十三話 教皇狙撃作戦 後編
切迫したクローフの声。
その声でカオルコはティラーから逃げるように視線を外し、広場の方へ狙いを移した。
広場ではアレニアが群集を飛び越え、囚人の縛られる杭の前に着地するところだった。
やはりあの機動力は戦闘班に欲しい、と思いながらカオルコはその様を見やる。
群集が驚く中、アレニアは囚人の拘束を解こうとナイフで縄を切り始めた。
そんな彼女の背後より執行者が剣を振り上げながら近付いてくる。
カオルコはその執行者へ狙いをつけて撃とうとする。
が、行動に移る寸前「「おおりゃああぁっ!」」という大音声が通信装置から聞こえ、驚いてトリガーから手を離した。
広場を映すスコープから、アレニアを狙う執行者に後ろからラリアットを仕掛けるクローフの姿が見えた。
その威力は凄まじく、執行者は前方に一回転して地に伏せると、そのまま失神して動かなくなった。
その様子を見て、カオルコは「筋肉おばけ」と呟いた。
「「アレニア、拘束されていない囚人を乗せてやってくれ。他の拘束は俺が解く」」
通信装置から声が漏れ、アレニアの「「わかりました」」という声も小さく聞こえた。
その言葉通り、アレニアは甲虫の如き下半身の背にぐったりと力のない囚人達を乗せていき、クローフは昔から愛用する自前のナイフを取り出して囚人の縄を解き始めた。
見ている場合ではないな。と思い、カオルコも援護を始める。
銃弾は弾倉に詰めた五発と予備の五発、計十発のみである。カオルコはそれを撃ち尽くしてから、脱出を図る事にした。
互いに作業に専念するクローフとアレニアへ、兵士達が集まってくる。
そんな兵士達をカオルコは狙撃していく。
ティラーを相手にするのとは違い、銃弾は反れずに次々と命中した。
その援護の甲斐もあって、目標の救出は銃弾が撃ち尽される前に完了した。
「「こちらは完了した。後は逃げるだけだ。そっちも逃げろ」」
クローフが言い、カオルコは残りの銃弾を消費しながら「わかった」と返事をする。
最後の一発を残し、壇上へと狙いを付けるが、そこにもうティラーの姿はなかった。
アレニアは五人の囚人を背に乗せながら襲撃した時と同じく群集を飛び越えて路地の中へ入り込み、クローフは人ごみを掻き分けながら同じ道へと逃げていく。
二人が広場から脱出した事を確認すると、カオルコは最後の銃弾で兵士の眉間を打ち抜いた。
空になったモシンナガンをベルトで左肩に背負う。
AKを手に取り、屋上の淵に予め備えてあったロープを垂らして路地に下りる。
追っ手となった兵士の影はそこにない。
予定していた逃走経路を走り出す。
いつ兵士と鉢合ってもいいよう、AKを構えたまま入り組んだ道を行った。
しばらく走ったが、兵士と出会う気配は無い。
その段階になると、ティラーがこちらを認めていたかどうか、はなはだ怪しく思えてくる。
もしあの時こちらに気付いていたのであれば、今頃はこの付近へ兵を配していてもおかしくない。
それがないという事は、やはりあれは思い過ごしであろうか?
思いつつカオルコは黙々と走る。
そのようにカオルコが警戒を解こうとした時だった。
カオルコは駆ける足を止めた。
「「カオルコ。兵士の動きが妙だ。こちらを追う兵士の数が少ない。そちらに行ったかもしれん。待ち伏せに気をつけろ」」
と、クローフの声が通信装置を介して注意を促した。
そんな彼に対し、カオルコは小さく苦笑と共に言葉を返す。
「どうやら、その忠告は遅かったらしい」
「「何だと?」」
クローフの聞き返す声を耳にしながら、カオルコは前方に陣を敷いて待ち構える複数の兵士を認めていた。
一様にフルプレートで身を固めた彼らは、教団に殲滅兵の名で知られる兵士達だった。
カオルコはクローフに言葉を返さず、前方の殲滅兵達へ向けてAKを構えた。
カオルコの後方、来た道の途中には横道がある。
そちらに逃げようか? カオルコが逡巡した時、殲滅兵の陣が割れ、一人の男がカオルコの前へ姿を現した。
男もまたフルプレートで身を固めていたが、彼の着るそれは他の殲滅兵とは規格外のものだった。
何かしらの意匠が施されているわけでもなく、巨躯に合わせて作られたフルプレートは大きく、ただでさえ重い鎧の上からいくつもの盾のような鉄の装甲が重ねられていた。
右手には剣を持っている。が、その剣は大きく、柄と刃渡りの規模から見てどうやら本来片手で持てる代物ではない。
左手は無手であるが、甲の部分は例によって装甲が張られていた。
円形の形状から、まさしく盾と同じ要領で使うのだろうと解かる。
偏執的なまでの重装甲であったが、ただ兜だけはなかった。
厳しく生真面目な面差しは明らかになっていて、険しい眼光はカオルコを厳しく射抜いている。
総重量にしても並ならぬ様子。
が、男の動作に不自然さはない。まるで布の服を纏うように軽々とした所作である。
男はカオルコに名乗りを上げる。
「我は、殲滅兵団々長オルクルス・フェイトである」
オルクルスと名乗った男はその重量の片鱗すら見せぬ軽い動作で、剣の切っ先をカオルコへ向けると、次いで敵意と裂帛を以ってしてさらなる大音声を発する。
「娘、教皇様を暗殺せしめんと企てた魔女は貴様であろう。無事に逃げ果せると思わぬ事だ。教皇様の目は神の目、決して魔女は逃さぬ。逃げ道はもうないぞ!」
逃げ道は全て塞がれた、か。
なら、戻って横道へ逃げても無駄だろう。
思いながら、カオルコはオルクルスの言に返答を用いず、黙って銃口の狙いをオルクルスに向けた。
オルクルスは彼女が戦おうとしている事に笑みを浮べた。
カオルコと同じく、その場で剣を構えた。
男の構えは、左手の盾を胸の辺りに配し、剣を持った右手は盾の内に、剣より伸びる刃は正中線にそって立てるという奇怪な構えであった。
「魔女の小娘よ。その咎首、我が剣にて晒せい……っ!」
オルクルスは静かに告げると、カオルコに向けて突進した。
カオルコもトリガーを引く。
発射される弾丸はオルクルスの頭部へ向けて迫る。
しかし、オルクルスは立てた剣を返し、射に構えた刀身の側面で銃弾を防いだ。
防がれた銃弾は跳弾し、路地の壁や地面の石畳に当たってひしゃげた。
「「おい、どうした! カオルコ!」」
銃撃の音を聞きつけたクローフが、通信装置ごしに叫ぶ。
答える余裕はなく「くっ……」とカオルコは呻いた。
カオルコは次に胴体を狙って銃撃する。
しかし、それもオルクルスには効かなかった。
銃弾は鎧に弾かれて同じく跳弾する。
アサルトライフルの銃弾には、全身を固めたフルプレートであっても貫通するだけの威力がある。
しかし、オルクルスの場合は状況が違った。
正面から直撃すれば如何にオルクルスの鎧が強固でも貫通させられるだろうが、頭部を含む正中線をカバーするように正眼に構えられた剣はそれを許さない。
とはいえ、丸みを帯びた胴回り、追加された盾のような装甲に当てても跳弾、もしくは貫通に至らないのだ。
効かないと理解しつつも、カオルコは銃撃を続けた。
しかし、ついにオルクルスはカオルコの眼前へ迫り、左から右にかけてカオルコの首を薙いだ。
刃がビュウと空を裂きながら迫る。
「「カオルコっ! くっ、アレニ……」」
通信機から聞こえていた声が、そこで途切れた。
鮮血と共に、銅製の棒が折れ曲がった。
通信装置が宙を舞う。
カオルコは膝を折り、顔を背け、頬には一筋の切り傷が走っていた。
オルクルスの剣をカオルコはわざと体勢を崩して回避したのだ。
しかし完全には避けきれず、剣はカオルコの頬を通信装置の棒ごと弾き飛ばしながら閃き、切っ先で頬の肉を浅く斬り付けながら通り過ぎていた。
仕留めそこなったと悟るや否や、オルクルスは振り払った剣を、さきほどとは逆に右から左へ、袈裟に斬りつける。
カオルコは後ろへ飛び退いて回避。
無理な体勢で後ろに飛び、着地もままならず地へと転がった。
立ち上がる事もできていない彼女に、オルクルスは容赦なく斬りかかる。
カオルコも迎撃しようとAKをオルクルスへ向けた。
だが、先に行動していたオルクルスがわずかに機先を制する。
カオルコがトリガーを引く前に、オルクルスの剣は振り下ろされた。
ギャインという金属の激しい音が路地へ響いた。
「ぐっ」
カオルコの口から呻きが漏れる。
しかし、振り下ろされた刃が斬り折ったのはカオルコの頭骨ではなかった。
反撃に転じようと相手へ向けたのが幸いし、オルクルスの剣はAKの銃身を斬りつける形になって止まっていた。
分厚い刀身に斬り付けられたAKの銃身は、ハンドガードの中寄りからくの字に折れ曲り、銃としての要を成さなくなっていた。
「あ……」
カオルコの顔が、一瞬だけ苦悶にも似た表情を作る。
が、カオルコはその表情をすぐに消し、オルクルスを睨みつけた。
その視線の先で、オルクルスは間髪入れず斬りつけようと、体を捻っていた。
その動作には剣のもち手と反対に体を捻り、体を戻す反動と腕力でカオルコの首を切り離そうという意図が見て取れた。
野球におけるバットのフルスイングと同じ要領だ。
今度こそ、最後か……。
カオルコは、今まさに自らの命を断ち切られんとする間際、一度折れたAKを見やった。
こいつと一緒に死ぬのなら、それは私の運命だったのかもしれない。
思い、カオルコは瞳を閉じた。
しかし、彼女を死に至らしめるはずの斬撃は、金属と金属のぶつかり合う音に取って代わった。
驚きに瞳を開けるカオルコ。そんな彼女に、聞きなれた声がかけられる。
「無事か! カオルコ!」
見上げると、彼女の前には大柄の男がいた。
肩越しにこちらへ目を向けるそれは、クローフの髭に覆われた顔だった。
彼は両手でナイフを強く握り、ナイフの刃でオルクルスの剣を受け止めていた。
後ろへ飛び退いたカオルコは、後方にあった横道の前にいた。
その横道から走ってきていたクローフは、カオルコの窮地を察知するとナイフを抜き放ってオルクルスとカオルコの間へ割り込んだ。
そして、横薙ぎに振るわれたオルクルスの剣へと自分のナイフを打ち付けたのだ。
「ドクター、どうして?」
ここにいる事に驚き、カオルコは問い掛ける。
が、答える余裕のないクローフは「それは後だ」と返した。
しばしの鍔迫り合いを経て、クローフはオルクルスの刃を腕力だけで弾き返す。
オルクルスは単純な力比べで負けた事に驚きながらも、クローフから距離を取って剣を構え直す。
その際、刀身についた刃こぼれを見つけて、眉根を寄せた。
「驚いたぞ。かような小さき剣に我が剛剣が負けるとは……。それは鉄ではないのか?」
「カーボンスチールだ」
「よくわからぬが面白い。お前とは楽しみ甲斐のある戦いができそうだ」
笑い、言うや否や、オルクルスはクローフへ向けて斬り込んだ。
クローフはそれをナイフで受けず、剣を握るオルクルスの右手首へ左手刀を当てて掴む。
腕を取られ、戸惑うオルクルス。
その戸惑いの内に、クローフは右足でオルクルスの左膝を蹴りつけ、ナイフを握った右拳でその顔を押し込むように打ちすえた。
鉄拳と称して過言ではない硬く重い一撃を顔の中心に受け、拳に潰されたオルクルスの鼻からブバッと鼻血が噴き出し、顔が仰け反る。
足を蹴られ、頭を打ちのめされ、オルクルスは仰向けに倒れそうになった。
しかし、オルクルスは倒れるものか、と四肢に力を込めて踏ん張る。
背に力を入れ、仰け反りそうになる頭を前へ戻そうとする。
だが、それを感じ取ったクローフは逆に、前へ重心を移動しようとする彼の動きを利用した。
掴んでいる腕を引き、逆に体勢を崩させる。
そして、前のめりになって下がった顔を膝で蹴り上げた。
「ぐぬ」とオルクルスは苦痛に声を上げ、後ろによろめく。
そんな彼の頭を掴み、足を絡めてクローフは投げ倒した。
オルクルスは受身もとれずに、その場で仰向けに倒れる。
その一連の攻防が、一瞬の内に行われた。
技をかけられたオルクルスにも、何が起こったのか、途中から判然とはしない。
気付けば、自身は石畳の上にうつ伏せとなっていた。
それが軍用格闘術であると、理解しているのはクローフとカオルコだけであった。
「俺はごめんこうむる」
クローフは先ほどのオルクルスへの返答をしながら、彼の顔へナイフの刃を突きつけた。
そして、オルクルスの後ろに控える殲滅兵達に「動くなよ!」と声をかけた。
殲滅兵達は一瞬進み出ようとしたが、クローフの声に体を硬直させる。
「虜囚の恥は晒さん。殺せ!」
オルクルスは叫ぶ。
そんな彼の様子に、クローフは溜息を吐いた。
そして彼はオルクルスに言葉を返さず、カオルコへ声をかける。
「退路は開いておいた。そっちから逃げるぞ」
クローフが言うと、カオルコは立ち上がって頷いた。
そして、クローフの来た横道へ走り出した。
「俺は軍人でも騎士でもない。命を救うのが俺の仕事だ」
言い置くと、クローフはあてがっていたナイフを外してカオルコの逃げた道へと走り出した。
「くそ……」
そんなクローフの背を目で追いながら、オルクルスは悔しげに悪態を吐いた。
その後、殲滅兵の追手を迎撃しながら三人は逃げた。
結果、三人は無事に逃げ果せる事ができた。
帰りの道中、カオルコは折れ曲がったAKを抱き締めていた。
無表情を作りながら、しかし悲しみを滲ませて……。
そして魔法班と合流してアジトへ帰り、別働部隊の作戦成功を知るのだった。




