになっていた。
もうこの世にはいないであろう仲間達の声が語りかけてくる。
そんな幻聴だ。
カオルコは彼らの名を思い出す。
カシム。
ハサン。
エミリオ。
バルサム。
ロゼ。
シュットライヒ。
そしてカオルコの父。ビヤンコ・フランキ。
ハサンはカオルコに戦闘の基本を教えてくれた。
アサルトライフルを始めとする各種の武器に造詣があり、父の片腕として副長を務めた男だ。普段はサポートに徹していたが、父が不在であった時は、遺憾なく指揮能力の高さを見せた。
ロゼは――カオルコの憧れであった。
戦いの基本を教えたのはハサンだったが、女性としての戦い方をカオルコに示したのは彼女だった。
鍛え抜かれた体は傷だらけで、顔にすら達しているほどだった。
頬と鼻に深い切り傷があり、それでも向ける笑顔は人懐っこく可愛らしかった。
彼女は体に刻まれた傷の一つ一つに誇りを持っていて、他の屈強な男の戦士達と肩を並べても遜色のない戦いをしていた。
そんな彼女の戦い方、生き方は、女性として限界を痛感していたカオルコにとって、偉大な道しるべだった。
彼らを始め、その仲間達は物心ついた頃からずっとカオルコと共に戦場を駆け、最後まで残った七人だ。
みんな頼もしくて、幼く未熟なカオルコを導いてくれ、全員が参加して行った作戦に失敗はなかった。
そんな素晴しい仲間達。
そしてあの時、共に逝く事ができなかった、仲間達……。
カオルコは考えるのをやめて、再びベッドに横たわった。
抱き締めたAKが、ほんのりと熱を帯びた気がした。
深夜、少数の見張りを除いて、人々が眠りに就いた夜半過ぎ。
カオルコの自室に音もなく忍ぶ影があった。
小柄なその影は部屋の主人がベッドで眠る事を確認すると、大気をかすかに震わせる事もなくその傍らまで歩み寄る。
影は手に黒塗りのナイフを握っていた。
影は無造作に、何の躊躇もなく、ベッドに眠る者へ刃を突き立てようとナイフを振り上げる。
その動作を狙い済ましていたかのように、銃声が室内に響いた。
影は銃声を聞いたのとほぼ同時に身をひるがえし、シーツを穿って飛来する7.62ミリの銃弾を紙一重でかわした。
勢いよくシーツが捲り上げられはためくと、膝射体勢を取るカオルコの姿があった。
銃口の狙いは影の胸元に向き、後はトリガーを引くだけでその身を穿ち尽す事だろう。
さながら詰みの状態である。
しかし予想外な事に、影の状況判断と打開案は驚くべき早さで行われた。
影はカオルコに向かい迫った。
AKの銃撃が放たれる間際にナイフでハンドガードを叩いて狙いをそらす。
銃弾が頬を掠め、鮮血を走らせるのも気に留めず、影はカオルコの首筋に向けてナイフで斬り付ける。
室内に、金属音が響いた。
カオルコが左手に持っていたナイフで影のナイフを防いだのだ。
間一髪で間に合い、少しでも遅れれば首筋を切り裂かれていたあろう事実にカオルコは冷や汗を流した。
カオルコは銃口よりも内の間合いに侵入されて要を成さなくなったAKを手放し、腰部のホルスターに納められていたジェットファイアを手にする。
影の頭に向けて銃口を向ける。
狙いも、トリガーを引く指にも淀みはなく、彼女の持てる最速で銃撃は行われた。
しかし、それを見透かすかのように影は後ろへ飛び退いた。
そのまま部屋の入り口へと向かい走り出す。
何発もの銃声は、恐らく外の見張りに聞きつけられた事だろう。
人がこの部屋に集まるのは時間の問題だった。
それを察して、カオルコの暗殺を諦めての逃走。
警戒を強めさせ、暗殺を困難にさせる事だろうが、ここで捕まってチャンスを失うなどもってのほかだった。
だからこれは、最良の判断だ。
が、扉へ手をかける前に、扉に対して銃撃があった。
影が見やると、ベッドを下りたカオルコが銃を構えていた。
きっと、彼女の銃は背を向けて逃げた瞬間に、影を狙い撃つ事ができるだろう。
彼女はここから逃がさないつもりなのだろう、と影は悟る。
彼女は決して、狙いを外さないだろう、とも。
なら、ここで暗殺を遂行する他に方法はなくなった。
不利であっても逃げられない。
広くも狭くもない微妙な空間を挟み、両者は対峙する。
先に動いたのは、カオルコだった。
影に向けて発砲する。
しかし、至近距離からの銃撃を発砲音から察知し、かわしてのけた者である。
このような遠間であれば、難なくそれもかわしてのけた。
その銃撃の合間を衝き、カオルコへと迫る。
恐ろしく素早い挙動でカオルコに距離を詰め、ナイフを振るう。
が、カオルコはそれを読んでいた。
銃が避けられるであろう事は十分に予見できた。
あれだけ素早い者に対して間を空けるのはむしろ危険。
見るからにこの殺手は、かく乱を用いた接近戦に長けている。
ならばどうするか?
振るわれたナイフを持つ右手。
その手をカオルコは左手で絡め取った。
その手を引きつつ銃底で首筋を打つ。
右足で相手の左内膝を蹴り、そのまま後膝に引っ掛けて押し倒した。
捕らえてしまう。
それが、彼女の選択した方法だった。
全体重をかけて相手を押し付け拘束する。
幸いにも相手はカオルコより小柄で、体格的な優位もあって簡単に動きを封じる事ができた。
手首を捻ってナイフを放させ、右手に持つジェットファイアの銃口を相手の顎下にあてがうと、カオルコは影の顔を確認する。
黒い服装に黒のマントを羽織り、髪も瞳も黒。
黒にまみれるスタイルは、生粋の暗殺者の様である。
しかし、その顔はカオルコよりも幼く、あどけない顔つきの少女だった。
「どうして、わかったの?」
少女は相手に捕らえられたにも関わらず、緊張感のない声音で訊ねた。
まるで、わからない事を年上に質問する子供のように。
その態度は、無邪気さすら感じさせた。
「救出者の数は把握していた。一人でも数が足りなければすぐにわかる。だから、警戒していた」
裁定場の襲撃は、三ヶ月に渡って数多く行ってきた。
裁定場の囚人の中に、スパイを混ぜる。
そういう対応を取る者が、相手側にいないとは限らない。
それを警戒して、カオルコは救出者の把握と面接を徹底していた。
「そうじゃないよ。あなた、魔女なんでしょ?」
「?」
少女の言わんとする所を理解できず、カオルコは怪訝な表情でその顔を見た。
改めて見る少女の顔には、恐怖心というものが見受けられなかった。
首筋に刃を突き付けられながら、死への恐怖という物が感じられなかった。
ただあるがままに、全てを受け入れる。そんな覚悟を持っているわけじゃない。
正しくは、何も感じていない。
そう形容する方がしっくりとする。
カオルコを見据える眼には、茫洋とした闇が穿たれているようだった。
それを見てカオルコは思う。
まるで、生きながら死んでいるようだ、と。
「若いな。いくつだ?」
「わからない。僕は、拾われたから」
カオルコの問いに、暗殺者は素直に答えた。
「じゃあ、何故私を殺しに来た?」
「知らない。でも、知ってても言わないように言われてる」
彼女自身に大儀があるわけではない。
目的もなく、ただ従っているだけの子供。
さながらそれは、カオルコの世界に多く存在する少年兵を思わせた。
物心つく前から、戦う事を教えられ、それ以外は何も知らない子供達。
一歩間違えば……。彼女は、カオルコにとってもう一つの自分の姿なのかもしれなかった。
「お前は、どうして暗殺者をしている?」
「それしか、教えてもらえなかったから。私には、その才能があるらしいから」
「それはお前の理由じゃない。お前を教育した人間の考えだ。お前自身は、どう考えている?」
カオルコに問われ、少女は答えに窮する。
それでも真剣に、言葉を吟味し、考える。
「……わからない」
結局、彼女の口から出た答えは、その一言だった。
「なら、どうしてお前は生きている?」
「それは暗殺を失敗したのに、って事?」
「それでもいい。どうしてお前は生きている?」
再度、カオルコは問う。
「私は、何も知らされていない。ただ殺せと命じられるだけ。だから、拷問されても引き出される情報はない。死んでもいいけど、死ぬ意味も無い」
彼女は語る。
感情など持ち合わせないと言わんばかりに、合理的な理屈をつらつら、淡々と。
自分の行く末すら意に介さず、自分の生きている理由を語る。
恐らく、彼女が自害しなかったのは、そうしろと命じられなかったからだ。
きっと命じられていれば、彼女は捕らわれた時に迷わず命を絶っていたのだろう。
しかし、最後に彼女は答える。
「それに死ぬのは……多分苦しい」
その答えに、カオルコは声を出して笑った。
それもまた、事実を淡々と語っただけなのだろうが。そこには明確な自我があった。
考えてみれば、命令がなく自由意志によって生死を分かったのなら、それは彼女自身の選択に他ならないのだ。
「なるほどな。それがお前の本当の考えだ。お前だけの、他の誰の影響も得ていない本物の望みだろう」
カオルコが告げると、少女はまじまじとカオルコの顔を注視した。
そんな彼女をカオルコは諭す。
「お前は、生きたがっているんだ。自分の意思で」
「僕が、生きたがってる?」
彼女は初めて実感するように、困惑した表情で言葉を反芻する。
彼女には、感情などないように思える。
しかし、そんな彼女の幼い心の中にも、ささやかながらに願望はあるのだ。
それが知れて、カオルコは決心した。
「それで、お前はこれからどうしたい? 帰って、また暗殺者として生きるか?」
「帰れない。失敗したから。でも、帰れたとしても私にはそれ以外の道もないから」
ここで解放すれば、彼女はまた戻るのだろう。
失敗の罰を受けるとしても……。
それ以外の居場所を知らないから……。
だったら、それ以外の場所を教えられたなら、どうするだろうか?
カオルコは突き付けた銃口を顎の下から放した。
そして告げる。
「いいや、ある」
カオルコは彼女の答えを否定し、断固とした声音で道を示すように答えた。
そのまま体を離し、少女の拘束を解く。
少女は自由の身になりながら、しかし逃げ出す素振りを見せなかった。
彼女は答えを知りたいと思ったのだ。
カオルコの示す指針、それがどのような物なのか……。
そして、カオルコは緩やかに立ち上がると、少女を見下ろしジェットファイアをホルスターに納めた。
何も持たないその手を差し出す。
改めて自覚された彼女の心を掬い取るように、カオルコは彼女に提案する。
「私達の仲間にならないか?」
「仲間?」
彼女は言葉の意味を理解できないというふうに訊ね返す。
「どのような仲間でありたいか、それはお前が決めろ。それが決められないのなら、私と一緒にいろ。自身で生きるという事を教えてやる」
少女は始め、じっと身じろぎせずにカオルコを見上げていた。
しかしやがて、恐る恐る手を伸ばし、ついにはカオルコの手を握った。
どうでもいい話ですが、カオルコの発音はカオ↑ルコです。
フランコの発音と一緒です。