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鉄火の魔女王  作者: 8D
鉄火の魔女王編
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十二話 教皇狙撃作戦 前編

 カシムは礼儀正しく、物腰の柔らかい生真面目な男だった。


 心は強く、冷静沈着で、どのような窮地であろうと余裕を失わない。

 悪態を吐く事も嘆く事もなく、仲間を労わる事ができる人。

 そして何より、優しい人間だった。


「私の生まれた国では、子供であろうともジハドを戦う者は神聖なる兵士であり、そこに隔たりはないのです」


 かつて、彼は幼いカオルコにそう語った。

 あれは見張り番で一緒になった時だ。


 見張り台の上で夕陽を望みながら、カオルコは彼に問い掛けた。

 カシムは彼女を唯一子供扱いしない大人だった。

 だからカオルコは不思議に思い、それは何故かと訊ねたのだ。


「ジハド?」


 聞きなれない単語に、カオルコは首を傾げて訊ね返した。

 するとカシムは――


「聖戦の事です」


 と表情をほころばせて答えた。


「私達の戦いは聖戦なの?」


 その頃のカオルコは戦いに意味を見出していなかった。


 どうして戦うのかわからず、ただ戦う事が日常であったから、当然のように戦っていた。

 そこには大儀もなければ、信仰もなかった。

 だから、彼女はそう訊ね返した。

 それを聞いて、カシムは優しく諭す。


「神の名の下でなくとも、祖国のためでなくとも、人々を苦痛から解放し、正しさを貫くための戦いであるのなら、それはジハドなのです」

「そうなんだ。じゃあ、私達は正しい事をしているんだ」


 カオルコは屈託なく笑い、瞳を輝かせた。

 そんな無邪気な様子にカシムは笑みを深め、夕陽の光を弾いて艶めく黒髪を愛おしげに撫でた。


「ええ。きっと私達は、死ねば聖櫃へと召されるのでしょう」


 撫でられてくすぐったそうにするカオルコに、カシムは言った。

 撫でる手を離し、その手を名残惜しげに見やったカオルコの目に映ったのは、沈む夕陽に目をやるカシムの立ち姿。


 半身を朱に染め、AKを手にするその姿は剣を持つ勇者のようだった。




「「カオルコ……、おい、カオルコ」」


 耳にはめ込んだ小石から発せられる声に、カオルコは目を覚ました。


 小石からはインカムのように銅製の湾曲した棒が頬から顎に沿い、先端に固定した小石を口元まで伸ばしていた。


 それは魔法を応用した通信器具である。


 二種類の魔石に受信と送信の役割を持つ魔法使いが力を送り、エルネストが大まかな制御をして成しえた新しい通信手段である。

 魔法を使う魔女達自身は、街から遠く離れた平原に身を潜めて作業している。


 時間か……。


 懐かしい夢を見た。

 カオルコは、懐かしさから口元をかすかに綻ばせる。


「「時間だ。起きろ」」


 小石から聞こえるクローフの声。

 対してカオルコは「起きた」と返す。


 ここはアルカ国の首都、ボマス。

 カオルコは家屋の屋上にいた。

 四角く平らな屋上の縁に背を預け、AKを抱いて座り込んでいる。


 目を覚ました彼女はAKを傍らに置き、代わりに置いてあった狙撃銃を取った。

 屋上の縁に銃身を乗せ、スコープ越しにある場所へと視線を向ける。

 眺めた先には広場があり、そこには民衆が輪を作るように集っていた。


 人の輪の中心には五本の杭が立っている。

 その用途は魔女を火あぶりにするためのものだ。

 魔女とされた者を杭に縛りつけ、薪をくべて燃やすためのものだ。


 そこから北西にスコープをずらすと、赤い絨毯に覆われた壇があった。

 絨毯には教会の紋章である十字架がデザインされている。

 壇上には、三つほどの椅子が置かれていた。

 まだ、そこに座る予定の者は来ていない。


「「人が集まり始めた。そろそろだろう」」

「ああ」


 クローフの声にカオルコは返した。


 広場は街の中心にあった。

 その広場のすぐ後ろには、大きな城が望める。

 そしてその左横にはその城と負けず劣らずの教会がそびえていた。

 カオルコがこの街に訪れたのは、ある目的のためである。


 その目的とは、ビルリィ教最高教主、教皇ティラー・リスリングの暗殺だった。


 定期的に行われる魔女の火刑に際し、ティラーは必ず火あぶりの模様を視察する。

 因習として教皇に義務付けられる事であるのかは知らないが、仲間の魔女から得た情報によればそれはずっと前から続くティラーの習慣であるらしい。

 それを聞いてからカオルコは、この暗殺計画を画策していた。

 今日がその決行日なのだ。


 同時にカオルコはもう一つの作戦を実行に移していた。

 それはカオルコ不在での戦闘班による裁定場襲撃作戦である。


 今まではカオルコという優れた指揮官に導かれて襲撃は行われていたが、それでは部隊を分ける事もできず、挟み撃ちや二面作戦などの柔軟な作戦を実行する事ができない。

 何より、一個人に頼る今のやり方ではいずれ綻びがでる。

 カオルコが死ぬような事があれば、組織自体が瓦解する恐れもあった。


 その懸念を解消するには、少なくとも魔女達がカオルコ無しで自立して戦えるようになる必要があった。

 今回の二面作戦は、戦闘班を単独で運用できるようになるかという実験的なものだ。

 恐らく今頃、魔女達によって裁定場への襲撃が行われている事だろう。

 不安は多々あるが、これを乗り越えられなければ、彼女達に自由を勝ち取る事はできない。

 ちなみに、ウーノもそちらの人員に組み込んでいる。



 対して、こちらの作戦概要は一言にすれば狙撃による暗殺。

 カオルコの陣取る屋上から広場までは、直線的な距離にして三百メートルそこそこあり、ティラーが座る予定にある壇の上の椅子が狙い撃てる場所だ。


 街の中心となる広場からは、大通りが四方八方に延びていて、そこからさらに細やかな路地が入り組み走っている。

 上空から見れば、さながら蜘蛛の巣を思わせる様相であろう。


 縁起がいいかもな。とカオルコは思った。


 巣の上ならば、蜘蛛は一番動きやすいだろう。


 カオルコのいる場所まで伸びる直線的な道はなく、狙撃を見破られる事はないと思うが気付かれてもすぐに駆けつけられる心配は無い。

 狙撃の後、カオルコはすぐに撤収する予定だ。

 逃走経路も事前に確認している。


 今ここにいないクローフは、広場に面した路地の中に身を寄せていた。

 カオルコがスコープで探すと路地の暗がりの中に光る赤が見て取れた。

 クローフの銜える煙草の炎である。


 彼は町人に溶け込むよう、教徒用の麻布のローブを羽織っていた。

 フードを目深に被っていて、その下にはカオルコが付けるのと同じ通信魔法のための器具が付けられている事だろう。


 彼の後ろ、路地の少し奥には引き摺るほどに裾の長いローブを着た女性がいた。

 アレニアである。

 彼らがそこに陣取るのは、火刑に処される魔女を救出するためだった。

 カオルコが狙撃し、混乱の最中に彼らが助け出す予定なのだ。


 カオルコは再び、ティラーが座るであろう椅子へスコープを向けた。

 その時の事を心の中で綿密にシミュレートする。

 専用のライフルで、長距離の狙撃をするのは初めてだった。

 だから、彼女は緊張していた。

 成功させられるだろうか? と珍しく弱気になる。


「もう少し、スコープから顔を離せ……」


 囁くくらいの小さな声がぼそりと言って、彼女の額が男のものにしては細い手に軽く押される。

 カオルコはされるがままに顔を引いた。


「グリップを握る手が固い……。力みすぎると撃つ時に震えるかもしれない」


 緊張を解すように、カオルコのグリップを握る手に彼の手が触れた。

 カオルコは彼の言う通りに握る力を弱めた。

 すると、彼は「それでいい……」と言い残した。

 同時に、彼の気配が消える。


「ありがとう。バルサム」


 カオルコは振り向く事もせず、礼を言った。

 それが例の幻覚であろう事はわかっていた。

 が、幻覚と幻聴は日常的に見えるものとなり、今やカオルコはもう驚く素振りもなかった。

 むしろ今は、仲間と再び会えた気がして嬉しいとすら思っていた。


「「バルサム? あいつがどうかしたのか?」」


 クローフの不思議そうな問いが向けられる。

 カオルコは「なんでもない」と返した。


 バルサムはビヤンコの部隊で狙撃兵をしていた男だ。

 寡黙な男で、いつも一人でいる事が多かった。

 それでも面倒見はよく、カオルコと二人きりになった時、カオルコが退屈そうにしていると無理をして話題を探し、話しかけてくれたりした。

 御世辞にも話は面白くなかったが、無口な彼が自分のために気遣いをしてくれる事が嬉しかったのを覚えている。


「「バルサム、か。そういえば、あいつもモシンナガンを使っていたな」」


 クローフは懐かしむ声で言う。

 モシンナガンは、今カオルコが持っているライフルの種類である。

 総弾数5発のボルトアクション式ライフルで、高い精度を誇るために狙撃銃としては高級な銃だった。


「バルサムが、一番使いやすいと言っていたからな。私は狙撃が得意じゃない。だから、少しでも性能のいい銃を使おうと思った」

「「俺はてっきり、ドラグノフでも使うと思っていたがな」」

「あれはやめなさい。ってバルサムに言われた」


 ドラグノフはAKから派生した狙撃銃だ。

 ボルトアクションではなく、連射のできる銃ではあるが、その分精度が低く狙撃銃としては心許無い。


 得意ではないにして、それでも狙撃を選んだのにはわけがある。


 まず一つに単独で決行するには狙撃が一番現実的な手段であるから。


 もう一つは、狙撃対象以外の被害を出さないで済む可能性が高いからだ。


 人の多い場所でアサルトライフルの掃射をすれば民間人にも被害が出る。

 魔女達が被害を与えるのは、自分達に危害を加えるビルリィ教徒のみ。

 という認識を民間人に与えるための手段である。

 そうすれば、ビルリィに加担する人間を減らせる。

 言い方は悪いが、要はプロパガンダだ。


 狙撃の確実性を高めるため、カオルコはモシンナガン以外にもこだわっていた。

 モシンナガンの銃弾には鉄のコーティングを施したフルメタルジャケット弾を使用している。これはエルネストの話を聞いて考えついた案だ。


 ビルリィもまた魔力による術を使うのであれば、鉄以外の金属であると魔力の干渉を受ける可能性があった。

 それを防ぐため、魔力を弾く性質のある鉄をコーティングしたのだ。


「「カオルコ」」


 クローフは吸いかけの煙草を路面に捨て、何を言うでもなく名を呼ぶ。

 スコープを覗いていたカオルコはその意図を把握していた。

 広場へと五人の女性が連行されてきていたのだ。


「わかってる」と答え、カオルコはスコープを壇上へと向けた。


 そこに、一人の男がゆっくりと上り出る。

 その男は純白のローブの上から幾重にも布を重ね着ていた。

 彼こそが標的のティラー・リスリングに間違いなかった。

 他の黒い修道服の教徒達の中にいて、その純白はとても良い目印になる。


 そしてもう一つ、わかりやすく目標を判別できる特徴があった。

 彼の左目には眼球がなく、代わりに赤い宝石がはめ込まれていた。

 彼が壇上に上ると、他に二人の司祭が上り出た。

 その要人達が出揃った壇上を死守せんと、全身をプレートメイルに固めた兵士が周りを囲っている。


 しかし兵士は壇の下に配されているため、狙撃の邪魔にはならない。


 カオルコはボルトハンドルを操作し、射撃の準備を整える。

 狙撃するタイミングは彼が椅子に座り、囚人が出揃った時。

 一番いいのは、囚人が杭に括られる前に狙撃のチャンスが巡ってくる事だ。


 今、囚人は出揃っているが、ティラーはまだ座っていない。

 着々と、囚人達を杭に括りつける作業が進んでいく。

 今、二人目が杭にくくられようとしていた。

 全員が杭へ括られてしまうと救出の際に、クローフの負担となる。

 できるなら、今のタイミングで撃ちたかったが適わなかった。

 どちらにしろこのままではクローフに負担を強いる形になりそうだった。

 カオルコは待ち遠しそうにスコープでティラーの頭部を狙い追いながら、そのタイミングを計り続ける。


 執行者が、三人目を杭へ縛りつけようとしていた。

 その頃になってようやく、ティラーは椅子に座った。

 カオルコは射撃体勢に入る。


「この風では流される……。スコープの中心から五ミリほど左、やや上方に狙え……」


 バルサムの声が聞こえ、カオルコはその通りに狙いを付けた。

 後は、トリガーの指に力を込めるだけである。


 ティラーは火刑の準備を粛々とした面持ちで眺めていた。

 微動もする気配はない。

 カオルコは、トリガーを引き絞った。

 狙撃銃のトリガーはとても軽く、容易く引き絞られた。


 ボルトアクションの反動が手に伝わり、銃声が空に木霊した。


 銃弾は幻聴の指摘どおり風に流されつつも、導かれるが如くティラーの頭部へと飛来する。

 銃声を聞きつけてか、ティラーはそれと同時に銃弾の来る方へ顔を向けた。

 高速回転し、螺旋の道筋を中空へ描きながら、ライフル弾はティラーの額へと迫った。


 その瞬間、銃弾は不自然な角度に反れ、ティラーの額の左側を掠めて飛んでいった。

 銃弾が肉をわずかに削ぎ、鮮血が飛ぶ。


 が、その命を潰えさせるには到らなかった。

 ティラーの無事を認め、作戦の失敗に気付くと、カオルコとクローフは場所を違えながらも同時に表情を顰めた。


 外れた……?


 カオルコは驚愕を胸の内に秘め、ボルトハンドルを操作して次の射撃に挑もうとする。

 薬莢が排出され、次弾が装填されるや否や再び狙いをティラーへ付けた。


 そこで、更なる驚愕が彼女の心を占めた。


 狙いを付けるのと同時に、ティラーと視線が合った。


 さながら、カオルコの存在を知覚しているかのように、彼はこちらへとまっすぐ視線を向けていた。


 その視線に怖じる様子は無い。


 ただ、そこにあるものを見るだけという風情で、ティラーはこちらへ視線を向けていた。

 今の銃撃で、狙撃地点を割り出したとでもいうのだろうか?

 それとも、別の要素が……?


 動揺から、カオルコのトリガーを握る指が震えた。

 スコープ越しに交わされた視線が外せなくなる。

 その時だった。


「「カオルコ! 援護を頼む!」」


  クローフの切迫した声が耳の魔石から聞こえた。

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