十話 夢と幸運
アジト内の一角に数名の魔女が集まっていた。
彼女達は一様に、一本の木の枝に向けて両手をかざしている。
木の枝は種類も形も太さすら違う物だったが、そのどれもが半ばからぽっきりと折れていた。
そんな彼女達をエルネストが監督するように立って見渡している。
「できました」
しばらくすると、そんな声が各所から順々に上がる。
声をあげて木の枝を掲げる魔女達。
その手にある枝は、先程まで折れていたはずなのに今は折れた跡すら残らず復元されていた。
これは簡単な修復魔法の練習である。
エルネストの見守る魔女達の中に、一人だけ男性がいた。
クローフだ。
「できた」
クローフが元通りになった木の枝を掲げる。
彼のそばにエルネストが近付き、枝を検めた。
「いいですね。クローフさん、才能がありますよ」
エルネストは笑顔で言った。
「そうか、そりゃ嬉しいな」
クローフも言葉通り、嬉しそうな顔で応じる。
「でも、俺の魔力は少ないと前に言っていなかったか?」
「少ないですけど、意思の伝え方が上手です」
「意思?」
「私達の世界の魔法は、魔力に自分の意思を伝える事で発生するものなんです」
「そうなのか」
「あなたの魔力運用には無駄がありません。必要な意思だけを伝えて、最適な効果発生を促している。魔力総量の少なさを十分に補える技能です」
クローフは自分の手を見た。
魔力をうまく使えるという実感はない。
ただ、教えられた通りにしただけだ。
特別な事をしていないのだから、エルネストの言葉でも疑わしく思ってしまうくらいだ。
でも、才能の云々はともかくとして、魔法というものは素晴しい。
教えられた修復魔法は、人体のみならず壊れた物を修復するタイプのものらしい。
医療のみならず、様々な分野で活用のできるものだ。
応用力が高いから魔女達の必須技能として、育成カリキュラムに盛り込むのも悪くない。
カオルコに後で提案してみよう、と思った。
魔法の訓練が終わると、クローフは診療所へ向かった。
診療所には、戦闘や裁定場での拷問などで怪我をした患者達が溢れている。
ここにいるのは、身体の欠損した者ばかりだ。
修復魔法でも、失われた欠損部位を治す事はできないのである。
修復魔法が得意な者がいればそれもできるかもしれないが、エルネストを始め、修復魔法に長けた者がアジトにはいなかった。
それでも、少しずつ修復魔法をかける事で、治るかもしれない。
クローフは魔法の可能性を信じ、あきらめず根気よく治療していく方針をとっていた。
ただ、患者は外傷によって入院している者ばかりではない。
外傷よりも深い傷を心に負った人間も少なくないのだ。
修復魔法では心に負った傷を治す事はできない。
心のケアは、魔法ではなく自力でやるしかなかった。
そういう理由もあって、患者はとても多い。
広い診療所にはベッドを多く入れているが、それでも足りないくらいだった。
そんな診療所の中をクローフとアレニア、医療魔女達が駆け回って患者の治療に勤めていた。
アジト内の魔女達は、戦闘班、魔法班、医療班に分かれており、それぞれ区別のために赤、白、緑の腕章をつけている。戦闘班は赤、魔法班は白、医療班は緑である。
クローフの一日は魔法の訓練と患者の診察で過ぎていく。
診療が終わると、夜になっていた。
クローフは診療所の外で手すりに寄り掛かり、星を見上げていた。
口には煙草を銜え、紫煙がゆらゆらと空に伸びる。
「クローフ先生」
そんな彼に声をかける人物がいた。
クローフは振り返り、それが誰かわかって名前を呼ぶ。
「アレニア」
彼女が近付いてくる。
クローフは携帯灰皿に、半分以上残っていた煙草を押し込んだ。
「お疲れ様です」
「みんな、働き者だからな。それほど疲れてはいない。君こそ、疲れていないか?」
「私はいいんです。それよりも私は、先生のお役に立てているかが心配です」
「十分さ」
クローフは笑みを向ける。
笑顔を向けられたアレニアは、恥ずかしそうに俯いた。
「なぁ、君には夢があるか?」
クローフは問い掛ける。
アレニアは顔を上げた。
「夢、ですか?」
訊ね返すアレニア。
クローフは「ああ」と促す。
「そうですね。お姫様抱っこをしてもらう事でしょうか」
「お姫様抱っこ?」
夢と言うにはあまりにも些細な事だったので、クローフは訊ね返した。
「はい。私は重いですから、多分叶わない夢なんです。だから、憧れます」
「なるほど」
アレニアの体重は百キロを軽く超える。
そんな彼女を抱え上げられる人間はあまりいないだろう。
それを踏まえて考えると、確かに夢と言うに相応しいものかもしれない。
「でも、どうしてそんな事を?」
アレニアに問われ、クローフは星空を見上げた。
口を開く。
「ここにいる連中は若い。特にカオルコとウーノは……。俺はあの時分、夢だけを見ているただの子供だった、と思い出してな。夢を見る事は子供にとって当然の権利だ。それが適わないというのが、不憫に思えるんだ」
そう言う彼の声は切ない響きを持っている。
「そうなんですか……」
繊細な人だな。とアレニアは思う。
この人は誰よりも力強い体の中に、人を思いやれる優しい心を持っているのだ。
それはこの数ヶ月、そばで彼を見ていればわかる事だ。
彼女は、そんな優しい彼に心惹かれていた。
アレニアはクローフの横に寄り添った。
さりげなく距離を詰める。
身じろぎもせず、星を見上げ続けるクローフ。
クローフは歪な体を持つ自分に嫌悪を示す素振りもなく、そばにいる事を許してくれる。
それがアレニアには嬉しかった。
「ウーノ。彼女は優秀だな。お前がもう一人いるようだ」
カオルコの自室で、クローフは半分になったチョコレートを齧りながら唐突に言った。
「私の事はともかく、ウーノは優秀だな。もともと物覚えがいいんだろう。銃の扱いもバラし方もすぐに覚えたし」
カオルコも半分のチョコレートを齧りながら答えた。
彼女らの手にするチョコレートは、カオルコ達の世界から持ち込んだ物である。
魔女達の慰労として配られたものだ。
女性というものは甘いものを貪欲な程に摂取したがる生き物であり、チョコレートは魔女達に好評だった。
カオルコもチョコレートが大好きだ。
ちなみに、カオルコは自分の分を当の昔に食らい尽くしており、今貪り食っているのはクローフから半ば強制的に奪い取った物だ。
「だがな、彼女にAKを持たせるのはどうかと思う」
たしなめるように語るクローフの言葉に、上機嫌だったカオルコは表情を一転させ、不機嫌そうにクローフを睨んだ。
カオルコは魔女達にサブマシンガンを携行させている。
それは体力のない女性でも持ち運びしやすいからである。
しかし、ウーノほどに優秀な人間には扱いやすさよりも威力のある銃を使ってもらいたいと思っていた。
現に同じ理由から、各小隊の指揮官にだけはアサルトライフルを携行させていた。
お気に入りの人間にお気に入りの銃を持たせたいという趣味の部分もある。
憮然とする彼女に気付きつつ、クローフははばかる事無く続けた。
「ウーノは優れているが、あの体格ではAKのリコイルに負ける。安定した射撃は望めない」
「私があのくらいの体格の時には、AKで十分に戦えていた」
「それはお前が子供の頃から銃を撃つための技術と体を培ってきたからだ。比べてウーノは体のバランスが極端だ。脚力は常人以上だが、他の筋肉は意図的に削られた節がある」
それは暗殺者として、身を軽くするための措置だった。
ウーノの体は、近付いて喉を切り裂くという端的な動作を突き詰め、特化された体に仕上がっていた。
しかし、それでもウーノが一番と呼ばれるのは、自身の体を上手く使いこなしていたからに他ならない。
本来ならば暗殺が失敗し、戦闘になれば成す術なく死を享受する事しかできないはずのその体。
だが、あらゆる物をすぐさま理解する彼女は、十分に自身の扱いを熟知した上で使いこなしていた。
「AKは丈夫だ。どんな場所でも故障しにくいし、初心者にもメンテナンスは簡単だ」
言うと、カオルコは苛立ちをぶつけるようにチョコレートへかぶりついた。
「あいつなら、すぐにどんな銃のメンテナンスも覚えるだろう。初心者だから、という理由でAKを使わせる意味は無い。性能の話は論外だ。さっき言った通り、体格のせいで引き出せないからな」
「安い!」
買い言葉の如くカオルコが怒鳴る。
「盗って来るんだから関係ないだろ。コストを無視すればもっと見合った銃がある。たとえば、P‐90だ。AKより重量も反動も軽く、取り回しやすい。サイドアームと銃弾の互換性を持たせる事もできる」
するとクローフは筋道立てて説明するのだが――
「あんな玩具みたいなデザインは好みじゃない」
とカオルコは議論の余地もなく反発した。
「ピアッシング弾は貫通力が高いんだがな……。じゃあ、M4カービンは? P‐90よりもさらに軽い」
この話に関しては言っても無駄と悟ったクローフは、別の案を示す。
が――
「父さんは、その原産国が嫌いだったからな。使いたくない」
やはりカオルコに一蹴される。
あまりに話が通じないので、クローフは溜息を吐いた。
「俺もその国の出身なんだが?」
溜息を吐きついでに、そのような事を言う。
「あんたは好きだ」
すると今までの反骨が嘘のように素直な言葉が返され、クローフは年甲斐もなく照れた。
「ありがとう」と礼を返す。
「兎に角、俺はお勧めしないが、お前はAK以外を使わせたくないわけだ。このままでは結論が出ない。なら、当人に選んで貰おうじゃないか」
妥協案とするべくクローフが言い、部屋の隅で座り込んでチョコレートをちゅぱちゅぱと舐め食べていたウーノに二人は目を向けた。
ウーノは注目されている事に気付きながら、それほど気にするでもなく、口元を汚しながらチョコレートを舐め続ける。
「お前はどんな銃が使いたい?」
カオルコが訊ねると、ウーノはチョコレートを口から放した。
しかし放したはいいが、それ以降の言葉が出てこない。
彼女が話を聞いていたのか、カオルコが疑わしく思い始めた頃、やっと口が開かれる。
「カオルコが前に使ってた、ちっちゃいのがいい」
「ちっちゃいの? これか?」
カオルコは腰のホルスターからジェットファイアを抜いてみせる。ウーノは黙って頷く。
「これは予備だ。私が言っているのは、メインの銃なんだが」
「おっきいのは重くて使いにくいからいらない。それだけがいい」
ウーノは「それ」とジェットファイアを指し、なおも主張する。
カオルコは少しだけ逡巡する素振りを見せたが、何かに思い至って仕方ないとばかりに銃口を掴んでグリップ側をウーノへ向けた。
ウーノはカオルコに近付き、ジェットファイアを受け取る。
「ありがと」
ウーノは表情を変えるでもなく、淡々と礼の言葉を述べた。
「いいのか? それは親父さんの形見だろ」
カオルコにクローフは訊ねる。すると――
「こいつには、小娘一人が戦場で生き抜けるだけの幸運が詰まってる。ウーノは優秀だ。生きていてもらいたいじゃないか」
とカオルコは気負ったふうでもなく答えた。
どうして、彼女にそこまでしてやるのか?
カオルコ自身、しっかりと理解しているわけじゃない。
ただ強いて理由をあげるなら、彼女のいたる所が自分に似ているような気がしたからだ。
黒い髪も瞳も、幼くして戦いに身を置く境遇も……。
カオルコは彼女に親近感のような物を懐いていた。
クローフは手渡されたジェットファイアをじっと見る。
やがて目をそらし「大事にしろよ」とただそれだけを告げた。




