十五話 ホームの定義
訓練場から十分に離れ、人気が少ない場所でカオルコは口を開いた。
「アジトの場所が敵にばれた」
カオルコが言うと、クローフは息を呑んだ。
「本当なのか?」
気持ち声を小さくして聞き返す。
「ウーノからの報告だ。裁定場襲撃の折、帰還する際につけられていたらしい。他の魔女達は気付いていないようだったけどな」
「そうか……」
呟き、溜息を吐くクローフ。声に不安の色を滲ませないのは流石だ。
「尾行を撒く事など、魔女達にはできない。それを考えれば、ウーノ以外が気付かなかった事は好都合だったかもしれない」
「確かに、気付いた素振りを見せなかったのなら幸いだ。恐らく敵は、こちらがまったく気付いていないと思っているだろうからな」
「現に、今は泳がされている。攻め入ってくる素振りはない。逃げられる心配をしていないんだ。でも、近い内に攻め入ってくるのは確実だ。今は万全の態勢を整えて、攻め入る準備をしているんだろう。だったら、こっちはこっちで準備をする」
「何か考えがあるのか?」
クローフが問うと、カオルコは黙ったまま頷いた。
「ここを放棄する」
カオルコが言う。クローフは驚かなかった。
「そうだな。それが一番現実的だ。力量の低い魔女達が、今まで戦えていたのは銃というアドバンテージと奇襲による有利があったからだ。物量で攻め寄せられれば、ひとたまりも無い」
このアジトには城壁の類などない。
木製の小屋が建ち並んでいるだけだ。
四方から攻められれば、立てこもる事すら難しい。
「でも、放棄するだけじゃ駄目だ。相手の目を掻い潜り、新しい潜伏先を見つけなくてはならん」
そう言うクローフに、カオルコは首を振って見せた。クローフは怪訝な顔をする。
「一応の避難場所として、北にある港町を考えている。でも、そこから先は私達の考える事じゃない。魔女達が自分で考える事だ」
「カオルコ、まさか彼女達を見捨てるのか?」
クローフは険しい表情でカオルコを見た。
「忘れてないか? これは私達の戦いじゃない」
カオルコは平然と言い放った。
「だがお前は、エルネストの頼みを聞いたんじゃないのか? お前は一度交わした約束を反故にするつもりか? お前の親父は、そんな事など決してしなかった」
「違う」
カオルコは首を振る。
「私はエルネストと約束をしていない。私はただ、雇われただけ。彼女とは利益で繋がっているだけだ」
「そのわりには、真剣に取り組んでいたんじゃないか?」
その問いに、カオルコは小さく溜息を吐いた。
「……最近気付いた。私は多分、見たかったんだ」
「何を?」
「虐げられる人間が、虐げる人間に勝つ所を……」
カオルコはかつて、虐げられる人間の立場にいた。
独裁国家という虐げる者達から、虐げられる民達を守るために戦っていた。
しかしそこに勝利は無く、残ったのは無残な敗北だけ。
カオルコには他に何も残らなかった。
仲間も、家族も……。
「私は、心を慰めようとしているんだよ。彼女達の勝利を見る事で」
「……姿を重ねて見ているわけだな。ならお前が導いてやれ。彼女達を勝利へ」
クローフが言うと、カオルコはかぶりを振った。
「それじゃあダメだ」
「何が駄目なんだ?」
否定するカオルコにクローフは訊ね返す。
「勝利っていうのは、自分達の手で勝ち取らなくちゃならないんだよ。私みたいな、どこかこの世界を他人事のように思っている人間が、導いて与えるものじゃない」
「だからと言って、どうして見捨てるような真似をする?」
「言ったはずだ。ここはバラックで、ホームじゃない。私のような異界人の造ったものが魔女達のホームに足るはずもなし、ここを故郷としない私にしてもここはホームと呼べない。私は魔女達に、自分達のホームを造り、戦えるようになってほしい」
クローフは理解した。
カオルコは、魔女達の自立を促そうとしているのだ、と。
カオルコは自分の助けがなくとも、彼女達が自らの力でビルリィに勝てるようになる事を望んでいるのだ。
そうして手にしたものこそが、本当の勝利だと確信している。
十四の少女であるから仕方は無いのだろうが、妙に潔癖で青臭い考え方だ。
とクローフには思えた。
「スパルタだな」
カオルコは顔をそらした。クローフへ反応を返さずに続ける。
「何より今の私は、銃を握れない役立たずだからな。頼られても何もできない」
カオルコは自嘲する。
なるほど、そういう理由もあったか。とクローフは納得する。
今の自分では魔女達を守ってやれないから、自分で身を守れるようになってほしい。
要はそういう事だ。
素直じゃないな、とクローフは苦笑する。
「やっぱり、お前は優しい娘だな」
「そんな事は無い。私はただ、自分にもう雇われる価値がないと思っているだけだ」
「エルネストに雇用主であるという自覚はないだろう。ただの仲間だと思っているさ」
「私は、この世界の人間じゃないのにな」
クローフは苦笑した。そして、ふと話題を変えた。
「なぁ、お前にとってホームってのはどういうものだ?」
どうしたんだ、突然。という表情をクローフに向け、カオルコは少し思案してから答える。
「……家族の、仲間達のいる場所かな……」
「じゃあ、ここはもうホームじゃないのか?」
「……どうだろうな」
カオルコは言葉を濁した。
恐らく、まだ認めたくないのだろうな、とクローフは判断する。
カオルコの心にはまだ、かつての仲間の存在が強く残っている。今の仲間を肯定する事は、かつての仲間の否定に繋がるんじゃないか、と思っているのかもしれない。
もしくは、また仲間を失うかもしれない、という恐怖を払拭できていないのか。
どちらにしろ、彼女の心は少しずつでも変わってきている気がした。
彼女が魔女達に心を開く日は、そう遠くない。
クローフにはそう思えた。
私に何ができるのだろうか?
その自問は、不安と共に胸中へ広がる。
そもそも、私は何をしているのだろう?
魔女達を育て、率い、敵と戦って、さらに仲間を増やして、また戦って……。
自分自身、その目的に従事したいわけでもないのに……。
大義名分があるわけでもない。どうあっても成し遂げたいわけでもない。
なのに、どうして私は……。
カオルコは、何度もその自問を繰り返してきた。
それはAKが壊されてから、さらに頻度が増していた。
役立たずな今の自分を顧みれば、どうしても考えずにはいられなかった。
窓を閉め、夕の陽射しを遮断した闇の中で、カオルコはベッドに寝転んでいた。
眠るにはまだ早い。けれど、すぐにでも眠ってしまいたかった。意識を手放して、色々な事を忘れてしまいたかった。
うつらうつらとした心地で、それでも眠りに着けない。そうして余計な考え事をしてしまい、それが不安を生んでしまう。
カオルコは不安を紛らわせるため、折れたAKを抱き締めた。
折れていても、やはり長年共にあったこの銃は自分を落ち着かせてくれる。
カオルコは安堵を覚え、目を閉じた。
「怯えるな。お前の求めるものをお前は既に手にしている」
声が聞こえた。
次いで、額に感触があった。
優しく、愛おしそうに撫でる手の感触だ。
気持ちが安らぐ。
不安が嘘のように氷解していく。
心地良い感触に、カオルコはずっと浸っていたかった。
せめて夜が明ける寸前、眠りから覚めるまでは……。
瞳を閉じたカオルコ。
そんな彼女の腕の中で、AKは淡い光を放ち始める。
弱々しかった光は次第に強くなり、やがてその姿を完全に包み込む。
彼女がそれに気付く事はなかった。
月明かりの射す夜の中で、オレンジの小さな光が揺れていた。
その光が、時折吐き出される紫煙に霞む。
それはクローフの咥える煙草の光だ。
彼は診療所の軒で、手すりに体を預けながら煙草を咥えていた。
両手の平を互いに向け合い、じっとその間を見詰めている。
すると、手の平の間に淡い緑の光が浮かんだ。
修復魔法の光である。
クローフは魔法を発動し、止め、また発動するという事を繰り返し行っていた。
彼の手の平の中では、何度も光が明滅している。
咄嗟に修復魔法を使えるようになるための反復練習だ。
「精が出ますね」
そんな彼に声をかける者がいた。エルネストだ。
「戦場では、素早い医療行為が必要になるからな」
答えながら、練習を中断。
クローフは口に咥えた煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「あなたは、素晴しい人ですね。いつも、人の命を救うために動いている」
「そうでもない。その分、多く殺してもきた。救った人間と殺した人間の数では、まだ釣り合いが取れないくらいだ」
クローフは遠い目をして答えた。
「そう……なのですか」
どう答えていいのか解からず、エルネストは顔を俯けた。
「そんな事より、少し聞きたい事がある」
話題をそらすようにクローフが言う。
「はい。何でしょう?」
「この修復魔法は人間には効き辛い気がするんだが、気のせいか?」
クローフが何度か修復魔法を使った感じでは、練習用の木材と人体では修復率が違う気がした。
木材は折れた場所すらわからないくらい綺麗に直るのに、人の怪我などは時間をかけて修復しても完全には治らないのだ。
それが通常の事なのか、自分特有の現象なのかを知りたかった。
「いえ、気のせいではないです。基本、生物に対しては効き目が薄い傾向にあります。個人差はありますけれど。何故なのかはわかりませんが」
「やはりそうか。なら、その理由の答えは用意できそうだ。生物が修復し辛いのは、鉄を体に含んでいるからだろう」
「え? 鉄を?」
思わぬ答えにエルネストは驚いた。
「生物の血中には鉄分が多く含まれている。だから修復魔法が浸透しにくいと思うんだが……」
クローフは視線をエルネストへ向けた。
「そうなのですか? 知りませんでした」
「まぁ、この世界の医療水準ではわからない事かもしれない。俺も魔法に関しては素人だ。正解とはかぎらないが……。この世界においての修復魔法が生物に効き辛い事に対する見解は?」
「いくつかの説はありますけど、定かなものはありません。私は、生物が特別……具体的に言えば、魂の有無によって変わるという説を支持しています」
クローフはエルネストから視線を外した。
「生物も物質には違いない」
「あなたがそう言うのなら、そうなのかもしれませんね」
エルネストは素直に頷いた。
信頼されたもんだな。と、クローフは心中で呟いた。
「魔法で鉄を直す方法はないのか?」
「鉄そのものに作用を及ぼす事は不可能です。できて、付与するくらい。それも長い年月をかけなければできません」
クローフの言わんとする事を察して、エルネストは返す。
二人の間に沈黙が下りた。
「見ていられませんものね」
ぽつりとエルネストは呟く。
「だが、俺には何もできやしない」
自分にカオルコを助ける事はできない。
AKが直せれば、彼女を慰められたかもしれない。だが、それができない以上、彼女は自力で乗り越えなければならないのだ。
クローフにはその様を見守る事しかできない。
クローフは、この世界に来た時から親代わりとしてカオルコを見てきた。
いなくなってしまった親友の代わりに、彼女を助けたいと思っていた。
だが、どんな言葉も彼女を慰められないだろう。それほどにあのAKは掛け替えのないものであり、それを失った傷は深いのだ。
「ビヤンコ……。お前ならどうする?」
その答えを求めて、クローフは亡き友人の名を呟いた。




