九話 敵対勢力分析
ビルリィ教、王都支部の大聖堂。教皇専用礼拝堂にて。
ティラーは己が信じる神への祈りを捧げていた。
「教皇様……」
そんな時、粛々とした空気に満たされた礼拝堂を静かな男の声が震わせる。
囁くようでありながらしっかりと耳に残る不思議な声の主は、礼拝堂内にある影へ身を隠し、姿を現すつもりはないようだった。
「モルドー。何かありましたか?」
突然の呼びかけに驚く事もなく、ティラーは祈りを中断して呼びかけた。
「はい」という肯定の声が返ってきた。
「裁定場の各所に放っていました殺手の一人が、魔女達の中に紛れ込みました」
「ほう」
小さく答え、ティラーは目を細めた。
「では、掴んだのですね? 魔女の巣を」
確信をもって訊ね返すティラーであったが、返ってきた言葉は否であった。
「いいえ。その殺手が消息を断ちました。恐らく、消されたものと思われます」
「つまり、結果は出ていないのですね? では、何故報告に来たのです?」
責めるでもなく、ティラーは純粋にその意図を量るために問うた。
モルドーは、そのような無駄な報告をするために訪れる者ではない。
ここに訪れる時は、必ず成果を持って現れる男だった。
だからこそ、今ここに訪れた事が気になった。
「ただ、忠言を……」
「忠言?」
「はい。その殺手は暗殺衆で最も優秀な者。その者を難なく屠り去る相手、侮ってはなりませぬ」
「なるほど。わかりました。心に留め置きましょう」
ティラーが答えると、モルドーの気配が礼拝堂から消えた。
「大丈夫だと思いますよ」
と、すぐさま少女の声が答えた。
ティラーが声の方に目を向けるとフォリオが柱に身を任せて座っていた。
彼女の言葉は、先ほどの忠言に対してのものだった。
「何故だね?」
ティラーが訊ねると、フォリオは楽しげに答える。
「学者として楽観はできませんけど。それでも、あなたにはその目と聖鎧があります。あれを破る方法というものが、学者として考えつかない」
フォリオの答えに、ティラーは柔和な笑みを返した。
「なるほど。あなたが言うならば心強い」
「さて、ここに集まってもらったのは、そろそろ第一目的が達成できたんじゃないか、と思ったからだ」
カオルコの自室。そこでカオルコは、部屋に集まった面々へと告げた。
集まっているのは、クローフとエルネスト、そしてウーノだ。
三人は用意された椅子に座り、カオルコは三人と向かい合う形で立っていた。
カオルコの背後には、前回の裁定場襲撃計画のブリーフィングに使ったホワイトボードが図面と文字を消されずに置かれていた。
おもむろに、エルネストが手を上げた。発言する。
「あの、第一目的とは何でしょう?」
「魔女の育成だ」
カオルコは答える。
「育成、ですか?」
「私達の最終目的はビルリィの殲滅だろ?」
「殲滅?」
エルネストは驚いた声をあげる。
「そこまでしなくとも、私達は自分の安全を確保できれば……」
「根元を断たなくちゃ、安全なんて手に入らない」
カオルコに言われ、一理あるとエルネストは黙り込む。
その様子を見て、カオルコは続ける。
「でも、それをするには力も数も足りない。数はどうにもならないが、力はまだ何とかなる。だから最初に、魔女の戦力を底上げする事にしたんだ」
「それが、第一目的……。じゃあ、第二目的は?」
「ビルリィ教幹部の排除、だな」
カオルコの代わりにクローフが答えた。
カオルコは首肯によって答える。
やり取りを見たエルネストは、自分達の活動が本格的な攻勢へ向かう事を悟って息を呑んだ。
「だから、その作戦を考えるために集まってもらった」
言いながら、カオルコはホワイトボードを叩いた。
ボードが反転し、裏にあった物が見える。
ボードには四枚の写真がマグネットで横並びに貼られていた。
「これは、ウーノに撮ってきてもらった教団幹部の写真だ」
写真はそれぞれ、右目に宝石をはめた男性、髭面の男性、幼い少女、険しい顔つきの老人を写したものだった。
「差し当たって、こいつらを標的にする。ウーノ、こいつらの事で知ってる限りを話せ」
「うん、わかった」
ウーノはカオルコに返事をする。
「これがティラー」
右目が宝石の男性を指差して、ウーノは言った。
「ビルリィ教で一番偉い人。会った事がないから、どんな人かは知らない。神様が好き」
ウーノは言い終わると、黙ってカオルコに顔を向けた。
「それだけ?」
あまりにも漠然とした淡白な説明にカオルコは聞き返した。
ウーノは黙って頷く。
「……誰が何をするか、それを決めてるのはこの人」
「つまり最高権力者だな。……じゃあ、次だ」
これ以上、情報は出ないと判断して次を促す。
「オルクルス。殲滅兵団の団長。一度手合わせさせられた。強かった」
ウーノは髭面の男を指して答えた。
「殲滅兵団……。それはなんだ?」
ウーノの説明にクローフが口を挟む。
「ビルリィ教の権威を象徴する軍団、という所です」
ウーノに代わって、エルネストが答えた。
クローフはそちらに向き、エルネストは言葉を続ける。
「対魔女を念頭にして作られた部隊で、魔女への対処は勿論、暴徒の鎮圧にまで駆り出されるビルリィの実質的な主力部隊です。彼らの鎧は全て鉄で作られ、あらゆる魔法を受け付けません。規模はそこまで大きくありませんが、実力ならばアルカ国軍を凌ぐと言われています」
「なるほど。戦い続ければ、いずれこいつらが出張ってくるわけだな」
「はい」
答えるエルネストの声色はやや緊張に強張っていた。
「こっちはフォリオ。神学研究者」
次に少女の写真を指差してウーノが言う。
「彼女がフォリオですか……」
ウーノの説明にエルネストが呟いた。その声は硬く険しい。
「知っているのか?」
カオルコが訊ねるとエルネストは頷いた。
「魔女に対する兵器や裁定場における審議の方法は、全て彼女が考え出したものだそうです。でも、こんなに若い女の子だとは思いませんでした」
「ある意味、魔女にとって一番の敵というわけだな」
「そうですね……。魔女達の苦しみを生み出しているのは、間違いなく彼女です」
エルネストは眉間に皺を寄せ、苦々しい声で答えた。
彼女が一番倒したい相手は、この少女なのかもしれない。
「モルドー」
次にウーノはその名を告げた。
彼女の声音が、若干強張った事にカオルコは気付いた。
「暗殺衆の頭領。私にカオルコを殺せと言った人」
そう言葉を続けた時、ウーノの声は普段と同じ響きに戻っていた。
「暗殺衆っていうのは、要は暗殺者の集団という事か?」
「表向きには殺せない人を殺すための集団」
「どこにでもあるものだな、そういう集団は」皮肉を滲ませた声音でクローフは言った。
「アジトが見つかれば、ここに差し向けられる可能性もあるだろうな」
カオルコが言うと、ウーノは首を左右に振る。
「私が失敗したから、無理だと思われてる」
ウーノは暗殺衆で一番優秀な暗殺者だ。
そんな彼女が失敗した以上、暗殺衆の誰を送った所でカオルコを暗殺する事はできない。
ウーノは暗殺集の判断をそう解釈し、それは事実でもあった。
「でももしモルドーが来たら、私じゃ勝てない」
「そうなのか? そんなに強いのか?」
ウーノは首を振って否定する。
「私の方が強い。でも私は、モルドーを殺せないようにされてる。モルドーを攻撃しようとすると、動けなくなる。そういうふうに教えられた」
「恐らく、催眠や暗示の類だろう。ある種の行動を制限されているんだ」クローフが言う。
「なら、警戒だけしていてくれ。ここに来るようなら私に知らせろ。私が相手をする」
カオルコが言うと、ウーノは頷いた。
「こんなもんか。以上を踏まえて、幹部の暗殺を第二目的に据える。これからはそのように行動するから、そのつもりでいてくれ」
「おう」
「はい」
「わかった」
それぞれの返事を受けて、会議は終わった。




