二十話 魔女達の選択
ビルリィによって魔女の巣と呼称されるアジトより北。
弧月形の港を有する港町。
港の縁に座って、エルネストは憂い顔で海を見ていた。
昨日、アジトから港町に辿り着いた魔女達は総数の三分の一ほどだった。
彼女達が言うには、港町へ赴く山道で殲滅兵団に強襲を受け、自分達だけが逃げてきたという話だ。
その逃げてきた魔女達というのは、落石によって分断された前部戦闘班の魔女達である。
その後の事を彼女達は知らないが、未だに後続の魔女が来ないところを見ると皆捕らえられたか、殺されてしまったのだろう。考えたくない話ではあるが……。
ここへ踏み込まれる事も時間の問題であるかもしれなかった。
それも憂いの種に違いないが、何よりも彼女が心配しているのは所在のわからない仲間達の安否だ。
その中でもカオルコ、クローフ、アレニア、と特に親しくしていた三人がまだたどり着いていない。
彼女達の事を考えると心配が募る。
ちなみに、ウーノは今朝方一人で港町に到着した。
夜通し駆けてきたらしく、今は疲れて眠っている。
眠る前に聞いた彼女の話によれば、カオルコは用事があるからと途中で別れたらしい。
カオルコが捕まっている事はないのだろうけど、それでも彼女がいないと魔女達をまとめられる自信が無い。
「エルネストは私達のリーダーなんだ」
カオルコの言葉が思い出される。
彼女が改めてエルネストの立場を認識させたのは、この事態を想定していたからなのかもしれない。
エルネストにはそう思えてならなかった。
確かにカオルコの言う通りだ。
その言葉を強く意識せずにいられない。
しかしエルネストには、自分が何もできない事への自覚がある。
それでも、カオルコが自分に期待してくれていたのなら、自分で何か行動を起こさなければならない。
それが彼女の信頼に応えるという事だ。
そして、向けられた信頼には応えたいところだ。
ところなのだけど……。
「どうすればいいんでしょうか?」
エルネストは溜息と共に虚空へ問いを投げた。
「とりあえず、引き上げてくれ」
すると、どこからともなく声が返ってきた。
エルネストは思わぬ返答に驚き、文字通り跳び上がった。
声のした方へ顔を向ける。
そこで見たものに、エルネストはもう一度驚いた。
「クローフさん!」
見るとそこには、海から港の縁を見上げるクローフの顔があった。
エルネストはクローフを引き上げようとしたが、力が足りなくて逆に海へ落ちた。
「何があったんですか?」
何とかクローフを引き上げたエルネストは、魔女達の隠れ家である倉庫内で問い掛けた。
クローフの顔はとても険しい。余程の事があったのだろう。
「後続の魔女が全員捕まった」
クローフは短く答えると、唐突に濡れた白衣を脱ぎ捨てた。
次いで、ボタンを外す手間も惜しむように、シャツの胸元を強引に開いた。
ボタンが弾け飛ぶ。
「「「きゃーーーっ!」」」
何の脈絡も無く上半身裸になってしまったクローフに、当惑の声と黄色い声が魔女達から上がった。
「何してるんですか? クローフさん」
戸惑いながらも、エルネストは行動の真意を問う。
「武器はどこに置いている?」
エルネストの問いを無視して、クローフは訊ね返した。
「え? あっちです」
クローフの語気にただならぬものを感じたエルネストは、倉庫の奥にある扉を示した。
それを聞いたクローフはその扉を開けて、中へ入る。エルネストもその後を追った。
銃や手榴弾などを詰められた武器庫で、クローフは物色を始めた。
「本当に、何があったんですか?」
「アレニアが……後続の魔女が殲滅兵団に捕まった」
「えっ!」
「これから助けに行く」
武器の吟味を止める事無く、クローフは簡潔に答えた。
今の彼からは、一切の余裕が感じられなかった。
普段の飄々とした雰囲気がそこにはない。
この人は、もっと柔和な表情を作るひょうきんな人だったはずだ。
大柄な体でありながら人懐っこい笑顔を作り、気さくな態度で人と接する。
見た目の厳つさはあっても、人柄が人を惹きつける。女性にも子供にも好かれていた。
それは人間としての経験を積んだ者特有の余裕というものなのだろう。
でも、今のクローフからはそういった余裕が感じられない。
あるのは険しさ。
カオルコが纏っている刺々しくも硬質的なものに似ている。
それを数倍に強めたような険しさだ。
今のクローフは医者ではなく、戦士の風格を持っていた。
「そんな急に……」
「早く行かなければ、みんな火刑に処されてしまう」
エルネストは言葉に詰まる。助けたい気持ちはエルネストにもあった。
けれど、今は無理だ。
「でも、ここのみんなはまだ逃げてきたばかりで、心も体も疲れています。もう少し休息を取った方が……」
「構わない。俺一人で行く」
「ええっ!」
初めから決めていたのだろう。澱みなくクローフは言い切った。
「いや、流石にそんなわけには……でも……」
どんな説得を試みても、今のクローフは止められないだろう。そう思ったが、このまま行かせる事もはばかられた。
どうすればいいのか、エルネストは必死に考える。
「行きます!」
そんな時だ。武器庫の入り口に立つ魔女が声を上げた。
「私達も、助けに行きたいです」
別の魔女が声を上げる。
「あなた達……」
エルネストは呟く。
「仲間を見捨ててはならない。私達はカオルコ様にそう教えられています。そして、その教えを守りたいのです」
続ける魔女の顔には疲労が色濃く残っている。一晩中、山道を進んできた疲労だ。
それでも瞳に宿る意思は、強く輝いていた。
「私も!」
「私も!」
次々の声が上がる。
やがて、倉庫に居た全ての魔女が参加を表明するに到った。
彼女達の気持ちをエルネストは瞑目して受け止める。
しばしの思案を経て、目を開く。
「わかりました。行きましょう。仲間を助けに」
エルネストはクローフへ向き直る。
「我々も共に行きます。良いですよね」
「好きにしろ」
「はい」
それからすぐに戦いへ向かえる健康状態の者を選別し、エルネスト達はボマスへ向けて発った。
首都ボマスより北西にあるエルムル山。
そこはビルリィ教の総本山であり、その山の中腹には巨大な神殿が建っていた。
山の中にある神殿は深い森林に囲まれ、自然と一体化したかのような威容は信者達に畏敬の念を与える。
この国一高い場所に建てられたこの神殿は、神に近くある神殿として多くの修行僧が訪れる地である。
しかし、一定の地位がなければ参拝する事も叶わない神聖な場所だった。
修行のために高位の修道者が多く暮らしており、ティラーはその中でも最高位の教皇という立場にあった。
彼は教皇という立場から各地の教会へ教えを説いて回っているが、それ以外の多くの時間をこの地での祈りに捧げて過ごしている。
王との会談や教会での仕事の関係で普段から総本山とボマスを往復する事が特に多かった。
そして今日、彼はこの総本山に戻ってきていた。
今も神殿の奥にある専用の部屋で、神へ祈りを捧げている事だろう。
その神殿の入り口前に、一人の少女が訪れた。
全身を信者の証である純白のローブで覆った少女は、入り口の前で二人の衛士に阻まれた。
「止まれ。何用か?」
「いえ、うかがいたい事がございまして。ティラー様は神殿においででしょうか?」
「確かに滞在しておられる。あなたは客人であろうか?」
「いえ、恐れ多い。私は神殿へ足を踏み入れる程の位を持っておりません。ただ、教皇様がおられるなら外からでも祈りを捧げ、その徳にあやかりたいと思ったのです」
「それは感心な事だ。存分に励まれよ」
会釈を交し合うと、少女はその場から速やかに去った。
そして、衛士から見えない位置に来ると森の茂みの中へ入る。
ローブをぞんざいに脱ぎ捨てた。
そうして現れたのは、カオルコだった。
彼女はウーノから聞いて知っていた。ティラーがこの神殿で多くの時間を過ごす事を。
だからここで、彼が訪れるのを待ち伏せるつもりだったのだ。
しかし、待つまでもなく、ティラーはここにいた。
カオルコは神殿を囲う森林の茂みに身を隠し、移動しながら神殿をうかがう。
隠れたまま、衛士に見つからないようぐるりと神殿の周りを巡る。
その間に、神殿の警備を見て取った。
神殿の要所には鎧を着た衛士が配されている。
特に出入り口近辺は、正面と同じく必ず二人以上が一組で守っていた。
一周し終わると、カオルコは座り込んだ。
どう攻めるか考える。
彼らの着る鎧は殲滅兵団の防弾鎧とは違うので、ある程度強引な手段をとっても突破できるだろう。
しかし、カオルコは冷静に考え、踏みとどまる。
彼女の目的はあくまでも、ティラーを殺す事だ。
今のカオルコならティラーを殺せる。
その手段をカオルコは持っている。
あの時は無敵に思えたティラー。だが、殺せない人間はいない。
それはカオルコの十六年における短い人生で、知り得た確かな真実だ。
例外などない。
結局、カオルコは余計な事はせずに警備の穴を衝いて、窓から神殿内に侵入した。
廊下に入り込む。
着地と同時に銃を構えて辺りを見回す。人影は無い。
警戒を解いて銃を下ろした。
「やりがいのありそうな場所だね」
声が聞こえた。懐かしく、しかしここにいるはずのない者の声だ。
「何の事?」
カオルコは驚くでもなく、平然と応対する。
「そうだねぇ。たとえば、あそこの柱なんかどうだろう」
言葉と共に、カオルコの背後から頬の横を通って手が伸び、人差し指が石造りの柱を指し示す。
「ひびが入っている。爆破すれば倒壊する事ができるだろう。残念ながら、装飾用の柱らしいから建物自体に影響を与える事はできないだろうけどね」
「爆破した方がいい?」
「カオルコは、ティラーとの戦いを邪魔されたくないと思っているよね?」
その反問だけで十分に理解できた。
彼は自分の望みに適った方法を提案してくれているのだ。
「わかった。どこを爆破すればいいか、教えて。エミリオ」
カオルコは声に答えた。
エミリオは綺麗な金髪碧眼の青年である。
同志の中ではカオルコの次に若かったが、彼は爆発物に精通した破壊工作のスペシャリストだった。
彼の声に従いながらカオルコは神殿内に、アジトから持ち出したC4爆薬と手榴弾を仕掛けていった。
兵士達の目から逃れ、警備位置などを確認していく。
神殿の内部には、どうやら一般の信徒はいないらしい。
いるのは、高い地位にある信徒だけ。
つまり、ビルリィの中心に寄る人物ばかりだ。
一般人はいない。
それは好都合だった。
プロパガンダを違えずに気兼ねなく爆破できる。
一度に持てる爆発物には限りがあり、小柄なカオルコはさらに持てる量も少ない。
しかし、エミリオはどこを爆破すれば最大限の効果を発揮するか熟知している。
少ない爆薬であっても、十分に被害を出す事ができるだろう。
手榴弾を二つだけ残して爆薬を全て使い切ると、カオルコはティラーのいる部屋へと向かった。
そこは神殿の一番奥に位置する部屋であり、ティラー専用の礼拝堂だった。
部屋へ足を踏み入れて、始めて目に映ったのは巨大なステンドグラスだ。
人間がちっぽけに見えるくらいに高い天井と同じ大きさのステンドグラスは、この国における神の姿が描かれていた。
六つの羽根が生えた筋肉質の老人が真ん中に堂々と立ち、周囲には美しさと勇ましさを併せ持つ様々な天使が描かれていた。
それらが太陽の光を透過し、鮮やかな色の煌めきを見せている。
礼拝堂は大衆用のものよりは狭く、しかし個人のものとしては途方も無く広い。
部屋は楕円形であり、中央に道を作るように六本の柱が立っている。
天井に届かぬところを見れば、それは調度品の一つなのだろう。
側面の壁際には十字に重なり飾られた青銅の剣や銀製の騎士甲冑などが置かれていた。
そして部屋の中央には、ステンドグラスを見上げる男の後姿があった。
その人物に向けて、カオルコはAKの狙いを定めた。




