五話 人は死に、魔女は生きる
某国、武器貯蔵庫。
外からそこへ到るまでには、数々の難関が存在する。
それは警備兵であり、監視カメラであり、赤外線センサーであり、それらの難関は多岐にわたる。
そこは間違いなく、外部からの侵入が最も困難な場所であった。
外部から、なら。
「まさか、こんな高価な武器を選り取り見取りで選べる日が来るとは……」
カオルコは銃架に立てられた小銃の一つを手に取り、しみじみと呟いた。
あの時こういう事ができたなら、私達は負けなかったかもしれないな……。
カオルコは父と仲間達と共に戦った日々の事を思い出す。
仕方のない事だとは思うが、考えずにいられない。
独裁政権の打倒を願っての戦いはもう終わった。
あの日々も帰ってこない。
それなのに、今もこうして銃器を手に取るのは、自分が本心から願うわけでもない悲願のためだ。
貯蔵庫の中央には、淡い光を放つ魔法陣が展開さている。
それはエルネストが繋げた魔法陣だった。
それを使って一時的に自分達の世界のこの侵入不可能な武器貯蔵庫へと侵入したのだ。
あれから三ヶ月。
彼女はビルリィ教の魔女裁定場を襲撃し、囚われた人々を解放する日々を送っていた。
そのため、武器・弾薬の補充目的で、よくよく某国の武器貯蔵庫へ侵入を行っていた。
「こんなものか」
麻袋にありったけの銃器と弾薬を詰め込むと、カオルコは魔法陣の上に立った。
それを合図とするように魔法陣が輝き始める。
そして次の瞬間――。
小屋の床に描かれた魔法陣、その中心にカオルコは立っていた。
そこはもう、武器庫の中ではない。
「おかえりなさい」
魔法陣から帰還すると、室内で待っていたエルネストが疲れた笑顔で出迎える。
彼女は壁にもたれかかり、へたりと座り込んでいた。
とても疲弊した様子だ。
「ただいま。留守中に何かあったか?」
「特にありませんでした」
エルネストが答えると、訊ねたカオルコは頷いた。
「じゃあ、予定通り検分を始めよう」
「多分、そろそろ帰って来ると思っていたので、広場に集めてもらってます」
「ありがとう。手間が省けた」
「いえいえ。じゃあ、私はこのまま少し眠りますので」
言うと、エルネストは目を閉じた。
すぐに寝息が聞こえ始める。
次元の壁に穴を開ける魔法を使った後の彼女はいつもこんな感じだ。
それに一度使うと一ヶ月は使えない。
それくらい疲れるらしい。
「お疲れ様」
眠る彼女に労いの言葉をかける。
そして、小屋の入り口の扉を開け、外へ一歩踏み出した。
太陽光に照らされ、目を細めながら小屋から出ると、そこには森の中に木製家屋が建ち並ぶ光景があった。
そこかしこには女性達の姿があり、それぞれ割り当てられた仕事に従事していた。
彼女達は皆、魔女の嫌疑をかけられて裁定場に捕らえられていた者達である。
ここはヒーリトンの東、海沿いに連なる山の中である。
エルネストにここへ案内されて以来、カオルコ達は山中にアジトを造って拠点にしていた。
山には大きな森林が敷かれ、それは西の麓まで広がっている。
カオルコの望んだような密林とは違い、湿気が薄い分居心地がよく、澄んだ川も通っているため人が生きる上ではとても快適な場所だった。
森を切り開いてできた広場に木製家屋が建ち並ぶ光景は、さながら小さな村のようだ。
カオルコは目的の場所を目指して、アジトの道を歩き出す。
しかし、魔法陣の直径はもう少し広くならないだろうか?
せめて、五十メートルはほしい。
カオルコは歩みながら心中で呟く。
それが無理な事はわかっていたけれど、彼女はその呟きを事ある毎に何度となく心の中で繰り返していた。
カオルコはエルネストの説明を思い出す。
「お二人は私に召喚された使い魔という立場にあります」
ヒーリトンの裁定場から脱出した日。
移動中の馬車の中で、エルネストはカオルコとクローフを前にして言った。
「お二人は異世界の人間であり、本来はこちらへ存在する事を許されていません。しかし、私が体内で生成した魔力を分け与える事で、こちらに存在する資格を得ているのです」
「だから?」
カオルコがまったくわからない、という表情で訊ねる。
「向こうの世界の住人である俺達は、この世界に来るためのパスポートを持っていない。でも、エルネストが仮パスポートを発行してくれているからここに来れた。そしてそのパスポートはこちらでの滞在許可証でもある。という事だ」
説明を理解したクローフが代わりに答えた。
「じゃあ、それでどうなるんだ?」
「お二人が望むのでしたら、使い魔の契約を解消する事でいつでも帰る事ができるという事です」
今度はエルネストが答えた。さらに彼女は続ける。
「私はお二人の力を必要としていますが、無理強いはしません。見知らぬ地の事に命をかけてほしいとは言いません」
「帰りたくなれば帰ってもいい、か。ドクターはどうするんだ?」
カオルコは問いと共にクローフへ視線を向ける。
「俺はお前の親父にお前の事を頼まれてる。お前の選択に任せるさ」
「私に帰る所はない。どこにいても一緒だ。どこで死のうと一緒だ。だから、お前に雇われてやってもいい」
カオルコはエルネストを見る。
「本当ですか!?」
エルネストは嬉しそうに声を上げた。
が、それも束の間、表情が曇る。
「あ、でも、雇うと言っても捕まってたから私は今無一文で……」
「じゃあ、食べる物を提供してくれればいい」
「食べ物もどうすればいいか……」
「……持ち合わせのある時に何か貰う」
「すみません」
エルネストは肩を竦めて謝った。
「少し聞きたい事があるんだが、いいか?」
クローフが手を上げて発言する。
どうぞ、とエルネストは促した。
「向こうとこちらを行き来する事はできるのか?」
「できます。向こうの存在であるあなた方二人なら」
「他の人間は無理という事か?」
クローフの問いにエルネストは頷いた。
「ただし、その場合は召喚の時と違います」
そう前置きして始まった説明はこのようなものだ。
二人をこの世界に置き留めているのは、エルネストが供給し続けている魔力である事。
これは異世界からの召喚者をこちらの世界の存在と認識させるためのものだ。
エルネストがこちらの人間だからできる事である。
しかし、エルネストはあちらの世界に存在を許されていないため、むこうへ行く事ができない。
それは彼女の魔力も例外でなく、むこうへ魔力を送るとほどなくして霧散する。
そのためエルネストが使い魔契約を行ったまま二人を元の世界へ送った場合、二人との契約を維持するためには、本来よりも多い量の魔力を絶えず供給し続ける必要があるのだという。
そうしなければ、契約が切れてしまうのだ。
「じゃあ一度契約を切って、もう一度召喚しなおせばいいんじゃないのか?」
クローフが言うと、エルネストは首を横に振った。
「いいえ、召喚は相手を指定できるものではありません。大まかな目的を設定し、それに見合った生物を呼び出すだけのものです。私は私達を助けてくれる存在と設定してお二人を呼び出しましたけど、もう一度同じ条件で二人が呼び出されるとは限りません」
「ほう」
「あ、それから、私が死んだ場合、私の魔力があなた達に委譲され、あなた達はこちらの世界に存在する事を正式に認められてしまいます」
「帰れなくなるという事か?」
「はい」
「……じゃあ、純粋な物質はどうなるんだ? 向こうの世界の物を引き込んでいるんだから、存在を許されないんじゃないのか?」
「存在を許されないのは生物だけなんです。あなた方の服も武器も、そのまま手元にありますでしょう? 理由はよくわかりませんけど、多分魂の有無が関係しているんだと思います」
魂、か。
不確かな答えだな。
とクローフは思った。
「なるほどな……。ん? なんだ、静かだと思ったら」
クローフは溜息を吐いてカオルコを見た。
カオルコは座った姿勢のまま寝息を立てていた。
「話についていけなくて寝てしまったみたいだな。疲れもあるのだろうが……」
その寝顔を見て、起きている二人は顔を見合わせ苦笑し合った。
カオルコは戦車や装甲車などを召喚したいと思っていた。
しかし魔法陣の直径には入らない。
本来なら、分解して組み立てるという方法で運ぶ事もできるのだが、そのような技術はカオルコもクローフも持っていなかった。
辛うじてバイクは入るかもしれないが、直接的な殺傷能力には乏しい。
カオルコは、車内という安全な場所から一方的な殺戮のできる車両類がほしかった。
あれば練度の低い者でも、安定した戦果が期待できる。
「カオルコさん。おはようございます」
アジト内を歩くカオルコに気付いて、女性の一人が挨拶する。
彼女は戦闘専門の「魔女」の一人だ。
カオルコは、ビルリィ教と戦う者達の事を「魔女」と呼称するようにしていた。
挨拶した女性の態度には、強い敬意が込められていた。
それは今までのカオルコの態度、行動を肌に感じて、自然と培われた感情だった。
彼女に対して、カオルコは手を振って応える。
そうして何度か複数の魔女に挨拶され、それに応えながら歩いて広場へと向かう。
広場には、十数名の女性とそれを囲うように五人の魔女がいた。
サブマシンガンを持った四人とアサルトライフルを持った一人だ。
魔女の部隊は、一人の指揮官と四人の隊員を一組で構成している。
そして、隊長にだけアサルトライフルを持たせていた。
広場に集められた十数名は全員が女性で、不安そうな様子の者が多かった。
彼女達は昨日、裁定場より救出された者達だ。
クローフがこの場にいないのは、容態の酷い救出者の治療に当たっているためだ。
彼は今、私室と兼用している医療施設で、医療専門の魔女と共に忙しく動き回っている事だろう。
「カオルコ様。救出者を集めました」
アサルトライフルを持った魔女隊長がカオルコに気付き、背筋を伸ばして姿勢を正す。
「ありがとう」
感謝の言葉をかけると、カオルコは集められた女性達の前に立った。
カオルコは女性達を見渡し、全員に聞こえるようわずかに声量を上げて声を発した。
カオルコの声はよく通り、集められた救出者達に十分行渡る。
「さて、この中に自分の置かれる状況を正しく理解している者はいるか? もしくは、理解しようとする者はいるか? いるのなら、私が質問に答えよう」
カオルコが告げると、女性達は戸惑うように顔を見合わせ、小声で囁き合いざわめきを生み始める。
そんな中、一人の女性がおずおずと手を上げた。
女性は顔に幼さを残しており、発する声は鈴のように愛らしかった。
女性と言うよりも少女と言った方がいい。
「あなた達は、何者なの?」
「お前達と同じ、裁定場より逃げ出した者達。その集まりだ」
カオルコが答えると、ざわめきは一層強くなった。
質問した少女の顔が青ざめる。
「もしかして、あなた達は本物の魔女? じゃあ、ここは魔女の巣!?」
驚きを通り越し、激昂に近い声で少女は訊ね返した。
「魔女の巣、か……。まぁ、そんな所だ」
今度から、この場所をそう呼称しようかな、という考えが浮かぶ。
「冗談じゃない!」
少女が叫ぶ。
「私達は魔女じゃない。少なくとも私は……。あのままあそこで裁定を受ければ、疑いも晴れたはずなのに、あなた達に連れてこられたせいで私も魔女だと思われるじゃない!」
少女がまくし立てると、カオルコは苦笑した。
「帰してよ! 私達を! 私達は、あなた達とは違うんだから!」
「良いだろう。帰りたければ帰してやる」
「え?」
あまりにもすんなりとカオルコが聞き入れたため、少女は呆気に取られて聞き返す。
「しかし、どこに帰るつもりだ?」
逆に、カオルコは訊ね返した。
「そ、そんなの家に決まってるじゃない!」
少女は答える。
「そして、また裁定場に突き出されるか?」
「だったら、次こそ裁定を受ければいいでしょ!」
カオルコは「ふむ」と一つ唸り、女性達を見回した。
その中で一人の女性に目を留める。
女性の右目には包帯が巻かれており、その姿が目に留まったためだ。
「そこのお前、もう一度裁定を受けて、身の潔白を晴らしたいと思うか?」
目に包帯を巻いた女性は、声をかけられて一瞬ビクリと身を震わせると、表情から血の気を失せさせた。
両手で顔を覆い、震えて俯く。
「……嫌、絶対に嫌……。あんな所、もう行きたくない……。痛いのは嫌ぁ……」
声を震わせて、すすり泣くように女性は答えた。
そのあまりの怖がり様を目の当たりにし、威勢のよかった少女は口を噤んでしまう。
「言っておくが、ここにいる者は殆どが魔女じゃない。確かに、身に覚えのある奴もいるかもしれないが、だいたいが魔女と疑われ、魔女として裁定され、葬られようとした連中ばかりだ」
カオルコは決して感情的に声を荒らげず、聞き違える事がないようにしっかりと発音する。
「魔女として疑われれば、もう後は魔女として火あぶりにされるか、人として拷問死するしかない。どういう事かわかるか? 魔女として疑われた時点で、もうお前達に帰る場所は無い。という事だ」
カオルコが静かに言い諭すと、少女は両目に涙を溢れさせていた。
その表情には絶望がある。
「そんな……! そんなぁ……っ」
か細く叫び、少女は地に顔を伏した。
嗚咽が漏れ聞こえてくる。
その様をカオルコは憐憫するふうでもなく見下ろすと、再び女性達へ目をやった。
「なら、お前達はどうする? 帰る場所を失って、ビルリィの追っ手から隠れ住む他にないとして、お前達はどうする?」
彼女の言った事が全てだった。
帰る事もできず、追っ手から隠れ住むしかない。
それでも、彼女はあえて問う。
まるで、他の選択があるというように。
その希望を示す彼女の意図に幾人かが気付き、幾人かは絶望から顔を俯け続ける。
そんな中、カオルコは言葉を続けた。
「たとえ帰る場所を失ったとしても、たとえ追われ続けても、お前達にはまだ選べる道が残されている。人として逃げるか、それとも魔女として戦うか、だ」
その言葉に、顔を俯けていた幾人かが顔を上げた。
先程、啖呵を切った少女もまた嗚咽を忘れ、カオルコの顔を見上げる。
「正しく人として生きるなら、逃げる他は無い。
ビルリィに抗わず、身の潔白を信じ続け、屈せずに拷問死する事で人間である事を証明するしかない。
だが、魔女として生きるなら、その必要は無い。
ビルリィに抗い、ただ生きるために戦い、自身を守る事だけを考えてもいい。
それが許されるだろう」
もう、顔を俯ける者はいなかった。
顔を上げ、話を聞き、カオルコを見ていた。
「最初に言った通り、帰りたければ帰ればいい。人として生きる事もいいだろう。誰も咎めはしない。だが、魔女として生きるなら、私達は仲間だ。仲間であるならば、この命を賭しても私は仲間を見捨てない」
力強く言い放ったカオルコに、その場の誰もが目を向けていた。
救出された女性達も、彼女らを囲う魔女達も、他の作業をしていた魔女達ですらカオルコに目を向けていた。
初めてそれを聞く者は、彼女の力強さと頼もしさを感じ取る。
彼女を知る魔女達は、彼女の言葉の正しさを改めて実感する。
いつも仲間を先導し、助け、真っ先に敵へと向かっていく勇ましい彼女の姿を思い出して。
そして、ここで絶望の中、一筋の希望を見出そうとする女性達もまた同じ感情を共有するようになるのだという予感を懐いていた。
勝手ながら、こちらの都合でしばらく更新できません。
ごめんなさい。