十八話 カウンターアサシン
深夜。殲滅兵団はアジトのある山を目視できる場所で夜営していた。
夜が明けると共にアジトへ向けて進軍する予定だった。
それとは別に、山中。
森林の陰に身を隠しつつ、アジトへ迫る集団があった。
一様に黒い服を着て顔を布で隠した二十名ほどの一団は、散開しつつも互いの居場所を魔力感知によって把握しながら闇を駆けていた。
その集団は、モルドーの率いる暗殺衆の手練達である。
彼らの目的は、殲滅兵団の進攻に先んじて魔女の巣を襲撃する事にある。
寝静まったアジトの魔女達を無差別に暗殺し、混乱を招くつもりなのだ。
集団の先頭を行くのはモルドーである。
その集団の中で、いち早く異変に気付いたのは、モルドーの右腕と称される副官の男だった。
彼は集団の半ばに配置され、前後の暗殺者に気を配りながら走っていた。
彼は背後の数名の気配が消えた事に気付いた。
まさか、はぐれたわけではあるまいな。
失敗の許されない彼らが、作戦行動中にはぐれるなどという事はまずありえない。
そのために常人には耐えられぬ程の鍛錬を各々が自らに課しているのだ。
しかし、万が一はある。
と思えば、また一人気配が消えた。
副官は足を留めた。周囲にいた暗殺者達も足を留める。
「どうされた?」
暗殺者の一人が不審そうに訊ねた。
「後方の者が来ない」
副官は答えた。
注意深く後方へ意識を向けていた事で、副官はそれに気付いた。
人の魔力が霧散する瞬間を彼は感じ取った。
はぐれたわけではない。はぐれたのなら、あのように魔力が消失する事はないのだ。
なら考えられるのは、何者かの襲撃によって起こされたものだ。
「先行されるモルドー様の下へ走れ」
副官が命じる。
暗殺者の一人が首肯して走り出す。
「どういたしますか?」
「我々だけで引き返す。半数はモルドー様に追従しておる。戦果は減ずるだろうが、仕事は十分に果たされよう」
そうして分かれた集団が戻ると、ほどなくして暗殺者の死体を見つけた。
走る最中、丁寧に始末されたのだろう。
来た道を戻り行くと、ある一定の感覚で一人ずつ死体が転がっていた。
その者達の死因は大まかに分けて三種。
投げナイフによって死んだ者。
刃物によって直接首をかっ斬られて死んだ者。
得物の解からない小さな丸い穴を頭蓋に開けられて死んだ者。
その三種だ。
暗殺者達は暗殺するだけでなく、殺される事にも気を配る。
自分を暗殺しようとする者に対しても、常に注意を巡らせる。
だというのに……。
死体には致命傷以外の傷が見受けられない。
それは相手に気付かないまま、殺された事を意味していた。
これは暗殺である。
今、自分達に対して暗殺を仕掛ける者が存在するのだ。
不意に、暗殺者の一人がその場で倒れた。
副官がそちらへ目を向けると、次に彼の後ろにいた暗殺者が相次いで倒れる。
両者共に事切れていた。
倒れた暗殺者の頭蓋には、どちらも穴が開いていた。
そこから血が溢れ出てくる。
「我々を相手に、暗殺を仕掛けられる人間がいるというのか……!」
足を留めた事が幸いとばかりに、暗殺者達を見えない敵が一人、また一人と仲間を殺していく。
プシュッ、という空気の漏れ出るような音がする。
何の音かはわからないが、その音がする度に暗殺者は倒れた。
「暗殺者たる我らから姿を隠し、気配すら悟らせぬ暗殺者だと? 馬鹿な、そんな者が……」
副官は言葉を紡ぎながら、ふと思い至った。
いるではないか。一人だけ、そういう者が……。
闇の中を翻る何かを見た気がした。
副官はそれを目で追い、頭上を見上げた。
丁度、自らの頭上を跳び越えようとする影と目があった。
影は手に見知らぬ武器を持ち、こちらに向けていた。
プシュッ、と小さな音が鳴る。
次いで、眉間を強く押されたような衝撃を受ける。
かと思えば、彼の意識が再び形を成す事はなくなった。
「モルドー様」
走り続けるモルドーの傍に、副官より伝令を命じられた暗殺者が近寄った。
「どうした?」走りながらモルドーは訊ね返す。
「我々は攻撃を仕掛けられているかもしれません」
モルドーは後方の暗殺者達がついてこなくなった事に気付いていた。
しかし、彼は副官を信用している。
何か不足の事態があったとしても、切り抜けるだけの能力を副官は持っていた。
だから、その報告を状況報告として受け取るだけだった。
あくまでも優先されるのは任務だ。
副官も任務を優先させるために、足止めを買って出た方がいいと判断したのだろう。
駆ける足を留めず、モルドーは走り続けた。
「わかった。お前もこちらの配置についておれ」
モルドーが伝令に告げる。伝令は頷いた。
それから殆ど時間も経たず、一人の気配が消えた。
モルドーはいち早くその事に気付き、足を留める。
他の暗殺者達も足を留め、命を受ける事もなくモルドーを中心に円陣を敷いた。
部下のもの以外に、人の気配は感じられなかった。
しかし、確かに自分達を襲撃する何者かの存在はいる。それは間違いない。
先程感じた気配の消え方は、命の潰える時のものだった。
任務を放棄して逃げたわけではない。殺されてしまったのだろう。
ならば、副官はどうした?
足止めに残ったはずなのに、襲撃者は追いついた。
という事は、自ずと副官の末路も想像できる。
いや、複数いる可能性もある。しかし、人が多ければモルドーも気付く。
それなのに気配を読めないのは恐らく……。
プシュ、プシュ、プシュ、と奇妙な音が三回鳴る。
円陣を構成する内の三人が倒れる。全員が事切れていた。
暗殺者達がそちらへ目を向けた瞬間、モルドーの背後にいた暗殺者の首に赤い血の花が咲いた。
立て続けに、隣の者の首も同様に咲く。
モルドーが振り返ると、首を裂かれた暗殺者が崩れ落ちる所だった。
こうも容易く……。何者だ?
いや、わしは知っている。それが誰なのか。
まるで相手の死角が見えるかのように、襲撃者は暗殺者達の視界を縫って動く。
そして、次々とその命を散らしていった。
さながらそれは、闇そのものに襲い掛かられるかのようであり、歴戦の暗殺者達の心にさえ恐怖を植えつけた。
最後にはモルドーと部下の二人きりとなり、背中合わせに辺りを警戒するに至った。
互いの背を守り合うのに適したこの態勢ならば、不用意には仕掛けられないはずだった。
が、部下の体がモルドーの背中を滑り落ちた。振り返る。部下の首には投げナイフが刺さっていた。
瞬間、目の端にきらめく刃が見えた。
モルドーは顔をそらし、持ったナイフで相手のナイフを迎え撃つ。
相手の刃を弾くが、しかしそらし切れずに首をかすめて過ぎていった。
その時、モルドーはようやく襲撃者の姿を目にする事ができた。
必殺の一撃をかわされたにも関わらず、その目には焦りもなにもない。
感情の一切を払拭した虚無の如き双眸だ。
「ふむ。やはり貴様か、一番」
モルドーの前に立つのは、ウーノだった。
彼女は答えず、黙って視線を向けるだけだ。
「よもや、心のない殺人形が裏切るなど、まったく考えもせんかったわ。これが魔女の魔導というものか。……しかし、忘れたか?」
ウーノが一番と呼ばれていたのは、暗殺衆の中でも一番の実力を持っていたからだ。
それは頭領のモルドーすら差し置いての事だ。
だから、モルドーですらウーノには敵わない。
だというのに、モルドーからは警戒心が失せていた。
まるで、相手を敵として見ていないような態度だ。
「いいや、忘れてはおるまい。だからこそ、わしを認識せぬよう背後から襲ったのだろうからな。お前には、わしを殺せぬっ!」
モルドーはウーノへと投げナイフを投擲する。
ウーノは難なくナイフを指で挟み、止める。その行動を見透かし、モルドーはウーノへと接近。近接用の歪曲したナイフで切りつける。
ウーノは素手で応戦する。
ナイフのある腕を掴み、相手の軸足へ左足を宛がって。腕を強く引く。宛がった足がモルドーの軸足へ強く当たり、大勢を崩す。
蹴りを放ったではなく、体を引くという動作であると自分に認識させるための動作だ。それならば暗示に引っ掛からない。
しかしモルドーは倒れず、逆にウーノを力ずくで引き寄せようとする。
ウーノはそれを逆手に取り、宛がっていた左足を相手の膝裏が当たる辺りに踏み込む。そのまま体を押し当てて体重全部をかけて押す。
「ぬおっ」
モルドーは自分の引いていた力とウーノの押す力によって、その場で仰向けに倒れた。
ウーノは倒れたモルドーの両腕を両膝で踏んで馬乗りになった。
「我らの技ではない。それが魔女の技か……」
生殺与奪を握られていながら、モルドーの声には焦りも怯えも混じっていない。
むしろ、好奇の響きすらあった。
「しかし、何をしようとお前にわしは殺せぬ。そのように刷り込んでいるのだから」
ビルリィ教の暗殺者は、頭領に反抗できぬよう暗示をかけられる。
それは頭領に対して殺意を持った行動をとれば身が竦むというものだ。
モルドーがウーノに警戒心を持たなかった理由はそれだ。
いくらウーノが自分より優れていても、彼女には自分を殺す事ができない。
それがわかっていれば、恐れる必要などないのだ。
「僕は、人を殺す時にその人を殺したいと思った事が無い」
ウーノは静かな口調で告げる。
「そう、それがお前の人形たる所以。だから、お前は特別だ。行動自体に枷をかけている」
ウーノは殺す時、相手に殺意を向ける事がない。
だから、従来の「殺意」を向ける行為を禁じる暗示では、頭領への危害を許してしまう恐れがあった。
ウーノが禁じられたのは、相手に対する行動そのもの。
頭領に対して、「切る」「殴る」「首を絞める」などの殺害に至れる様々な行動が暗示によって禁じられていた。
「だから、お前にはわしを殺す事などできぬのだっ!」
モルドーは笑みを作って言い放った。
「ううん、違う」
そんな彼に、ウーノは否定の言葉を返す。
モルドーは「何?」と怪訝な顔になる。
その顔の目の前で、ウーノは闇色の外套からモルドーにとって見慣れぬ武器を取り出した。
彼女が持つのは、カオルコからもらったジェットファイアという銃だった。
銃口の先端には、消音装置が取り付けられている。
ウーノは銃口をモルドーの額につけた。
「僕は「トリガーを引く」のはだめなんて言われた事がない」
ウーノの言葉が、モルドーの顔を初めて恐怖に引き攣らせた。
この世界に銃という武器はなく、それを禁じる暗示などが施されているはずはなかった。
プシュッ、と若干くぐもった音が鳴った。
部屋にノックの音が響く。
何度目かのノックに顔を顰めたカオルコは、眠りから目を覚ます。
窓を見ると、まだ外は闇に閉ざされていた。
作戦時に疲労を残さないため、仮眠をとっていたのだ。
「時間か……。ウーノかな?」
小屋から出ると、思ったとおりにウーノがいた。
「悪いな。おはよう」
カオルコに挨拶され、ウーノは頷くだけだ。
彼女の表情には相変わらず感情の色が見えない。
そんな彼女の横を通り過ぎ、外へ一歩踏み出す。
「暗殺者が来た」
ウーノは言葉少なに告げた。カオルコは驚いて振り返る。
「本当か? 今はどこにいる?」
「もういない。全部殺した」
淡々と告げる彼女に、カオルコは複雑な気持ちを懐いた。
「かつての仲間達だったんじゃないのか?」
「知ってる人もいた」
「辛くなかったか?」
カオルコが訊ねると、ウーノは首を横に振った。
「どうでもいい」
カオルコは気付かれないよう、ウーノに背を向けて小さく溜息を吐いた。
殺す時、何も感じないというのは、やっぱりいけない事なんじゃないだろうか? と思えた。
とはいえ、自分にもそんな時期はあった。
子供の頃は人を殺す事など当たり前すぎて、一つの人生が潰える事の大きさなんて考える事もなかった。
考えるようになったのは、いつも自分を可愛がってくれた同志が地雷を踏んで首だけになって帰ってきた時からだ。
カオルコは仲間の死から命の重さを知った。
しかし、ウーノはどこでそれを知れるのだろう? かつての仲間を手にかけてもその考えに至れなかったのなら、彼女はもうそれに気付く事がないのではないだろうか? カオルコは懸念する。
「でも」
ウーノが二の句を次ぐ。カオルコは振り返った。
「カオルコはどうでもよくないから……。僕は、カオルコに死んでほしくない」
カオルコは思いがけない言葉に面を食らう。そして、笑みを作った。
ウーノの頭に手をやり、ごしごしと撫でた。
ウーノはされるがままに撫でられる。少しくすぐったそうだ。
「心の無い人間はいないな、ウーノ」
カオルコの言葉にウーノは首をかしげるだけだった。
「他の魔女達は?」
「もうみんな行った」
ウーノが答えると、カオルコは「わかった」と返した。
「なら、私達も逃げる準備をしておくか」
夜明け頃、二人は準備を終えた。
「ねぇ、あれは置いていくの?」
ウーノはアジトの中心に位置する場所を指して訊ねる。
そこには、一丁のアサルトライフルが放置されていた。
「敵に使われちゃだめなんでしょ?」
昨日、クローフが銃をかき集めていた事を思い出して気になったのだ。
「それに……」
ウーノは鼻をヒクつかせて顔を顰めた。
彼女がこうやって気持ちを顔に出すのは珍しい。
「ただ逃げるだけじゃ味気ないからな。置き土産さ」
カオルコは冗談めかして答えた。
二人はそれぞれ、馬を一頭ずつ連れてアジトから出た。
乗らずに手綱を引いて、緑の深い道に隠れながら山を下りていく。
カオルコは自分に持てるあらゆる武器を装備していた。
馬にもいくつか持ちきれなかった物を乗せている。
銃はAKの一丁だけだが、弾薬や手榴弾、クレイモアなどの兵器を多く持ち出していた。
途中、カオルコは森を進む殲滅兵団の姿を目撃した。
離れた場所から木々の陰に隠れて様子をうかがう。
「たいしたもんだな」
兵士の姿を見て、カオルコは言った。
兵士達は変わった形の鎧を着込んでいた。
今までの丸みを帯びたプレートメイルと違い、その鎧はとても鋭角なフォルムをしていた。
胴体の前面部分が尖り、反りがあった。
解かりやすく言えば、漢字の八に似た末広がりの突起だ。似たような形の突起が鎧の各所にある。
恐らく、それは銃弾避けの対策だろう。
当たっても反りによって跳弾する作りになっているのだ。
兵士の重々しい足取りを見ると、装甲も増強されているらしい。
それとは別に、軽装の兵士の一団もある。
ただ、そちらは大きな盾を持っていた。
分厚く、丸みのある盾だ。それも銃弾対策なのだろう。
それが実用的かはわからないが、ある程度の防弾性はありそうだ。
先に魔女達を逃がしておいてよかった。あれが相手では、魔女達にとって荷が重い。
今までは銃撃を与えれば倒れる者ばかりを相手にしてきたのだ。
それを防ぐ相手が現れれば、混乱する恐れがあった。
「カオルコ。おかしい」
ウーノがおもむろに言う。
「何が?」
「オルクルスがいない」
「オルクルス……。あの男か」
カオルコは呟きながら、思わずAKを握る手に力を入れた。主人の怒りに呼応するかのように、AKが熱を帯びた。
「確かに妙だな。まさか……」
もしかしたら、動向を読まれたかもしれない。
カオルコは焦りを覚えた。
北の港町へ逃げる事を予測し、待ち伏せていてもおかしくはなかった。
とはいえ、今から何かができるわけでもない。
カオルコには、クローフがなんとかしてくれる事を祈るぐらいしかできなかった。




