三話 ハリント攻防戦 後編
ハリント攻略を任されたアルカ国軍の指揮官は、刻々と変わる戦況に言い知れぬ不安を覚え始めていた。
全てを把握しているわけではないが、入ってくる情報が兵力の異常な消耗を伝えてくるからだ。
彼は兵士にハリントの四方を包囲させ、徐々に輪を狭めるように魔女を殲滅する作戦を立て、実行した。
自身も部隊を率い、包囲の一翼を担っている。
西部の囲いを担当していた。
しかし輪を狭める過程で、戦地に転がる自軍兵士の死体が増え始めたのだ。
殺害された兵士の数は多く、囲みを破られたのではないかと指揮官は考えた。
だが、それにしてはおかしい。
最初に見つけた兵士の死体は、北方の囲いを担当していた部隊の者達だ。
だが、今は南方の囲いに従事していた兵士達の死体が目立ち始めた。
複数の魔女の部隊が個別に囲いを破ったという可能性を考え、すぐに消す。
このハリントに潜伏する魔女の戦力では、不可能だ。
できるとすれば、全兵力を集めた上での突破だろう。部隊を二つにわけてしまえば、突破すらできないはずだ。
そして何より不可解なのが、それぞれの戦地において魔女の遺体が残っていなかった事だ。
これは戦闘によって、魔女側に一切の被害が出なかったという事である。
北部と南部の部隊員を目にする程に包囲は狭められているというのに、魔女の姿を見ないというはおかしな話だ。
剣での戦いならば、そのような理不尽はありえない。
剣を合わせれば、互いに被害を出す。兵士は消耗していく物だ。
だからこそ、数の多い方が勝つ。
かつての戦争とはそういう物だった。
しかし魔女の持つ銃器が現れ、対抗してボウガンが戦の主流となってその戦いは変わった。
先に見つけた方が圧倒的に有利となり、一方的にどちらかだけが被害を受ける。そんな理不尽がまかり通るようになっていった。
一万の兵士が行軍中に魔女の固定銃座に狙い撃ちされ、壊滅したという過去の事実が彼の心に強く残っていた。
たった五名の魔女のもたらした被害が、数千に及んだのだ。
それ以来、戦場は平地などの狙い撃ちされやすい広い場所ではなく、森林や市街などの狭い場所で行われるようになった。
自軍兵士の死体ばかりを目にする今の状況は、かつての理不尽さを強く思い出させた。
「伝令を他の部隊全てに放て。これからは連絡を密に取るよう」
「はっ」
指揮官に命じられ、部下は伝令の準備に走った。
ハリント南東。
路地にクリスタニアの部隊が展開していた。
膝射体勢と立射体勢の二列を前後に配置した陣形だ。
現実世界において、マスケット銃が主流だった時代に多用された一斉射撃のための陣形だった。
路地の前には丁字路があり、クリスタニアがいるのは通路の半ばが見える路地だ。
「「もうすぐそこを敵が通る。五人だ。サブマシンガンが三人、ボウガンが二人。近くに部隊はいないから、音を聞きつけられてもすぐに駆けつけられる事は無い。遠慮せずにぶっ放せ」」
「了解」
通信機の声に返事をする。
もう疑う気など微塵も起きない。
ここへ来るまでに、この声に従って多くの敵兵士を被害無しで撃滅できたのだ。
信頼しない理由はなかった。
「「来るぞ。5 4 3 2 1」」
カウントを頼りに、タイミングを計る。
そして、そのカウント通りに丁字路を兵士達が通る。
角を確認する事もしない、無警戒な姿が部隊の前に現れた。
ハンドサイン。
一斉に放たれる銃弾。
それらはアルカ国兵に降り注ぎ、抵抗も許さず命を刈り取った。
「「よし、次だ。敵の銃を回収して速やかに移動しろ。丁字路を連中が出てきた方へ曲がれ。そこからとりあえずはまっすぐ。何かあったら改めて言う」」
「了解」
クリスタニアは声の指示に従って動く。
部下達と共に進軍を開始する。
彼女達の表情にはもう悲壮感がない。
遠くで、爆発音がした。
「今のは?」
「「手榴弾を投げた。こちらに何人かの敵が向かうだろう」」
「こっちは手薄になる。そういう事ですね」
「「そうだ」」
声の言う通りに動き、その上で行われる適切な援護があれば本当に彼女の言う殲滅が成し遂げられそうな気がした。
現に、今も兵士を簡単に殲滅できた。
声の主は指示を出しながら、小まめに移動しているようだった。
その最中に自らの手でも敵の数を減らしているらしい。
そうしてクリスタニア達へ指示の送りやすい場所へ移動し、また指示を出す。
出される指示は的確で、どれも効果的な手段ばかりだった。
主に待ち伏せと奇襲であり、そこに囮を使ったおびき寄せなどを駆使して有利な状況を作り出す手腕にも長けていた。
多数対少数の戦いに慣れている事がよくわかる指示だ。
そして、その指示に従って動くだけで敵を面白いように容易く殺せるこの戦場はクリスタニアの心に高揚感すら覚えさせ始めていた。
クリスタニアは昔、同じ感覚を覚えていた時期の事を思い出す。
かつてのビルリィの戦い。
その時に味わった頼もしさ。
その頼もしさの下で味わった勝利の味。
思い出すのは、いつも前にあった小さな背中……。
まさか……。
声の人物と彼女の見てきた背中の人物とが重なった。
「「少しいいか?」」
頭の中で明確な答えが出る前に、通信機から訊ねる声があった。
「何でしょう?」
「「お前達はこの街に見張りを配置していなかったのか?」」
「していましたけれど」
「「いないが?」」
「襲撃の時に排除されたみたいですね。事が始まった時には、もう誰も応答しませんでしたから」
排除さえされていなければ、今のように俯瞰的な情報を得て戦う事もできたかもしれなかった。
とはいえ、声の援護がなければそんな考えにも到らなかっただろうが。
戦いには慣れたつもりだったが、自分達がまだあまりにも戦士として未熟である事を痛感する。
「「そうか。敵に上を注意する素振りがないのは、排除したという安心感があるからか。連中にもまだ、付け入る隙はありそうだな。……前方に敵が二人出てくる。だが気にするな。こっちで始末する」」
「はい」
言葉の通り、クリスタニアの前方に進み出る二人のアルカ国兵の姿が見えた。
かなり距離は遠く、まだこちらには気付いていない。
咄嗟に攻撃を仕掛けようかと思った。
だが、気にするなと声は言った。
一瞬だけ考え、声の判断に従う。
すると、アルカ国兵の一人が狙撃によって頭を撃たれて倒れた。
次いで、もう一人の兵士に向けて黒い人影が飛び掛った。
黒い人影は相手を押し倒し、そのままナイフで何度も相手を突き刺した。
声の言う通り、気にする必要はなかった。
それより、あの人影が声の主だろうか?
クリスタニアはそう思って近付く。
だが、彼女の視界にはっきりとその姿が映ろうとした時、人影は霧の如く消えた。
「な……っ!」
「隊長、今のは?」
部下が訊ねてくる。
だが、答えられようはずも無い。
「わからない。あれは、魔法なのか?」
「どういう事だ……」
アルカ国軍の指揮官は苦々しい声で呟いた。
各部隊へ出した伝令が、誰一人として帰ってこなかった。
他の部隊との連絡は完全に途絶えてしまっていた。
進む先に、味方の部隊を目にする事もない。
戦闘の音は絶えて久しい。
先ほどから見える死体は相変わらず味方のものばかりだ。
まさか、追い詰められているのは自分達の方ではないだろうか?
そう思ってしまう。
指揮官はその不安を振り払う。
事前に得ていた情報から見ても、十分に圧倒できるだけの戦力をそろえていたのだ。
そんな事はありえない。
この街にいる魔女の兵力では、対処できないはずだ。
「どうしましょう?」
副官がうかがう。その声には不安が色濃く滲んでいた。
「撤退するべきか? いや、ならんな。今回の作戦に失敗は許されない」
この作戦を行うまでには、多くの時間と資金を費やしている。
失敗の報告などできるはずがない。
「では?」
「撤退はしない。このまま街の中心へ行く。包囲の輪を完全に閉じてしまえば、実際の被害状況は知れる。その後、部隊を再編し、魔女の殲滅を再開する」
「わかりました」
クリスタニアは街の中を進軍するアルカ国軍を視界に収めていた。
瓦礫の影に隠れるように地面へ寝そべり、銃口を相手へ向け続けている。
彼らが街の中心部、全ての道が集う広場へ差し掛かって時に襲撃をかける予定である。
敵の数は百人程度。
全員、銃器を所持している。
声が言うには、街にいる部隊の中でこの部隊だけは他よりも数が多く、銃声などで釣ってもあまり別働隊を出さなかったという。
恐らく、この作戦の指揮官がいるためではないか、との事だ。
討ち取られないよう、防備を固めているのだ、と。
声の指示に従い、クリスタニアは部隊を二つに分けた。
そして、敵の通る場所で待ち伏せをしていた。
相手の視界を誤魔化せ、十字砲火ができる路地と瓦礫の散らばる空き地にそれぞれ部隊を配置した。
それ以上動き回る事は考えていない。
身を隠して一斉掃射ができるよう、全員が寝そべっている。
声の主に導かれ、クリスタニアは街を縦横無尽に動いて戦い続けた。
そのため、もう体力も限界に近かった。
その辛さももう終わる。
何故なら、彼女らの前に見える部隊が最後の標的なのだから。
だが、最後の相手を前にクリスタニアは怖気を覚えた。
今までの散兵とは違う。
百人以上の大部隊を前にしているのだから。
もし、撃ち損じるような事があれば……。
あの部隊に居場所を補足され、反撃されてしまえば……。
失敗すれば死の可能性は濃厚になる。
それが恐ろしかった。
「「何故、最後にこの部隊を残したかわかるか」」
声の主が、語りかけてくる。
「数が多くて、手出しができなかったから?」
「「違う。相手取るのに、一番容易かったからだ」」
「え?」
「「奴らは守りを固めたのだろう。それは剣の戦いなら有効だ。だが、銃相手なら有効じゃない」」
クリスタニアは納得した。
あんなに密集した所にサブマシンガンをフルオートで放てばどうなるか、考えるまでもない。
狙いをつける事もなく、向けて撃つだけで誰かに当たる。
部隊全員が一斉射撃すれば、一瞬で百発以上の銃弾が連中へ殺到するだろう。
クリスタニアを含む数名が使っているアサルトライフルなら、さらに貫通して一発で二人以上の人員へ被害を出す事もできるだろう。
すっと心が軽くなった。
恐怖が消える。
「「容易いだろう?」」
「そうですね」
「「やれ」」
「はい」
クリスタニアは片方の部隊を指揮する魔女へ合図を出した。
手が振り下ろされると、魔女達が一斉にトリガーを引いた。
銃火の音が広場に轟き、埋め尽くした。
鉛の弾がアルカ国兵へ殺到する。
銃弾は彼らの鎧を容易く撃ち抜き、臓腑をかき回して留まり、または外へ暴れ出て行った。
反撃の気配はなかった。
アルカ国兵は混乱の極みへ陥り、そして、壊滅した。
銃火が止み、硝煙の燻る広場には、誰も立っている者の姿がなかった。
「やったのか……」
クリスタニアが立ち上がり、広場へと歩いていく。
倒れるアルカ国兵達の前へ行き、見回す。
動く者はない。
みんな死んでいる。
これは、勝ったという事なんだよ、ね?
実感が遅れてやってきて、クリスタニアの心に喜びが広がった。
振り返り、まだ隠れて見ていた仲間達へ向けて、ライフルを高く掲げて見せる。
「「「おおおぉぉーーーっ!」」」
勝利の歓声が上がり、魔女達がクリスタニアへ駆け寄った。
まさか、本当に殲滅する事ができるなんて、思いもしなかった。
あのまま逃げられればいい。
そう思っていた負け戦を勝利へ導けたのだ。
その喜びは大きかった。
そして、あまりにも大きな喜びは目を曇らせる。
彼女は気付かなかった。
自分の背に向けられる、銃口の存在に。
彼女の背中を敵の指揮官が狙い撃とうとしていたのだ。
銃声が上がる。
クリスタニアは驚いて振り返った。
するとそこには、力を失い、銃を取り落とした敵指揮官の姿があった。
「最後まで油断はしない事だ」
通信機越しではない声が聞こえた。
そちらを見る。
そこには、彼女の敬愛する人物の姿があった。
黒い髪。
小さな体。
勇ましく頼もしい顔つき。
カオルコがそこにいた。
「カオルコ様!」
「久し振りだな。クリスタニア」




