二話 ヘルファイア
二人の男に前後を塞がれ連行される通路は、牢と同じ石造りだった。
窓はなく、そこが地上にあるのか、地下にあるのかもわからない。
通路の合間に点々と灯る光源は松明で、蛍光灯などは一切なかった。
えらく古めかしい施設だな。
そんな感想を懐いた時、前の男が廊下の途中にある一室の前で立ち止まった。
それが日課であるように、男は慣れた手つきで鍵を取り出し、扉を開錠する。
扉をくぐると、すぐさま下へ降りる階段が続いていた。
段へ足を踏み入れると、そこから見える光景はカオルコの心情に動揺をもたらした。
扉のある位置から、深く掘り下げられたその部屋はとても広かった。
その全容が階段の始点となる扉からよく見渡せる。
部屋には、多くの人間がいた。
老若男女、そう形容していいだろう。
様々な人間が入り乱れて存在するその部屋は、カオルコの主観からして地獄と形容するに差し支えなかった。
叫びが上がる。
主に女性の高い声が、苦痛に歪み、叫び潰れ、それでも吐き出さなければ耐えられないというように、次々と上がるのだ。
その場所には、数々の鉄器があった。
人の苦痛を際限なく搾り出すそれらは、所謂拷問を意図として作られた、それ以外に用途のない悪徳の機器である。
そして、それらを駆使する人間と、行使される人間が、部屋にひしめいていたのだ。
そこには人道というものも、道徳というものも存在しなかった。
拷問する人間は、拷問される人間を同じ人間として扱ってはいない。
まるで中世の時代、人権という言葉が存在し得なかった時代に来たような錯覚を受ける。
後ろの男に背を押され、歩みを止めていたカオルコは歩き出す。
カオルコは歯を噛み締め、眉根をひそめながら歩き続ける。
前の男が一度、ちらりとカオルコの顔を覗き見て、いやらしい笑みを浮べた。
この光景を見せ、囚人に恐れを懐かせる。
その時に現れる絶望に満ちた顔、それを眺める事が男の趣向であったからだ。
今もまた、眉根を顰めるカオルコに、男は満足そうだ。
この娘は恐れているだろう、と。
しかし、実際は違った。
カオルコの心には、一片の恐れもなかった。
彼女の心を占めるのは、抑えきる事が困難なほどに苛烈な怒りだった。
このような行いを喜々として行う人間の醜悪さに、心を滾らせていた。
一瞬、衝動的に二人の男をこの階段から落としてやろうかと思ったが、彼女の合理的な部分がそれを押し留める。
ここで二人を殺しても、この部屋の全員を相手にすれば返り討ちにあう。
そう冷静に判断する感情が、赤熱化する怒りを封じ込めた。
煮えくり返りそうな気分の中、それでも彼女はその光景を脳裏へと刻み付けるように眺め続けた。
一人一人、細部までその行いを注視していく。
階段を下り切る際に見やった少女は、まだ十を向かえたかも怪しい幼子だった。
彼女が助けを求めるように、こちらへと視線を投げたかけた時、一度は落ち着き始めた怒りが再燃しそうになった。
前を行く男はそのまま部屋を通り過ぎ、また通路へと出る。
どうやら、部屋を通ったのは、あの光景を見せるためだけだったらしい。
確かに、拷問される人間を予め見せつけ、恐怖を植えつけるのは尋問の際に効果的な手段だった。
しかし、カオルコに対してならば、それは間違った行いだ。
カオルコが、彼らを殺そうと決意し、心に誓ったのはその瞬間だったのだから。
回りくどく連れまわされ、カオルコが案内されたのは牢と大差ない広さの一室だった。
その一室には椅子が一つだけ用意されていた。
室内に、カオルコ一人が通される。
部屋には、二人の男がいた。
ここまで案内してきた男と同じく黒いローブを着た一人と、同じ黒ではあるが見るからに質の良い服を着た男だ。
「掛けたまえ。ここは審議の場だ」
身なりのいい男に言われ、カオルコは椅子に座る。
「何を審議する?」
カオルコは訊ねた。
「あなたには、魔女としての嫌疑がかけられています。ここはその真偽を見極め、正しき審判を行う場であり、その審議を行うのが私の使命なのです」
「審議、ね。そのわりには、二人しかいないようだが?」
この場にいる二人の男に目を向け、カオルコは怖じる様子もなく皮肉っぽく訊ねた。
「何をおっしゃいます。彼を数に入れているのなら、大きな間違いです」
とんでもない、と大仰に驚き、男はカオルコの認識を訂正する。
「彼はただの記録係兼助手。審議をするのは私と、そして信じられるべき我らが神です」
「は?」
あまりにも突拍子のない事を言い出す男に、カオルコは思わず怪訝な顔をする。
しかしながら、男は心酔するように恍惚とした表情をとり、語る声はそこに偽りなどないように自信が溢れていた。
「私はここで告発された者の声を聞き、その言葉を主の御許へと伝えるのです。そして、主の裁可を賜り、私の口から伝える。なんと崇高で誉れ多い使命でございましょう」
それは審議じゃなく、要は独断であろう。
と、カオルコは呆れ気味に思った。
魔女裁定場。
エルネストの言葉を思い出す。
どうやらここは、神の名の下に魔女を選定し、裁く場所なのだろう。
そして、この世に魔法などという物が存在し得ない以上、魔女と断じられる人間は何の論拠も咎もなく告発されたただの人間。
さながらそれは、中世の時代に行われた魔女狩りの様だった。
「さて、審議を始めましょう。まず、参考までにこれらの用途について」
言って、男は室内の隅に置かれていた袋のそばまで行き、その中身を床にぶちまけた。
それは、取り上げられていたカオルコの持ち物だった。
上着にサバイバルナイフ、予備弾倉にアサルトライフルとサイドアームの小型拳銃もある。
アサルトライフルには、無用心にもバナナマガジンがそのまま装着されていた。
アジトを出てから一度も発砲していないので、中は最大まで詰められているはずだ。
「この小さな剣はわかるのですがね。これはどういった用途のものかね?」
助手が手に取った小型拳銃を示し、男は質問する。
彼らは銃の扱いを知らない?
いや、それ以前に銃その物を知らないような口ぶりだった。実に不可解だ。
そう思いながら、カオルコは好都合だと口角をかすかに上げた。
「それは望遠鏡だ。小さな穴が開いているだろう」
カオルコは平然と嘘を答える。
「小さな穴……。ああ確かに、穴がある」
男はカオルコの嘘を疑う素振りもなく、助手と共に探して銃口を探し当てる。
「しかし、望遠鏡ならば筒の両端に穴があるはずでは?」
「それは特殊な物でな。地中にある世界を見るための物だ。先端が下を向いているだろう?」
男は、グリップの部分を見て納得する。
確かに、持ちようによっては地を向いている。
「ふむ。君、やってみたまえ」
男は助手に使用を促す。
助手は素直に頷くと、銃口を覗き込んだ。
「何が見えるね?」
「いいえ、何も見えません」
男は疑わしげにカオルコを見た。
「手順がある。まず角の辺り、覗く側から見て右側に小さな突起があるだろう。それを下ろすんだ」
助手は、言われたままにサムセフティのレバーをかちりと下ろす。
「筒の上を両サイドから掴んで、前に向けてカチリと音がするまで押し出せ」
助手が言う通りにスライドを引くと、銃の撃鉄が上がる。
「それで、内側の角にある円の中に細い湾曲した棒があるだろう。それを下向きの筒ごと握って、強く押すんだ」
助手はトリガーに手をかけ、疑う事もなく引いた。
銃口を目にあてがったまま……。
「そうすれば、地獄が見える」
カオルコが言うのと同時に、助手は目にした。
ほんの一瞬だけ、網膜を焼くほどの鉄火の煌めき。
彼を誘うヘルファイアを。
咆哮の如き銃撃の音と共に、助手はその命を潰えさせて仰向けに倒れた。
「なっ!」
その光景に驚愕し、男は振り返る。
同時に、カオルコはブーツの踵を床に叩きつける。
反射的につま先から飛び出る刃。
カオルコは刃の飛び出したブーツのつま先で、男の股間を思い切り蹴り上げた。
「い…………っ!」
男は痛みに悶絶し、股間を庇うように屈む。
その隙を見逃さず、カオルコは男の首を枷で繋がれた両腕の輪の中へと導いた。
そのまま負ぶさられるように体をくるりと相手の背に回すと、膝裏を再度つま先の刃で刺す。
男の体勢がガクリと落ち、そのタイミングを体で感じ取ったカオルコは、床へ向けて自由落下する相手の体に自分の体重を加えた。
そのまま首を絞める肘に力を込めると、相手の頭が地に落ちるのと同時に喉を潰し、首の骨を捻り上げた。
顎が完全に上を向く。
頚椎の砕ける感覚が、腕に伝わった。
命の果てる鈍い音の感触だ。
「審議官殿! 何かございましたか!?」
外で待機していた男が、先ほどの発砲音を聞きつけて声をかける。
その声が掛けられる前に、カオルコはすでに次の行動へと移っていた。
男の死体から転がり離れ、部屋の床に倒れる助手の元へ行く。
その手に握られた小型拳銃を引き剥がし、枷越しに両手で構えた銃を扉に向ける。
扉が開かれ、のぞいた男の頭部に一発。
正確に鉛玉が頭蓋の中へと押し入る。
この距離であるならば、彼女の持つ拳銃、ジェットファイアは確実に狙いを外さない。
銃の正確性もさる事ながら、枷をはめられてなお損なわれない彼女の射撃能力の高さによる芸当だった。
銃撃の反動で男の体は扉の外へ、仰向けに倒れた。
「おい、どうした!」
わけもわからず、叫ぶもう一人の男の声が廊下から聞こえる。
その声から相手の位置を把握し、カオルコは扉の外に転がり出る。
部屋の外には、倒れる男を抱きかかえたもう一人の男の姿があった。
目視による狙いの修正に一拍の猶予を置き、その照準を男へと向ける。
その動作が完了するのと、相手がこちらに目を向けるのは同時だった。
カオルコはトリガーを引き、男の肩口に銃弾を穿った。
「がぁっ!」
痛みに悲鳴を上げ、壁に身を預ける男。
カオルコはすかさずその男に近付き、片手で襟を掴み、乱暴に部屋の中へ引き入れた。
戻り際に扉を閉じる。
うつ伏せに倒れる男の両手を腰部の辺りで組ませ、その場所を足蹴にして座り込む。
そして、ジェットファイアの銃口を自分の両手にある、枷の留め具へと向けた。
「お前には聞きたい事がある」
無理な形で留め具を狙いつつ、手首を傷めないように工夫するカオルコ。
その作業を行いながら、カオルコは男に声をかける。
「私と一緒に、もう一人男が捕まったはずだ。どこにいる?」
「誰が言うか、この魔女め!」
肩の痛みから顔に脂汗を滲ませつつ、男は虚勢を張って叫ぶ。
その瞬間、再び発砲音が響いた。
男がその轟音に「ひっ」と怯えた声を上げる。
だがその銃声は彼を狙った物でなく、留め具を撃つための発砲によるものだった。
留め具が壊れ、カオルコは枷を外す。
工夫をして撃ったつもりだったが、それでも少しだけ手首は痛んだ。
「こいつの痛みはその身に刻んだはずだが?」
言って、カオルコは先ほど撃たれた右肩へ銃口をぐりぐりと押し付ける。
発砲直後の銃口の熱によって、傷口がジュウと焼かれる。
「ううぅ……っ」
苦しみに呻く男。
「気に入らなかったのなら、次は別の場所を……。それか、傷口を刃物で抉り出してやろうか?」
言いながらカオルコが銃口で示したのは、床に転がるサバイバルナイフだった。
痛覚を苛み続ける肩の痛み、未知の武器によって加えられる新たな痛み、鋭利な刃物による想像の範囲にある痛み。
それらが自分の身に襲い掛かる事を想像し、男の心はあっさりと折れた。
「わかった……、わかった、案内する。だから、やめてくれ」
屈した男を目下に据え、カオルコは冷淡な笑みを浮べた。
待っていてくれ、ドクター。
今、助けに行く。
カオルコは心の中で呟き、気を引き締めた。