十七話 逃げの一手と成長する黒
動きがあったのは、カオルコとクローフが話をした六日後。
昼前の事だった。
山へと続く街道を、千を超える兵士達が整列して進んでいた。
兵士達は、ビルリィ教の殲滅兵団である。
彼らの先頭には、大きな馬に乗るオルクルスの姿があった。
その様子が斥候の魔女から通信で伝えられると、自室にてカオルコは思案する。
進行速度からして、接敵は夜明け間際。
時間の余裕は十分にある。
「どうするんですか?」
同じく、カオルコの部屋にいたエルネストが不安を押し殺して訊ねた。
「北の港町へ逃げる」
「そのために手配を頼んだのですね」
港町においての潜伏先は、カオルコに命じられてエルネストが探し出した物だ。
カオルコはこちらに来てから、ボマス以外の町村に赴いた事が無い。
無論、国の作法や風習など常識的な事を知ろうはずもなく、ならばエルネストの方が町中での動きは怪しまれないと考えたからだった。
その港町へは山間の道を北上して向かう予定である。
「でも、逃げなくても銃があれば戦えるんじゃないですか?」
エルネストは疑問を呈する。
「私達が戦勝を重ねてこられたのは、武器の有利があったからだ。だが、そんなものは数の有利で覆される。やりようがない事もないが、練度の低い魔女達では無理だ」
「はぁ、そんなものですか」
戦いに関して知識のないエルネストは釈然としない風に言う。
カオルコは「そんなものさ」と返した。
「それで、先に数人連れて潜伏先の確保をしてほしいんだが」
「え、私が? ですか?」
「私はこの国の作法も風習も知らないんだ。そんな常識の欠いた私より、エルネストの方が怪しまれないと思うからな」
「……わ、わかりました。やってみます」
見るからに緊張した様子でエルネストは応じる。
しかし、自分を鼓舞しても自信がわかなかったらしく「私で大丈夫でしょうか?」と訊ね返した。
「エルネストは私達のリーダーなんだ。それくらいはやってもらう」
「えぇ! 私がリーダーなんですか?」
エルネストは大仰に驚いた。
「カオルコさんだと思ってました」
何を今更、とカオルコは溜息を吐いた。
「魔女を救いたい。最初にそれを言って、事を起こしたのはお前だ。お前には強い目的意識がある。ならお前がリーダーだ」
「はぁ。それはそうかもしれませんけど」
不安そうな声音でエルネストが言った時、不意に別の声がかかる。
「僕は?」
声は真後ろから聞こえたため、エルネストは思わぬ事に小さく身を震わせた。
振り返ればウーノが居た。
「居たのですか、ウーノ」
ウーノには魔力による感知が働かないため、エルネストにはそこにいる事がわからなかったのだ。
ウーノはエルネストの言葉に答えず、視線でカオルコへ返答を促す。
「第一陣の魔女達と行動しろ」
カオルコは告げる。
港町へ向かう際には、部隊が三つに分けられる予定だった。
第一陣は戦闘班半数。第二陣は非戦闘員を搭載した荷馬車と魔法・治療班による戦闘力の低い部隊。第三陣は後ろからの追撃を想定した残りの戦闘班。
言わばしんがり部隊だ。
命令すれば、彼女はすぐにでも「わかった」と頷くだろう。
と、カオルコは思ったのだが、予想外な事にウーノは答えず「カオルコは?」と再度問うた。
「私はしんがりのしんがりだ。敵の動向を見極めつつ、別ルートで港町へ向かう」
「じゃあ、やだ」
カオルコの答えを聞き、ウーノは即答した。
カオルコは命令を拒否された事に腹を立てた様子もなく、むしろ「おや?」と好意的な驚きを表情に滲ませた。
「どうして?」
「カオルコが心配。僕もカオルコと残る」
「へぇ」
カオルコは笑みを作った。
ここへ来た当初の彼女ならば、否定などしなかっただろう。
彼女は暗殺者として、与えられた任務に疑問も許されず向かっていた。
そんな彼女が、きっぱりとカオルコの命令を断った。
この子の自我も、少しは強くなってきているのかもしれない。それは喜ばしい変化だ。
「わかった。ウーノなら、多少危険があっても生き延びられそうだからな」
カオルコが言うと、ウーノは無表情でコクンと頷いた。
「ウーノ。お前、何してるんだ?」
アジトは今、港町へ逃げる準備で慌しく人が走り回っている。
そんな中、簡易射撃訓練場にクローフは赴いた。
訓練場に置かれた、訓練用の銃器を回収するためである。
銃を鹵獲され、もし複製品を作られるような事があれば、魔女に勝ち目はなくなる。
なので、このアジトには一丁であろうと銃を残すわけにいかなかった。
クローフは訓練場で体を動かすウーノを見かけた。
彼女は射撃練習をしていたが、その様はクローフが「何してる」と声へ出したように奇妙な物だった。
彼女は横っ飛びや側転など、アクロバットに跳び回りながら射撃していた。
「練習」
クローフに声をかけられ、訓練を中断したウーノが答える。
「何の?」
射撃練習だと思いたくないので、とりあえずそう訊ねる。
「エイガでやってた」
妙な発音でウーノは答える。
「エイガ? ああ、映画か」
クローフは納得した。
戦い方の手本として、参考となりそうな戦争映画などを定期的にプロジェクターで魔女たちへ見せていた。
しかし、その中にはカオルコとクローフが趣味で持ち込んだアクション映画もあった。
サングラスの男がアクロバティックに撃ち合う映画や、ギターケースに仕込んだ銃で戦う映画などの娯楽性が強い作品だ。
ウーノはそれを真似していたのだろう。
「あれはあまり、手本にするものじゃない」
呆れ気味にクローフは諭す。
「でも、普通に撃つより疲れない」
しかしウーノは、そう言って聞き入れなかった。
「いやいや、飛び跳ねた方が疲れるだろう。狙いだって着けにくい」
クローフが不思議そうに訊ねると、ウーノは標的から目を離して振り返った。口を開く。
「普通に撃ったら、全部返ってくる。でも、跳んだら返ってこない」
何のこっちゃ。
クローフはウーノの言わんとする事が理解できず、首を捻る。
が、しばらくして思い至った。
「……それは、銃の反動を受けるのが辛いという事か?」
クローフが問い、ウーノは頷く。
それは前に、クローフ自身がカオルコに指摘した事だ。
ウーノの体では、銃のリコイル、言わば銃撃の際に発生する衝撃に負けるだろう、と。
果たしてそれは正しかったらしい。
彼女にとって銃撃の反動は強く、それに耐えようと踏ん張る事が辛いのだ。
しかし、空中で撃つ場合は踏ん張る必要が無い。それが疲れない理由だ。
クローフは妙に納得してしまった。
それはウーノの言葉に対してであり、カオルコの事でもあった。
カオルコが幼い頃、似たような事をしていた。
それは彼女の父親が止めさせたが、あれはカオルコも同じくリコイルを辛いと感じていたからなのかもしれない。
しかし、そんな曲芸じみた射撃が実用的なわけ――
クローフは標的へと目を向ける。
ばらつきはあったが、弾痕は全て円の中寄りに穿たれている。
実用的じゃないか……。
クローフは呆れ気味に溜息を吐いた。
ウーノの体はバランスが悪い。
もしかしたら、変にフォームを矯正するより、今のままの方がいいのかもしれなかった。




