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美しいもの

2014.12.29.「旅人」と「世界の中心」の間にこの章を差し入れましいた。お読みくださった方、申し訳ありません。

 ケインとウォルは一泊だけして、早朝にすっきりとした顔でシアーズへ帰って行った。

 シンシアの心の中には重い荷物が重なったままだが、領地にいる間にもう一つだけ、やっておかなければいけないことが残っている。

 明日は王都に戻る日だ。シンシアは書類だけは自分で鍵のついた鞄に詰めた後、支度をメイド達に任せた。

 準備のため、部屋の中は侍女たちが行き交う。

 その中で、今日会う相手のためにシンシアは夜会用ドレスを着せてもらった。

 初夏に行われる公爵の夜会に来ていく予定のドレスだ。

 それから、一番小さい応接室で相手を待つ。

「お嬢さま、リザが参りました。」

 執事のメイケルに、笑顔で頷いた。

「通して。」

「はい。」

 メイケルに促され、リザがやや前かがみになり、俯いたまま身を縮めて入って来た。

 農家を切り盛りする大柄な彼女は、そのまま深く頭を下げる。

「お久しぶりです。お嬢さま。」

「ごきげんよう。元気そうね。顔を上げて見て頂戴。」

 シンシアが明るく呼びかける。リザは緊張したまま顔を上げ、そして目を見開いた。

「お、お嬢さま。そのドレスは、もしかして…。」

 シンシアはその場で一回りして、ドレスの裾をひらめかせる。

「素敵に出来上がったでしょう。」

 落ち着いた淡い青色のドレスだ。少し開かれた胸元から背中まで同色の糸で細やかな刺繍が入っている。

 裾にも膝上辺りまで波か風を思わせる曲線に花模様の混ざった刺繍がされている。刺繍の糸は下は濃い青で上に行くほど薄くなる。スカート部は小さなプリーツをいくつも取って贅沢にフレア感を出してあり、着る者の動きに合わせて揺れて、刺繍が繊細に表情を変える。

 この刺繍は全部、リザが取りまとめている十二人のお針子たちの手によるものだ。

「これだけたくさん刺繍いれるのは、大変だったでしょう。だから見てもらいたかったの。どんなふうに仕上がって、どんなふうに見えるのか。お針子のみんなに伝えてね。とても素敵なドレスになったって。」

 シンシアが微笑みかけると、リザがドレスに目を据えたまま、涙をこぼし始めた。

「こんなに美しいドレスになるんですね。私たち、こんなに美しいものを作っていたんですね。」

 メイケルがリザにハンカチを渡している。

 シンシアは笑顔で手招いた。

「こちらに来て、頼んだ物をみせて頂戴。」

 けれどリザは、メイケルに助けを求めるように見て動かない。

 リザはいつもそうだ。この部屋に入ることさえ分不相応と思っているようだ。

 確かに父なら、中には入れないかもしれない。

 結局いつも通り、メイケルがリザの荷物を受け取り、ローテーブルにその中のものを並べた。

 布製の鞄と小さな袋物だ。それぞれに夏に咲く花々が刺繍され、レースが施されて、可愛らしい造りになっている。

 数は、鞄が十、小さい袋が百。

 シンシアは、ひとつずつ確認していく。

 刺繍の出来、袋としての仕立ての具合。

 すべてをみるのに、それなりの時間がかかった。

「リザ。良くできているわ。」

 シンシアが言うと、リザは大きなため息をつき、笑顔を見せてくれた。

「ありがとうございます。お嬢さま。」

「秋の花の分を頼みますね。でも無理をしては駄目よ。」

「はい。」

 リザの力の入った声が返って来た。

「メイケル。」

 彼に声をかけると、リザを促し一緒に外に出て行く。

 部屋の外に出てから、リザがもう一度頭を下げ、シンシアはそれに笑顔で頷いた。

 リザはこの後、メイケルから代金を受け取る。

 今回の報酬で彼女たちは、自分や家族に必要な物を手に入れるだろう。

 そして、この鞄と小さな袋は、王都で手にした女性たちを幸せな気持ちにしてくれる。

 小さいほうの袋に刺繍されている五種類の夏の花。ひとつの袋をひとつの花が飾る。

 だから欲しい人は二種類、三種類と買ってくれる。前回、春の花の時もそうだった。

 取引相手であるアミタ・ランクールは、作れるだけ作ってください、あるだけ全部売って見せますと言った。

 けれど、作り手は徐々に増えつつあるものの、それだけを専業にしている者はいない。

 急には増やせない。

 シンシアにとってはこれも大きく育てきれないものの一つだ。

 初めこれを考え出した時は、王都でこんなに売れると思わなかった。

 売れると断言したのは、セアラだ。

 そしてセアラが、王都でも指折りの大商会であるランクール商会の、会長の末娘アミタを紹介してくれたのだ。

 アミタも王立学院卒業生で、女性向け商品だけを集めて店を開いていた。

 本当に売れて驚いた。しかも相当な高値だ。

 その時にシンシアは、セアラとアミタに商売の手ほどきを受けた。

 何故、伯爵令嬢のセアラがそんなに商売に詳しいのか、未だに謎だ。本人も何故かしらね、と首をひねるからだ。セアラには謎が多いが、誠実な人だと分かっているから追及しない。

 だから結局、一番先に相談する相手はセアラだ。損得関係の無い彼女に意見を聞く。

 オレンジの取り引きのことも相談した。

 彼女から貰った苗木を使っての商売だから、さすがに問題が発生するかもと思ったが、無用の心配だった。彼女は、自分の欲しい分が今まで通り得られれば他に不服はないと言った。

 ただ今回の取り引きが成立しても、大量出荷はまだ出来ない。利益は少ない。

 頭の中に、払えない納税額が浮かぶ。

 シンシアは、小さな袋を手に取った。

 きれいな刺繍。美しい造り。

 きっと誰かを幸せな気持ちにするはずだ。


 夜会用のドレスのままではいられない。シンシアは自室に戻り、着替えるのを手伝ってもらう。

「シンシア様、リザたちが作って来る物、だんだん仕上がりがきれいになっていますよね」

 キリカに話しかけられて、シンシアは心配事から気持ちを切り離す努力をした。

「そうね。リザは新しいお針子たちにも、惜しみなくコツを教えてくれているみたいだから。」

 自分の利益のために、技術を教えたがらない者は多い。リザには感謝している。

「リザは、誇りを持っているんです。シンシア様にご信頼頂けていることに。」

 キリカは満足そうだ。

 シンシアはそれにつけくわえる。

「美しいものを作っているという誇りも持っているわよ。」

 キリカがそうかも知れませんと返事をし、シンシアが着替え終えた時だった。

 メイケルが入室の許可を求めて来た。

 そう言えばいつもより報告が遅い。リザは何も言わなかったが、何か問題が発生したのだろうか。

「シンシア様、リザにはきちんといたしました。」

 支払を無事に済ませたということだ。

「カレイド村の者が来ております。」

 キリカと顔を見合わせた。

 メイケルに聞く。

「持ってきたの?」

「はい。お話し下さっていたジャムのようです。レイズが対応し、今は食事をさせております。終わればすぐに帰します。」

「わかったわ。後でレイズから話を聞かせて。」

「かしこまりました。ジャムもその時お持ちします。」

 メイケルが微笑んで去っていく。

「間に会いましたね、シンシア様」

 キリカがわくわくした様子で言う。

「セアラにお土産が増えたわ。」

「不味いとお渡しできないでしょう。」

「不味くても珍しいものなら、面白がってくれるわ。」

「確かに、そういう方ですよね。」

 キリカの中では、伯爵令嬢セアラは要注意人物になっている。シンシアを助けてくれる人だが、その方法には時々納得がいかないらしい。

「ねぇキリカ、ガラスの瓶に入れて渡したいわ。きれいに見えると思うの。」

「そうですね。オレンジの皮が入っているのも見えますし。その様にするよう伝えます。」

「ありがとう。」

 他にもセアラに渡す土産の話をしていると、レイズが報告にやって来た。

 その後ろから、家政婦長デイラがワゴンを押して入って来る。

「シンシア様、カレイド・ジャムとやらをお持ちいたしましたよ。」

 デイラは、お茶とスコーンを一緒に用意してくれていた。

 シンシアは、まずレイズに断りを入れた。

「これを頂きながら、聞かせてもらうわね。」

「お構いなく。」

 レイズは笑顔を見せる。

 ティーテーブルにそれらが乗せられるのを待ちながら話を聞いた。

「カレイドの者が村長から言付かったのは、カレイド・ジャムをシンシア様にお渡しして欲しいと言う事と、リグルをどうかよろしく、の二つでした。」

「村長が来たのではないのですか。」

 キリカが声に少し怒気を含ませて聞く。

「若い男でした。村長の親戚だとは言っていましたが。すごく怖がっていました。シンシア様の厳しい態度の効き目でしょう。」

 レイズは真面目な顔をしているが、どこか面白がっているようにシンシアは感じた。

「それじゃ、そのかわいそうな人は食事がのどを通らなかったのではなくて?」

 この質問にはデイラが答えた。

「残した分は包んで持たせました。帰る途中で食べるでしょう。」

「そうしてくれてよかったわ。デイラ。」

 ひとつため息をついているうちに、お茶がカップに注がれ、テーブルの準備は整った。

「どうぞ、お召し上がりください。」

 白い皿の上にジャムが乗っている。確かにオレンジの皮が入っていた。

 右手を飾り布に預けているシンシアが食べやすいように、スコーンの上にもすでに乗せられていた。

 まずシンシアは、ジャムをひとさじだけ食べてみる。

 甘酸っぱい中にほろ苦さが口に広がる。カレイド村で聞いたとおりだ。

「これは、大人向きね。」

 言いながら、スコーンを食べる。

「おいしいと思うわ。」

 この場にいる者たちに試食を勧めてから、レイズを見上げた。

「打ち合わせ通りに言って帰したのね」

「はい。リグルとされた約束は守られると、それからお嬢さまは大事な社交界デヴューを控えておられるので、ジャムのことはその後だと、伝えました。」

 シンシアはジャムの乗ったスコーンを見た。

「早い者勝ちよね。」

「何がですか?」

 レイズは、急に話が飛んだと感じたようだ。確認して来る。

「このジャムの呼び名。王都でまだ出回っていなければ、これは『カレイド・ジャム』よ。誰かに先を越される前に、名前を付けたいわ。カレイド村の夏祭りの伝統なのだから。」

「そうですね。」

 レイズが穏やかな声で賛成してくれる。

 どうやって売るかは、アミタと考えよう。

 今回の王都滞在は忙しくなりそうだ。

 しばらくして、ガラスの瓶に入れられたカレイド・ジャムがシンシアの手元に届けられた。

 想像以上にきれいだった。

 心の中の重い不安は消えない。けれど、きれいだと思える気持ちはなくしたくないとシンシアは思った。


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