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商談

 翌日、シンシアは予告通りベッドの上の人となったが、痛みがなんとか一日で治まり安堵した。

 今日は、ランクール商会会長の自宅でオレンジの商談をする約束がある。

 家族には、王立図書館に行くと言って出かけた。

 幸か不幸か、家族は誰も疑わない。

 シンシアの部屋には、少女向けの物語本がたくさんあることを知っているからだ。

 キリカの心配した通り、母はシンシアの部屋で春の夜会用のドレスを探し回ったようだが、それだけだったようだ。本棚の物語本が、実は学術書があることはまだ気づかれていない。

 アミタとケルター領でつくられた手工芸品の商談をするのは、いつもならシンシアの自室だ。

 アミタは女性向け商品を扱っているから、シンシアが買い物としているとは思っても、商談をしているとは家族の誰も思わない。

 それが自宅以外で商談することになったのは、アミタが商品として食べものを扱っていないからだ。なにより、彼女の父であるランクール商会会長が、会いたいと願い出て来たことが一番の理由である。

 到着してみると、ランクールの自宅は、大商人らしく大きな邸宅だった。

 玄関の前でアミタが出迎えてくれた。

「お嬢さま。お越しいただき、誠にありがとうございます。」

 礼儀正しくそう言い、後ろに控えた使用人ともども頭を下げてきた。

 ここでもカレイド村と同じだ。シンシアは話せない。キリカが答えた。

「お出迎えありがとうございます。」

 今日は他に従僕をひとり連れてきている。王都で初めての家を訪問することに多少警戒をしての事だ。

 オレンジはキリカが持ってくれている。

 アミタの先導で歩き出す。

 屋敷の中に入ってから、シンシアは話しかけた。

「ごきげんよう。アミタ。」

「お久しぶりです。シンシア様。早々に商品をお届け頂きありがとうございました。」

 アミタは、黒髪と青い目を持つ表情豊かな女性だ。

「不備はありませんでしたか?」

 商品の出来を聞いておく。

「はい。とても美しい仕上がりでした。いつもお約束通りにお届けいただき、感謝しております。」

 納期を守らない相手が多いのだと、アミタはよく愚痴をこぼす。

 今は人目があるので、ふたりとも礼儀正しい振る舞いをしているが、人払いがされると学生時代のように楽な話し方になる。

 ふたりとも、人前できちんとしてみせることは、お芝居をしているようで面白いと思っているのだ。

「どうぞ。」

 アミタがそう言いながら応接間らしい部屋の中を見た。

 その瞬間、彼女の肩がわずかにこわばった。

 理由はすぐに分かった。

 ランクール会長がいない。

 今、この応接間にいるのは二十代後半と思える男が二人だ。どう見てもアミタの父ではない。

 目元がアミタによく似た黒髪の男は、彼女の兄かもしれない。三人いると聞いている。

 少し下がった位置にいる男は、助手か秘書か、どちらにしても使用人だと思われた。

 ランクール商会の四兄妹のうち、次男は出来が悪いと噂されている。年齢的にその次兄のようだ。

 どうしたものかしら、とシンシアは思う。

 本来なら、出迎えもランクール会長がすべきだった。

 王国内の身分は絶対だ。

 大商人と言えども、庶民。貴族に対して礼を失することは許されない。

 今回は友人に免じて許したのだ。

「大変申し訳ありません。お嬢さま。」

 アミタの声が室内に響き渡る。けれど口調は静かだ。こういう時のアミタは凄く 怒っていることをシンシアは知ってる。学生時代に何度か見たからだ。

 彼女も知らされていなかったのかもしれない。

「大変な不手際を起こしてしまいました。会長のランクールはおりません。よろしければ私の部屋へお運びください。お茶を召し上がっていただきたく存じます。」

「ではそうしましょう。」

 堅苦しいやり取りだが、『身分』という壁が存在する限り、互いに相応の振る舞いをしなければ、今ある社会は崩壊する。

 シンシアが部屋を出ようとした時だった。

「お待ちください!」

 ランクール家の次兄が呼びとめてくる。

「お初にお目にかかります。シンシア様。ジン・ランクールです。」

 自己紹介を始められた。やはり噂の次男だ。

 シンシアは、冷淡に返すしかない。

「あなたに、名を呼ぶ許しを与えてはいません。」

 ジンは笑ってもう一度頭を下げた

「申し訳ありません。お嬢さま。妹の友人と思い先走りました。お名前を呼ぶお許しを頂けますか。」

「断ります。」

 即答すると、ジンの顔に気分を害した色が出る。自分が無礼な事をしたと思っていないのだろう。

 確かにアミタは友人だ。シンシアが庶民の娘であったなら、問題は無かっただろう。

『しきたり』がある。

 貴族に対して庶民が自己紹介をすることは出来ない。必ず紹介者を通す。今回の場合、紹介者はアミタだ。その彼女は紹介しようとしなかった。

 守らなければ罰せられるというわけではない。ただの『しきたり』だ。けれどこういう小さな約束事を知って守るのは、お互いの領分を守ることになる。

 今日シンシアがされたことを、他の貴族が許すかどうかはわからない。

 いや、貴族ではなくても、怒るのではないだろうか。真面目に商談をしにきたというのに、こんな約束の破り方をされたら。

 自分でも嫌な事を考えているとシンシアは思う。こういう場所からは早々に退散すべきだ。

「やはり帰った方がいいようです。」

 シンシアは、アミタに伝えた。

「はい。どうぞこちらに。」

 アミタが意を汲んで、帰り道を案内しようとした時だった。

「大変申し訳ありませんでした!」

 大きな声を上げて、別室へと繋がっていたらしいドアから恰幅のよい男が入って来た。

「ケルター子爵のお嬢さま。本日はお出迎えもせず、誠に申し訳ありません。」

 頭を下げられたが、気分の良いものではない。わかっていて行うのは、知らずにやるより性質が悪い。

 それにまた紹介なしに話し始められた。

 無言で立ち去ってもいいところだが、アミタの父かもしれないと気持ちがシンシアに話をさせた。

「残念です。今回はご縁がなかったようです。」

 けれど相手は笑顔を向けてくる。

「すばらしいオレンジをおつくりになったと伺っております。どうかお話を聞かせてください。」

 シンシアの話を聞いていない。まだ取り引きができると思っているのだろうか。

 ランクール会長らしい人の顔は自信に満ちている。どこからくる自信なのかは不明だが、これが商売人というものかもしれない。

 シンシアがする取り引きの話は短い。

「ケルター領まで取りに来てください。値は、去年のガザ・オレンジの売値の二十分の一。」

 ガザ・オレンジは、隣国の一地方だけでしか生育しない、近隣諸国を含めて最高級のオレンジだ。関税もかかるので、とてつもなく値段の高いオレンジなのだ。

 会長らしき人はわざとらしく驚いた。

「ただで取りに来いと仰るのですか。」

 シンシアは無言で返す。駆け引きをしないのが貴族のやり方だ。少なくとも商業に通じていない貴族はそうだ。

 取りに来ることの利点は多い。うまく立ち回れば、果樹園を見て回れるし、育てている者から今後の収穫量も確認できる。

 シンシアの無反応に、おそらく会長だろう人は、考え込むような顔をした。

 それから紙に何かを書きつけた。

 出荷量についての質問がないわね、と思いつつシンシアはそれを眺めていた。

 アミタはあからさまに眉をひそめて見ている。相当腹を立てている。

 シンシアと目が合うと、苦しげに目を閉じ頭を下げた。アミタも、この状況をどう収拾したらいいのかと困っているのかもしれない。

「ご覧ください。」

 会長と思われる人は、書きこみを差し出しながら、近寄って来る。

 それを見たケルター家の従僕が、シンシアの斜め前に立つ。

 会長らしい人が、またわざとらしく驚いた。

「お嬢さま、私がお嬢さまに危害など加えるわけがありません。」

「急に近づくからです。会長。シンシア様に失礼でしょう。」

 とうとう我慢ができなくなったのか、アミタが言い放った。

 シンシアは平然を装っていたが、かなり動揺した。従僕が、自分を守ろうと行動に出たのを見たのが初めてだったのだ。アミタには悪いがひどい所へ連れてきてしまったと思った。帰ったら執事のイニッツに言って彼を労ってもらわなければと考えつつ、にらみ合っている親娘を見る。

 会長であることは確定したわねとシンシアは思いつつ、キリカを呼んでささやいた。

「あの紙、貰ってきて。」

 キリカが大きく頷いた。その目に険がある。彼女もかなり腹を立てている。

「お嬢さまが、ご覧になるそうです。」

 シンシアに負けず劣らずの冷やかさで、キリカが会長から紙を取り上げる。

 今の私って、どれだけ尊大なお姫さまに見えているかしらと思いつつ、シンシアは手元に来た紙を見た。

 シンシアの言い値の五分の一の値がそこにあった。

 話にならない。

 さっとキリカに渡すと、彼女はすぐに会長に返しに行く。

 側にキリカが戻れば、もう用はない。

「帰ります。」

 会長が口を開く前にアミタを見た。

「アミタとは、約束の日にまた会いしましょう。」

「はい。ありがとうございます。」

 アミタがいつもの落ち着いた笑みを見せた。きっとこの後、親子喧嘩になるのだろうなとシンシアは思う。

 それを羨ましいと思うべきなのか。シンシアは父とケンカなど出来そうにない。

 オレンジは土産ではないから、当然持ち帰る。

「待ってください。お嬢さま。まだお話は終わっていません。」

 会長が追いすがって来た。この人、本当に貴族相手に商売をしているとわかっているのだろうかとシンシアは不思議に思う。

「終わりましたよ。」

 シンシアは淡々とした口調を維持したままだ。

「私が条件を示し、あなたは拒否した。終わりです。ご苦労でした。」

 貴族らしく上から目線で言って、シンシアはドレスを翻す。

 アミタはそれに合わせて、外へと誘導してくれる。そのまま歩き出そうとした時だった。

「お家の方に知れるとまずいのではないですか。」

 聞き捨てならない言葉だった。

「会長!」

 アミタが咎める声をあげる。

 シンシアがゆっくりと振り返ると、ランクール会長は満足そうな顔をしていた。

「驚いたわ。」

 シンシアは全く驚いていない口調で告げる。

「私を脅迫しているの?」

「取引の話をしたいだけです。」

 会長はまだ余裕のある態度を見せている。

 シンシアは、やっとその態度の理由がわかった。

 自分の娘の友達が親に隠れてお小遣いを稼ごうとしている、という認識なのだろう。

「シンシア様、どうかお許しください。どうか…」

 アミタの方は必死だ。貴族を脅迫したのだ。立派な犯罪だ。

 何度でも繰り返しそうなアミタを、シンシアは手で制した。

 自分の娘のあまりの低姿勢ぶりに、会長が初めて戸惑いを見せる。

「私は狭量ではないつもりよ。」

 シンシアは尊大なお姫様を続行して、その場を離れる。アミタもついてきた。

 アミタは言い訳せず、ただ謝ってくる。

「申し訳ありません。シンシア様。」

 シンシアはもう会長がついて来ないのを確認してから一応聞いておく。

「会長がいないこと、知らなかったのね?」

「シンシア様のお迎えに出るまでは、父はあの部屋にいました。」

 正直にアミタが答えた。だからシンシアも言葉を濁さない。

「ランクール商会は大丈夫なの?」

「…今、すごくダメな気がしてきました。」

 来た時の楽しい雰囲気は消えていた。

 ランクール会長は一体何をしたかったのだろう。シンシアには全く理解できない。

 馬車に乗りこむ直前、思いつめたような顔でアミタが聞いてきた。

「シンシア様、オレンジはどうされます?」

 ケルター領の財政を思えば売りたい。けれど利に走れば足元をすくわれるかもしれない。

 シンシアは微笑んだ。

「セアラ様がおいしいと言ってくれればそれでいいの。」

「そうですか。」

 悲しそうだ。商人として、セアラが絶賛するオレンジを逃すのは惜しいと思っているのかもしれない。

 けれど、アミタとの縁が切れたわけではない。

「次に会えるのを楽しみにしているわ。」

 明るく言った。

「アミタとの取引は、続けていけるでしょう?」

「はい。」

 アミタも笑顔を作ってくれた。

 そうしてシンシアはランクール邸を出たのだった。


「気位の高さって、やっぱり表し方が難しいわね。今日は少し高慢すぎたかしら?」

 狭い馬車の中ではあったが、シンシアはのんびりと手足を伸ばした。

「全然足りていません! なんですか、どうなっているんですか、ランクールは!」

 キリカが怒りの声を上げる。

「シンシア様を脅迫! 脅迫するなんて!」

「びっくりしたわね。」

「怒ってください。シンシア様!」

「怒ってるわよ。」

 そうは聞こえない口調に、キリカは不満そうな顔をしてる。

 シンシアは笑顔を向けた。

「アミタが今頃代わりに怒ってくれているわ。」

「その程度で許せますか? 駄目でしょう! シンシア様を呼び出しておいて、隠れて様子を見てるなんて、馬鹿にするにも程があります。その上、シンシア様を、脅迫!」

「笑えるわよね。家に知られたからって何か問題ある?」

 キリカは少し不安そうに聞き返してきた。

「ありませんよね?」

「ないわ。何も法を犯していないもの。」

「そうですよね!」

 キリカの怒りが復活した。

「アミタ以外のランクールとの取り引き、やめられるかしら。」

 シンシアが何気なく聞くと、キリカの目に力が入る。

「王都と領地、両方の執事と家政婦長に確認します。」

 この程度のことはしておいてもいいだろう。ケルター子爵家とランクール商会との取り引きは少なかったはずだ。

「セアラに土産話が増えたわね。」

 それを聞いたキリカの顔が、晴れやかになった。

「セアラ様なら、すごい制裁方法を考えてくれそうですね。」

 シンシアは苦笑する。

「セアラはそんな怖い人じゃないから。」

 キリカの中のセアラのイメージに少し不安を感じたシンシアだった。


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