十四話 ハイネ撤退戦 前編
感想へのコメント返しは、何か話を投稿した際の活動方向にて行っております。
そのため遅くなってしまうかもしれませんが、お許しください。
ハイネは地方にあって、珍しく規模の大きな町である。
石造りの家屋が多く建ち並び、入り組んだ道を形成する混沌とした街並みが特徴的な町だった。
最初、小さな村でしかなかったそこはミリーク山から延びる森林に面していた事もあり、林業で一時期人が大きく増えた。
それに伴い家屋も多く建てられたのだが、計画性無く建てられたそれらは迷路のように入り組んだ道を作る事になってしまったのだ。
地元の人間ならいざ知らず、初めて訪れた人間はまず間違いなく迷ってしまう。
そんな街である。
そのハイネの町は今、アルカ国軍によって魔女の掃討作戦が行なわれていた。
掃討作戦の発端となったのは、ハイネの町に住む住人から情報提供を受けて行なわれた。
町には十余名の魔女達が潜伏していたが、それに対してアルカ国軍の投入した兵は三百を超えていた。
掃討戦を担当した部隊は、第一対魔女部隊。
まだアルカ国軍が魔女へ対して有効な戦法が確立できない最初期の戦いにおいて、いち早くその対抗策に気付き、実践した部隊である。
その功績によって魔女討伐のエキスパートという面目を賜り、それ以降も名に恥じぬ活躍を見せて来た部隊である。
それゆえに割かれる人員も多く、複数ある魔女討伐部隊の中でも一番の規模を誇る。
それらの多大な権限をもたらした活躍も一重に、魔女との戦い方を見極め、鉄プレートと革で作られた軽装鎧とボウガンの装備、魔女の武器の鹵獲と使用法の模索、散兵に近い少数部隊による作戦の運用、などの対魔女戦法を編み出した者の手柄が大きかった。
そしてそれは、一人の男が成した事である。
しかしそれらを成した男は今、作戦行動から外されている。
ハイネの町を遠めに見る事のできる小高い丘の上で、彼は兵士達の蠢く戦場を眺めていた。
自分の見るその兵士達が、敵か味方かはわからない。
が、潜伏する魔女の数はあまり多くないだろう事は想像に難くない。
彼は今の状況について軽く考えを巡らせる。
ビルリィの教義が深く根付くこの国は、魔女にとってあまりにも住みにくい場所だ。
少数でなければ、潜伏などできないだろう。
魔女の総数を知っているわけでは無いが、アルカ国軍に比べれば遥かに劣る。
潜伏人数は恐らく多くとも二十人以下。
下手をすれば一桁を下回るかもしれない。
しかしそれに対して、三百の兵は明らかな過剰戦力である。
「口惜しい事です」
男の隣に立つ、甲冑姿の女性が口にする。
女性は大柄で、肩より少し上で切りそろえた赤髪が特徴的だった。
その背中には、大剣を背負っている。
「何が?」
「グラント様は悔しくありませんか?」
「特に悔しくはないよ。エルクール」
二人は互いに名前を呼び合った。
男の方の名はグラント・マニエといい、女の方はエルクール・ダイルという名であった。
「明らかな勝ち戦です。その場に私達を連れてゆかぬという事は、手柄を立てさせたくないという魂胆があるのでしょう。それが口惜しいのです。あの豚め」
エルクールは言葉の最後を自分の上官に対する忌憚無き感想を以って締め、その雑言に込めたのと同じ感情を表情に映した。
その様を見て、グラントは小さく笑う。
この、思惑を読むまでもなく感情の機微を察する事のできる幼馴染の気性をグラントは好ましく思っていた。
「そもそも、兵の数が多すぎます。連中の武器は連射が利き、殺傷性も高い。あんなに道の狭い町であの数の兵士を動員すれば、いらぬ被害が出るかもしれません」
「とはいえ、武器の性能差を埋めるために数を動員せねばならない事も事実だ。たとえそれが、犠牲者の数を増やす事になるとしても。だが……」
そこまで言って、グラントは目を細めた。
「過剰投入された人員も無駄にはならないかもしれないな」
「どういう意味ですか?」
「ここは魔女の山からそれほど離れていない。規模はわからないけれど、援軍を送り込まれる可能性が高い」
魔女の山とはミリーク山の事である。
魔女の本拠地である「魔女の巣」があるため、そう呼称される事が多いのだ。
「では、魔女共が来る?」
「ああ。その援軍の迎撃を考えれば、あの過剰戦力も無意味ではないね」
「では、あの豚はそこまで読んで?」
「それはないと思う」
エルクールの問いに、グラントは苦笑して答えた。
「どうであれ、返り討ちにはできそうですね」
「それはどうだろうね」
「?」
「ここは魔女の山に近い。もしかしたら、魔女の山に住まう「姿の見えない死神」が出てくるかもしれないよ」
グラントが答えると、エルクールは表情を険しくした。
「少なくとも、無視できない被害がでなければ上官殿は自分の危うさに気付かないだろう。だから、あの兵数は彼の命を助けてくれるはずさ」
グラントは皮肉っぽく言った。
それから数分の後。
グラントの読みは当たり、ハイネに魔女の援軍が到着した。
ハイネへの援軍として集まったのは、十八名の戦闘魔女だった。
その主な構成員はミカの率いる欠落部隊である。
有事に備え、欠落部隊以外の戦闘魔女はクローフと共に魔女の巣へ残して来ていた。
そして、速やかな医療行為を行えるよう医療魔女一人とアレニアが同行した。
ハイネへ到着した輸送馬車から、カオルコは飛び出すと次々に魔女達が後へ続いた。
馬車の前で整列する魔女達にカオルコは向き直り、作戦の概要を語る。
「ここからは馬車での打ち合わせ通りだ。仲間を救出し、速やかに撤退する。こちらからの通信に応じないため、救助対象はなんらかの理由で通信手段を失っている模様。こちらは数が少ない。戦闘は極力避ける事」
数によっては仲間と捜索と同時に戦闘行動を取る事も考えられたが、敵の数が想定以上に多い事は仲間からの通信で知っている。
それを踏まえて考えるに、殲滅は現実的ではないとカオルコは判断した。
「敵を見つけても戦うなって? こそこそ隠れてやり過ごせって事ですか?」
カオルコに対してそう訊ね返したのはミカだった。
AKを肩にかけ、彼女はカオルコに歩み寄る。
鼻先が触れるかのような至近距離で立ち止まると、言葉を続ける。
「ごめんですよ。そんな事は。敵を見つけて戦うな、なんて私にはできない」
笑みを浮かべて答えるミカをカオルコは睨み返す。
「いいか? 目的は敵の殲滅じゃない。仲間の救出だ」落ち着いた口調で諭すように答えた。
「結果として助け出せればいいでしょう? 何より、安全に確保するなら敵がいるよりいない方がいい。……でしょう?」対して、ミカは悪びれる様子も見せずに答え返す。
その様子に、カオルコは彼女を説き伏せる事は不可能だと悟る。
何より、今は時間が惜しかった。
「仲間の救出が最優先だ。それだけは忘れるな。仲間を見つけるまで、戦闘は控えろ」
「そいつはもちろんですよ。仲間を大事にする事は、カオルコ様が一番に重んじる理念ですからね。……忘れるわけがない」
ミカは答えると、踵を返した。
その状態で、背後のカオルコへ言葉を続ける。
「ただ、こっちは好きにやらせてもらいますよ」
その言葉を残し、欠落部隊の魔女達の前へ歩み寄る。
「聞いた通りだ。行くぞ」
「「はい!」」
魔女達は唱和すると、その大半がミカに続いてハイネへ向けて走り出す。
途中、その一人がカオルコに近付いてくる。
瞳を閉じた白髪の魔女だ。
彼女は小さな身体に見合わない、スナイパーライフルを背にかけていた。
ライフルの銃口にはサイレンサーが装着されている。
「ミカは、あなたが帰って来て少しはしゃいでいるだけですよ」
「お前は……エルキオ、だったな」
カオルコが言うと、エルキオと呼ばれた彼女はかすかに驚きを見せた。
その表情がすぐに微笑へ変わる。
「憶えていて、くださったのですね」
「忘れないさ。よく、アレニアの背に乗っていた。戦闘魔女になっているとは思わなかった。……目と足は、大丈夫なのか?」
エルキオ・ラフィット。
彼女は、かつてカオルコが裁定場で助け出した少女だ。
初めて出会った彼女は、目と両足の機能を破壊されて助けを求めていた。
それが今は、戦闘魔女として戦地に立っている。
カオルコが心配するのも当然だった。
「走る事は得意じゃありませんが。遠くから援護する事だけは、幸いにも得意です」
そう言って、エルキオは背にしたスナイパーライフルを見せた。
「ついていった方がいい?」
心配そうに、アレニアが訊ねる。
よく一緒にいた事もあってか、アレニアはエルキオが気になるのだろう。
「心配要りません」
エルキオは気負う事無く、微笑んで答えた。
「エルキオ姉。さっさと行こう」
ミカがエルキオに声をかける。
「では、行ってきます」
エルキオはそう言うと、カオルコから離れてミカのいる方へ向かった。
欠落部隊の人員は全てがミカについていき、カオルコの下に残ったのはわずか三名の戦闘魔女と医療魔女一名、そしてアレニアだけだった。
カオルコの率いる少数部隊とミカの欠落部隊に分かれ、仲間の捜索を開始する事となった。
ここへ訪れた時、この町は人の蠢く音に満ちていた。
しかし、そこに銃声の類はない。
目標は戦闘を避け、隠れている可能性が高かった。
もしくは、すでに殲滅されているか……。
隠れているのだとすれば、町を駆ける魔女達の姿を見て出てくるかもしれなかった。
できるなら、敵に増援を悟られる前に確保したい。
敵に悟られる事なく、仲間を見つけ出して脱出する事が理想だった。
だから、それまでに敵との交戦が起こらない事をカオルコは願った。
しかしその願いも虚しく、一発の銃声が町中へ響いた。
口火を切ったのは、ミカだった。
彼女は救助対象を探す途中、三十名程度の一団を発見した。
「やるぞ」
すると迷う事無く殲滅の指示を出した。
緊張感無く行軍するアルカ国軍の部隊を視認した彼女は、敵の背後から忍び寄ると部下と共に一斉射撃を行なった。
その最初の一発を放ったのは、ミカ自身だった。
彼女はAKではなく、オートマチック拳銃ベレッタM92によって発砲した。
その一発が最後部の兵士の背へ命中すると、それが合図となって他の魔女達も斉射を行なった。
一発の銃弾は銃弾の豪雨によってかき消され……。
それどころか、敵の断末魔すら豪雨は吹き飛ばす。
敵の三十名は成すすべなく、瞬く間にその全てが命を散らした。
一箇所に纏まった一団というのは、連発銃を用いる者にとってただの餌食でしかない。
それに加えてこの町の性質上、細い道が多いため狙いを集める事が容易かった。
その結果が呼んだ凄惨な殺戮である。
そしてミカは、この結果に至るそれらの因果を理解していた。
アルカ国軍も過去の失敗で密集隊形での戦闘が魔女相手に不利である事を理解している。
しかしその失態を再び演じたのは、アルカ国軍があまりにも人を投入し過ぎていたためである。
三百を超える兵員は、このハイネにおいて飽和状態にある。
少ない人員による隊を複数用意しても、自然とそれらの隊が集まり密集してしまっていた。
指揮官が適切に指示していればそれも防ぐ事が出来るだろうが、今この第一対魔女小隊を指揮している人間はそれら適切な指示を行なっていなかった。
それどころか、指揮すらもしていない。
魔女の生き残りを捜索するよう命じ、大量の兵士を放つだけ放っただけである。
それらの要因がアルカ国軍の人的有利を損ない、結果として少数精鋭の魔女達にとって有利な構図を作り出している。
「部隊を二つに分けて包囲、確固撃破を行なう。一隊は私、もう一隊はガウリ、お前が率いろ。ウィリアはその補佐。ああ、あとエルキオ姉は高所を取って敵の動向を探りつつ援護射撃。その補佐に二人誰か着いてくれ」
ミカは魔女達に指示を出す。
ただでさえ少数の部隊を二つに分ける事は愚策にも思える。
たとえ地形が魔女にとって有利に働いたとしても、三百を超える相手に一桁の人員で当たる事は不安が残る。
しかし部隊の実力を考慮すれば、たとえ部隊を二分したとしても十分に有利を維持できるとミカは判断した。
「わかった」
「わかりました」
名を呼ばれたガウリとウィリアが返事をする。
ガウリは魔女部隊の中でも飛びぬけた美貌を持ち、その容姿は一団の中であっても埋もれる事無く目立つ存在である。
その美貌には魔性を感じずにはいられない。
最も魔女らしい容姿と言えた。
対してウィリアは別の意味で抜きん出て目立つ存在である。
彼女の背は他の魔女達に比べて背が高く身体も大きかった。
その身長は2メートルを超えるだろう。
しかもその身には、銀色の全身甲冑をつけている。
それはかつてビルリィの殲滅兵団が使用した防弾性能の高い鋭角鎧であった。
加えて、彼女は体中に大型の火気を複数装備していた。
「目的は敵の殲滅だ」
告げると、欠落部隊の魔女達から歓声があがる。
敵地ゆえに声は抑えられていたが、それぞれの表情には喜悦が見えた。
「いいの?」
ミカの言葉に、エルキオが訊ね返す。
「カオルコ様の指示は間違っちゃいない。でも、ここまでお膳立てされているんだ。ちゃんと喰ってやらなくちゃ失礼だろう」
エルキオは溜息を吐くと、ミカに背を向ける。
「町を俯瞰できる場所を探すわ。追って通信する」
「頼むよ」
エルキオは二人の魔女を伴って、その場を離れた。
「こいつはご馳走だ。量も十分だからいつもみたいに取り合う必要は無い。ただ、しばらくはお行儀よくしていろよ。骨をしゃぶるのは食べやすい肉がなくなってからだ」
「「はい!」」
「さぁ、銃声を聞きつけて獲物がやってくるぞ」
ミカは楽しげに笑い、歩みだした。
その笑みには凶暴性が垣間見えた。
それは彼女だけでなく、率いる者達が皆共有する笑みだった。
「やり合っているようだな」
遠くに聞こえる銃声。
途切れる間の短いそれを耳にして、カオルコは呟いた。
欠落部隊……。
いや、ミカか。
あいつが仕掛けたと見るべきだろう。
「どうしますか? カオルコさん」アレニアが訊ねる。
ついてきた魔女の一人が訊ねる。
「予定は変わらない。……あっちは派手に戦っているようだ。敵の目はあっちに向かうはずだ。その間に、仲間を見つけ出す」
「その事なんですが、私が建物に登って上から探しましょうか?」アレニアが提案する。
アレニアは上半身が人で、下半身が蜘蛛という合成獣である。
百キロを超える巨体ながら、壁を登る事は得意だった。
「いや、アレニアは目立つから。壁を登っていたら敵が集まってきそうだ。狙い撃ちされちゃうぞ」
「それは……」
「他の手を使うさ」
答えると、カオルコは手にしたARKに集中する。
すると、ARKから黒い影が出て、人の像を形成した。
「これは?」
「この銃の力だ」
答えると、カオルコは影に向き直る。
「シュットライヒ。仲間の捜索を手伝ってくれ」
言うと、影は小さく頷いて走り出す。
このARKが目覚めたばかりの時と違い、カオルコはある程度この銃の力を引き出せるようになっていた。
カオルコは魔術を使う事ができないが、ARKは彼女の魔力を消費する事で自動に力を発揮する事ができる。
その力の一つが、今のように影を呼び出すという物だ。
聖櫃《ARK》へと召された七人の仲間を使役する能力である。
呼び出せる七人の仲間にはそれぞれ得意な分野があり、シュットライヒは隠密性に秀でていた。
一定以上離れると影は形を失うが、その範囲も一番広い。
仲間の探索には最も向いているだろうという判断で、カオルコは彼を呼び出した。
シュットライヒに仲間の捜索とクリアリングを担ってもらいつつ、カオルコは魔女達と共に町を歩く。
「「カオルコ様」」
そんな折、カオルコの通信機から声が聞こえた。
その声はエルキオのものだった。
「エルキオか。どうした?」
「「今、私は教会の鐘つき塔にいます。町の様子をそこからうかがっていますので、何かあればご用命ください」」
エルキオの言葉に、カオルコは遠くに見える教会の鐘つき塔を見た。
セルキオはスナイパーライフルを背負っていた。
なら、彼女はスナイパーなのだろう。
目が不自由なのに、スナイパー?
ふと、カオルコはその奇妙さに思い至った。
しかし、伊達や酔狂で得物を選べるほど魔女に余裕はないはずだ。
なら、それでも機能しているのだろう。
「わかった。……ミカはどうしてる?」
「「見つけた敵部隊を手当たり次第に襲撃してます」」
「大丈夫なのか?」
「「巧く立ち回れるように、こちらからも援護しています」」
彼女の言葉の中に「プシュッ」という音が混じった。
サイレンサー特有の銃声を抑えた発砲音だ。
援護射撃も行なっているようだ。
「「ですから、カオルコ様は仲間の捜索を行なってください」」
「そうさせてもらう。もし何かあれば、連絡しろ。援護に向かう」
「「大丈夫ですよ」」
そう答えるエルキオの声に気負いはない。
憂いも無く余裕に満ち、本心からそう思っている事がうかがい知れた。
その余裕には、裏打ちされた何かがあるように感じられた。
「「では、そちらの成功を祈っています」」
その言葉を最後に、エルキオからの通信は途絶えた。
「欠落部隊、か」
呟くと、カオルコはアレニアを向いた。
「壁を登る必要はなくなったようだぞ」
「そうなんですか?」
通信の内容を知らないアレニアはよくわからない様子で訊ね返した。




